壊滅からの数日間2
「聖女様の、ユア……モルガナ様? で、間違いありませんかっ?」
「え、えと、はい。優愛・守永ですけど……」
「! すみませんでした、モリガナ様ッ!」
突如現れ、訂正してもやっぱりこちらの名前を間違えたままの少女に、優愛は困惑する。
くり返すが、少女の顔に見覚えはない。とはいえ“聖女”と謳われるがゆえか、見知らぬ人に話しかけられる機会は異世界へ来てからままある。まるで神の使いであるかのように敬われ、崇められさえすることには、慣れないながらも許容しつつもある昨今だが……
どうもこの子は、そういった人たちとは様子が違う。
「あのっ、聖女様は、ミナモト様の恋人だと伺いました!」
「――っ!」
続く問いに、思わず身構える。
出し抜けに、しかも見ず知らずの人間の口から出てきた、恋人の名前。
行方知れずで安否すら不明の、彼の。
「……間違いありませんか?」
「ええ、そうよ。……それがなにか?」
念を押すようにされ、つい返事は硬く冷たいものに。
優愛の返答。一瞬見えた少女の落胆。
確信する。
この子はトール君と浅からぬ縁があり、かつ彼を憎からず思っていることを。
「お伝えしたいのは他でもありませんっ。――ミナモト様の、最期のことです」
「最、期……?」
「はい。領主と軍部の共謀で陥れられた……そう報じられているのはご存知ですよね? ――でも違うんです。いえ、違わないかもしれないけど、そうじゃないんです……っ」
肩を震わせ、苦渋に耐えるような少女。
その言葉はしかし、半分ほどは頭に入ってこない。
この子は、なにを言っているの?
領主と軍部が利の邪魔をした。
そのせいで迷宮の攻略は滞り、災害級の魔物の発生を許し、
さらにその討伐に巻き込まれ、彼の行方はようとして知れない――
それが今回、この迷宮都市で起きた事態の顛末。
そう、利はあくまで、いまだ生死不明という扱いのはず。
なのになぜこの少女は「最期」などと、
あたかも彼が、すでに死んでしまっているかのように話すのだろう?
「――オクタです。ご存知ですよね? 同じ勇者のタクマ・オクタ。あの男こそが軍や領主とぐるになって、ミナモト様を直接手にかけたんですッ!」
なかば放心気味の優愛に構わず、その一言を少女は口にする。
断定的な口調からも、これこそが本題であり、こちらに告げたかったことなのだろう。
「ちょ、ちょっと、いきなり来てなに言いだすの? オクタって……奥田くん? だっけ」
「あなたは、聖女様のお仲間の……」
「フーコだよ、椎名風子。知名度イマイチだよねーアタシ」
「す、すみませんシーナ様っ。わたし、不勉強で……」
「まー仕方ない。アタシの力、二人と比べたら派手さがないし」
一足先に動揺から立ち直ったらしい風子が、少女に応対している。
優愛はというと、いまだ上手く頭が働かない。
奥田、という男子がクラスにいたことは、もちろん優愛も記憶している。
下の名前までは憶えていなかったが、無理もない。その男子と優愛に、接点と呼べるものはなかったから。あまり積極的でない男子グループの、さらに後ろのほうでおとなしくしてる人……奥田の印象といえばその程度で、人となりすらろくに知らない。
優愛と接点がないのだから、当然利ともほぼつき合いはないはず。
そんな人が、なぜ彼を? どんな理由で?
「で? そんだけはっきり言うってことは、なにか確証があるの? 一応クラスメイトのよしみだし、根拠のない糾弾ならこっちとしても捨て置けないけど……?」
「証拠はっ、……くやしいけど、ありません。でも証言はできます! この目で見ましたから! オクタとあいつの仲間に、おじさまたちは殺されて、そして、ミナモト様も……っ」
すこしだけ凄んでみせた風子にも、少女は動じない。
どころか、自分の見たものを思い返すようにして、彼女が滲ませたのは、憤り。
嘘偽りのない気持ち。そう思わせるほどの、真っ直ぐな発露。
「わたしはっ、……なにもできませんでした。駆けつけたときミナモト様は斬られたあとで、歯向かおうにも手も足も出なくて……目を覚ませば、やつらはもういなくなってて。……訴えようにも街の偉い人は皆オクタのいいなりだし……、――だから勇者様が、一番強いって人がこの街に来てるって知って、それならと思って話に行ったんです! でも、」
一度言葉を区切り、少女は表情を歪める。
くやしくてたまらない、といった風に。
「あの人には――勇者アツミには取り合ってもらえませんでした。『なにかの間違いだろ? こいつはそんなことをするやつじゃない』って……」
優愛は思わず少女を凝視する。彼女はここへ来る前に、朋矢にもすでに会っているらしい。
いや、それに少なからず驚いたというのもあるが、問題はそこではなく――
違和感。
厚美君が、奥田君を庇った?
利同様、ほとんど交流のないはずの相手を……?
「厚美くんて……奥田くんと仲良かった?」
「そんなことない、と思う……もちろん、私が知らないだけかもしれないけど」
風子も腑に落ちない様子。男子の交友関係に精通しているわけでもないから、知らないところで二人が親しくしていた可能性も、ひょっとしたらある。
けど、そう、仮に親しかったとしても、
はたして朋矢に、奥田を庇うだけの確証などあるのだろうか?
迷宮都市へ訪れたのは優愛も、そして朋矢もこれが初めて。街の事情など当然ほとんど知らず、それは街に入ったのが二日早い朋矢も似たようなものなはず。
「信じていただけませんか? わたし、どうしたらいいかわからなくて……。おじさまたちも、ミナモト様も、この街を守ろうとがんばっていたんです! あんなひどい目に遭って、いいはずなんて、ない……っ」
俯き、肩を震わせる少女。
優愛は風子と顔を見合わせる。
嘘を言っている様子はない。
そして話を聞いた以上、どうしても生じる違和感は、ある。
しかし、
「――お話中失礼します」
「あ、起きてこられたんだ、守永さん。心配したよ」
「っ!」
ラウンジへ入ってきて、こちらへ声をかけるイリス。そして朋矢。
二人の登場に、わずかに少女が身を竦ませる。
「イリスから朗報だ。いや、オレもさっき聞いてびっくりしたとこなんだけどさ」
「御二人にもお伝えせねばと思い参りました。よろしいですか?」
さらにはよろけるように一歩後退。
そんな少女と入れ替わるように二人はテーブルに着き、そう言う。
よほど重要な話なのだろう。優愛と風子が目線で続きを促せば、イリスはひとつ頷いて、
「結論から言いますと、ミナモト様は生きておいでである可能性があります」
「!」
「……嘘っ」
そう告げられ、優愛は元から大きい目をさらに見開く。
その脇でかすかに聞こえる、少女の呟き。
イリスいわく、
迷宮は通常、攻略――廃棄されるとその空間ごと消失する。
その際、内部を探索していた人間は迷宮の入り口があった場所、もしくはその近傍へと転移する。これは実際の攻略者のみならず、中にいた者全員を対象とする現象だという。
では仮に、迷宮が攻略以外の方法で破壊、消失した場合は、どうなるか。
「事例が極めて少ないため断定はできませんが……過去に迷宮が破壊された折、中にいた探索者がまったく見知らぬ土地へ転移していた――そういった記録が、じつはあります」
「それじゃ、トールくんも……?」
「ああ、どこかへ飛ばされただけかもしれない。いや、アイツはなんだかんだ持ってるからな。絶対どっかで生きてると思う」
「もちろん、確証はありません。なにせ迷宮が魔物と化すなど前代未聞。――ですがもし件の魔物が迷宮の性質を保ったままであったとすれば、可能性はゼロではないかと」
思わず両手を口元へ。
涙があふれる。
トールくんは、生きている。
死んだわけじゃ、なかった……!
「――ちょ、ちょっとまってください!!」
割りこむ大声。
少女のものだ。
表情は必死、いや、悲壮にも見える。
「その転移の前に死んでいたとしたら、どうなるんですか?! だって、あれは、もう」
「……なぜそのような前提を持ちだすのかわかりかねるけど、そうね、その場合、転移は起こらないでしょうね。迷宮の影響が及ぶのは魂ある者、生者のみ。言いかたは悪いけれど、死者はただの物体だから、迷宮もわざわざ選んで弾き出したりはしないはずよ」
少女の問いに淡々と答えるイリスだが、表情にはわずかに不快さを滲ませている。
優愛もすこしムッとした。せっかく利が生きている可能性が示唆されたのに、どうしてわざわざそれを台無しにするようなことを言うのだろう、と。
「ところで、貴女は? さも当然のようにこの場にいるけど……」
「わ、わたしは、ミコといいまして、その、」
「奥田君の元パーティメンバーだってよ。本人から聞いた。用件は、……オレんとこに来たときと同じって感じか?」
「っ!」
イリスから問い返され、たじろぎながらも名乗る少女――ミコ。
そこに朋矢から補足が入る。そういえば事前に彼のところにも訪れたと、先程そう言っていたか。
確認しながら、朋矢がミコと顔を合わせる。
優愛からは、隣に座る朋矢の顔は窺えない。
代わりに彼と相対するミコはよく見える。怯えと、どこか後ろめたさを感じるその表情は、
「……どうして奥田君の仲間だった人が、彼を告発するようなことを?」
彼女に不審を抱くのに、優愛にとっては十分な理由で。
「それはっ、――わたしにも、責任があると思うから。わたしがもっとしっかりしてたら、あいつの企みに気づいて、ミナモト様がたに注意を促すことも……」
「そもそも、あなたはトール君のなに? 奥田君の仲間だったというなら、それこそとくに関わりもなかったんじゃないの?」
加えてそもそも、存在が気にくわない。
自分の知らないところで恋人に近づいた異性。好感を抱くほうが難しかった。
「っ! ……たしかに、そうです。聖女様のおっしゃるとおり、わたしはあの方がたの一員でもないし、最期まで、たいした助けにもなれず、」
「『最期』なんて言わないで!! トール君は生きてる! 絶対私のところに戻ってくるッ!!」
「わたしにはッ! ……生きているとは思えませんッ。あんなにひどい怪我で、迷宮に捨てられたのだとしたら、もう……ッ」
押さえられない感情は、怒声として吐き出される。
返すミコも声を荒げ、その勢いはしかし、すぐにしぼむ。
その悲嘆ぶりはやはりどこか、真に迫っている。
あたかも彼女の言うことこそが、事実であると示すかのように。
「あーっと、ちょっと落ち着こうぜ、お互いに」
困ったように割り込む声。朋矢のものだ。
「で、ミコちゃん? だっけか。キミの言い分はわかったし、ある程度スジの通った話でもある……けどオレらにはさ、やっぱ信じられねーんだよ。クラスメイト同士で殺し殺され、ってのもそうだが、――トールが死んだって部分が、なによりな」
「……」
「キミの言うように、ほんとはトールはもう死んでて、今もあの瓦礫の山に埋まってるかもしれない。けど決定的な証拠が、トール当人がまだ見つかってないってんなら――信じたいんだよ、アイツを。まだ生きてるって。どっかに飛ばされただけだって」
「…………」
そうして語ったのは、まるで優愛の思いの代弁であるかのようで。
そう、トール君は絶対生きてる。
恋人の私がそれを信じてあげないで、どうするというのか。
わたしだって、そう信じたいですよ……
小さな声はミコのもの。思わず、あなたがそれを言うの? と問いたくなる。
「キミとトールにどんな縁があったかは知らない。だけど縁や絆って話だったら、悪いがオレたちのほうが上だと言わせてもらうぜ。オレなんか物心つくくらいからダチだし……守永さんには“恋人”っつー強い絆がある。一方でキミは、長くても二週間くらいのつきあいだよな? 言っちゃなんだが、知り合い以上の繋がりもないんじゃないか?」
「っ……」
「アイツのことは、オレたちのがずっとわかってる。――だから信じられる。アイツはこんなとこで死ぬタマじゃねーし、絶対生きて帰ってくるってな」
言い切った朋矢に、我知らず優愛の胸が高鳴る。
……いえ、違う。ドキドキしたのは、親友同士の友情の厚さに感動したから。
もちろん、そう。
「さ、今日のところはお引き取り願えねーかな? ミコちゃん。いくら信じてるったって、トールが今いないのは変わらない。オレはともかく、守永さんはまだ無理してる感じだし……そのへん酌んでくれると、助かるんだが?」
席から立った朋矢が、ミコを見下ろすようにして言う。
いくらかの逡巡。
「…………わかり、ました」
そののちに少女は頭を下げ、踵を返す。
おもむろに進みだした足は、次第に速まり、
最後は逃げるように、ミコはこの場から去っていった。