W-113
「悪い、ふざけてるわけじゃねえんだ。今の俺は仮面のせいで、他人に名を名乗れなくてな」
そう言って焚き火のそばの倒木に腰かける、その男。
男、いや、声自体は存外若い。それこそ僕とほとんど変わらない歳のような。
背の高さは普通くらい。やや明るめの髪色。
行商めいた服装はいかにも旅の途中という感じで、この世界ではとくに珍しくもない格好。
けど、仮面。
しかも、いかにも呪われていそうな意匠の。
顔の上半分、目元を覆うそれが、なんとも胡散くさい雰囲気を醸し出している。
そんな彼が焚き火にかけていた鍋をかき混ぜ、「こんなもんか」と頷いて。
「あんた、起きれるか? 怪我は治ってるはずだが」
「あ、はい。……んっ、大丈夫、かと」
「んじゃとりあえず食っとけ。怪我はともかく、餓えは俺にもどうしようもねえから」
「いや、あまり腹は……」
「自覚なしか。栄養失調寸前だぞ、あんた」
「!」
言いながら、鍋の中身をよそった器をこちらへと向けてくる。
僕はといえば指摘に驚き、それから遅れて思い返しもする。そういえばここ数日、食事がだいぶおざなりになっていたかもしれない。先へ進むのを優先して歩きながら携行食で済ませたり、いっそ一食抜いてしまったり。
にしても、こちらの体調についてやけに断定的に言う人だ。
とてもそうは見えないけど、ひょっとして医者なのか。
「食わねえのか? ああ、べつに金は取らねえよ。見返りは……あればあったほうがいいが、あんたからは取る気になれねえしな、なんか」
「それは……?」
「あんた、いいやつだろ。知り合いにどっか似てる。善人相手にゃこっちが損するくらいで丁度いいんだ」
とまどいもあって動けずにいる僕に、それでも仮面の男は器を差し出し続ける。
おまけに僕のことを善人と断じる。
善人。今となってはなんだか複雑な評価。
つけ加えたような彼の言い分も、いまいち話がわからないけれど……
「……どうも」
「ん」
最終的に、自覚してしまった空腹に負けた。
おずおずと器を受け取れば、とくに気にした風もなく男は頷き、次いで自分のぶんもよそう。
……というかこの器、すごくプラスチックっぽい?
いや、ここは魔術のある世界だ。知らない素材があっても不思議はない、か?
器の中身は、一見ポタージュめいている。
でもにおいが……なんだこれ。悪くはないが、未知のもの。少なくともポタージュではない。
なんであれ無償での施し。突き返すのも失礼だしと、意を決して一口――
「――?! !?」
「効くだろ。消化吸収効率を徹底的に追及した滋養強壮食品だと。たとえ衰弱著しくとも、安全かつ無理矢理にお元気にする代物とか」
目を白黒させる僕を余所に、うん、不味い。とか言いながら自分のぶんをちびりと口にする男。
なんなんだこれは! 貰い物だし不味い、とは、言いたくないけど、なんか、とにかく、すごい。
けどたしかに、血の巡りはよくなっていくような気はする。滋養強壮食品というこの世界らしからぬ単語とか、追及したっていったい誰が? みたいな疑問も巡らなくもないけど――上手く頭が働かない! 口の中がウワッとする……!
「……」
「……」
しばし黙々と、食事の時間。
聞こえるのは周囲の森のざわめきと、鳥らしき鳴き声くらい。
仮面の男を、ちらりと見やる。
「……」
視線は焚き火に向いていて、とくにこちらに気を配る様子はない。
会話がなくても苦にならないタイプ、なのだろう。だからこちらからあらためて訊ねるのも、すこし気が引けるような感じもするけど……
「あの、」
「?」
「その……なぜ僕を助けたんです?」
けどやはり、訊ねずにはいられなかった。
この世界の人間は基本、あまり他人を気にかけない。
人情がない、というほどではないけれど、少なくとも縁もゆかりもない人間に、わざわざ親切にしたりなどしない。余所者に厳しい、とも言い換えられる。
もちろんそれは元の世界の、日本と比べたらの話だけれど。魔族と相争う中でそんな余裕などない、という面は大きいにせよ、現代的感覚だとすこし不親切じゃないか? と思えてしまう対応こそ、レガスの標準といえる。ミコやヤスナさんたちのような人は、本当に稀有な存在なのだ。
翻って、この人は?
毛布と(よくわからないものにせよ)食事を提供したうえで、見返りもいらないと言う。
どころかおそらく、治療もしてくれた。あの崖から落ちたにもかかわらず、今の僕には怪我ひとつない。落ちる瞬間、谷底に川があるのを見たから、奇跡的に無傷だった可能性も否定できない……いややっぱりないな。水の有無にかかわらず怪我は免れなかったはず。
というか服、濡れてないんだよな、僕。
てことはやっぱり川には落ちなかったのか? なら余計に無傷なのが不思議なわけで……
いや、それはひとまず置いて、だ。
なぜ僕は助けられたのか。
たんに彼が裏表のない善人なだけかもしれないが、
いや、違う。
これは善意ではない。
“この人にそういうものはない”――なぜだかわからないけれど、そんな確信がある。
「敬語、」
「?」
「いらねえよ、俺には。ほとんど同い年だしな。――たぶん」
「そうなんです、いや、そうなんだ……」
僕の問いに、彼がまず返したのはそんな指摘。
意外、でもないけど、すこし驚いたのは確か。やたら落ち着いているというか、なにがあっても動じない雰囲気があるからか。
「で、質問を返すようで悪いが、助けないほうがよかったか?」
「! それは……」
「だとしたら悪い、余計なことしたな。けどひとつ言えるとすりゃ――死ぬよりは生きてたほうがいいと思うぞ。あんまいいもんじゃねえからな、死ぬの」
「…………」
続いた彼の言葉。まるで一度死んだことがあるかのような、おかしな言い草だけれど……
そのひとつ前の台詞に、僕はなにも言えずに考えこむ。
なぜ助けられたか。本当の疑問はそこじゃなくて、
なぜ僕は、まだ生きているのか。
そこにこそ囚われているのだと、自覚したから。
弱い“加護”とクラスメイトに蔑まれ、兵士たちにまで軽んじられ、
魔物を倒しても手際を詰られ、やれねばならぬことへの協力も得られず、
ようやく助けてくれる人に出会えたけれども、
なおも邪魔をされ、あげくにその人たちを殺されまでして、
気づけば恋人の気持ちは僕から離れ、それを嘲笑ったのは裏切り奪った親友で、
それでも、この世界に僕がいる意味、本当に成すべきことは見えたけれども、
本当に優しかったあの子は、ひどくつまらない争いに巻き込まれて、死んで――
家に帰る。今はそれを目的とはしているけれども、
はたして帰ったその先に、いい未来などあるのだろうか?
どうせこれからもまたろくでもない目に遭い続けるのではないか。
これだけ酷いことが続くと、ついそう思わずにはいられなくなる。
よくしてくれた人、優しい人たちは皆死んだのに、
僕はまだ、生きていていいんだろうか。
生きていなければいけないんだろうか、わざわざ。
「好きにしたらいいんじゃねえか」
不意に、
ひとり沈んでいた僕に、そんな言葉が。
生きていたくないのなら、勝手に死ねばいい――
そう言われたのだと思ったけど、
「いや、あんたを見てたら、なんか我慢してんじゃねえかって思えてな」
どうもそれは、僕の早とちりらしく。
仮面をこつこつ、人差し指で叩きながら続ける彼。「くっそ目の下が痒い。ほんと邪魔くせえなこれ」とか、加えてぼやきつつ。
「他人のために我慢しがちだよな、いい奴って。けどまったくもってひとっ欠片もいい奴じゃねえ俺からすれば、べつにもっと好き勝手してもいいんだけどな、って気がすんだ」
「…………」
「それくらいしたって罰当たんねえよ。たぶん、あんたは」
なんの気なし。
そんな表現がひどくしっくりくる言い草。
ともすれば知った風でもあるけれど、不思議とすとん、と腑に落ちる、
そんな気分だった。
遅れて、ひょっとして励まされているのか? とも思う。
否、
たぶんこの奇妙な仮面の男は、他人にそんな気遣いはしない。
ただ思ったことを口にしただけ。
あるいは思ってもいないことが口を吐いて出ただけ、かもしれない。
その無責任さが、なんだか、
今の僕には、なぜか小気味よかった。
「……ははっ」
だから、笑った。
「ははは! ――じつはさ、ムカつくやつがいるんだよね。ぶん殴ってやりたいくらいの」
「へえ」
「酷い言葉を浴びせてやりたい人も。女の子に、いや、誰にだってそんなことしちゃ駄目だろうけど……でももう、遠慮することもないのかな」
「いいじゃねえか。やったれやったれ」
「やったれって。はは! ほんと、軽く言ってくれるなあっ」
無性に可笑しくて笑えてくる僕。
一方で彼は、あくまで淡々と。口元を窺っても、案の定ニコリともしていない。
人を笑わせておいて、よくもまあそんなに澄ましていられるものだ。
それがまた妙に可笑しくて、余計に笑う。
けど、ああ、
なにも考えずただ笑うなんて、ずいぶんと久しぶりだ。
翌朝。
「本当になにもいらない? 一食分くらいなら払えるけど……」
「いいって。正直在庫処分みてえなもんだったし」
互いに身支度を整え、別れる段になって念押ししてみたけど、返事はこのとおり。
……てかはっきり在庫処分と言ったな。ただの親切ではないとは思っていたけど。
こちらが気を遣う気にさせないこのあたりは、無自覚なのかわざとなのか。
「ああ、代わりにひとつ。――あっちの方角、かなり遠くだと思うんだが、なにがあるかわかるなら聞いておきてえかな」
別れ際になって、指差しながらそう訊ねてくる。
僕が目指す山の頂上とは反対方向。だいたい東南東の、それもかなり遠くというと……
「……王都、じゃないかな。というか、目的地なのにわかってないと?」
「ああ、まあ、そりゃ変だよな。まあいろいろあんだよ」
なんとなく引っかかって聞いてみたけど、なんだかはぐらかすような返し。
なにか裏があるのか、そう勘繰りたくもなるけれど……
いや、ないな。
たぶん彼には裏なんかない。
少なくとも僕をどうこうする気も、
誰をどうこうするつもりもない。
そんな気がする。
「あらためて、助けてくれてありがとう。えっと、気をつけて」
「おう、そっちもな」
最後にそんな、なんとなく締まらないやりとりを交わし、
僕らは背を向け、それぞれ道を行く。
去っていく彼の背中を一度見遣って、
「――あ」
ふと、今更ながらに気づくことがあって、一人苦笑する。
勇者召喚の効果により、僕は言語を問わずレガスの人たちと会話ができる。
けれども彼とは、その効果に関わらず会話が成立していた。
要は同じ言語を話していた。あまりに自然だったから、今の今まで気づかなかったけど……
「思えばお互い名乗ってすらいないし……はは、やっぱりどうも、だいぶ疲れてたみたいだ、僕」
仮面で半分は隠れていたけど、よくよく思い返せば彼の顔立ちは同じ人種に相違なく。
同郷、なのだろうか。
であれば彼もまた、勇者の関係者……?
「……いや、違うな」
勘だけれども、そう思えた。
おそらく彼は勇者とも、あるいはレガスそのものとも無関係。
否、いっそ、あらゆるものの外にいる――そういう存在ではないだろうか。
「ふふっ」
頭を振って、自分が進むべきほうへ向く。
なんであったとしても、
今更追いすがって確かめたりとかは、どうにもする気になれなかった。
彼は、そう、彼自身が言っていたように、
“通りすがりの、お節介”
それ以上でもそれ以外でも、なくていいのだと思う。
そう結論づけ、僕は、
昨日までより幾分軽い気持ちで、先へ行く足を一歩、踏み出した。




