凶行
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いや本当に、ありがたいことです。
〈side:others〉
明け方。
迷宮都市の路地を一人歩く老兵、ヤシュト。
今日も今日とて、勇者トール・ミナモトを手助けすべく迷宮へと足を運ぶ、その道すがら。
(……つけられておる?)
ふと覚える、まとわりつくような違和感。
長年の従軍経験によって培われた勘が、自身につかず離れずついてくる何者かの気配を告げる。
こんな街中で、しかも自分のような老体を、何故?
物取り、はなかろう。荒くれの多い街柄、治安もよいとは言いがたいが、盗人とて相手は選ぶ。老いぼれといえど、見るからに軍属であるヤシュト。返り討ちの恐れもあろうし、なにより金があるようにも見えまい。
他の心当たり……
ない、とは言いがたい。
むしろ真っ先に思いつき、しかし否定したかった可能性。
迷宮廃棄の、妨害。
勇者ミナモトを筆頭とした活動を疎ましく思っている者どもには、残念ながら容易に思い至ってしまう。領主、他の探索者、そして面目次第もないことだが、同じ軍属の中にさえ……
(狩りに長けた者が混じっておるようだな。振り切るは容易でなし、か)
舌打ち。尾行者は明らかに手馴れている。探索者か、あるいは軍の斥候。
自らの気配をあえて気取らせ、そのうえで徐々にひと気の少ない方向へと誘導されている。
こちらが一人の時を狙ったことといい、
生かして帰すつもりはどうやら、さらさらない様子。
「……」
溜息。
斯様なことをやっておる場合か、という遺憾。
勇者殿――ミナモト殿は、
我らのことを、レガスの民を、常に慮ってくださっている。
ここよりずっと豊かな、戦ともほとんど無縁の国から無理に喚ばれた身にもかかわらず――
『――恐いです、戦うのは。けど僕に力があって、皆さんのお役にも立てそうなのに、それでなにもしないでいたら……たぶんすごく、後悔するんじゃないかなって。だから――』
そう言ってあの若人は、ひかえめに笑ってさえみせてくれた。
そうして直向きに、前へと進んでいる。
だというのに、この現状。
魔族の脅威に晒されているのは、他でもない我らだというのに。
同じ世界に住む者同士、一丸となることすら出来ぬのか。
(斯様な些事に、勇者殿を煩わせるわけにはいかぬ――!)
決断。奴ばらはここで叩く。
あえて誘導に乗りつつ、逆にこちらが戦いやすい区画へと導いて反撃に転じる。
伊達に長年警邏をやっていない。
それにどれほど目まぐるしく様変わりしようと、生まれた街であることに変わりはないのだ。
歩きながら、いくつかの術をひそかに用意していく。
角を曲がり、路地を抜け、
(ここ!)
狙い通りの場所に差しかかる。一見わかりにくい物陰があり、潜んで不意を打つには最適――
「――がっ?!」
視界が揺れ、黒ずむ。
なにが、
「へぇ、筆頭の言うとおり。『勝った』と思ったときが一番油断してるとき、ねー」
倒れる間際に見えた、色黒の女。
見覚えのある顔。件の勇者の一党のたしか、一員で……
(裏の裏を、かかれたか……某が潜まんとしたところに、前もって潜まれて……)
どうやら相手のほうが、もう一枚上手だった様子。
不覚。
いや、そもそも自分の戦士としての器量など、たかが知れていて、
迷宮深部で通用したのも、ひとえに勇者殿の力があってこそ。
なれど、
(斯くなる上は、ただでは死なぬっ!)
凡骨には凡骨の意地がある。
かつて、若気の至りであみ出した術。己の命すべてを燃やして魔力と成す――
使いどころなどなく、しかものちにありふれた発想であったと判明した代物ではあるが、
ほれ見ろ、貴様らは笑ったが、役立つ時が来たではないか。
ヴェンディダード。ウィスプラトー。ヤスナ――戦友どもよ。
悪いが一足先に逝く。勇者殿――ミナモト殿を、頼んだ。
「“ホルダ・アヴェ――」
「ハイ無駄な抵抗やめー」
「ご……っ」
術を成す、
その直前に首を貫かれ、今度こそヤシュトのすべてが終わる。
逆襲の一手も、未来ある若人の手助けも、そして己の命ですら、
無慈悲に絶たれ、無に帰する。
「さてー、あとはグリエとか軍の連中とかにお任せかなー。……あーたる。なんでウチがこんな影働きみたいなマネしなきゃなんないんだか」
○
集合場所に、ヤシュトさんが現れない。
他の皆さん共々「勇者殿を待たせるなど以ての外」と、今までずっと無遅刻だったというのに。
不審に思った僕らは一度、彼の家を訪ねてみることにした。
けれど、留守。
しかし近所の人に訊ねれば、いつものように装備万全で出かけていったのを見たともいう。
「……勇者殿、某よからぬ予感が致す」
「ええ。考えたくは、ないですが」
ヤスナさんと頷き合う。
僕らの活動を快く思っていない人たちがいるのには、薄々気づいていた。
けれども聞こえよがしに囃し立てたり陰口を言うくらいで、実害を被るまでには至っていない。曲がりなりにも探索者としてやってきた、その腕前を周囲に知られていたからだろう。何事もなければ、今日はいよいよ八層の攻略に取りかかるところだったのだから。
「なればこそ、そこを危惧されたのやもしれませぬな」
「迷宮廃棄に近づいたから、ですか。だとしたら、そのせいで……」
皆で手分けして、ヤシュトさんの行方を追う。
最初、一人ずつ四手に別れる提案をしたが、万一があってはならないとヤスナさんが僕につくことに。一番未熟なのは確かだから、否は言えず。
いや、それよりも、
もし彼になにかあったのなら。
そもそも僕を手伝わせなければ、こんなことには――
「それは違いますぞ、勇者殿」
静かな、けれど確たる声。
「彼奴めが何某かに害されたとて、害した側こそ悪が必定! なにより某らが如何な目に遭おうと、それは覚悟の上! 某も皆も、望んで貴殿を支えると誓ったのですからな!」
並走しながらそう言ったヤスナさんは、笑顔。
なんという人たちだろう。
神様にもらった特別な力などなくても、
あるいは彼らこそ本当に勇気ある者――勇者と呼ぶに相応しいのではないか。
あらためて、前を向く。
走っているのは入り組んだ路地。ヤシュトさんが自宅から迷宮へ向かうまでに通るだろう、いくつかのルートのうちのひとつ。
路地を走り抜ける最中、
「! 血の臭い――ッ」
ヤスナさんにすこし遅れ、僕も気づく。
荒事とともに嗅ぎ慣れてしまったそれが、かすかだが右手の細い路地から漂っている。
あまり治安がよくないとはいえ、街中ではまず嗅ぐこともない臭い。
もちろん無関係のケンカとかかもしれないけど……
「行きましょう!」
「応!」
可能性がすこしでもあれば、無視はできない。
路地へ駆けこみ、臭いを辿る。
ほどなく、路面に点々と、血痕が。
悪い予感はいや増す。襲われて逃げたのだろうか。だとしたらまだ無事かもしれない。
進むごとに薄暗く、入り組んでいく路地。
誰かとすれ違うこともない。トラブルを恐れて近づかないようにしているのか。
やがて角をひとつ、折れた先、
袋小路の塀。
項垂れ、座りこんでいる、見慣れた鎧姿の、
「ヤシュトさん!!」
思わず駆けだす。
「いかん勇者殿ッ、罠――」
「そのとおり」
すかさず鋭い警告。ほぼ同時に何者かの声。
誘いこまれた。
そう気づいた時には、足元に魔術の陣が浮かび上がっていて――
「ぬぅおおおっ!!!」
掴まれ、引き戻される。
ヤスナさんだ。僕を放り投げた勢いで、入れ違いに陣に入り込んだ彼の表情は、
また、笑顔で。
目がくらむ光と、凄まじい爆風。
無様に転がり、どこかの壁にぶつかって、止まる。
ややあって、どうにか起き上がる。
そのころには路地を覆っていた爆発の残煙も晴れていて……
立ったまま、全身焼け焦げたヤスナさんの、姿が。
「あ、ああ、あ……っ」
よろよろと、近づく。
まだ罠があるかもしれない?
――知らない。そんなことより早く、まだ息がある可能性だって、
背中に、焼けるような痛み。
なにかが頭上から背後に、落ちてくるのは捉えていた。
けど早く、診てあげなきゃ。
だって彼らはこの街で、この世界で初めて僕に味方してくれた、大切な……
「無様だな」
背後? 頭上? 声が降ってくる。
気づけば僕は路上に倒れていた。彼らのところに行かなきゃいけないのに、体は動かないし、なんだか熱くぬめったものが流れてきて、けれども体は冷えるように、寒く……
「こんな単純な罠にかかるか。サッカー部エースの秀才、その肩書きもこれじゃ形無しだな」
「すまない、タクマ。仕留め損ねた」
「いいさ、エルマ。どのみち俺の手でカタをつけるつもりだった」
聞き覚えのある声がなにか言っているが、よくわからない。
だって、仲間がひどい目にあったんだから、かけつけてあげなきゃ――
「……死んだか。さて、さっさと迷宮へ運ぼう。官憲が味方についてるとはいえ、目撃者が少ないに越したことはないからな」
〈side:others〉
「これは――いったいどういうことですかっ!?」
信じられない思いでわたし、ミコは叫ぶ。
目の前には怪訝そうな顔の“黒曜”の人たち――リーダーのオクタさんと、側近にあたるグリエルマさん。
「ミコ……君には待機を命じていたはずだが?」
「……知り合いの子がこのあたりに住んでるんです。なんだか騒がしくて怖いから来てって、そしたら……」
彼らの足元に視線を移す。
あまりにも無造作に積まれているのは、人間……
それも近頃知り合った人たちに、相違なく。
「どうしてこんな……あなたはミナモトさんのお知り合いだったのでしょうっ?」
「なにか勘違いしているな。俺が来たときにはこいつらはもう、」
「嘘。全部見ていましたから。……どうすることも、できなかったけど」
「チッ」
わたしが駆けつけるのと同時に、ミナモトさんはオクタさんに背中を斬られて、倒れた。
すでに倒れていたおじさま方も、それに無関係なはずはない。
殺したのだ。“黒曜”ぐるみで。
あるいはさっきの口ぶりからして、街ぐるみで……?
「――ッ」
生まれて初めて、本気の怒りがこみ上げる。
感情のままに構えた杖。その先端を“黒曜”に突きつける。
「筆頭に歯向かうか。だがお前になにが出来る? しょぼい治癒しか使えず、雑用をこなすのがやっとなお前に」
「……っ」
一歩詰められ、思わず後ずさる。
オクタさん――オクタの言うとおり。
“黒曜”の一員とは名ばかりで、わたしに戦う力なんかない。
基本的な魔術すら扱えず、唯一使える治癒の力もグリエルマに遠く及ばない。
この杖ももっぱら護身用で、かといって接近戦の腕に覚えがあるわけでもない。
けど――
「やぁあっ!!」
突撃する。
逃げて助けを呼びに行けば、間違いなく間に合わない。
けどひょっとしたらまだ、わたしの治癒で助けられるかもしれない。
その一心がわたしに一歩を踏み出させ、
「ほいっと」
「ッ、――ぁ」
後ろから、衝撃。
同時に聞こえたのは“黒曜”のもう一人の声。
「ったくバカなやつー。お前がウチらに敵うワケないじゃん」
「リナ、いいタイミングだな。俺でも対処できたとはいえ」
「素直に褒めてよそこはー。で? どーすんのコイツ。一緒に迷宮に運んじゃう?」
「……いや、放っておく。こいつ一人が騒いだところで、どうということにもなるまい」
「相変わらず、女の子には甘いわね」
「“黒曜”からは追放する、と言ってもか? 俺たちの後ろ盾をなくせば、もうこの街に味方と呼べる者もいなくなるだろうさ」
「うわえげつねー。始末したったほうが優しーじゃんそれ」
傲慢なやりとり。悔しさと憤り。
それらも次第に、路地に倒れ伏すなかで薄れていって……