#10 交換
敵とのやり取りで、捕虜交換場所はここから20タウゼ先の森の間を抜ける一本道で行われることになった。
「罠、ではありませんか?」
ブラウン大尉が俺に、心配そうに尋ねる。
「全員を連れて行くわけではない。俺と捕虜、5名ほどの兵士のみだ。それに、捕虜交換はアウグスタフ線にいた時には、よく行われていたことだしな」
「ですが、なおのこと指揮官自らが出向く必要はないのではありませんか?」
「ヴァルハラ語を話せるのは、俺だけだ。それに、戦時法を無視して捕虜回収後に俺を撃ったら、それこそやつらは世界を敵に回すことになる。それくらいのこと、敵だって分かっていることだ」
「しかし……」
「安心しろ。すぐに戻ってくる。ただし、1時間経っても戻らない場合は、大尉は全員を率いてアルトシュタットに向かえ」
その言葉に、ただ黙って敬礼するブラウン大尉。後ろにいる100名ほどの隊員も、一斉に敬礼する。俺は返礼で応える。
ブラウン大尉にはああは言ったが、相手が必ず戦時法を守るとは限らない。しかしだ、大尉と上等兵という、実にアンバランスな捕虜交換に応じた相手を背後から撃とうものなら、国際的な非難は免れられない。それに今後、我々が捕虜交換に応じなくなる可能性だってある。アウグスタフ線には未だ敵の捕虜をたくさん抱えており、捕虜交換の打診は多いと聞く。それゆえに、それだけの覚悟が今の敵にあるかどうかと言われると、とてもそうは思えない。
もっとも、理性的な人物が現れるとは限らない。なにせ古城ごと味方を吹き飛ばしやがった、それを指揮した張本人が目の前に現れれば、理性など吹き飛ぶかもしれない。だからこそ、俺自身も不安ではある。
トラックで、指定の場所へと向かう。捕虜交換の際は目印として、緑色の旗を立てることになっているが、そんなものは持ち合わせていないため、急遽、緑色のトラックの幌の一部を切り取って作らせた。
静かなものだ。ここが最前線とは思えない。アウグスタフ線で戦っていた時の捕虜交換では、遠くの砲撃音を聞きながら出向いたものだ。
しかし、このクラスヌィフ大尉という人物は、それほど重要な人物なのだろうか。見たところ、さほど有能だとは思えないが、こちらの通信に対し、その日のうちに返信が来たほどだ。それなりの指揮官なのだろう。
出せるコマが、女の上等兵一人。普通ならば、応じることのない交換条件だ。
が、階級云々はこの際、関係ない。俺にとっては、この指揮官以上の価値のある人物だ。
俺のここでの使命は、国土を守り抜き、103大隊を少しでも多く生き残らせることだ。多分、この世界の歴史を記憶に持ち、生まれ変わった理由はそこにあると今は思う。
そして、トラックは予定の接触地点に到着する。
しばらく待つと、向こうからも軍用車が現れた。同じく、緑色の旗を掲げている。
「出るぞ」
俺は、5人の兵士に命じる。彼女らは、足を怪我したクラスヌィフ大尉を抱えつつ、トラックを降りる。
ほぼ同時に、あちらも何人かが軍用車を降りてきた。そしてその中に、我が軍の軍服を着た人物が見える。
「クゥフィタン クラスヌィフ ズィデス!?」(クラスヌィフ大尉はいるか!?)
「イェト、ヴィレン!」(見ての通りだ!)
向こうの将校らしき人物が、こちらに向かって叫んできた。俺は大声で応える。
「ヴゥンカスカ、オドミェンナスタガボ ダヴォナ!」(規則通り、同時に放つ!)
「イェト!」(分かった!)
戦時法であるゼーリエ条約に規定された捕虜交換のやり方は、互いに100ラーベ離れた場所から、同時に捕虜を放つ。互いに同じペースで前進させ、同時に互いの捕虜を回収する。
その規則に倣い、あちらがバーナー二等兵を離すと同時に、こちらもクラスヌィフ大尉を放つ。
互いに、腕は縛られたままだ。バーナー二等兵を見る限りは、大きなけがをしているようには見えない。やや泣きそうな顔をしてはいるものの、足取りは確かだ。
が、クラスヌィフ大尉は足を怪我している。両手を縛られたままだから、余計に歩くのが遅い。そのペースに合わせて、バーナー二等兵は少しでも早くこちらにたどり着きたいと思っているだろうに、足を怪我したあの士官と同じペースで前進するしかない。
中間地点である50ラーベで、この両者がすれ違う。互いに目を合わせることなく、両者は中間点を通過する。
そのまま、同じペースで歩き続ける両者だが、ほぼ同時に、あちらとこちらの捕虜が同時にたどり着いた。5人の兵士の一人が、バーナー二等兵を受け止める。
あちらも、クラスヌィフ大尉の肩をつかむと、足を引きずりながら歩いてきた大尉を担いで軍用車に乗せる。
こちらも、回収した捕虜をトラックに連れていく。味方の元にたどり着いたバーナー二等兵は嗚咽しつつ、2人に抱えられて中に入っていく。
が、残った3人は、銃をつかむ。今が一番、危ない瞬間だ。なにせこちらを守る盾を相手に渡ってしまった。いくら条約があるとはいえ、相手の心次第ではそんな紙切れの上に書かれた条文など、いつでも破ることができる。
その時だ、あちらの大佐らしき人物が、こちらに敬礼してきた。
「ツゥエンツ! ダヴァイテ ヴストリームシャ ナ ポール ヴィトヴィスティヴィンスィラス!」(感謝する! 次は戦場で会おう!)
俺も敬礼し、こう答える。
「ア ヴォーカ オスタヴァイシャ ズドロヴォーイ!」(それまで、お元気で!)
それを聞いたあちらの将校は、そのまま軍用車に乗り込む。そしてそのまま転回し、向こう側へと走っていった。
「よし、こちらも戻るぞ」
用は済んだ。さっさとこんな場所からは離れよう。俺は帰投を命じる。
「うう……やつら、酷いんです……」
両手の縄を切られ、自由の身になれたバーナー二等兵は涙ながらに語りだす。
「捉えられたその日は……軍服はがされて、一晩中、裸のまま、兵士たちの相手を……」
ゼーリエ条約には、兵士たちの人権を保障せよとは書かれている。が、女性兵士を想定しておらず、その扱いについては明確に規定されていない。とはいえ、明らかにこれは条約違反ではある。
が、それ以上に酷いことはされていない。凌辱を受け、尋問はされたものの、拷問を受けたりけがを負わされたという形跡はなかった。
なによりも、生きていてくれた。
たった一人とはいえ、死んだと思われた者が生きて帰還できる。
俺にとって、バーナー二等兵の回収は大いなる成果だ。
やがて、仮の駐屯地である小屋まで返ってきた。
「大佐! バーナー二等兵!」
「ぶ、ブラウン大尉!」
互いに抱き合う二人、まさか生きて再会できるとは思わなかった二人が、互いの背中を抱きしめつつ命あることを確かめ合う。
「大尉、大尉……」
「よかった。とにかく、よかった」
「あの、大尉。私以外の工作兵は?」
「アイゼマン曹長だけが返ってきた。重傷だが、命に別状はない」
「えっ、曹長だけですか!?」
「2人返ってきたというだけでも、奇跡だ。すでに我が隊は16名を失っている」
その事実を聞き、バーナー二等兵は肩を落とす。が、ブラウン大尉はそんな彼女にこう言ってのける。
「まだ戦いは終わっていない。今は助かったが、明日は我が身かもしれない。死んだ者の分まで、生き延びることを考えよ」
「は、はい!」
捕虜となり、屈辱を味わって帰ってきた兵士に対してかける言葉としては辛辣ではあるが、これが現実だ。ブラウン大尉が言う通り、まだ戦いは終わってはいない。
我々を追って、敵の戦車隊が現れるかもしれない。動ける戦車は、全部で9両。これらを森の木々に潜ませて、敵の進軍を迎え撃つ準備をする。
その間に、バーナー二等兵はアイゼマン曹長と再会を果たす。
「そ、曹長~っ!」
「バーナー二等兵、生きていたのか!」
左腕と右足がまだ動かせないアイゼマン曹長は、動かせる右腕で死んだと思っていた部下の背中を抱き寄せる。再会で涙を流す両者。しかし、その小屋の外ではまだ、緊迫した空気が流れていた。
時折、斥候らしき兵士が現れる。が、戦車は現れなかった。静かすぎる昼間を過ごし、再び夜を迎える。
「よし、そろそろ交代時間だ」
この間、俺は部隊の半数を休ませ、半数を見張りにつかせていた。その交代を命じる。
「大佐も、お休みにならないのですか?」
「いや、構わない」
ブラウン大尉が休まない俺を心配し、そう声をかけてくるものの、俺はとても休む気にはなれない。それはそうだ。この夜こそが、山場だからだ。
あと一晩を乗り越えれば、援軍がアルトシュタットに到着する。そこで彼らと合流し、反撃に転じることができる。
が、その前に敵にここを突破されれば、歴史通りに国土を奪われるかもしれない。そんな歴史の転換点の上に立っている俺が、休めるはずがない。
敵は攻勢を仕掛けてくるのか、このまま、おとなしく待機し続けるのか?
敵がやってきたとして、我が隊は迎え撃てるのか?
そして、生き残ることができるのか?
そんな思いが、脳内を去来する。森向こうを時折、双眼鏡で眺めつつ、敵の動向を探る。が、敵は一向に現れない。
「ミュラー兵長より連絡です。昨晩の戦いでは、3両が撃破が確認されたようです」
「そうか。で、動ける戦車の数は?」
「わかりません。さすがにネルベブルグ城までは接近できませんから」
100両近くあった戦車の内、何台を使用不能にできたかを正確に把握できていない。昨日の時点では10両のみであったが、あれから一日経ち、何台かは修繕されたかもしれない。もしかしたら、数十両が復帰して攻勢に出る可能性だってある。
本来の歴史とは、異なる時代を俺は歩み始めている。だから、敵の動向が読めない。そのことが余計に俺の神経を高ぶらせる。
そんな俺の頭を、ブラウン大尉がいきなりつかむ。
「お、おい、何を!」
2番車両の上で、俺はブラウン大尉に頭部をつかまれ、そのまま後ろに押し倒された。俺の頭は、大尉の太ももの上にある。
「しばらく、寝ててください。何かあればすぐに起こしますから」
神経を高ぶらせた俺を心配して、大尉が強制的に俺を寝かせたいようだ。
「いや、そういうわけには……」
「休むことも戦いだと、大佐はおっしゃったことがあります。いざというときに、指揮官が使い物にならないのでは、元も子もありません! ですから、休んでください!」
自分の発言のおかげで、俺は反論できない。そのまま俺は、ブラウン大尉の柔らかな太ももを枕にして横になる。
すると、急に眠気が襲ってきた。まるで気を失うように、俺は寝てしまったようだ。
で、気づいたら、夜明けだった。
「大尉、敵は!?」
俺は起き出し、ブラウン大尉に尋ねる。
「いえ、結局敵は現れませんでした」
この時点ではっきりしたことだが、敵は反撃の余裕がないほどの、相当な被害を受けたようだ。
考えてみれば、わざわざ一人の大尉を捕虜交換で救い出そうしたほどだ。それくらい、指揮官不足に陥っているということなのだろう。
予想以上に俺たちは、敵に損害を与えていた。おそらくは、そういうことだ。
もしかすると、思ったより早くネルベブルグ要塞の地を奪還できるかもしれない。
珍しく、俺の心に高揚感が湧く。
「総員、アルトシュタットに向かうぞ」
「はっ!」
俺の号令で、2番車両のエンジンがかかる。やや黒い血のこびり付いた履帯が回りだし、その貧弱な駐屯地を離れる。
歴史は、動いた。だが、この先も生き残れるかどうかは分からない。しかし、今のところは勝ち続けている。
俺は、103大隊は、アルトシュタットに集結しつつある味方と合流すべくその街へと向かった。