38.「〝ディオネロ帝国には気を付けてください〟」
ヴェダ視点
月の星団との戦いを終えて……
「ヴェダさん、ジュダスさん……色々とありがとうございました」
月の星団との戦いから一夜明けた今日。
長く感じた戦いだったが、今思えば、あっという間だった。そんな、不思議な感覚の残る戦いだった。
今、アタシと姐さんは、イブンに別れの挨拶をしている。
敵として出会ったあの頃、まさかこんなふうに穏やかに言葉を交わせる関係になるなんて、想像もしなかった。
「いや、いいッスよ! それより本当にこのまま帰るッスか? 食料や水が必要なら分け与えても……」
「……いえ、大丈夫です。あなたたちには多大な迷惑をかけたというのに、これ以上ないほどによくしていただきました」
「戦死したサラーフ、委ねる者たち……そして前任の指導者。彼らの遺体を聖地まで運べる――これだけで、我々には十分な喜びですな」
月の星団側で戦死した者たちは、白い布に包まれて静かに運ばれていった。その中には、月の星団前任の指導者である彼の遺体も当然含まれている。
「月の星団の指導者……タウンの住民以上の数の信者を導くなんて、大変そうッスね。……しかも、砂漠環境も相まって」
「ええ。果たして、このイブンにそれが務まるのか……不安もあります。ですが、彼から託された以上、全身全霊で尽くすまでです」
その言葉から、イブンの指導者としての覚悟が、自然と伝わってきた。
「月の星団が砂漠地方に広まったのには――」
「教えの中に、生き抜くためのヒントが含まれていたからだと――このイブンはそう考えています」
「断食、食事制限、性の制限、そして相互扶助……どれも、砂漠という過酷な環境を生き抜くために、必要な行為だったのですな」
「イブン……」
「あなた方にとって、前任の指導者は……戦争を引き起こした〝悪魔〟に見えるかもしれません。ですが我々にとっては、殺し合いの絶えなかった砂漠に、平和と秩序をもたらしてくれた〝英雄〟なのです」
「荒れていた砂漠に平和と秩序を築くには、彼の強さと指導力が不可欠だった。これからは、その平和と秩序を維持していくこと――それが、指導者となったこのイブンの使命となるでしょう」
「ゆえに、新指導者の方針は――砂漠の外に教えを広めるのではなく、まずはこの砂漠の中に留まり、この地に生きる委ねる者たちの命と暮らしを守ること……それに専念するつもりです」
イブンは、まるで己の役目と使命を再確認するかのように、静かに呟いた。
「ヴェダさん、ジュダスさん……このイブンは、これ以上の戦いを止めるため、インチキタウンに復讐や恨みの念を持たぬよう、説得いたします……差し出がましいお願いかもしれませんが、タウン側でも、どうかこれ以上の争いが起きぬよう、同じように説得をお願いできませんか? 攻めてきた側が頼むのは、何ですが……」
「ええ! 言われなくてもそうするわ」
姐さんがきっぱりと頷く。
「そうッス! これ以上の戦いは絶対に止めるべきッス!!」
アタシだって迷いはなかった。
「……本当にありがとうございます」
イブンの表情に、わずかな安堵が浮かぶ。
戦争が起きた真の原因をイブンから聞いた。
この国を支配するディオネロ帝国のスパイ、ハサン。彼が委ねる者たちを殺し、その罪をインチキタウンに擦り付けたこと。
そして、それが真実であると知りながらも、前任の指導者は教団の繁栄と資源確保のために戦争へと舵を切ったこと。
この話を聞いたとき、アタシはなぜか、思っていたほどの怒りを感じなかった。
彼らを責めるのは簡単だ……いや、寧ろ怒りを覚えるのが、普通の感情なのかもしれない。
だが、その時のアタシは別の考えが浮かんでいたのだ。そして、その考えは今も、変わっていない。
「それと……アミーラのこと、よろしくお願いいたします……彼女が月の星団から離れる以上、頼れるのはあなたたちしかいません」
「ええ……わかっているわ」
姐さんが静かに答える。アタシも姐さんと同じ気持ちだったので、コクリと頷いた。
「でもイブン、あなたは大丈夫なのですか? 彼女はあなたにとって家族のような存在じゃないのですか? 二度と会えなくなることに……悲しみはないのですか?」
姐さんの問いかけには、どこかイブンを思いやる気持ちがにじんでいた。
「いえ、寧ろ感謝しかありませんよ」
けれど、イブンはそんな気遣いを「フッ」と笑って否定した。
「血筋、実力から考えれば、〝彼女こそ次の指導者になるべきだ〟そんな主張する者が現れるでしょう。ですが、戦死した扱いで、彼女が教団から姿を消せば……後継者争いも起きません。このイブンにとってこれほど都合のいいことは~~」
「嘘おっしゃいッス!」
アタシは思わず、イブンの言葉を遮った。
「そうやって悪ぶったおじさん演じても無駄ッス。本当の理由は、前任の指導者の遺志を継ぐために……アミーラに教団から去って貰うッスよね?」
アタシと姐さんは知っている。
あの最後のとき……教祖と前任の指導者との会話を、確かに聞いていた。だからこそ、アミーラがタウンにいることを、受け入れた。
そして、前任の指導者の思いをきっと、イブンも知っているだろうとアタシはそう信じていた。
「さて、なんのことでしょうか?」
イブンは、アタシの言葉に対して、肯定も否定もせず、ただ静かに踵を返した。まるでこの場から立ち去ることで、答えを濁すように。
「最後に……一つだけ」
イブンは、そう言って、その場で立ち止まった。
「〝ディオネロ帝国には気を付けてください〟。今回の戦い、我々の勝利を、月の星団も、そしてディオネロ帝国も、そう信じて疑っていなかったはずです。……ですが、現実は、あなたたちが我々を退けた」
「――ディオネロ帝国は今後、あなたたちインチキタウンをマークするでしょう……」
そう言い残すと、イブンはもう何も言わずに、自らの帰るべき場所へと歩き出していった。
「ディオネロ帝国……リチャードが騎士としていた国……」
イブンの姿が見えなくなった後で、アタシはぽつりと口にする。
「……いつか、国とも戦う運命になるッスかね?」
「そんなこと、わからないわ」
姐さんは静かに答える。
「でも……もし戦うことになるのだとしたら、それは月の星団以上に激しい戦いになるでしょう。あの国は……戦力も、兵力も、一宗教団体の比じゃないから」
その口調には、覚悟と現実を見据えた冷静さがあった。
「姐さん……これも聞いてみたかったッスけど……」
「何? ヴェダ」
「もし――もし、立場が逆だったら。インチキタウンが砂漠の中にいて、月の星団が豊かな土地にいたとしたら……教祖は、月の星団に攻め込む選択を、したと思うッスかね?」
「立場が逆?」
「前任の指導者が戦いを選んだのは、教団の繁栄と資源確保のためだった……つまり、それだけ砂漠では水や食料、資源も足りなかったと思うッス……もしアタシたちがその〝足りない側〟だったなら、教祖は……本当に他から奪わないって、言い切れるッスか?」
これが、月の星団を……前任の指導者をアタシが憎めなかった理由。
アタシたちは、幸運にも豊かな土地にいた。他から奪わずとも生きていけた。
だけど、もしそうじゃなかったら……。
持たざる者になったとき、自分たちは絶対に、奪わないと言い切れるのか……その自信は、正直なかった。
姐さんは、しばらくのあいだ何も言わずに、ただ考えていた。
そしてようやく、静かに口を開く。
「……それも、わからないわ。たとえ、インくんがその道を選んだとしても……私たち信者が、必ずしもそれに従うとは限らないしね……」
イブンの姿はとっくに見えなくなっていたというのに、アタシたちは、彼が歩き去っていったその方角を、いつまでも見つめ続けていた。
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次回エピローグとなります!!