17.「三角縁神獣鏡」 後編
長くなりましたが、これにて第十七話は終わりです。
「天岩戸」
久奈子はゲルメズに向かって駆け出すや、ふっと姿を消した。
透明人間――目くらましの効果がまだ残っているとはいえ、安全を期しての行動だろう。どうやら本気で、ゲルメズを仕留めにいくつもりらしい。
(久奈子がゲルメズを狙うなら――私様は残り二体を――)
私様は二枚の鏡を再び放り投げた。
「金印!」
直後、フラッシュ魔術を鏡に撃ち込み、反射させる。先ほどシヤーフとサブズを葬ったのと同じ要領で、今度はアービーとザルドを仕留める算段だ。
だが、その瞬間――。
「……仕方ない! アービー、ザルド、アレを使うぞ!」
ゲルメズが辛うじて細く目を開き、仲間に鋭く指示を飛ばす。
「「「鬼凶」」」
次の刹那、ゲルメズ、アービー、ザルドの額に――ボコリ、と浮かび上がったのは「凶」の一文字。
(あれは――なんだ!?)
私様が放ったフラッシュ魔術は鏡に反射し、倍加した光線となってアービーとザルドへ襲いかかる。
「ぐぬ!」
「ぬお!」
だが、奴らは咄嗟に腕で急所を庇った。倍の威力を誇るはずの光線は、肌を焼く程度の火傷に留まった。
(肉体が急に硬く……!? まさか、さっきの魔術は――)
「待て、久奈子! 奴らは肉体強化系魔術を――」
「遅い」
ゲルメズは目を閉じたまま、背後へ鋭い後ろ回し蹴りを放つ。
――ボキッ!
嫌な音とともに、久奈子の天岩戸は解け、彼女の身体は遠くへ吹き飛ばされた。
「久奈子!」
駆け寄ろうとした私様の前に、アービーとザルドが立ちふさがる。
「おっと!」
「あんたの相手は私たちさ!」
「どけ! 桃源郷!!」
――パッチン!!
ブーメランのように戻ってくる鏡へ向け、ファントム魔術の紫煙を放つ。
その煙は鏡に跳ね返り、アービーとザルドの方へと流れ込み、二人は思わず吸い込んでしまった。
「――なに!?」
「こ、こんな器用な真似まで……」
動きを封じた二人を横目に、私は久奈子の元へ駆け寄った。
「う……うっ、げっ」
「大丈夫か!? 久奈子、今すぐ治す!」
首が良からぬ方向へと曲がり、声すらまともに出せない。私様は急いでヒーラー魔術を施す。
「……助かった、幻……」
やがて首は元に戻り、言葉もはっきり発せられるようになった。
「中々やりますねぇ……」
ゲルメズの声が響く。
「特にそこのカウンター魔術の使い手……シヤーフとサブズを倒し、さらにはアービーとザルドを一瞬で封じるとは……今までで最強の敵だ――貴殿は」
「……称賛はいらん。聞きたいことがある。なぜ、透明化した久奈子の位置を見抜けた? その額の〝凶〟と関わりがあるのか?」
「ふむ、それも一因だが……本質は、この角だ」
ゲルメズは己の頭に生えた角を指差し、冷たく告げる。
「オーガ族の角は飾りではない。蛇の舌のように空気中の匂いを嗅ぎ分け、敵の位置を探知できる……いわば、生きたセンサーだ」
「さらにインファイター魔術で感度を増幅させれば、透明化など意味を成さない……まぁ、〝種族的特異性〟を持たない人間族には理解できないかもしれんが」
「理解しているさ。要は視覚が封じられても、その角があれば見失わないということだろう? ……いちいち人間を貶めずにはいられんのか、貴様は」
不快を押し殺しつつ、私は構えを取る。久奈子もまた立ち上がり、隣に並んだ。
「久奈子、怪我は……?」
「平気。戦えるよ。ただ、目くらましが効かないのは厄介だね」
ゲルメズはアービーとザルドの方へと視界を向ける。
「ファントム魔術のおかげでしばらく動けまい……その上、今は無防備。ならば、某が配火どもを守りつつ、一人で相手をするしかあるまい」
アタシュ・バフラムを振り下ろす。舞い散った火の粉は、やがて炎の分身二体へと姿を変えた。
ゲルメズは口元を吊り上げる。
「なんと都合がいい」
分身はアービーとザルドの護衛へ回り、ゲルメズ自身は――
――ゴウゥッ!!
そのまま私様たちへ、猛スピードで突っ込んできた。
「っ! 金印」
「金印」
久奈子は真っ直ぐゲルメズへ向けて光を撃ち放つ。
私様は鏡を高く投げ上げ、その落下する一瞬の間に、カウンター魔術で何度も何度も光を反射させ、ゲルメズへと収束させた。
だが――光速の攻撃を、ゲルメズはあっさりと躱してみせた。
(なに!? あの動き……あれは、オールラウンドというより――)
ゲルメズが一瞬で間合いを詰める。
私様は慌てて落下する鏡を掴み、久奈子と自分を庇うように構えた。
だが次の瞬間、ゲルメズは鏡を回避しながら、あっという間に私様たちの背後へ。
(しまった――防御が間に合わな――)
背後から襲いかかろうとするゲルメズ。
「桃源郷」
――パッチン!!
久奈子のファントム魔術が発動し、紫煙が炸裂する。
ゲルメズはそれすら見切り、後方へ大きく跳び退いた。煙を吸わぬよう、完全に躱してみせたのだ。
「――助かった、久奈子。今のファントム魔術がなければ、二人ともやられていた」
「なんなの!? あいつのあのスピード!」
私様たちは、ゲルメズの予想を超える身体能力に驚愕していた。
アービーからはゲルメズのスキルタイプは〝オールラウンド〟と聞かされていた。だが、あの身のこなしは……。
「……フン、全力で戦えるのは気持ちがいいな。やはり配火どもがいない方が、某は戦いやすい……」
ゲルメズは愉悦を滲ませて呟いた。
「貴様……スキルタイプは〝インファイター〟だな? 今まで手加減していたのか? いや――正体を隠すために実力を抑えていたのか?」
スキルタイプ・インファイター。
生まれつき強靭な肉体を持ち、インファイター魔術(別名・肉体強化系魔術)を得意とする。
オールラウンドが多様な魔術を扱える汎用型だとすれば、インファイターは肉体強化に秀でる代わりに、他の魔術を不得手とする特化型である。
「ほう……わずかな動きで、よくぞ某のスキルタイプを見抜いたものだ」
ゲルメズは包み隠さず、素直に答えた。
「えっ? あいつ、オールラウンドじゃなかったの? ってことは、アービーの情報は噓だった? でも……あのファイア魔術の高度な扱いは――」
「ああ、それはおそらく、アタシュ・バフラムという武器の性能だろう。インファイターであっても、本来なら苦手とするファイア魔術を、オールラウンドに劣らぬほど自在に扱える……そういう仕様になっている。――そうだろう、ゲルメズ」
「……いかにも。なら、ここからは隠し事ナシでいこう」
ゲルメズは角に指を突き立て、自らの血をアタシュ・バフラムへと滴らせる。
――ボゥウウ!
紅炎は瞬時に蒼炎へと変貌し、鬼火のごとき不気味な光を放った。
「ここからが本当の戦いだ」
アタシュ・バフラムを振り下ろす。舞い散った火の粉は、やがて無数の炎の蛇となって襲いかかってきた。
「ハァッ!」
「フン!」
久奈子が銅剣を薙ぎ払い、私様は鏡で反射させて炎の蛇を散らす。
だが、ゲルメズの猛攻は止まらない。
「まだだ! 四方八方から襲いかかれば、いかにカウンター魔術でも対処はできまい!」
ゲルメズはシュンと高速移動し、火の粉を撒き散らしながら私様たちの周囲をぐるぐると旋回する。
そして、足がピタリと止まった瞬間――いつの間にか、ゲルメズの分身、炎のトカゲ、炎の蛇が無数に現れ、私様たちの逃げ場を完全に封じた。
「なんだと!? この数は――」
「幻!」
焦る私様たちの顔を見て、ゲルメズはほくそ笑む。
そして、勝利宣言のように言葉を吐いた。
「終わりだ……人間族よ。久しぶりに本気を出せて嬉しかったぞ」
告げるや否や、蒼炎の軍勢は一斉に飛びかかる。
(駄目だ……この量はさすがに捌ききれない……っ!)
(……ここまでなのか?)
最後に浮かんだ思考はそれだけだった。
耳をつんざく爆裂音、肌を焼き焦がす熱気――次の瞬間、蒼炎はすべてを呑み込んだ。
補足)
配火――ダエーワ・ファミリーにおける信者にあたるメンバーの呼び方です。
今回のお話で出てきた〝種族的特異性〟。
ゲルメズは要するに「人間族には取りえがない」と散々バカにしていましたが、実は人間族にも〝種族的特異性〟があります。そのあたりは、いずれ物語の中でちゃんと説明する予定です。
――そして作者の本音。
ゲルメズ……強すぎません?
本当は今回、幻鏡を勝たせるつもりだったのに、気づいたらゲルメズが勝っちゃってました。
いや、ちょっと待て――どうやって勝たせろっていうんだ、これ……!
でもまあ、次回こそ幻鏡の反撃にご期待ください。
ゲルメズ、なんでお前が勝ってんねん(笑)。




