19.「貴様……よくも……」
「では、これより真実の禊を開始する」
にやけながら口角を段々あげるウンコウ。綺麗な歯並びをしているが、その歯は物凄く黄ばんでおり、ウンコウへの嫌悪感を増していくジュダス。
「通常のプロセスでは、余と一緒に真実のヨガを実施後、禊が始まる。が、今回は悪魔を早急に弱体化させるため、いつものプロセスは省略させてもらうぞ」
「尚、禊も修行者が余に魔力をお布施しながら実施するのが、本来の修行法じゃ。が、こちらも省略でいい」
タマルは右手をかざしながら、ウンコウの説明に納得するかのように頷く。だが、カリオテは受け入れるのに迷っているような雰囲気だった。
ジュダスは、強化されたタマルの術にもがくも、身体を思うように動かせない状態だった。
(このままでは、ウンコウの思い通りになってしまう! そんなの嫌だ。なんでママとパパはコイツの本性に気づかないの!? 禊なんてでっちあげ……ううん。真実教そのものがコイツの欲望を満たすためのカルト宗教だった!! 私たちは騙されていたのよ!!!)
この世の真実を全て知り、幸せになれる方法を知っている真実教。入信し、真実を極めれば、至上の幸福が得られるとされる真実教。だがそんなものは虚構で、本当の真実は、教徒を搾取して教祖ウンコウ・ガンダーラだけが幸せになることを目的としたのが真実教であるということをジュダスはようやく理解した。
だが、身体が思うように動かず、逃げ出したくても逃げ出せない状況。ジュダスは、これから起きることに危機を感じ、心の中で助けを求めた。最初に頭に思い浮かべたのは、真実教をカルト宗教だと看破したインチキ教祖だった。
だが、その希望はジュダスの頭の中で、すぐに否定した。
(無理よ! インチキさんは、私がどこにいるかなんてわかるわけがない。私だって、ここがどこにあるか不明だもの。ウンコウが住む施設の中のどこかの部屋としか分からないし。それにインチキさんはウンコウにかなり飛ばされたし、私を探すにしても間に合わないかもしれない。いや、そもそも、インチキさんが今生きているのか。それすら不明よ)
インチキ教祖が助けに来る可能性は限りなく低いと見たジュダスは次に視点を両親に向けた。
可能性が低いかもしれないが、両親がこの場で目が覚めて、自分を助けてくれる可能性に賭けたかった。ウンコウの教えなんかよりも長年一緒に過ごした家族の絆の方が大事だと気付いてくれるんじゃないかと信じたかった。
母タマルはジュダスの想像以上にウンコウを崇拝している。母がこの場で目が覚めるのは、望み薄だ。だが、父なら……?
ジュダスは父に視点を移した。ジュダスの目から見ても、父はまだ迷っているように思えた。いくら教祖を崇拝しているとはいえ、修行の名をもとに、妻と肉体関係にあったこと。そして、これから娘を犯そうとしている事実に動揺していた。父なら目が覚めてくれるかもしれないと一縷の望みを賭けた。助けてと声が出せないのがもどかしい。だが、ジュダスの助けを求めるような視線と父カリオテの視線が合った。カリオテはつばを飲み込んだ後、おそるおそる口を開く。
「お、お待ちくださいウンコウ様」
「そ、その……どうしても禊をする必要があるのでしょうか? 何か他の方法はないのでしょうか?」
「……カリオテよ。余に意見をするとは……おぬし……よもや余を疑うというのか」
ウンコウは仏頂面となり、カリオテに振り向きギロっと睨む。カリオテの態度にタマルは怒りの表情へと変わる。
「カリオテェェ! あなた何してるのよ!? 早くジュダスを抑えるのを手伝いな――」
タマルが言いかけるのをウンコウは手で合図してタマルを黙らせる。だが、ウンコウは依然とカリオテを睨んだまま顔を動かしていない。この部屋で静寂が支配し、張り詰めた空気が満たされる。
やがてウンコウは口火を切る。
「良いだろう。ならこうしよう。余は禊をする以外、ジュダスが助かる道はないと思っているし止まる気もない。それでもおぬしがジュダスを救いたいなら~」
「余を殺して止めるが良い。カリオテ、おぬしは余とジュダスどちらを選ぶのじゃ?」
殺すという不穏なキーワードを聞いて、動揺するタマル。カリオテもそこまで覚悟ができていなかったのか、同じく動揺していた。殺生が禁じられている真実教でそれは教えに明白に反していることだ。しかもその殺生の対象がよりにもよってウンコウとなれば、それは真実教への裏切り以外何者でもない。
「私は……私は……」
カリオテはパニックを起こしたかのように、目をきょろきょろ泳がせ、汗を大量に流し、ハァハァと呼吸が荒くなっていた。
(パパ……助けて。そいつはママを汚したのよ。そしてこれから私も……)
「カリオテェェ! あなた何を悩んでいるのよぉぉぉ! ウンコウ様を殺す気ですかぁぁぁ!?」
カリオテは選択に悩んでいた。悩む姿を見たウンコウは先ほどまでとは打って変わり、慈悲のような表情へと変わる。そして、カリオテに寄り添うような優しい声のトーンで話しかける。
「カリオテよ……そうやって悩んだときこそ、真実教徒としてどうすべきか教えたじゃろう? 今こそ真実教の教えを振り返り、己の信仰心と向き合うときじゃないのか?」
「教えを振り返える? 己の信仰心と向き合う?」
カリオテはウンコウに言われた言葉を反芻した。しばらく黙り、その後、ハッとした顔で何か思いついたような顔になるカリオテ。すると、ぼそぼそとつぶやき始めた。
「……家族や大切な人のためには時にはその人が嫌がっていたとしても、その人のためになることをせよ。それが〝真実の愛〟」
「ジュダスは、禊を嫌がっている。私だって見るのは辛い。でも仕方ない。真実を極めることは楽な道のりじゃない。修行は辛く厳しいもの。これも試練だとしたら……?」
(パパ……?)
カリオテの様子がおかしいと思うジュダス。ジュダスは必死に声をかけようとするも、「あっ、う」という言葉しか出せない。身体は相変わらず満足に動かせず、少しだけ起き上がり、首を振るのが精一杯だった。
「ウンコウ様を疑ってはいけない。ウンコウ様は間違えない。なら、私の選択は……」
カリオテは先ほどまでの悩みが吹っ飛んだような決心した目つきとなる。そしてジュダスに向けて右手を前に出して――
「涅槃寂静!」
ジュダスに術を掛けた。カリオテの術もくらったため、ジュダスはより重い重力を受けたようにより身動きがとれない状態となった。ジュダスの顔は右に向けたまま固定された。
「禊を受けろ! ジュダス!! 今悪魔を抑えるにはそれしかないんだ!!! わかってくれジュダス。パパだって辛いんだ」
(パパ!? ……そんな)
ジュダスは父の選択に絶望した。目は曇り、虚ろな目となった。
ウンコウはカリオテに寄り添うかのように肩に手を置き、目線を下に落とす。
「よくぞ選んでくれたな……辛いかもしれんが、おぬしの選択が正しいぞ。禊の最中はマントラを唱えるとよい。さすれば、おぬしの心はこの辛さを乗り越えるじゃろう……」
ウンコウの提案にカリオテは涙を流しながら黙って頷く。
「トルカ一家は素晴らしい! ここまで真実教に尽くしてくれるとは!! おぬしたち一家は、真実を極める道へと一歩近づいたのだ!!! 禊を済ましたのちに全員地位を上げることを約束しようぞ」
ウンコウは雄たけびを上げるかのように宣言する。その様子にタマルは興奮し、カリオテに話しかける。
「よくやったわ! カリオテ!! 私は左に回るからあなたは右からジュダスに術をかけ続けて」
カリオテはタマルの命令に黙って従う。ジュダスが寝ているベッドから左がタマル。右にカリオテが回りこんだ。
ジュダスは現状、唯一動かせる視線でカリオテを見た。カリオテの目もジュダスと同じように虚ろな目をしており、ジュダスと視線を合わせようとせず、マントラを唱えている様子だ。
ウンコウはベッドに上る。そして、ジュダスの耳元で囁く。
「どうじゃわかったか? おぬしの家族は余を選んだぞ。家族の絆なんてしょせん、ま・や・か・しにすぎんのじゃよ」
その言葉を聞いて、ジュダスは諦観の境地に入ったかのように理解した。
(ああ……そうか……もうあの頃に戻れないんだ……とっくに終わっていたんだ。私たち家族は……)
ジュダス、カリオテ、タマル、三人が満面の笑顔で並んでいた暖かい家族像。その家族像に亀裂が生じ、壊れた鏡のように崩れ落ちるのをジュダスの頭の中で、感じていた。
楽観的で、ジュダスのやりたいことに背中を押してくれる父、心配性で、少しでも危ないことがあったら反対する母。
魔術の修行に、父に付き合わされ、危ない目に合いそうなところを母が止めてくれた。滅多に怒らない母が、ジュダスを思い、烈火のごとく父を叱りつけたのはジュダスにとって印象深く、母のように優しくも時に厳しくなれる女性になりたいと感じていた。
魔術をより学びたいことと、ナレーザの外の世界について興味があったが、外の世界の危険性も考え、悩んでいた。そんなジュダスを後押ししてくれた父。母に似た心配性のジュダスが魔術や剣術に関して自信を持てるように育ったのは父のおかげだとジュダスは感謝していた。
どちらの教育が正しいというわけではなく、ジュダスを愛しているという共通の思いがあるからこそ、二人の反対的な性格が上手いようにバランスが取れ、夫婦仲は上手くいき、ジュダスもそんな両親が好きだった。
だが、ジュダスが知っている二人はもういない。それはなぜ? ジュダスは自然と涙を流していた。
「そういえば、タマルよ。ジュダスと一緒に禊を受ける約束をしておったな。すまんが、それは次回でいいな」
タマルはウンコウの提案に同意するかのように笑みを浮かべながら頷く。
(私が、一年半前に魔術訓練校に行きたいって言いだしたから? ……ママの言う通りにナレーザに残っていれば、家族がバラバラになることはなかった?)
ジュダスはウンコウの発言に頭が入らず、この状況まで至った後悔と疑問を自問自答していた。
「クク……禊を済ましたら、おぬしは教育室行きじゃ。さすれば、おぬしも余にゾッコンになるわ。余のタマルとカリオテのようにな」
(ううん。違う。こうなった原因は、すべてはコイツが。コイツさえいなければ……)
「まあ、そんな悲観するな。禊もそんなに悪くないぞ。女性の扱いには慣れているからな。必ずや余がおぬしをよがらせてやるからのう~」
(許さない……コイツだけは……絶対に許さない……殺す……必ず殺してやるぅうぅぅう)
「ではそろそろいくよぅ」
「ウ……ン……コウゥ……き……貴様……よくも……」
ジュダスは必死に振り絞るように声を出す。顔をプルプルをさせながら、ゆっくりとウンコウに向けて顔を向ける。その顔には涙を流しながら、憤怒の形相のような顔つきだった。
先ほどまでニヤニヤしていたウンコウは様子がおかしいと感じ、不審な表情へと変わっていった。術をかけられているはずのジュダスは首を動かすことどころか、声を出すことすら不可能なはずなのに……?
ジュダスが纏っている魔力のオーラはマグマのようにグツグツと煮えたぎるような動きをしていた。そして……
「よくもママを汚したなぁぁぁぁぁああぁあ」
火山が噴火するかの如く、ジュダスの魔力が爆発的に跳ね上がった。
ジュダスの身に何が起こったのか!?




