#14 峡谷
味方の快進撃は、続いていた。
援軍主力はヴィンスホーテン要塞にて、ヴァルハラ共和国軍の撃退に成功した。航空戦力もかなり投入されたようだが、敵にはまだない「爆撃機」なるものが、勝敗を分けた。
シュトルムフォーゲルという名の、4発のエンジンを搭載した大型機100機が一挙投入される。ヴィンスホーテン要塞手前に陣取るヴァルハラ共和国軍の陣地に、1機辺り30発の250タウゼ・シュレベ爆弾を叩き落とし、相当な打撃を与えた。
この爆撃機というやつのおかげで、その後もヴァルハラ軍は苦戦を強いられる。占領した街や要塞を、ことごとく破壊していく。エテルニア王国から徐々に後退せざるを得ないヴァルハラ軍と、それを追う我がアーカディア、エテルニア共同軍という図式が、エテルニア王国内で見られた。
我が103大隊も、それに呼応して前進を続ける。敵といえばあのオーディン攻撃機が脅威だが、その攻撃機の発着場となっていた国境近くの空港をシュトルムフォーゲルが夜間爆撃を行い、これを破壊。その結果、エテルニア王国内にオーディン攻撃機が飛ぶことはなくなった。ヴァルハラ共和国内地の空港からでは、航続距離が届かないらしい。
となると、ますます我が帝国軍の快進撃が続く。ヴァルハラ軍を追い詰め、ついに国境であるアルデイヌ峡谷までたどり着いた。
が、ここからヴァルハラ共和国へ侵攻するための、最大の難関となる。
峡谷というだけあって、両側に高い峰がそびえる。その間の、戦車一両がギリギリ通れるほどの狭い道を抜けなければ、共和国に入れない。
しかも、こういう場所は道が開けたところで大軍の待ち伏せを受ける。狭い峡谷を抜けたところで数十両の戦34式車隊からの猛攻を受けて各個撃破され、敗退するのが目に見えている。
どうやって、こんな難所を攻略するのか。
爆撃隊による支援も考えたが、この峡谷の合間を大型の爆撃機が通過するのは至難の業だ。かといって、高高度からの爆撃では目標に命中せず、効果が薄い。
陸からも、空からも攻撃し辛い難所を前に、総司令部はほとほと困り果ててしまった。
「ここを抜けて、どうにかヴァルハラ共和国に侵攻したい。総司令部からは、そのための作戦案を募集中だそうだ」
ここはそのアルデイヌ峡谷近くの街、レスレヒトだ。元々はヴァルハラ共和国との交易で栄えた街だが、この戦争に巻き込まれて市街地の多くの建物が破壊されてしまった。住人も、多くが街を放棄して首都ミッチェルダムへと落ち延びた。
残った建物を軍が譲り受け、そこを軍の前線司令部として使っている。また、駐屯する兵士たちの寝床として使われている。
我が103大隊はその郊外にある農家の家を使わせてもらっている。農家というが、かなりの豪農家であり、大勢の小作人を雇うために立てた小屋を持っており、共同の浴場まである。が、この戦争で小作人が逃げ出してしまい、使う当てのない小屋と、荒れ果てた農地だけが残されてしまったという。
「いやあ、お嬢さん方に使ってもらえる上に、あの悪魔のヴァルハラ兵を追っ払ってくれるならば、いくらでも使ってもらっていいよ」
とその豪農家の主人が言うので、遠慮なく使わせてもらっている。
この豪農家の良いところは、浴場が男女に分かれている、という点である。元々、小作人が家族で暮らせるよう、男女に分かれた浴場を持っていた。今まで未分離だった浴場のおかげで、俺は風呂一つ入るのに気を配る必要があったのだが、それがなくなった。これは今までの駐屯地では最高の環境である。
おかげで、食事を終えてすぐに、俺は風呂に入ることができる。今までは風呂に入るには、100名以上の隊員らが出るのを職務をこなしつつ待っていたが、今は待つ必要性がない。
ゆったりと入れる風呂。いやあ、この隊に配属されて以降、浴場に気を使わないというただ一点だけで、これほど快適になれるとは思わなかった。
が、そんな快適な浴場に、思わぬ外乱が入ってくる。
「失礼いたします」
共同風呂時代と同じく、俺が入っている浴場に構わず入ってくる者がいる。ブラウン大尉だ。素っ裸で、同じ湯船の隣に入ってきた彼女をちらちらと覗きつつ、俺は尋ねる。
「な、なんだ。今日もまた何か、聞きたいことでもあるのか?」
「その通りです。大佐」
「そういうのは、指揮官室ではダメなのか?」
「こういうところがもっとも盗聴の恐れがなく、本音で話せる場所なのです」
本当にそういう理由なのだろうか? こう言ってはなんだが、女性風呂とは壁一つで隔てられた場所だ。現に、あちらのきゃあきゃあという騒ぎ声が筒抜けである。
「で、なんだ、今日の相談とは」
「例のアルデイヌ峡谷ですが、あそこをどう攻めるべきかと、総司令部でも思案中であると伺ったのですが」
そう述べるブラウン大尉だが、俺はすぐ隣に座って話しかけてくる大尉の胸の峡谷の方が気になって仕方がない。
「そうだな。確かに、攻めあぐねているな」
「そこで私は昨日、斥候のミュラー兵長と通信士のシュナイダー軍曹に頼んで、この峡谷を調べてもらったのです。すると、一つ大きな発見がありまして」
「発見? なんだそれは」
「絶壁沿いに戦車がギリギリ一台、通り抜けられる細い道を発見したのです」
ミュラー兵長らの話によれば、そこは34式が通った跡も確認されたとのこと。峡谷のすぐ脇から、ちょうど敵の待ち伏せる出口付近にまでつながっているとの話だった。
「しかし、どうしてそんな道の存在を?」
「簡単ですよ。いくら戦車隊を持たないエテルニア王国といえども、宣戦布告を受けてすぐに、この峡谷で待ち構えていたはずです。それが難なく突破されたと伺ったので、通常とは異なるルートが存在するのではと疑ったのです」
「で、見立て通り、それがあったと」
「敵の34式で抜けられるほどですから、我が4式ならば難なく通り抜けが可能かと」
「難なくとは言い過ぎだろう。確かに重量こそ軽いが、幅はいい勝負だぞ」
「いずれにせよ、攻略の糸口を一つ、見出したのです」
「だが、敵だってその道の存在を知っているはずだ。そのルートを使えば、かえって反撃にあうのではないか?」
「本隊との連携が必要でしょう。こちらが裏ルートから侵入し敵の気を引き付けている隙に、本隊は峡谷を抜けて混乱する敵陣地に出る」
「だが、ただ出てきただけでは、袋叩き似合うだけだぞ。敵を窮地に追い込めるだけの何かがなければ、その裏ルートとやらは使い物にならないだろうな」
「……確かにそうですね。失礼いたします」
と、再び素っ裸のまま出て行ってしまった。何を考えているんだ、ブラウン大尉は。俺に隠そうともしない。
帝国でも南方出身だと聞いたが、男女混浴に寛大な文化なのだろうか? いや、こちら側の礼節を学んでいるはずだから、男が入る風呂場に入っちゃいけないことくらい心得ているはずだ。にもかかわらず、なぜ?
と、そんなことよりも峡谷攻略だ。今の裏ルート、使いようによっては確かに有効な手段となりうる。が、敵が知っているルートであることと、そのルートを抜けた先の作戦もなしに使うわけにはいかない。そのルートを、103大隊の4式10両が抜け出たところで、その先で袋叩きにあって全滅するのがオチだ。それでは、今の峡谷から攻め入るのと変わらない。
航空機支援も考えた。爆撃機では確かに難しいが、攻撃機ならば戦車に被害を与えられる。我が軍の攻撃機、ブリッツクレーヘは速力こそ遅いが、むしろだからこそ狭い峡谷での攻撃に向いているともいえる。あれが敵のオーディンだと、速過ぎて両脇の峰の絶壁に激突する可能性がある。
峡谷の正面突破、攻撃機、そして裏ルート、これらの限られたカードを組み合わせて、どうにか味方が勝利する方法を考えなくてはならない。というか、本来そういうものは、総司令官の参謀長辺りが考えることだろうが。どうして前線のいち指揮官が頭を悩ませるんだ。
とにかくだ、下半身の物見やぐらが収まったら出よう。俺はそう考えていた。
さて、翌日も軍務をこなし、ホーレンツォレルン准将に呼び出されては作戦案を求められる。よほど軍総司令部でも困っているらしい。あまりに犠牲が多く、かつ勝ち目のない戦いしか思い浮かばないとなれば、手も足も出ない。
そうこうしているうちに、敵は国境沿いに増援を送り込んでくる可能性がある。が、すぐ近くにアウグスタス線があって、そこでの攻防もある。おまけに峡谷という狭い戦場ならば、少数でも守れるだろうということで、それほど兵力が回されない可能性がある。
その日も風呂場でずっと考えていた。相手は、油断している可能性が高い。かつて俺も戦っていた、本来のヴァルハラ共和国との国境線沿いに敷かれた塹壕と要塞の並ぶアウグスタス線での戦いも、再び激しさを増してきたという。
となれば、峡谷を越えて敵の裏側に出て打撃を与えることができたなら、アウグスタス線突破の絶好の機会となるのに。
そしてその翌日もまた、風呂場で考えていた。何か決め手があれば、我が軍は峡谷を突破すれば、国境を超えて敵の後方を突くことができる。しかし、突破後のことは考えられるが、肝心の峡谷突破の方法が思いつかない。悶々とした思考の浴槽の中で、俺はのぼせ上りそうになる。
が、その時、ガラッと浴場の扉が開く。振り返ると、全裸のブラウン大尉が合図もなしに入ってきた。
俺は、慌てる。
「おい、上官への許可もなしに入ってくるやつが……」
「大変です、大佐! 裏ルートを使った攻略法が、見つかったかもしれません!」
素っ裸をさらしながらも、興奮気味に叫ぶブラウン大尉に、俺は煩悩の方が吹き飛んだ。
「どういうことだ! まさか、新たな裏ルートでも見つかったと?」
「いえ、裏ルートを探らせていたミュラー兵長とシュナイダー軍曹から、新たな情報が入ってきたのです!」
「新たな、情報?」
「ともかく、いったん落ち着きます。お隣、よろしいでしょうか?」
隣に入られると、俺が落ち着かないんだが。ともかく、よほど急いでここまでやってきたのだろう。少し息を切らせたまま、話し始める。
「裏ルートですが、抜けた先は今、林になっているそうです」
「つまり、木々が隠れ蓑になると?」
「それもあるのですが、その林に紛れながら近づくと、その林のすぐ向こう側に、小屋があったのです」
「小屋?」
「そうです。で、その中が何なのか、ずっとわからなかったそうですが、どうやら弾薬庫だということが判明しました」
「おい、まさか大尉、裏ルートを抜けて、その……」
「そうです。弾薬庫に総攻撃をかけるのです!」
「それだったら、何も戦車である必然性がないだろう。トラックか何かで乗り込み、工作兵が爆薬を仕込めば済むのではないか?」
「ところが、他にも周辺に燃料タンクや武器弾薬が野ざらしにされているというのです。4式の砲ならば、それらを破壊して一気に敵を大混乱に陥れることができます。その気に乗じて、主力部隊が突入をかけたならば……」
「おいまて、それだったら、攻撃機にやらせればいいじゃないか」
「攻撃機は34式の攻撃に専念してもらうのが一番です。アウグスタス線方面から大量のブリッツクレーヘを飛ばせば、対空砲やオーディンの餌食になります。となると、エテルニア王国内から峡谷を抜けて攻撃するのが現実的ですが、今は10機程度しかないと聞きました。今、奇襲をかけるならば、やはり戦車隊しかないのです!」
お願いだから、その身体を俺の目の前にさらしながら話すのをやめてくれないかなぁ。興奮しているときのブラウン大尉は、周りが本当に見えていないことが多い。
「まあ、いいから落ち着け」
「これが、落ち着いていられますか!」
「気持ちは分かるが、俺の気持ちにもなってくれ」
そう俺が話すと、ようやく我に返ったらしく。ドボンと浴槽に身体をうずめる。
「……ちょ、ちょっと興奮しすぎてしまいました。しかし、敵の弾薬庫と燃料を破壊するだけでも、敵は大混乱に陥ります。あの峡谷を突破するには、それしかないと考えますが」
「そ、そうだな。明日にでもすぐにホーレンツォレルン准将に話し、総司令部に掛け合ってみよう」
「お願いいたします! では、失礼します!」
たいして温まる間もなく、ブラウン大尉は浴場を出て行ってしまった。しかしなんだ、今日は股を広げて正面に立たれたおかげで、いろいろなところが見えすぎた。どうしてくれるんだ、俺の下半身。
おかげで、翌日の指揮官室で、ブラウン大尉と目を合わせ辛くなっていた。
「ま、まもなく出かける。き、貴官が提案した裏ルートの奇襲作戦を、提案しようと思う」
「りょ、了解いたしました」
で、それから無言になる。思えばこの指揮官室で話をすればよかったんじゃないのか? ホーレンツォレン准将と会うのは、11時からだ。今報告を受けても何ら変わりなかった。
とまあ、煩悩の方が何かと多い作戦立案過程であったが、その情報をその後、准将閣下に提案する。
すると、その日のうちに回答が返ってきた。結論から言うと、承認された。
が、当然というか、その裏ルート突破の任務は、言い出した我が103大隊の役目とされてしまった。てっきり俺は、実戦経験豊富な部隊が選ばれるものと思っていたから、これには驚いた。
女だらけの部隊だと見下しつつ、そんな部隊に頼りすぎだ。我が帝国はいつの間にか、男の方がだらしなくなってきたように思えてならない。