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結末:堕ちた善人




〈side:others〉




 区立陽ノ守(ひのかみ)高校二年、河相(かわい)園子(そのこ)は悲嘆の底にいた。


「C組、結局存続だってねー」

「まー半分近くは帰ってきたわけだし、授業の進み具合とかー、事情も考慮してー、だよね」


 近くの席から、友人たちのおしゃべりが聞こえる。直近の、最も身近で大きな話題。

 隣のクラスの集団失踪。ある日の放課後、突如起こった怪事件。

 しかし先週、件のC組の生徒は戻ってきた。

 それこそいなくなった時と同じく、なんの前触れもなく。


「けどさ、謎じゃん。なんでいなくなったかわかんないとか」

「ねー。聞きに行ったけど、答えてくんなかったし」

「ニュースにもなんないしね。ネットでも話題にしているヒトいないし」


 戻ってきた当時こそ、校内では結構な騒ぎになった。C組の教室に押しかける生徒はあとを絶たず、連日警察も訪れたせいか教師たちもピリピリしていた。

 けれどもそれは、数日と続かず。

 警察の訪問はいつのまにか途絶え、以降教師たちも失踪そのものがなかったかのような素振り。

 当のC組の者たちが頑なに事情を語らなかったせいもあってか、近頃は生徒らも徐々に興味を失いつつある。それでもいまだにこうして語らう者がいるのは、教室が隣というのもあるだろうが……


「あーあ、でも惜しいよねぇ。あわよくば皆元クンと同じクラスに! ……なんて思ってたのに」

「それな」


 学年、いや学校一の美少年、皆元(みなもと)(とおる)

 件のC組は、彼の所属でもあったから。


 戻ってきたとはいっても、全員というわけでもない。定員に満たなくなったC組の生徒は他のクラスに振り分け、編入されてくる可能性がある……そんな噂が一時期上り、実際に職員会議でも取り上げられたとも聞く。

 しかし最終的な決定は、先のやりとりのとおりで。


「毎日顔が見れるなら登校のモチベ上がるのになー」

「ねー。あ、けどなんかウワサじゃちょっと雰囲気変わったみたいよ? 皆元クン。どことなく近寄りがたい、みたいな。あんま笑わなくなった? とか」

「あー、あれじゃん? 相方の厚美クンが戻ってきてないし……あと彼女も」

「やっぱそれかー。彼女はともかく、イケメン一人の消失はあたしらにも痛い……」

「でも翳のある皆元クンかー。……いい」

「……それな」


 皆元利。彼の存在は、もちろん園子も知っている。

 以前の園子であれば、友人たちに交じっておしゃべりに花を咲かせることもできただろう。


「園子はどう? 翳のあるイケメン」

「てかさっきからずっとだんまりじゃん。どった?」

「……あ、うん、ゴメン。ちょっとボーッとしちゃって」

「なんだ寝不足かー?」

「てかもう昼休み終わりじゃん。席戻んないと」

「……」


 それとなく誤魔化したが、本当はそれすらもいっぱいいっぱい。

 自分のこと以外に思考を割く余裕がない。

 それが今の園子の状態だった。




 やがて放課後。

 教室、帰り支度の途中、


「ッ!」


 端末に訪れる通知の振動に、心臓を鷲掴みにされたような感覚。

 ややあって、深く重い溜息。


「園子ー、今日は帰りにどっか寄って、」

「ご、ごめんっ、私用事が……また今度ね!」


 友人の誘いへの断りもそこそこに、足早に教室をあとにする。

 なーんか最近つきあい悪いねー。

 そんな声が背中に届いたような気がするも、とても構ってはいられず。


(本当に、どうしてこんなことになっちゃったの……?)


 ほんの二週間前。

 三年生の男子生徒に、声をかけられた。動画配信なんかでそこそこ知られていて、同級生の女子の間でも「なんかイイよね」と囁かれていた先輩。

 そんな人に、「キミに興味がある」とか言われて、つい舞い上がって、

 一緒に遊びに出かけて、カラオケにも誘われて、軽くアルコールなんかも勧められたりして、

 興味がないでもなかったので、うっかり口にしてしまって……

 そこから記憶が曖昧になって。


 気づいたのは翌日。ホテルのベッドの上。

 ニヤつく先輩。背後には見知らぬ男たちも。

 示された端末の画面には、口にするのも憚られる目に遭わされている、自分の姿。


『しばらく俺たちと遊んでよ。断ったら……キミも一躍、ネットの有名人かな?』


 頷くより他なかった。

 それから今まで、園子はやつらの言いなり。

 要求は日増しに過激なものに。前後が曖昧になるほど酒を飲まされたり、おそらくは怪しい薬も打たれている。そのせいで体調も慢性的に悪く、体育の授業にはほとんど出られていない。


 家族や警察に打ち明けられたら、どんなに楽だろう。

 うろついているのだ。やつらの仲間らしき男の影が。

 家の近くや、勇気を出して警察署へ赴いた、その途中の路地などに。


 あるいは、自分は幻覚でも見ているのかもしれない。

 だけどもし現実だったら。

 余計に酷い目に遭わされるかもしれない恐怖、家族の迷惑になるかもしれない負い目、薬物のことで自分も咎を受けるのではないかという不安、誰にも打ち明けられない孤独……


 迷いと苦悩で身は竦み、

 結局なにひとつ変えられず、やつらの言いなりを続けるしかない自分。


(私が、悪いの? 私が迂闊だったから、だからこれはその、罰……?)


 延々と、自身を苛む自責。

 絞首台に上がる罪人の足どりで、園子は力なく足を進める。

 無人の廃ビル。そこが今日やつらが指定した場所。

 道中、歩いている路地にも人通りはなく――


 いや、


「……」


 ふと気づけば、前方に一人の男が。


「ッ!」


 怯えに足が止まる。今の園子には、男というだけで恐怖の対象だから。

 均整の取れた長身。目深にかぶったフードで目元こそ隠れているが、

 窺える口元からはかなり整った容貌なのではないか――そんな印象を受ける。


 少なくとも、やつらの仲間ではない。

 けどまったく見覚えがない、わけでもないような気がする。

 いったい、どこで……


「君が、」

「っ?」

「……この先に向かう必要は、もうない。ほら」


 感情を極力抑えたかのような、落ち着いた声。

 その台詞の意味を呑みこむより早く、


「!」


 カツッ、と、

 園子の足元に滑って止まったのは、端末。

 男が投げてよこしたのだ。困惑のままに男を見て、再び端末へと視線を落とせば、

 それはどこか、見覚えのあるもののような気がして……


「それが君を縛っていたんだろう? データはその中だけで、コピーなんかはないそうだ。念入りに問い質した(・・・・・・・・・)から、嘘は吐いていないと思う」


 言われる途中で気づき、思わずそれを拾い上げる。

 やはり、あの先輩の持ちものに相違ない。

 園子の弱み。隷属の鎖。


「ロックは本人に解除させたけど、僕は中身を見ていない。信用できないかもしれないけど、一応そう言っておく」

「どうして……これ」

「それをどうするかは、君の自由だ。警察へ突き出してもいいし、処分したって構わない。ただ――」


 現状を処理しきれず、呆然としているうちに、

 気づけば男は、すでに園子とすれ違おうとしている。

 私を助けてくれたの?

 誰にも言えず、助けも求められなかったのに?

 なぜ? どうやって? なんのために――


 ぐるぐると頭を巡る言葉は、しかし口をついて出ることはなく。

 そうこうするうち、彼は脇を通り過ぎてしまって、


「待っ、」


 振り返って、思わず呼び止めようとする、

 直後、


「――?!」


 周囲が、全身が、突如炎に巻かれる。

 思わず目を瞑る園子。


「……僕とここで会ったこと、出来れば誰にも言わないでほしい。ああそれと、大丈夫だとは思うけど、一応お医者さんにも診てもらったほうがいい」


 遠ざかる男の声。だけど動けず、目も開けられない。

 だって炎が、私の体に灯って、熱くて――

 ――いえ、熱くは、ない?

 身を焼くような熱さや痛みは、思えばいつまで経っても襲ってこない。

 それどころか感じるのは、柔らかな温かさと、安らぎ……?


「……」


 ややあって、園子はおずおずと目を開けてみる。

 火傷を負った様子はない。服に焦げ跡などもない。

 むしろ体が、軽い。

 ずっと靄がかかったようになっていた頭も、気づけば久しぶりにスッキリとしていて……


『――』


 ふと、来た道、路地の先。

 誰かに優しく微笑みかけられた――そんな気がしたけれど、

 見やった路地には変わらず誰の姿もなく。

 先程までいたはずの彼の姿も、また。




 数分後。

 彼にはああ言われたが、それでも園子は廃ビルへ向かわずにいられなかった。

 結局やつらはまだ野放しのままなんじゃないか……その疑念もあったが、それ以上に、

 なにが起きたのか。

 あの彼がいったいなにをやったのか、それが知りたかった。


「……っ」


 昼なお暗い廃ビルの内部は不気味で、思わず足が竦む。

 恐怖を押して、園子は進む。なにかに突き動かされるように。

 階段を上り、やがて指定されていた階に到達し……


「?」


 最初、

 自分が見たものがなんであるか、わからなかった。

 いくつものずだ袋のようなものが転がっている。薄暗いせいか、そう思えた。

 けど床がなんだか、妙にぬめった質感で、

 なにより先程から鼻をつく、この異臭は――


「――ッ!?」


 気づいて、反射的に回れ右してその場を離れる。

 吐き気がこみ上げるが、必死に堪えながら。


(なん、なんでっ、あれ、あんなの――!)


 空転する思考。

 転がり落ちるように階段を下る。


 やがて廃ビルを出て、

 それからは走って、走って、走って――

 とにかく少しでも早く、遠くに、あの光景から離れたくて。


「……ッ、はっ、はっ、は……っ」


 気づけば自宅、玄関に転がりこむように入って、

 ようやく足を止める。止められる。


「っ――ぅう」


 その場に蹲って、震える。

 つくづく、自分の迂闊さを呪う。

 彼の言うとおり、わざわざ確かめたりなどせず帰ればよかった。


 廃ビルで園子が見たもの。

 いまだ信じがたいし、出来れば信じたくもないが、

 それでも、見間違いでなければ、

 あの三年生を含む、園子を脅していた男たち。

 その全員が、血だらけになって倒れ伏す光景――


「うっ、」


 ぶり返した吐き気が、園子をトイレへと駆けこませる。

 そうしてひとしきり吐いた後、視界が朦朧とするなかで、ぼんやりと考える。

 はたして自分は本当に助かったのか。

 自身の災難よりもっと悍ましいもの……

 あるいは私は、それに触れてしまったのではないか、と。




 翌日、校内はちょっとした騒ぎになっていた。

 白昼の集団昏睡事件。その被害者に件の三年生が含まれていたことによって。


 そう、結果として、やつらは死んでいなかった。

 園子の目には血だらけの死体にしか映らなかったが、そうではなかったのだ。


 報道規制でも敷かれたのか、主要なメディアで事件の詳細を伝えるところはどこにもなく。

 だが人の口には戸が立てられない。身近な出来事であったがゆえか、事件の情報は誰それの噂というかたちで、次第に校内のそこここで語られるようになっていく。


 いわく、被害者の何人かが薬物所持の嫌疑にかけられているとか、

 それもあって件の先輩は退学処分の方向で話が進んでいるとか、

 昏睡の原因はどうも失血。しかし被害者に外傷は一切みられなかったとか、

 証言を取ろうにも、被害者のことごとくが事件のことを決して語ろうとしないとか、

 それ以前に、何人かはあきらかに精神を病んでおり、話そのものが出来る状態じゃないとか……


 やつらは、死にはしなかった。

 だがおそらく、途轍もないダメージを負ってはいるらしい。精神的にも、社会的にも。


 ざまあみろ、という気持ちがないといえば、嘘になる。

 だけど園子はそれ以上に、恐ろしい。


『君がこの先に向かう必要は、もうない』


『僕とここで会ったこと、出来れば誰にも言わないでほしい』


 あの時の台詞が思い出される。

 彼の仕業なのは、明白。


 今のところ、園子は誰にも彼のことを話していない。

 そしてこれからもずっと、話すことはないだろう。


 彼は私を助けてくれたのかもしれない。

 辛い境遇からは解放され、許しがたい者たちには罰が下った。


(だけど、恐い)


 処された下衆たちの倒れ伏す、一片の慈悲も容赦も感じられないあの光景。

 そもそもなにをどうやったらああなるのか、皆目見当もつかない不気味さ……


「あ、園子ー。今日こそ放課後つきあってもらうかんね!」

「だいじょぶだよね? それともまた用事?」

「――うん、大丈夫っ。私も行く!」

「おっしゃ。行こ行こ!」


 日常は、平穏は戻ってきた。

 あるいはだからこそ、彼のことはこれ以上考えまいと、園子はそう心に決める。




   ○




 街中で、同学年の女子たちとすれ違う。

 こちらに気づいた様子もなく談笑する彼女。その表情に翳りは窺えない。

 あるいはそう振る舞っているだけかもしれないが……

 いや、これ以上は過ぎた干渉かと、僕、皆元(みなもと)(とおる)はそのまま素通りする。


 こちらへ帰って二週間が過ぎた。

 レガスへ召喚されてからは半年以上。季節はすっかり様変わりしたけれど、

 それでも目に見える街並み、その平穏さは、異世界(あちら)へ赴く前後でさほど変わらない。

 行き交う人々。車の走行と排気の音。夕暮れに灯り始める、街灯や看板の明かり。


 一見、なべて事もない日常。

 けれども、向こうで過ごした影響だろうか。

 どうしても、目につくようになってしまった。

 平穏の陰で不当に苦しんでいる人が。およそ常識では考えられないような非道が。

 なにより、他者を平気で虐げながら、のうのうと生きている救いがたい者どもが。


 看過できなかった。

 許せなかった。

 そして僕には、それをどうにかできる力が身についていて……


 わかっている。こんなことは警察の領分だ。

 それ以前に僕のほうこそが、法を犯し罪を裁かれるべきものに成り下がっている。


 正義の行いでは断じて、ない。

 悪行とわかっていながら、けれどもそれでも止められないのは、

 気づいてしまったから。

 自身の内に猛り狂う、御しがたい怒りと憎しみ。

 あの時と、あの時。

 信じていたかった者たちに裏切られてから――

 否、あるいはこの激情は、初めから、僕の内に……?


「……どうかしてると思うけどね、我ながら」

『……』


 傍らに浮かぶミコに、なかば語りかけるような独り言。

 彼女はこちらでは幽霊のようなものらしく、気づかれることはほとんどない。例外は犬猫とか、あと赤ん坊や小さい子なんかが、なにかしら反応をみせる時があるくらい。


 もしくはミコが力を発揮した時。

 あの炎と温かさは、誰にとっても感じ取れるもののようで。

 とくに癒しの対象となった人には、おそらくは明確に。

 それでもこの子の存在そのものに気づくには、いわゆる霊感と呼べるものが必要だろうけど。


 当然というか、僕には今もミコがはっきりと見えている。

 生前と変わらぬ面立ち。

 常に陽炎めいて揺らめく、燃えるような赤い髪と衣。


 僕の行いに、この子を加担させるべきではない。

 負わせた怪我を治してさらに痛めつけるなどという、ある意味相手の非道よりも惨い仕打ちの手伝いとあれば、なおさらに。


『――』


 それでもミコは、手を貸してくれるという。

 同じ罪に手を汚してくれると、その目で語る。


「……そうだね。なら、行こうか。誰かが僕らを裁いてくれる、その時まで」


 そうして今日も、僕らは夜の帳が降り始める街をさまよう。

 その行く末はいまだ知れず、今はただ、欠けた月だけが僕らを見下ろしていた。

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