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奇蹟

ちょっとお待たせしました。

まあまあ復調したので再開します。




   ○




 最後の神の封印、その前に到達した。

 あの晩からここまでの道中は、それ以前よりも穏当なもので。

 例の仮面の男と接して、どこか肩の力が抜けたおかげだろう。過度な無理はしなくなったし、不要な魔物や野生動物との遭遇、戦闘も避けられるようになった。

 何事も余裕あってこそ。急がば回れということか。


「……」


 それで、最後の封印である。場所は霊峰とも呼ばれる急峻の頂上――ではなく、そこへ至る途中の脇道の、かなり半端な位置。自然か人の手かもわからない洞の中の、崩れかかった灯篭。

 今までの封印の場も、すべてがこういったところだった。たとえば岩場のちょっとした亀裂の奥とか、自然石とほとんど区別がつかない石碑とか、建物の土台だけなんとか残ってるようなのとか……


 “神の気配”がなければ、まず見過ごしてしまうような場所。

 もうなにもない、とさえ言えるような、ところ。


『どんな気持ちなのでしょう。こんな打ち捨てられたように、忘れ去られてしまうというのは……』

『そうだね。僕にはとても及びもつかないけど……寂しい、と感じるよ。とても』

『……はい』


 ミコとこんな会話をしたこともあった。

 最初の勇者と魔王の戦いから、すでに千年近く経っている。

 その間、かつて神だった存在たちはこんな風になって、どんな思いでずっと……


 頭を振る。感傷に浸ってばかりもいられない。

 これで、いよいよ最後。

 去来する感情はひとまず置いて、僕は灯篭に触れ“力”を送りこみ――


「――……」


 やがて意識は、そこに浮上する。

 茫洋としつつも閉塞的という、異様で酷く寂寞とした空間。


「ありがとう」


 目の前に、音もなく現れる存在。

 他のものたち同様、擦り切れてぼろぼろの、元は赤色だったらしい衣装を身にまとう、

 女性らしき姿の、神だったもの。

 その最初の言葉は、お礼で。


「皆を、そして我を解放してくれて。こちらが無理に科したにもかかわらず、あなたはそれを成してくれた。本当に、言葉もないくらいに……」

「僕は、できることをやっただけです。でも、どういたしまして」


 深々としたお辞儀に、僕も頭を下げ返す。

 顔を上げれば、すこし驚いたような表情と、それからどこか困ったような、微かな笑み。


「これからすぐに、異神への対応へ?」

「……いえ、まずは皆と手を取り包囲を盤石に。逃がさず、かつ(しか)と仕留めるには気取られぬことも肝要ゆえ、しばしの合間は身を隠さねばならぬかと」


 問えば彼らはすぐには動かず、異神への対策をがちがちに固めるつもりの様子。

 口調は穏やかだが、油断も容赦も一切するつもりがないという気迫がひしひしと感じられ、思わず気圧されるほど。


「あらためて、あなたには心よりの礼を」


 ふと和らいだ気配。

 再び頭を下げる女神は、しかしどこか沈痛そうに。


「なれどそれにも増して、詫びねばなりますまい。あなたが負うたこれまでの苦難、すべてレガスの地へ喚ばれたがためのものゆえに……」


 続く謝罪に、僕はすこし考えこむ。

 たしかにレガスへ来て、辛いことはいろいろあったけど、

 こちらへ来なければそれまでどおりの日常が続いたと、疑いなく信じられるかというと……

 どうだろうか。そう思うようになった自分がいるのも、一方では確か。

 見た目も性格も可愛い彼女。

 昔馴染みの気の置けない親友。

 ――そう言い切れる素直さは、もはや僕の中にはなくなっている。


「せめてもの償い……には、およそ足りぬやもしれません」


 僕の心情を察したのかはわからない。

 先程同様、困ったような笑みの女神が、なにかを試みようとしている。

 広げた右腕。その傍らの空間に、おもむろに現れる変化。


「“死者の魂の還る場所”――」


 一言。

 紡がれるのは、いつか聞いたような言葉。


「聞き及びは、御座いましょうか。レガスの世に魂の巡りあり。現世(うつしよ)幽世(かくりよ)繋ぐその路は、地が天へと続く霊峰に――……かつての信仰は失われ、唄にもなかば忘れ去られど、それでも、途絶えぬものはあるのですね……」


 いつか聞いた歌。けどそこには、場所への言及まではなかった。

 まさか、と思う一方、

 そんな都合のいいことが、という思いも、また。


 そんな僕の内心を余所に、

 女神の傍ら、灯る温かみ。

 いや、実際の光や熱はない。

 けれどもそれはたしかにそれはそこに現れ、おぼろげに形を結んでいく。


 親よりすこし年上くらいで、

 髭面で、そして時代がかった鎧を着こんだ、四人。


「あ、あ……っ」


 ヤスナさん。

 ウィスプラトーさん。

 ヴェンディダードさん。

 ヤシュトさん。


 仲間で、恩人で、戦う術を教えてくれた先生。

 死んでしまったはずの人たちが、そこに。


「霊峰に座すは命司る神――封ぜられていた我が身に及ぶのは、ただ彼の者らをここに留めておくのみ。……なれどその御顔を見るに、無為ではなかったようですね」


 僕を見やり、微笑む女神。

 そして実体のない、幻のような彼ら。

 けどここにいるのが皆さんに相違ないと、僕にはそれが自然とわかり――


「っ……!」


 両膝をつく。

 嗚咽が止まらない。


「ごめん……っごめんなさい! ぼくが、僕がいなきゃ、皆さんが死ぬことも……!!」


 引きつった喉に途切れてしまう、謝罪。

 言わずにはいられなかった。許されるはずもないけれど、それでも。


 蹲る頭に、ふと温かみ。

 やはり熱はなく、だけど感じられるそれに頭を上げれば、

 手を差し伸べる、ヤスナさん。その顔は穏やかな笑みで。

 後ろのみなさんも、表情は同様で。


 よいのです。

 貴殿が謝ることなど、なにもない。

 ミナモト殿が生きていたことこそ、なにより。

 某らには、それで十分。思い残すことなど、あり申せぬ。


「みな、さん……」


 声は聞こえない。

 実際に彼らがそう語ったわけではない。

 けれどもその真心が、僕にはたしかに伝わっている。


 ふと、四人の気配が次第に薄れゆく。


「生者と死者は、交わらぬもの。触れること、言葉を交わすことも能わず。神たる我であっても、叶うは斯様に互いを限りなく近づけることのみ……」


 わかっている。

 死んだ者が蘇る――そんな都合のいいこと、僕だって考えない。


 でも、十分。

 別れを告げる機会を得られただけでも、望外の喜びだ。


「……ヤスナさん、ウィスプラトーさん、ヴェンディダードさん、ヤシュトさん。

 ――本当に、ありがとうございました。

 教えてもらったこと、お世話になったこと、共に戦ったこと……

 すべて、僕は生涯忘れません」


 なんの、こちらこそ。

 その御言葉こそ、某らにとって最高の誉れ。


 帰らぬ人たちは、そうして天へと昇っていく。

 もう二度と会うことはなくとも、

 いや、だからこそ、受け取った思いは消えることはないだろうと、言い切れる。


 やがて、彼らの気配が完全になくなり、

 けれどもほのかな温かさが、まだ残り続けている……?


「因果、なのでしょうか」


 万感こもったような女神の語り。

 その傍らの光の名残が、徐々に形を成していくように……


「かつてのレガスに稀に生ずるは、神と和し現世に力をしろしめす者……その者は神祀る役目を担い“巫女”と、あるいは民導く者として“神子”と、そう尊ばれました」


 細く、いまだ伸びきらない、たおやかな手足。

 まとう衣は薄く、しかし幾重にも重なり、さながら炎のように揺らめいて。


「異神の化身とその信奉者に害され、系譜は途絶え血の縁も千々に薄れた……されど資質が偶さか目覚める奇跡は、かの者どもにもどうにもならぬようで。――ましてその少女があなたと出会い、共に歩んだこと。その名があなたがたの言葉で“巫女/神子”を示すとあらば、これを運命(さだめ)と呼ばずして、なんとしましょう」


 言葉もない。

 間近に浮くその姿を、ただ見上げる。

 髪色は赤く、肌は透きとおりやはり幻のようだけれど、


『……――』


 儚げに微笑むその面差しは、誰よりも優しかった少女、

 ミコのものに、相違なく――


「……」


 ただ、涙だけがこぼれる。

 懺悔、喜び、哀切。感情は溢れど、そのどれもが喉元で留まる。

 胸がつまる。


「ミコ。我が力司りし乙女よ。其の癒しは魔術にあらず、我に連なる“奇蹟”

 その奇蹟をもってどうか我が“巫女/神子”よ、

 我らの選びしこの戦士を、末に至るまで護り、癒し、共にあらん」


 語る女神に驚き、そちらを向く。

 どういうことだ?

 ヤスナさんたちのように、ミコとも別れを告げる機会を与えてくれたのではないのか?


「稀なる資質宿りし“巫女/神子”は、魂もまた神に似たる。我が手ずからの祝福により、この子の魂は現世に留まること能う“精霊”と成ったのです。

 ――いえ、あなたとともにあるならば、“守護霊”と呼ぶべきでしょうか」


 望むべくもないはずのことに、頭がうまく働かない。

 語りかけられる言葉に、ゆっくりと及ぶ理解。


 ミコと、一緒にいられるのか?

 これからも、ずっと……?


「……」


 呆然と、浮遊する少女に再び目を向ける。


『――』


 頷き。笑み。

 それでようやく理解が、実感へ。


「っ…………ありがとう、ございます。本当にそれしか、言えません」

「礼には及びません。もとより我らの不覚に端を発するところ。むしろこの子の精霊への目覚め、遅きに失したことを謝らねばならぬくらい。すべての神が解き放たれねば、各々の力も取り戻せなかったがゆえに……」


 レガスの神々は、個であり(いつ)

 その繋がりと力の循環が一柱でも途切れれば、個々の権能も十全に機能しなくなる。

 事情を語られ謝られるが、責めるつもりになどなれない。


 また会えて、一緒にいられる。

 僕にはそれだけで十分だから。


「我らが戦士の、寛大な御心に感謝を。……さて、ではそろそろ、故郷へとお送りしましょう。ああ、現世にてなにかやり残したことなどあれば、」

「あ、えっと――ん? あれ、ミコも一緒に連れていってしまっても? あなたの、レガスの巫女、神子なのですよね?」

「ふふ、本音を言えば、手放すは惜しく。されど見出した戦士の安寧もまた、我らの本意。なによりその子自らが、強く望んでおりますれば」


 ひとつ、ふと気づいて確認をとれば、返す女神はすこし悪戯っぽい表情で。


『……っ』


 精霊となったミコはというと、くすぐったそうにはにかんで。

 なるほど、ならば、僕から言えることはもうなにもない。


「……ですが、もうひとつ」

「?」

「還るのはすこし、遅れてもいいですか? あ、ついでにもうひとつ、提案も」

「はい、構いませぬが……」

『……?』


 最後に、かねがね考えていたことを、僕はこの場で伝える。

 言ってしまえば野暮用、あるいは蛇足とも言えるかもしれないことを。

 不思議そうにする女神と、ついでにミコ。


「なるほど。しかし然様なことなら、我らに任せていただいても……」

「いえ、結局はこっちのことですし。後始末ぐらい、きちんとしておきたいなって」

『……』


 聞き終えてから、女神からはそんな申し出を。

 一方でミコのほうはというと、どこか不満顔に。


「大丈夫。僕の見立てでは十中八九、君が思うようなことにはならないよ、ミコ」

『……?』


 けれどもどちらにも、心配ないと告げる。

 そう。これから僕がしようとしていることは、べつに親切からじゃない。

 むしろ場合によっては残酷な仕打ちになりかねない、

 否、ほぼ間違いなくそうなるだろう、そんな行動だ。


「それじゃあ、ありがとうございます。僕らはこれで」

「ええ。あなたたちの道行きに、どうか幸多からんことを――」


 あらためて、そんな短い別れのやりとりを交わし、

 それから僕らの意識と存在は、たちまち現世へと浮上していく……

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