19.「久奈子」 前半
すみません、また例によって文章が長くなってしまったため、前半と後半に分けて投稿します。
後半は、もう少し時間を置いてから投稿します。
今回のエピソードは、第18話「あの魔術さえ使えていたなら」を、幻鏡の視点からお届けします。
「く……くそぉ……」
辺りが蒼炎の海に包まれる中、私様は地に伏していた。
(久奈子……すまない……)
少し離れた場所に、久奈子も倒れ込んでいる。
久奈子だけでも逃がそうと吹っ飛ばしたが、結局躱しきれなかった。
久奈子は生きているだろうか――今はそれだけが知りたい。
「流石だ……まだ生きているとは」
ゲルメズが私様の目の前に立ち尽くす。
「あの爆風の中、黄緑髪の人間族を庇いながら的確にカウンター魔術と魔力のガードを使うとは……いずれも、コンマ数ミリでもずれていたら、間違いなく命はなかっただろう」
「貴殿は人間族として本当に優秀だ……だがその命もここまでだ。今度こそ策はあるまい?」
「くっ……」
悔しさが胸を刺すが、ゲルメズの言う通りだ。
魔力はまだ残っている。ヒーラー魔術で身体の傷を回復できるだけの魔力はある。だが、そんな素振りを見せれば、ゲルメズが即座にトドメを刺すだろう。事実上、もうできることは何も残っていない。
(せめて……あの魔術を。あの切り札を、私様か久奈子が使えていたなら……結果は違ったかもしれない)
あの魔術を発動するには、圧倒的な魔力が必要だ。使えたなら結果は違っていただろう――だが、もしもにすがるだけでは何も変わらない。
私様は鏡を探す。
「無駄だ。鏡は先ほどの爆風で共に飛んでいった……少しでも取りに行く素振りを見せれば、わかっているな?」
ゲルメズの言う通り、私の鏡は後方の左奥へと飛ばされていた。距離がある。満足に動けないこの身体では、取りに行こうとすれば、その前に仕留められるのが関の山だ。
「そろそろ時間だろう――」
ゲルメズが後ろを振り向いたそのとき、どこからか声が聞こえた。
「ハァ……ハァ、こ、ここは――!?」
「ああ、そうか。私とアービーはあの女にファントム魔術をくらって――」
ファントム魔術の効果時間が切れ、アービーとザルドの意識が現実世界へと引き戻されていく。
「こんの……アマぁが――っ!!」
――バキッ!
「ぐはっ!」
アービーが憤怒の形相で、私様の顔を蹴る。
「よくもあんな幻覚を見せてくれたわね! 人間族がオーガ族を支配する幻覚なぞ……あああ! 今思い出すだけでもムカムカしてくる!!」
「状況を見るに、ゲルメズが倒したそうね……流石! でも、まだ殺さないの?」
ザルドがゲルメズに問う。
「無論、そろそろ殺す……いつも通り、殺した後は鳥のエサにしよう」
ゲルメズがアタシュ・バフラムを構える。
「ハァ? ちょっと待ってよ! こいつらをそのまま殺す気?」
アービーがゲルメズとザルドに突っかかる。
「どうしたの? アービー?」
「どうしたの? じゃないわよ! シヤーフとサブズがこのアマに殺されたのを忘れたの! そしてなにより、わたくしの片目を一度は潰したことを忘れてない!! あの久奈子という女は今すぐ殺してもいいけど、このアマだけは簡単には殺さない!! もっと痛めつけて、苦しめて、散々地獄を味わわせてから殺してやる!!」
「……そうか。なら、この人間族はアービー、貴殿に始末を任せる」
ゲルメズがアービーの意見に同意する。
これから本格的に、私様と久奈子の命を奪おうとしている。
(まずい……私様ならまだしも……久奈子だけは……久奈子の命だけは助けたい)
久奈子は私様と違い、生きるべき善人だ。
ダエーワ・ファミリーと戦うきっかけだって、騙されていたとはいえ純粋にアービーの友を助けたい一心からだった。
そんな善人が馬鹿を見て死ぬ世界など、もううんざりだ。
あの女のように鬼畜なカルト教祖に堕ちそうになった私様と違い、久奈子は幸せになるべき人間。
私様がそう考えていた時――
「げ……幻……幻」
その声は間違いない。声のした方へ振り向くと――久奈子が起きていた。久奈子は生きていたのだ。
「っ! 久……奈子!? に、逃げろぉ……」
私様も久奈子も、ゲルメズのファイア魔術のせいか声はかすれていた。
「おや? あんたのお友達も起きたじゃない?」
ザルドが久奈子を見てにやにやと笑う。
「や、止めろ……た、頼む……」
「久奈子には……手を出さないで……こ……殺すなら……私様だけに……頼む」
惨めでも無様でもなんでもいい。
それで久奈子が助かるなら、土下座でも私様の死でも何でも受け入れる。
死は一度経験した。自分が死ぬことなら、前より恐怖も辛さも薄い。だが、久奈子が死ぬのは耐えられない。
だが、その願いは――
「それはできない相談だな」
その一言で、全てが粉々になる。
ゲルメズ、アービー、ザルドが何やら話しているが、今の私様には言葉が耳に入らない。頭の中は真っ白だ。
そして、アービーの爪が私様の目に近づいてきたとき――
「あっ! いいこと思いついっちゃった♡」
「その目はまだ残しておいてあげる。――あんたの友達を嬲り殺すところを、あんたの目の前でじっくり見せてあげるために♡」
アービーが久奈子を苦しめる言葉を口にした瞬間、私様の意識は現実へと引き戻された。
「や、やめろ……」
「やっぱり……あんたは、自分が苦しむよりも、自分のせいで他人が苦しむほうに絶望を感じるタイプね。だからこそ、そのプレイは外せないってわけ♡」
いくら懇願しても、こいつらは私様と久奈子を殺すつもりだ。
だが、懇願する以外に久奈子を救う手立ては私様には見当たらない。
ふと久奈子の方を見れば、久奈子が這いつくばりながら私様のもとへと近づいてくるのが見えた。
「よせ……久奈子……来るな……逃げてくれ……」
かすれた声で、私様は久奈子に呼びかける。
久奈子には逃げてほしいのに、私様の願いとは裏腹に、彼女はどんどん近づいてくる。
心なしか、その目はどこか決意に満ちた色へと変わっているように見えた。
「久奈子……なんで……来るの?」
私様は――あなたに生きてほしいのに。
私様がこの世界で生きられたのは、あなたのおかげなのに。
あなたと出会って初めて、人らしい生を歩めた気がするのに。
そんな私様に幸せを教えてくれた優しい子には、当然ながら幸せになってほしい。私様なんかよりも――。
そのとき、ゲルメズの声が鋭く響いた。
「まずい! 今すぐ、あの黄緑髪の人間族を殺せ!!」
声には焦りが混じっている。
「あの目は――死を目前にした絶望の目じゃない! 希望を見出した……生きた目をしている!!」
「奴は何かをする気だ!! いや、ここで某が――」
ゲルメズがアタシュ・バフラムを振りかざす。だがその直前――
――ガシッ!
久奈子が、私様の手を掴んだ。
「お願い、幻。あの魔術でゲルメズたちを倒して――!」
その言葉と同時に、久奈子の魔力が私へと流れ込む。混ざり合う――あの感覚。
(魔力譲渡!?)
驚いている暇はない。今にもゲルメズの一撃が襲いかかろうとしている。
(来る! 久奈子は死なせない!)
私様は後方にあった金の鏡へと叫ぶ。
「八風」
――嵐風系魔術で、鏡が疾風に乗ってゲルメズの目前へ飛んだ。
――キュィイイイイイイイイインン!!
間一髪、鏡がゲルメズの炎を受け止め、私様たちを守ってくれる。
「なにぃ!?」と、一瞬だけゲルメズが動揺する。
――ゴオオオオオオオオオオオオオオ!
吸収された炎が鏡のカウンター魔術となって解き放たれる。
だが、流石はインファイター。
ゲルメズは動揺しつつも、一瞬でその攻撃を躱してみせた。アービーとザルドは反応が遅れ、直撃を受ける。
「あちゅ! あちゅ!」
「燃えているぅぅううう!!」
仲間が火だるまになっているにもかかわらず、ゲルメズは冷静に私たちを見据えている。
「げ……幻」
すぐそばにいる久奈子が、弱々しく声を絞り出す。私は問いかける。
「久奈子! そんなに魔力を渡して大丈夫なのか?」
久奈子はなおも私様の手を握り、大量の魔力を注ぎ続けている。残り魔力が心配になるほどだ。
「うん……大丈夫、あの魔術を発動するには、これくらい渡さないと……」
「ここで見ているから……見せて……幻が勝つところを――」
顔色も声も明らかに限界を超えている。相当無理をしているのだろう。だが、久奈子から魔力を受け取るほどに、私様の覚悟は確かに強まっていく。
「ああ……わかった。そこで見ていてくれ、久奈子」
(これだけの魔力量――確かに。今なら、あの魔術を発動できる!)
アービーやザルドはともかく、ゲルメズを倒すにはあの魔術しかない。
それは私様も、久奈子も、二人ともわかっていた。




