蛇足:リア充の異世界転落
もうちっとだけ続くんじゃ
〈side:others〉
いよいよ、ここまで辿り着いた。
魔の領域、最深部。魔族の本拠地である巨大な城砦。
その中枢――魔王の玉座へ続く大扉の前で、【神槍】の勇者、厚美朋矢はひととき、感慨にひたる。
ここへ至るまでの道中、さすがにこれまでにない激戦だった。
魔物と野生生物、そして魔族の混成部隊は質も量も領域の外縁とは段違い。
そして城砦へ突入してからは、これまで控えていた魔族の幹部との連戦。
とくに先程の、八将一位と二位との対決は、幾度か危うい場面もあったほど。
一歩間違えば敗北もありえた、死闘と呼ぶに値する戦い。
(ま、大きな怪我は負ってねーから、そこまで深刻ってわけでもねーけどな)
結果としては、己の強さをあらためて実感する機会ともいえた。
戦うごとに力が馴染む感覚。得物の【神槍】はより軽く、速く、鋭く。全身に溢れんばかりに満ちる闘気。それをもって繰り出される一撃の破壊力たるや、我がことながら恐ろしくなるほど。
もちろん、朋矢だけでない。
「やっと、ここまで来れたね……」
皆の背を預かり、仲間を癒し、護り、鼓舞してきた【聖女】、守永優愛。
「ええ。すべては勇者様方の御力、その賜物。……まさか私が、英雄譚の当事者になる日が来るなんて」
多彩な魔術と博識で隊伍を支えてくれた、当代最高の術士イリス・エヴァレッド。
「皆様、気を抜かれませんよう。扉越しにもわかる途轍もない力……先の魔族の言葉に誇張はないようです。魔王、よもやこれほどのものとは……」
そして総指揮権を後方に預け、決戦の隊伍に加わった王国第一王女、エリカ・エヴァーグリーン。
彼女の実力は噂に違わぬものだった。剣も魔術も驚くほどの高水準で使いこなし、そのうえで広い視野を持ち、仲間への指示も的確。
決戦に挑んでから、どうにも手が足りないような気がしていた朋矢たちだったが、エリカの加入により、それもほどなく気にならなくなった。
(下についてるみてーで、なーんとなく癪じゃーあるけどな)
とはいえ、その不満も魔王を打ち倒すと同時に解消されるだろう。
魔王討伐を果たした者との成婚――それが彼女を待ち受け、また自らも受け入れている運命。
あの日以降も何度か粉をかけてはみたものの、一貫してにべもなかったエリカ。
そんな彼女も、いよいよ年貢の納め時というわけだ。この気高い王女様がどんな声で鳴くのか、今から楽しみで仕方ない朋矢である。
ともあれ、
見目も麗しい仲間たち――彼女らの助けがあってこそ、朋矢もここまで来れたのは事実。
(とーぜん、まったく犠牲がなかったわけでもねーけど)
熾烈を極めた戦いに、散っていった者は多い。
レガスの兵卒や下士官は言うまでもなく、勇者にも犠牲は出た。
すべては最速で朋矢たち――一軍勇者を魔王のもとへ送り出すため。
総大将同士の一騎打ち。
それがこの戦の雌雄を決する、最善かつ最短の策であるというのが軍議での判断。
今も多くの者たちが、魔の領域の各地で戦っているだろう。
勇者と魔王の戦いに余計な横槍を入れさせないための、足止め。
(ま、オレの見せ場のお膳立てごくろーさん、だな。戦いが終わったら、墓に花くらい手向けてやるさ)
感謝や弔いの念は、正直薄い。
モブが主役を引き立てるのは当然の役目だから。
英雄譚の一助になれることを、むしろあちらが感謝してほしいくらいだった。
「朋矢君、大丈夫?」
「先程から押し黙っておいでですが……」
「無理からぬことでしょう。さすがの勇者様も、この威圧感の前では……」
仲間たちの呼びかけ。
ついつい物思いにふけり過ぎたようだ。
「――ッハ! 誰がビビッてるって? 向こうさんにどう挨拶しよーか考えてただけだっての」
気を取りなおして、不敵に笑ってみせる。
口から出まかせにそんなことも言ってみるが、とくに考えあってのことでもなく。
とはいえ……そう、これから戦う相手への挨拶というなら――
「やっぱこーだよなぁ?! ――オラァッ!!」
扉へ向け、一歩踏み込み、
前蹴り一発。
バガァン!! と、
普通の人間なら押すのも一苦労だろう巨大な扉は、
朋矢の強烈なノックにより、派手に向こう側へ弾け飛びさる。
その向こう、
『……クク、挨拶にしては随分ではないか。のう、勇者とやら』
ごてごてした装飾の大広間、最奥。
泰然と玉座にあり、こちらを見すえる異形の巨躯。
姿は全体として、武者鎧に似ている。
恐ろしげな形相の面頬も、全身の装甲も、呼吸するかのごとく収縮しているのを見るに、身に着けているのではなくすべてが体の一部なのだろう。その組成はあるいは、甲虫に似たものなのかもしれない。
「生憎育ちがいいわけでもないんでね。けどオレだって、弁えるべき相手に無礼は働かねーよ、魔王」
朋矢もまた、一歩、二歩と広間へ踏み込む。
あえて余裕の足取り。
臆するものなどなにひとつない、そう示すために。
『フ、異なる世の奴ばらに、殊更礼儀など問うまいよ。だが名乗るくらいはしたらどうだ? これより死ぬる定めといえど、墓標に銘くらいは欲しかろう?』
「……【神槍】、トモヤ・アツミ。あんたの言葉、オレもそのままそっくり返すぜ」
「王家、エヴァーグリーンが名代、エリカ。レガスのすべての民に代わり、魔王、貴方を必ずやここで誅しましょう」
「王国魔術師、イリス。栄えあるエヴァレッド家の名においても、この戦い、負けるわけにはいきません!」
「【聖女】、ユア・モリナガ! えっと……みんなのこと、絶対守るからッ!」
あえて先に、素直に名乗ってやるのも余裕を表すため。
朋矢に続いて仲間たちも魔王へと名乗る。
そこに緊張はあれど恐れはみられず、各々の力への自負を感じさせる。
『……フ』
これから戦う相手の闘志。
それを受け、魔王は、
『フフ、ククク……クハハ! フハハハハハハハハハ――ッ!!』
呵々と、笑う。
「!?」
瞬間、広間、
否、城砦全体が、鳴動する。
壁も床も天井も装飾も、地震のごとく響き、唸り、
掲げられた燭台や篝火、その火のことごとくが猛り、燃え盛る。
魔王の秘める強大な力に、
あたかも呼応するかのような、それは劇的な現象で――
『ハハハハハ……ッ! ――いや、笑止』
やがて治まる、魔王の哄笑。
同時に城の鳴動、異様ともいえるその現象もまた、静まり。
『よもや、この余を本気で倒そうなどと。思い上がりも甚だしい』
「んだと?」
『ここへ参ったならジャチ……八将一位を称する者は破ったのだろう? そやつが言うておらなんだか。己が力など余の足元にも及ばぬ、と』
「……ああ、言ってたな」
魔王の物言いに、先の戦いを振り返る。
――図に乗らぬことだ。
我が王の御力は、我ら以下すべての軍勢を足してなお、届かぬ高みと知れ――
魔族の幹部が今際に遺した言葉。
それがただの負け惜しみでないことは、今なお感じる圧力が如実に示している。
「けど、それがどーした!!」
恐れるに足りない。
そのことを思い知らせるべく、本気で闘気を解放する朋矢。
『――!』
「……どーよ? 人類最高戦力の呼び名は伊達じゃねーんだ。オレだって、レガスの全軍相手に勝つ自信――いや確信があるぜ?」
「アツミ様……」
「んな顔すんなよ王女サマ。ただのモノのたとえだっての!」
目を見張る様子の魔王。初めてこちらを“敵”と認めたかのような。
そうだ。オレの力は世界最強。魔王とも比肩――いや、打倒しうる存在。
たとえ、あの日利相手にいいようにやられたといえど。
そもそもあの時の自分は、全然本気じゃなかった。ちょっと小突いて尻もちでもつかせて、恥でもかかせてやればそれで気が済んだし、手打ちにしてやるつもりだったのだ。
(なのにあの野郎、大人げなくバカスカ殴りやがって……空気読めっての)
オレは負けてなどいない。
本気を出せば利など瞬殺だ。
なのにこっちが油断したのをいいことに、一人で勝手にムキになって。
ダサいのはあいつのほうだろ。
借り物の力? それがなんだ。
今のこの勇者の“加護”――【神槍】はまぎれもなくオレの力で、
『よかろう、貴様を敵手と認めてやろう!
余は魔王、ゴクア・クヒド!! 魔を統べる者として、貴様らに真の絶望を齎さん――!』
「ッハ! 生憎、齎されんのはテメーの敗北だッ!!!」
この舞台の主役は、オレだ。
途中で降りた雑魚との格の違い、思い知らせられねーのが残念だぜ、トールよォ……!
玉座から立ち上がる魔王。その巨体は十メートルに迫るだろうか。
だが今更怖気づく朋矢でもない。それより大きな魔物を仕留めたこともあるのだから。
引き絞るように槍を構え、駆ける。
後方から味方の支援が届き、力が底上げされていくのを感じる。
迎え撃つ魔王は両の拳を構えている。武者めいた見た目のくせに、得物は徒手空拳らしい。
けれどもそれで遠慮する朋矢では、当然なく。
初手から最大、最高出力の一撃。
「“真・シューゥティング――」
それをお見舞いしようとした、
次の瞬間。
「――ス、あ?」
がくん、と、
急に、体がなにかに押さえつけられたかのような。
思わず、たたらを踏むようにして、朋矢の足は止まる。
『ぐ、ガ?! あ゛……っ?』
異変はそれだけに止まらない。
魔王がその巨体を、ぎしり、と硬直させる。
のみならず、
『ガ、げ、げ……っ゛』
突如跪いたと思いきや、
ぐしゃぐしゃ、と。
あたかもなにかに圧し潰されたかのように崩れ、
そして、それきり。
『…………』
甲殻とくず肉の塊のようになって、沈黙する魔王。
そこにもはやなんの動きも見られず、
ただ腐臭――死臭が漂うのみ。
「は? え、な……」
目の前の光景を、朋矢は上手く呑み込めない。
知るよしもない。
レガスの生命を脅かす者として、最も強大な“加護”を得ていた魔王。
その“加護”がたった今、欠片も残さず消失してしまったことなど。
巨大な地上生外骨格生物という、“加護”の強化がなければ到底維持できない体が、そのせいで崩壊してしまったことなども。
そして魔王の“加護”が消失したのであれば、
対となる勇者の“加護”もまた、当然に……
「重、てぇ……どうなってんだ? なんで、急に……」
全身が、手にした愛槍が、ひどく重い。
“加護”の奇跡により組成される全身鎧と【神槍】――
軽くて強靭、様々な術的阻害を撥ね退ける特性もまた“加護”あってのもので、
それがなければ、多少丈夫だがひたすらに重いただの金属でしかなく。
「これは、いったい……トモヤ殿、どういう……」
「アツミ様から、闘気が消えた……? ――モリナガ様はッ、」
「ま、待って……これ、重くて……っ」
追いついた仲間の声が背後から聞こえる。
けれどもそれに応じる余裕は朋矢には欠片もない。
ついさっきまで全身に満ちていた力。
それが、ない。
体のどこにも、もう感じられない。
なぜ?
『魔王との決戦、だったか。それはもう終わったも同然だから、僕らが気にする必要ないとだけ言っておく』
『それと奪う、なんて語弊があるんじゃないか? この状態が、元々の僕らだ』
『こんな、ただの借り物の、無意味な力がか?』
『僕も所詮、借り物の力頼りだ。だからそれをやめて元の世界へ帰ろうって、要はそういう話なんだけど』
『もともとがそういうものなんだよ、勇者は。レガスには居るべきでない、居ても仕方がない存在……』
あの日の利の言葉が、ぐるぐると頭を巡る。
あいつは、知っていた?
こうなることを?
「……嵌めやがった。――嵌めやがったなあっ!! トールゥウううッ!!!」
苛立ち任せの叫びは、大広間に虚しく木霊し、
返る答えもまた、無論ない。
ややあって微かに届く、外からの喧噪。
剣戟の音。喊声。
戦がまだ終わっていない証。
「ッ!?」
血の気が引く。
魔王は死んだ。人類の勝利だ、と言ってもいい。
けど、魔の軍勢が抵抗したら?
あるいは魔族も“加護”を失っているかもしれない。
だが魔族は、魔物は、それだけで強力な存在だ。素で魔術を扱うし、膂力も強い。
なによりやつらの勢力には使役された野生生物――“加護”など無関係の存在もいる。
そもそも魔の領域が、それらの生存圏だ。軍勢との戦闘を回避できたとて、その中を突っ切って人類の勢力圏まで帰る?
このくそ重たい鎧を着込んで?
もはやただの重りでしかない槍を担いで?
よしんばそれらをここに脱ぎ捨てたとしても――
(――オレにはもう、なんの力もない……レガスへ来る前の、ちょっと運動が得意な体しか……っ)
全身が震え、合わない歯の根がガチガチと鳴る。
恐怖。
異世界へ来て、
否、生まれて初めて覚えたそれは、命の危機への……
「ね、ねぇッ、どうしよう……どうするのっ? “プロテクション”も“レジスタンス”も、【聖女】の力、なにも使えなくなってるよぉ……!」
「落ち着いてください、モリナガ様! まずは友軍との合流を、」
「ムリだよぉッ、私戦えないもん! もともと強いあなたとは違うもんッ!!」
優愛がなにか喚いているが、頭に入らない。
極限のストレスに晒され、
「……ハハッ」
朋矢の口から出たのはしかし、どこかあっけらかんとした笑い。
「トモヤ殿……?」
「――なあ、おい! いるんだろトール? いつまでも隠れてないでさ、出てこいって!」
「朋矢君? なに言って、」
「あれだろ? ドッキリ。いやぁまさかお前がそんなん仕掛けるなんて……ハハ! いや焦ったってマジで! あ、ひょっとして録画とかもしちゃってる? たはぁー、参ったなー! オレにもあとで見せろよな? めっちゃマヌケで笑えるやつだろ、たぶんそれ!」
冗談めかして言いながら、キョロキョロと視線をさまよわせる。
装飾や柱の陰。人ひとり隠れられる場所は、広間にどこにでもある。
そこから利がひょっこり顔を出す――
なんてことは、けれどもいくら待っても一向に起こらず。
「な、なぁ、そんな、焦らしすぎるのもどーかと思うぜ? うん。こーゆーのってやっぱタイミングだろ? ……なあっ」
「アツミ様、貴方……」
「――わ、わかった! 悪かったってッ! 優愛とのことはホント謝るから、だからいい加減に出て来いって! ……ほ、本当に反省してっから!! なんならもう優愛は――守永さんはお前に返すからさぁ!」
「朋矢君!? 本当になに言ってる、」
「うるせーな!! ちょっと黙ってろ!!」
「!?」
「モリナガ殿っ」
詰め寄る優愛を反射的に突き飛ばす。
イリスに抱き起される彼女は信じられないものを見る目を向けているが、
そんなものには構わず、朋矢はさらに声を荒げる。
傍らのエリカの、白けきった視線にも、もちろん気づかずに。
「許してくれよぉ!! このとーり、な? だからもっかいさ、親友同士に戻って、もちろん守永さんはお前のカノジョで……もう一回、もー一回ッ、イチからやり直そーぜ?! 一緒に学校通って部活行って、だべったりメシ食い行ったりさっ? だから――だから元の世界に帰してくれよォッ!! こんな、どうでもいい異世界で死にたくなんかねェよォオレェッ!!!」
膝をつき、泣きながら吠える朋矢。
それに汚いものを見る目を向けつつ、自身も恐怖と絶望を隠しきれていない優愛。
『今帰らないと、二度と帰れないかもしれなくても?』
『わかった。二人の決断を尊重するよ。じゃあ用事も済んだし、僕は行くね』
泣けど叫べど、一心に願えど、それらが届くことはない。
その機会は二人が自ら投げ捨てていて、
そして、もはや二度と戻ってはこないのだから。
〈side:???〉
「これでひとまず、ひと区切りでしょうか」
遠見で地上を窺っていた女神が、一度瞑目し、そう言いながら再び目を開く。
その姿はかつて利の前に見せた、みすぼらしいそれではない。
目の覚めるような、燃える炎をそのまま纏ったかのような衣。
同じ色の髪は絹のようにつやめき、瑞々しくなめらかな肌には一点のくもりもない。
絶世。そう称するに相応しい、俗世とは隔絶した美貌。
レガスの、正統なる神の一柱。
ここは彼女の司る神域。
女神を除けば今この場にある意志は、三つ。
「……………………」
「……………………」
うち二つは、しかし意識があるかどうかも疑わしいものだが。
かろうじて人型を保っている、襤褸くずのような存在。
異神、その成れの果て。鎖や縄、有刺鉄線のようなもので雁字搦めにされたような外観は、レガスの十柱、総出をもって施された封印の表れ。もはや神威の欠片も振るえない、ただ存在だけを許されている、そういったものに成り下がっている。
「お、そうかい。ならこのゴミはもう持ってっちまっても?」
「ええ。余計な影響などもみられぬゆえ、もうそれらは不要です。……手間をおかけしましたね」
「なんのなんの! このタルヒコさん、美女の頼みにゃエンヤコラってなもんさ」
そして残るひとつは、神域の主である女神へと、軽快に答える存在。
パーカーにハーフパンツ。サングラスにキャップと、およそレガスに似つかわしくない格好。
それこそ地球の、そこらを歩いていそうな兄ちゃんという見た目だが、
「本当に、ありがたきことです。我らでは神格は封じられど、滅することは能わず。さりとて、むやみに外つ世へ放り出すわけにもいかず……」
「いいってことよ、こういうのは年の功ってな! やれるやつが、やりゃあいい。そもそもヒマだからな、こちとら! へへっ」
その実態は、いと古き神。
それも外つ世、時空ともども遥か遠くの。
タルヒコと名乗った彼の来訪により、女神らも知ったことだが、
世と世を渡り、それらを見守る神の集まりがあるのだという。
自らの司る世界、その終わりを迎えてなお永らえてしまった者たち。
互助会、と、自身らを便宜上そう呼ぶこともある、そんな集団。
「物好きだって、そう思うよな? 物好きで、お人好し。――いや俺も最初そー思ってたんだが、やってみたら案外いいもんでな。やりがいっての? ミコトのやつになかば乗せられたよーなもんだったが、そー思えるってことは、ま、存外俺もお人好しってことかね?」
異神の成れの果てをぺしぺしと叩きつつ、ニカッという笑顔。
タルヒコがレガスの歪みに勘づいたのは、ほとんど奇跡に近い偶然。
世界とは大海の泡のごとく無数にあり、絶えず生まれ、終わりを迎えているのだから、当然だ。
期せずして得られた、望外の助力。
異神どもに謀られ、封じられ、
我らの命運ももはや尽きたものと、永く諦念に囚われもしたが――
(運命は我らを見放さなんだ……ふふ、このような時、神の身である我らは、はたしてなにに祈りを奉げたものか……)
僥倖。
その起点はまぎれもなく、勇者の中に彼が含まれていたこと。
皆元利。
レガス十神の力に高い親和性を持ち、一人の人間としても高い能力を備えた者。
まさしく救世の、英雄の器。
先の地上での出来事は、
だからそんな彼に対するわずかばかりの心尽くし、その一端。
異神を強襲、封印したのは、じつは利を元の世界へ送り返してすぐ。
つまり本来、その時点で地上の“加護”はすべて消滅してしかるべき。
勇者も魔王もなくなり、戦争そのものも終わっているべきだった。
しかしレガスの神たちは、あえて“加護”の存在を維持した。
異神をいわば燃料タンクとしてのみ機能させることで。
その結果、人魔の戦争も続く。
決戦直前まで。
すべては厚美朋矢と守永優愛、
我らの戦士を徒に苦しめた者どもを、絶頂から奈落へと突き落とすために。
「……しかし憐れなもんだねぇ。や、事情も知らない俺が言うこっちゃないんだけど」
ふと見れば、片手で庇を作る格好のタルヒコ。
彼もまた、遠見で地上を窺ったようで。
「大人げないと、御思いに?」
「いんや。神ってなもともと依怙贔屓なもんだし。俺も思い当たるトコあるしなー」
人魔の戦争が長引くことで、増えた犠牲もあっただろう。
だが女神も、他の九柱も、べつに人類だけの神というわけでもない。
彼女ら、彼らはレガスの神。
世界の均衡を崩しかねない異神の所業なら放っておけないが、
正常な理の中での生きものの生き死にに、特別関心を払ったりなどしない。
生きとし生けるものは、自ら生きねばならない。
とはいえ願われれば、そしてその価値があれば、助力もやぶさかでなく、
どころか愛すべき魂の持ち主であれば、進んで恩寵を授けることもあろう。
皆元利、ミコ、あるいは四人の老戦士――彼らは神々にとって好ましく、
朋矢や優愛はそうでなかった。
要はただ、それだけの話。
「っと、あんま長居してもなんだ。んじゃ、他の後輩らにもヨロシク言っといてくれい」
「ええ。皆の分も、あらためて感謝を」
異神を雑に引っ掴み、背を向けひらひら手を振ってから、タルヒコは神域を去る。
名残りもなく消えた先を、しばし見やり、
それから目を閉じ、女神が思いを馳せるは、遠い外つ世。
朋矢と優愛がああなったことを、利は知らない。
此度のことは神たちの独断だ。自分が去ってすぐ勇者たちは“加護”を失ったと、利はそう思っているだろう。
あるいはこの結果は、彼の本意でないかもしれない。
自らの与り知らないところにいればいいと、彼が望んだのは、おそらくそれだけだろう。
けれどもやはり、神というのは傲慢で、ときに無慈悲で、
なにより依怙贔屓なものなのだ。
(戦士の役目を終えた若人。そして我が愛し子……願わくはせめて、彼らが心安からんことを)
祈りを受けるべき者の、祈り。
それが世の隔たりを越え届くものか、なにものにも知るよしは、なく。




