36.「これだけは伝えたい」
イブリース視点です
――この、イブリース・タージュ・マリク! 神に委ねる者の一員として、ここに誓う!! もう二度と、戒律を破ることはしないと!!
――この新しき世界で、ワタシが月の星団の教えを広めるのだ!!!
「……うっ。うん? 寝て……いえ、気絶していたのね……ワタクシ」
まるで永い眠りから覚めたような感覚だった。
だが、太陽の動きから察するに、それほど長い時間は経っていないようね。
「フッ、よりによって、この世界に来た日から……布教を決意するまでの日を通しで見るとは……奇妙な夢を見たものね……なあ、ロクセラーナ?」
聞こえるはずがない者にワタクシは、問いかけてみる。当然、その返事は返ってくることはないが……
我が刀剣・ルカ・イフルズの姿は見えない。インチキ教祖の姿もまた、そこにはなかった。
……恐らく、奴が刀剣を持ったまま、タウンへ戻ったのだろう。
「うぐ……」
なんとか身体を起こそうとするが、奴から受けたダメージが酷く、思うように動かない。
「……回復系魔術を使えば、この程度の傷……すぐに癒せるのに。だけど、魔力を節約しなくては……」
流石に断獄とトーブの併用の連発は、魔力消耗が激しかった。魔力節制呼吸法を用いても尚、残り魔力が僅かになるほどに。
さらに、奴に魔力を奪われた影響もある。
残された魔力は、あの魔術のために取っておかなければならない――。
プルプルと震える腕を支えに、ワタクシは何とか身体を起こした。
「そうよ……ワタクシはあの日決めたのだ……二度と神を裏切らないと……戦争を始めた責任として、ワタクシは……ワタクシだけは最後まで戦う!」
タウンへ向かって、いえ、インチキ教祖との決着をつけるため、ワタクシは歩み出す。
だが――
ドサッ!
「くっ……! 体が、言うことを聞かないわ……」
ワタクシともあろうものが転ぶとは……思っていた以上に、傷は深いようね。
それでも、それでも、歩みを止めるわけにはいかない。ワタクシは地べたを這いつくばりながらも、進む――
…… …… ……
…… ……
……
しばらくして、ワタクシは再び立ち上がり、歩き出した。
やがて、タウンの近くまで来たところで、前方に巨大な壁が立ちはだかるのが見えた。おそらくは、インチキタウン側が用意した土砂系魔術の防壁でしょうね。
「イブリース! そこにいたのですか!」
「イブリース!」
ワタクシを見つけるなりに、イブンとアミーラがこちらへ駆け寄ってくる。
「アミーラ、イブン、二人とも生きていたのね……良かった」
「イブリース! 今、月の星団の士気は著しく下がっていますぞ。インチキ教祖が、あなたの刀剣を掲げて〝イブリースを倒した〟と勝利宣言をしているのです!」
「嘘だよね!? イブリースが負けるわけがないよね」
そう訴える二人の姿に、ワタクシは静かに笑った。
「……フッ。あのままワタクシに止めを刺していれば、確かに勝ちはあったでしょうね。だが、現実は違う。今に見せてやるわ……ワタクシは、まだ負けていないということを――!」
そう言って、二人の間をすり抜け、ワタクシはタウンの壁へと向かって歩を進める。
「イブリース……まだ戦うつもりですか?」
背後でイブンが呼び止めた。
「これ以上戦っても双方被害が大きくなるばかり――このイブン、これ以上の戦いは――」
「――イブン」
ワタクシは歩みを止めて、静かにその名を呼んだ。
緊張のあまり、イブンのつばを飲み込む音が聞こえる。フフ、そんなにかしこまる必要はないのに……。でも、ちょうど良い機会だった。
イブンとアミーラ、二人には……伝えたいことがあったわ。
まずは、イブンから。
「月の星団としての戦いは、もう十分よ。これから先の戦いは……ワタクシ個人の戦い。それは、武闘派教団の指導者としての責任でもあり――何より、神に恥じぬ生き方を貫くため。だから、ワタクシは最後まで戦うわ」
「最後まで……!? それは、どういう意味ですか?」
「言葉通りよ。イブン、次の指導者はあなたに託すわ。ワタクシとは違う道を……あなたなりのやり方で、委ねる者たちを導きなさい……これは、前任の指導者としての遺言よ」
「イブリース……」
戸惑い、言葉を失うイブン。だが、イブンなら大丈夫だ。彼なら、きっと月の星団を……ワタクシよりも良き形で残していけるだろう……
「ところで……〝巡礼〟のサラーフは、どこにいるのかしら?」
「サラーフなら……リチャードとの戦闘で共倒れになったと。目撃報告があります」
「……そう。なら、もうすぐ会えるかもしれないわね。サラーフにも、この戦いで倒れた〝委ねる者たち〟にも――」
これでイブンに伝えたいことは全て終えた。残るは、アミーラ。
「アミーラ、あなたにも……伝えたいことがあるわ」
「イブリース?」
「でも、その前に――」
ワタクシはおぼつかない足でアミーラの元に向かう。
そして――
ガシッ。
アミーラを、そっと抱きしめた。
「え、イ、イブリース!? な、なにを……///」
「年頃の女性に対して失礼かもしれないが……ワタクシのわがままを許してくれ……娘よ」
父親として、初めて我が子をこの腕で抱きしめたのだ。
「娘!? そ、それに女性って、な、何のこと」
「アミーラ、男社会のオーク族で、男を装い、あるいは男勝りでなければ生き残れなかったのでしょう。……父親として、もっとそばにいてやれなくて、すまなかった」
アミーラがこの教団に入信したのは、五年前。
あのとき――
『ボクには、もう家族がいない……母さんは15のときに……父さんはこの世界のどこかにいる……』
今にも思い出す。アミーラとの出会い。
一目見てわかった。この娘がロクセラーナと……ワタクシの子供であるということに。
アミーラ・ハナズィール・バリ。
ロクセラーナ・ハナズィール・バリと同じファミリーネーム。
ただ、それだけでは、アミーラがロクセラーナの娘という証明にはならない。そもそも「ハナズィール・バリ」というのは、オーク族ではしばしば見るファミリーネームだからだ。
だが、アミーラの瞳――
忘れもしない――その綺麗な蜂蜜色の瞳を。その瞳はロクセラーナとまったく同じだった。
そして、ワタクシと同じいえ、ワタクシ以上のインファイターとして才能を持つアミーラ。
それ以外にも理屈抜きで、この娘がワタクシの血を引き継いでいることは十分わかった。ワタクシだけがわかるのだ。
「アミーラ、最後にこれだけは伝えたい」
アミーラがワタクシの目を、真っ直ぐに見つめ返す。
「ワタクシは最後まで教えを信じる道を選ぶ……それしか選べなかった。けれど、あなたには――ワタクシとは違う道を選んで欲しい。これが、ワタクシの第二の望みよ」
「第二……? じゃあ、一番は?」
「第一の望みは、ワタクシなんかに縛られず、あなたには、あなたの人生を歩んで欲しい……これこそが最大の望みよ」
「……その台詞……母さんも言ってた……」
「そう……ロクセラーナも同じことを言ったのね。フフ」
アミーラに伝えたいことを伝えたワタクシは、アミーラから離れ、最後の決戦へと向かおうとする。
「ま、待ってよ……父さん……行かないでよ……」
アミーラの目に涙が浮かぶ。いつも強がっていたあの子が……
それも当然か。あの顔には、ロクセラーナの面影が重なっていた――
「すまない……」
ワタクシはそれだけを告げ、アミーラとイブンを後にした。
…… …… ……
…… ……
……
やがて、土砂系魔術で築かれた巨大な壁の前にたどり着いた。そこから先は、自力で登る。
「スー、ハー……」
壁をよじ登り切ったその瞬間、ワタクシは大きく息を吸い込み、深呼吸をした。
そして――
「インチキきょうそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
「まだよォ!」
「まだ終わっていない!! あなたとの決着は!!!」
限界まで張り上げて叫んだその声は、タウン全域に響き渡っていることでしょう。
遠く、タウンのはるか彼方に、インチキ教祖の姿が見えた。
フッ。初めて会った時は、あなたがワタクシを見下ろしていたのに、今度は、ワタクシがあなたを見下ろす番になるとはね。
「終わりだぁ、イブリース! お前が俺と戦えていたのは、最強の刀剣があってこそ!! ルカ・イフルズ無き今、お前じゃ俺に勝てねえ!!!」
インチキ教祖も負けじと、叫び返す。
あの、言いぶりよう、どうやら知らないようね……インファイターはコネクトにも対抗できる最強の魔術があるということを。
まあ、でなければ、気絶したワタクシをそのまま放置するわけがない。
しかし今は、インチキ教祖と戦う前に、まず委ねる者たちに伝えなければならないことがある。
「委ねる者の諸君! このイブリース、月の星団の指導者として、最後の命令よ! 今すぐ戦いを止め、聖地リヤブスへ帰還せよ! 繰り返すわ! 今すぐ、戦いを止めて聖地に帰還せよ!! これ以上あなたたちが、戦う必要はない――」
「そして、次の指導者は、イブン・ハッラークよ! これからは彼に従いなさい!!」
遠くの景色の中、委ねる者たちの顔がいくつか見えた。
タウンの信者と交戦していた者たちも、ワタクシの言葉に耳を傾け、武器を収め、タウンから離れていく。
いいのよ。それで。これで、心置き無く逝ける。
「さて、インチキ教祖よ……この世界で、我が最後の敵。決着をつける時が来たわ!」
「どうしても……戦うというのか。お前は今まで俺が戦ってきたカルト教祖たちとは違う……殺したいと思うほどの敵ではない――このまま戦わなくても」
覚悟ができていないあなたを相手にするのは悪いが、ワタクシの信仰のために付き合ってもらう。
魔力を温存してきたワタクシは、今こそ最強の魔術を解放する――
「限界突破」
インチキ教祖VSイブリース第二ラウンド開始ッ!!!




