壊滅からの数日間3
それからほどなく、迷宮都市の現状を視察に来たという王女エリカがラウンジへ顔を出し、今後の打ち合わせなどが軽く行われる。
いまだ体調の思わしくない優愛は途中で席を外し、部屋へと戻って休息を取り――
「……」
日が落ちる間際。
幾分か持ち直した彼女は、気分転換のため外へと出ていた。
一応途中までは風子について来てもらったが、すこし一人になりたいと言って、先に帰ってもらった。
思った以上に、自分の足取りがしっかりしていることを自覚。
すこしだけだが食事が摂れたためか。
あるいは利の生存が示唆されたことへの安堵からか。
【聖女】の“加護”で体が頑健になっているせいも、おそらく多分にあるだろう。特段体が丈夫なほうでもない優愛だが、異世界という慣れない環境にあってなお、風邪を引いたりなどしたことは今まで一度もない。
「……」
夕闇の中を、当て所もなく歩く。
治安とか身の危険とか、そういう心配はしていない。直接戦闘を得手とするわけでもない【聖女】の“加護”だが、それでも勇者である優愛は、この世界の一般人より圧倒的に強い。加えて“聖女様”は顔が売れている。知らずに襲ってくる者などいないと言ってもいいほどに。
(目立つのはいまだに、あんまり慣れないけど……)
しかしこういうときに都合がいいのは確か。
とはいえ、そもそも出歩いている人など先程から一人も見かけない。住民は皆自分の生活――生存に必死なのか。あるいは街を出る人も多いと聞くから、そのせいだろうか。
たわいない考えごとをしながら歩き、
気づけば目の前には、一面の瓦礫。
「……ひどい、な」
迷宮跡地。
周囲には露天が軒を連ねていたというが、それもほとんどは瓦礫の下敷きになっている。
こんな有り様でも、死傷者は案外少なかったという。巨像の魔物が動きを止めていた時間がいくらかあったらしく、それで避難が間に合った者が多かったそう。
(トール君もこの中にいた……かもしれなかったんだよね)
あらためて思い浮かべても、身の凍るような想像だった。
皆元利。勇者としてはほとんど力を持たない、優愛の恋人。
にもかかわらず迷宮の潜在的脅威から街を守ろうとした、誠実な人。
立派な人間性だ。恋人としても誇らしい。
(それでも私は、あなたに危ない目になんか遭ってほしくなかったよ……っ)
戦うことなら朋矢や風子、それに自分に任せてほしい。
手柄なんか上げなくていい。たとえ臆病者と笑われても、
いなくなって、こんな風に不安にさせるのなら、なにもしないでいてくれたほうが、よかった。
「ぐず……」
止められない涙。
生きている。戻ってくる。その可能性が示唆されたとしても、
もしかしたら、という思いは、それでも完全には拭い去れずに……
「――守永さん」
朋矢の声だ。
ここ最近すっかり馴染んだ、こちらを気遣うような響き。
「厚美君……」
「やっぱり、不安? トールのこと」
寄り添う、よりはすこし遠い距離感。
そこから届く問いに小さく頷く。幾分の安堵を覚えていることを、自覚しながら。
「はぁーあ、まったくしょうがねえよなーアイツも! 可愛い彼女を一人で泣かせるんだから」
「……トール君は、悪くないよ。きっといろんな不幸が重なっただけで」
おどけたように親友を揶揄する彼。本気で責めるつもりはない、そんな調子。
それで優愛も、すこしだけ笑うことができる。いつも明るく振る舞ってくれる朋矢に、これまで何度元気づけられたことか。
思えば、一か月と半分以上。彼とは生活のほとんどを共にしてきた。
こんなに長く深く関わり続けた異性は、今まで生きてきて初めてではないだろうか。
あるいはそれは、恋人の利よりも……
「やっぱ、さ」
隣を見る。
夕暮れの空を見上げる、凛々しい男の子の顔。
「好きなんだな、トールのこと。や、つきあってんだから当たり前か」
「うん。でも……」
思わずこぼれた。そんな様子の朋矢の呟きに、優愛も頷いてみせる。
頷いたけれど、
でも?
自分は、なんと続けるつもりで――
ぐい、と。
「……」
「……」
両手で肩を引き寄せられ、気づけば向かい合っていた。
すこしだけ近づいた、彼の腕の長さ分の距離。
「あの、さ」
とまどいか、わずかに目を逸らし、
けれどもそれから、まっすぐ見つめてくる目。
「もっと頼ってくれていいからな、オレのこと」
「……」
「わかってる。キミが好きなのはトールだし、アイツもきっとキミが好き――けどッ」
ぐっ、と両手にこもる力。
ちょっと痛いくらい。
けれど利にはないその遠慮のなさは、どうしようもなく“男の子”という感じがして。
「オレだって、いや、オレのほうがキミが好きだ! アイツよりも先に好きになったんだから、だから守永さんの、キミの――優愛の力になる。是非頼ってほしい。せめてアイツが、トールが戻ってくるまででもいいから、だから――」
みっともないくらいの必死さに、彼の想いの強さを感じて。
つい、
優愛は、
朋矢の体に身を預けるように、その懐へと飛びこむ。
「! もり、優愛、さ……っ?」
「すこしだけ、こうさせて……」
ゼロになった距離。恋人の親友相手には、明らかに不適切な。
それでもそうせずにはいられなかった。
利がいなくて寂しいから? 不安だから?
きっと、関係ない。
今、そばにいて、優しくしてくれる彼だからこそ。
だから……
「朋矢君も……」
「っ、あぁ」
背中に両手をまわし、かつ相手にもそれを促す。
おずおずとまわされる腕。抱き寄せられる体。
深い安堵。
戦うときの煌びやかな鎧を脱いだ、この世界の平服姿の朋矢。
逞しく広い胸板。体重を預けても小揺るぎもしない体幹。
男性を、まざまざと感じさせる。
利はもっと線が細く、柔らかく受け止めてくれる感じだった。
明確に違う。日々戦いの中に身を置いているためか、朋矢の体はすでに戦士のそれだ。
雄とさえ言っていいその力強さに、優愛は思わず陶酔しかける。
(ああ……ごめんね、トール君。私……)
残滓ほどの理性で、いまだ恋人であるはずの男に心の中で謝る。
それでももうすこし、もうすこしだけ……と、
たしかにそこにある温もりに、優愛は身を預け続ける。
背後でわずかに発された物音には、終始気づかないままに。
〈side:others〉
(うーん、てっきりぶん殴られるくらい覚悟してたが)
視線の先で蹲ったままの利を見やりつつ、朋矢が覚えたのは疑問。
明らかな不貞の現場。そこに居合わせたにもかかわらず、親友が選んだ行動は気絶だった。
そこまで情けないヤツだっただろうか。利はあれで案外激情家だ。余程のことがない限りは内心を押し殺し、波風立てないよう表面上は穏やかに振る舞う。ゆえにこそ、一度キレればその恐ろしさは底知れず……
もっとも今の朋矢なら、利がどれだけキレようが軽くあしらえるだろう。たとえ向こうが暴力に訴えても傷ひとつつくまい。【神槍】と【弱体化】には、それだけの地力の差がある。
だからこそこれ見よがしに見せつけたわけだが……ずいぶんと拍子抜けな結果だ。
(キレる気になれないほどショックなことでもあったか? 身近な人が死んだとか……)
この街で隊伍を組んだ者たちがいる、という話は奥田から聞いていた。そいつらが奥田らの奸計にかかって死んだことも。それに打ちひしがれたというのはまあ、お人好しの利らしい話ではある。
朋矢にはまったく理解できないが。たかだか二週間程度のつき合い、それもジジイに思い入れを抱くなど薄ら寒い。そもそもなんの関わりもない世界の、どうでもいい人間ではないか。
(まぁ、好都合と思っておくか、今は。あー柔らけー。いーにおい)
抱きしめる力をすこし強め、その感触を堪能する。
腕の中の優愛がビク、と身を震わせる。しかしそれは抵抗の素振りではない。これまでの動向からだいぶ心を許してくれた印象はあったが、ここまで受け入れられているというのは、朋矢にとっても意外ではあった。
そうなるように仕向けていた自覚はあるが。
少しずつ距離を詰め、地道に好感を稼ぎ、
そして今、好機を逃すまいと仕掛けた。優愛が不安で弱りきっている、この好機を。
結果、彼女は今、自分の腕の中にいる。
いつも自分の一歩先を行く、忌々しいあの腐れ縁の恋人が、ここに。
「……っ」
ふと、背中にまわっていた腕の感触がなくなる。
半歩身を引き、けれど両手は朋矢の胸に触れたままの、優愛。
朋矢もまた抱擁を解く。深追いはしない。今の自分は、彼女の寂しさに寄り添ってあげただけ――そう振る舞うのが今後の都合もいいだろうと、自身の直感に従う。
「とも、……厚美君」
「うん」
上目遣いの優愛。
まだ墜ちきってないな、とその目を見て朋矢は察する。
「戻ろう。とにかく今は、ゆっくり休んだほうがいい」
「そう、だね……」
けどたぶん、あと一息だろうという確信もある。
だから今のところは、ここまで。優愛の肩を支えるようにして、朋矢は宿のほうへと歩きだす。
向こうで蹲っている利の姿を、彼女の視界には入れないようにしながら。
今はまだ駄目だ。
いまだ揺れている段階の優愛があの憐れな利を見れば、またころっとあちらに転びかねない。
もうひと押し。それで完全に優愛を墜とす。
二人を再会させるのは、その後。
それが目障りなアイツを完膚なきまでに打ちのめす、この上ない機会となるだろう。
その未来を想像し、朋矢は隣の優愛には気づかれぬよう、一人嗤う。
○
薄ぼんやりと、意識が浮かび上がる。
自分がなにをしていたのか、いまいち掴めない。今日は……迷宮八層に挑むんだっけ? いや、それはもういいんだったか……なにかしなきゃいけないことがあって、けどそれももう全部、なにもかもこぼれ落ちてしまって、手遅れで……
「――!」
跳ね起きる。
見知らぬ屋内だ。寝ていたのは簡素なベッドの上で、体にはシーツもかけられていた。
手狭な一室。生活の気配はあるけれど、今は無人。
かと思えばひとつだけあるドア、その向こうに人の気配が近づいている。
開いたドアから顔を出したのは、
「あ、わっ、目が覚めたのですね! ミナモト様っ」
ミコ。奥田君のパーティの一員。
身構え――は、しない。思い出したからだ。薄れゆく意識の中、奥田君たちに逆らい、僕らを助けようとしてくれた彼女の声を。
「うああ、本当によかったですっ。もしかしたらお亡くなりになるんじゃないかって……」
「ああ、うん。たしかに死にそうになった。ヤスナさんたちが僕の命を繋いでくれて、けど、その後も、また……」
「……なにがあったのか、聞かせてもらってもいいですか?」
ベッドに駆け寄ってくるミコの言葉を受け、なかば独り言のような呟きがもれる。
あらためて問いかけてくる彼女に、僕は覚えている限りの経緯を話す。
奥田君たちに襲われ、ヤスナさんら共々迷宮へと打ち捨てられ、
僕だけが奇跡的に生きのびたけど、その直後に迷宮は変異し、
本体を見つけだし壊そうとしたところで、突如現れた朋矢の攻撃に巻き込まれて、僕は……
「死んだ。いや、死んだと思ったけど……でも誰か、なにかが僕を、生き返らせた……?」
「どういう、ことです? なにかって、――そもそも、どんな魔術でも死者は蘇りません。たとえ聖女様でも、それだけは無理なはずです」
「聖女……」
そうだ。
朋矢。そして聖女――優愛もこの街にいる。
二人は、ここで、
「ぅ、ぐ」
「! ミナモト様ッ? ……顔色が真っ青です、まだ横になっていたほうが。そう、ゆっくり……」
悪寒に蹲る。
心配してくれるミコの声も遠く、とにかく寝転がって呼吸を整える。
…………。
……どうやら自分は、余程ショックを受けているらしい。
無理もない、か。親友と恋人があんなことになっていたんだから。
あんなこと……どういうつもりだったんだろう? 二人は。
僕は振られたのか? 朋矢のあの嗤いは、優愛はなぜ抵抗もせずに……
すぐにでも問い詰めればよかったのかもしれない。いや間違いなくそうだ。
なのに、動けなかった。どころか意識を保つのすら難しかった。
なんて、情けない……
言い訳をさせてもらえば、
今日は、いや今日なのか? あれから何日経っている? それはともかく、
とにかく、一度にいろいろなことがあり過ぎた。クラスメイトに殺されかけ、お世話になっていた人たちが実際に殺され、迷宮廃棄は間に合わず、その破壊に巻き込まれて、けどなぜか助かり、そしてあの瓦礫の中で、二人が――
(……なんか、でも、)
この世界の、人類の危機って時に、
どうにも個人的なことに振りまわされていやしないだろうか。
それがまた、情けなくもあって。