第十五話 中学校時代 その九
『三勝三敗。引き分けとかそんな幕切れじゃ終われないわよっ』
『つっても、もうあらかた勝負になりそうな出店は回ったからなあ』
『むうっ!!』
小学生の頃は雪菜はまだ内気でこんな風にテンション上げて祭りを回ることはなかった。というか小学生だと隣の県まで足を運ぶのは難しく、嫌がらせしてくる連中に遭遇したくないからと祭り自体に行くことはなかったんだよな。
中一の夏もなんだかんだで夏祭りには行かなかった。
つまりこの時が俺と雪菜の初めての夏祭りであり、まあぶっちゃけ俺もテンション上がっていたんだよな。
『ま、楽しかったからいいじゃねえか。決着はまた来年ってことで』
『……、仕方ないわね』
くるくる、と。
楽しそうに回りながら、雪菜はこう言った。
『また来年、ううん。再来年もその先もずっとずっと勝負しようねっ!!』
『望むところだ』
『ふっふっふう。お祭りってこんなに楽しかったんだねえ。大和のおかげで知ることができたよ』
『あん? 何で俺のおかげなんだよ? 一緒に祭りを楽しんだってだけなのに』
『本気でそう言いやがるところはちょっとムカつくかも』
『?』
『委員長さんの時もそうだけど、その無自覚さは、ふぎゃっ!?』
とまあ、それで終わればよかったんだが、テンション上がりすぎて終始駆け回って、この時もくるくると回りまくっていた雪菜の下駄の紐が限界を迎えて千切れ、すっ転んだんだ。
『おい大丈夫か!?』
『大丈夫。なんとも……ふっぐ!?』
『足、痛むのか?』
『別に、なんともないもん』
『俺につまらない嘘つくな。ほら、見せてみろ』
嫌がる雪菜の抵抗なんて無視して浴衣をめくると、右の足首が赤く腫れていた。
『これじゃ歩くのも難しそうだな。病院は、まあ、腫れが引かなかったらでいいか。とりあえずコンビニで冷やすのに使えそうなの買ってから帰るぞ』
『まって!! もう帰るの!?』
『さっさと帰って安静にしないとだろうが』
『まだ花火を見てないじゃん!!』
『そんなもん見なくても──』
『やだ。やだやだっ。だってせっかく大和と初めてのお祭りで、本当に楽しくて、なのに、こんな、私のせいで台無しにしたくないっ』
『だからって痛がるお前の横で花火なんて楽しめるか、ばか』
『それは、そうだけどっ、そんなはっきり言わなくてもいいじゃん!!』
『大体だな、ついさっき自分で言ったこと忘れたのか?』
『言ったこと、って』
『来年、ううん。再来年もその先もずっとずっと勝負するんだろうが。それだけ一緒に祭りに来るってわけで、だったら花火くらい今日見逃したってこれから飽きるくらい見られるっつーの』
『大和……』
『だから、今日は帰るぞ』
『……うん。って、ちょおっ!? 何で小脇に抱えるの!? 普通背負うとかじゃない!?』
『泣き虫お荷物クソボケ女にはこいつがお似合いだ』
『辛辣!!』
『はいはい、そんな感じで頼むぞ。しおらしい雪菜とか昔に散々見てきて見飽きたんだし、もう二度と見なくていいっつーの』
『……、強引なんだから』
『お前が泣き喚くのは校舎裏だけだしなあー?』
『前からだけど、大和って結構デリケートなところも容赦なくイジるよね!?』
『くだらねえ過去でしかないんだ。気軽にイジって何が悪い』
ーーー☆ーーー
俺たちは一足先に夏祭り会場を(一応雪菜を背負う形に変えてから)後にしていた。
途中コンビニに寄ってから最低限の処置はしているが、やはり家に帰って安静にしているのが一番だろう。
金がかかってもタクシーを捕まえようかとも思ったが、祭りのせいで混んでいるので電車で帰ることに。
そうして駅を目指している時だった。
ドンッ!! と腹に響く音が響いた。
花火……なのだろうが、近くの建物が邪魔で見切れてしか見ることができなかった。
『実は事前にこの花火が綺麗に見られる穴場スポットを探していたんだよね』
『穴場スポットって、お前、この辺電車で一時間以上かかるのにわざわざ下見していたのか?』
『今日だから』
『?』
『今日だからこそ大和にはとびっきり楽しく過ごして欲しかった。恩返しなんて言ったらそんなことしてもらうようなことは何もしていないって大和は絶対に言うだろうけど』
『あー悪い。今日って何かあったっけ?』
『今日はね、あの校舎裏でひとりぼっちだった私に大和が声をかけてくれた日だよ』
俺の背中で雪菜は言う。
ゆっくりと、噛み締めるように。
『大和は大したことしたつもりもないんだと思う。何せ大怪我しながらも委員長さんを救った時だってやりたいからやったとか誰だってこうするとか挙げ句の果てにはもっとスマートに解決できる奴の方が多いだろうから褒められるような結果じゃないとか言いやがっていたしね。ねえ何なの馬鹿なの謙遜も過ぎれば嫌味になるんだからね? 私が委員長さんの立場だったら一発くらい殴ってもバチはあたらないと思うよ!!』
『あれ? 何で責められているんだ俺!?』
『素直に感謝を受け取らないからだよっ。どうせ私がありがとうって言っても同じように受け流すだろうしね!! そうよね、ねえ!?』
『ま、まあ、でも実際それはお前、俺がそうしたかったってだけで──』
『ぶち殺すぞこんの大馬鹿野郎があーっ!!』
『ばっ、暴れるなって、背中から落ちて怪我するのは雪菜のほうなんだからな!?』
『だったらもうちょっと素直に感謝の気持ちを受け取ってよっ。大和にとっては「あの日」が何月何日だったのかも覚えていないくらい何でもない過去でも、私にとっては人生が変わった瞬間だったんだからね!!』
今でも大袈裟だとは思う。
雪菜なら俺がいなくても五人組を中心とした悪意なんて跳ね除けていたはずだ。
雪菜が救われたのは雪菜のポテンシャルが高かったおかげで、俺が何かしたわけではない。
どこまでいっても凡人である俺が天才である雪菜の人生を大きく左右できたわけもない。
だけど、まあ。
ほんの少しでも俺という存在が雪菜の支えになっていたんなら、それはわざわざ否定することでもない。正直に言って嬉しいしな。
『だから、うう、せめて今日という一日を最高に楽しいものにしたかったのに。ああもうっ、こんなことわざわざ大和に言っているのもダメダメだよね! 足挫いて花火をきちんと見られなかったし、今日に限って何でこんな……っ!!』
『おいおい。今日はすっげえ楽しかったんだからそれでいいじゃねえか』
それに、と。
俺は見切れてちゃんと見えない花火が光っている方角を見据えて、
『来年はこの花火を綺麗に見られる穴場スポットで見ることができる。そんな楽しみができた。何なら無難に大成功よりもそっちのほうがワクワクするじゃねえか』
『や、まと』
『気にするなっつっても無理なのかもしれねえが、少なくとも俺にとって今日この日の出来事は絶対に忘れられない最高の思い出になった。それは雪菜、お前と一緒にばかやったからだ。だから、なんだ、気にするんだろうが気にするな! わかったな!?』
『……、ずるい。そんなの頷くしかできないじゃん』
『ばーか。ぺこぺこ頷いていればいいんだよっ。中学になってようやく毎日のように笑えるようになったんだ。つまらないこと気にしてねえでそのまま笑っていろってんだ』
『うん』
ぎゅっと。
俺にしがみつく両腕に微かに力を込めて、花火の音が鳴り響く中、背中に抱きつく雪菜は小さくこう言ったんだ。
『やっぱり好きだなぁ』
花火の音が鳴り響く。
だけどその声は一言一句かき消されることなく聞こえたんだ。
『あっ、いやっ、大和っ。今の聞こえた!?』
『……、何がだ? 花火がうるさくて何も聞こえねえよ』
『そ、そそ、そうだよね、いやまあさっきのは幼馴染みとしてって意味だけどね聞こえていないならいいんだけど万が一聞こえていたとしてもそんな別に変なふうにとらえられたら困るからね、うん、うんうんっ、そういう感じだからね!?』
『だから何も聞こえてねえのに弁明されたって意味わからねえっての』
はっきりと切り替わったわけじゃない。
だけど、振り返ってみると、きっかけはここだった。
それまで幼馴染みとして気兼ねなく察してきた雪菜が異性なんだって意識し始めたのは。
だって、さっきまでは何も気にしてなかったのに、背負っている雪菜の感触が妙に気になり始めたくらいなのだから。
『雪菜のこと、そこらへんに放り捨てたいなあ』
『なになにどうしたのいきなりサドに目覚めちゃった!?』
『っ。そうじゃなくて、あーなんだ、さっきから人の耳元でギャンギャンうるせえからだ、ばかっ』
『だって、そんなっ、人の気も知らないでえ!!』
『このタイミングでさらにボリューム上げるとか喧嘩売っているのか!?』
結局、この時はなんかもうわけわかんなくてとにかく離れてほしかったんだが、足首怪我している雪菜を放り出すわけにもいかず、そのまま駅まで歩いていったんだったっけか。
俺だって雪菜のことは『好き』だ。
だけど、この『好き』は──




