第29話 海賊の店にて
室井との面会を終えた日の夜。時也は落合巡査部長から「一緒に夕飯でもどうだ」と誘われた。断る理由もないため二つ返事で了承すると、県警本部から少し離れた隣町のバーを指定される。
フランス語やスペイン語で海賊を意味する〈Pirata〉の名にふさわしく、店内には船や宝箱の模型、海賊旗などが飾られていた。面白いことに、この店では客一人ひとりに「海賊の証として」髑髏のマーク入りバンダナを贈るサプライズが慣行されているらしい。
「どちらかといえば、俺たちはこういう連中を取り締まる側なんだがな」
パーマ頭はニヒルな笑みを見せる。彼は二度目の来店らしく、初回の来店時は派手な金色の海賊かぶりを貰ったという。
「それで、落合部長はお宝強奪の計画を練るために俺を呼び出したのですか」
冗談を飛ばしながら、カウンター席に座る。メニュー表の酒名はすべてスペイン語で書かれているが、親切にもカタカナのルビが振られていた。時也はカンパリソーダ、落合はゴッド・ファーザーというカクテルをそれぞれ選ぶ。料理の注文は落合に一任し、まずは互いに一日の仕事を労った。
「これだけ足を棒にして働いても、お宝までは先が遠いぜ……だが、もしかすると原石の一つくらいは見つけられたかも知れねえな」
落合が手にしたグラスから仄かなアーモンド香が漂ってくる。ウィスキーの中に浮かぶ氷が、荒削りしたダイヤモンドのような光を放っていた。
「事件に関する新事実ですか」
「俺らが追っているヤマにどこまで関わるかは判らねえが、お前にとっては興味深い事実かもな」
どういう意味だ、と訊くより先に茶封筒が手渡された。中には写真の束が入っていて、被写体の目線や撮影アングルからどれも隠し撮りされたものだと一目で判別できた。
「何かの集会ですか、これ」
「競売中の様子を秘撮した写真だよ。しかも、ただの競売じゃない。裏社会の連中が関与している地下競売だ」
カンパリソーダに伸びかけた手を止める。机上の写真と落合の顔を交互に見ながら、
「これ、市内で開催されたものですか」
「ああそうさ。俺も最初に話を聞いたときは半信半疑だったがな、実際にこの目で見ちまったからには信じざるを得ない」
「この写真、落合部長が撮影を?」
「いや、撮影者は別にいる。そいつが撮った映像をリアルタイムで見たんだ。その競売は表向きには公表されていないし、会場にもごく限られた参加者しか入場できない。しかも、主催側に葵組が一枚噛んでいるらしい」
「葵組って佐野が所属していた暴力団組織ですよね。ですが、葵組は四年前に解散しているんじゃ」
「二枚目の写真をよく見てみろよ」
演台に男が立っているところ激写した一枚だ。オークションでお馴染みのガベルと呼ばれる木槌を手にしている。いかにも高級そうなスーツで身を固めたその男に、時也は見覚えがあった。
「この男。たしか葵組の」
「解散直前まで葵組の幹部だった男だ。深水って野郎で、組長の右腕的な存在だった。噂では内部対立していたって話だが」
「時任忍と不仲だった?」
「あくまで噂だけどな」
「元葵組の幹部だった男が地下競売を取り仕切っている、か。ちなみに、競売にかけられている品は合法なものですか」
「アングラな商売でまともな品が扱われていると思うかよ」
野暮な質問だ、と言いたげに落合は片手を振る。時也は小さく首を竦めると、
「海賊たちが強盗した宝を山分けしているようですね。このことを、ボスには」
「まだ何も話しちゃいねえが、この競売自体は二課が既に目をつけている」
「刑事二課ですか。さすが耳が早い」
「どうも、競売の参加者が匿名で密告したらしいぜ。密告者の存在は二課の奴らも気にしてはいたが、今はもっとデカい相手がいるからな。案外、密告者は敵側から出た裏切り者だったりして」
「ですが、落合部長はどうしてこんな話を俺に」
マフィア小説の名にちなんだカクテルをぐいと呷るパーマ男。
「今までの話は前置きさ。本題はここからだ……お前に見せたかったのは最後の写真だよ」
カンパリソーダのグラスを空にしてから、再び写真に目を落とす。ある男の横顔に目が留まった瞬間、アルコールが全身を素早く駆け巡る感覚に襲われた。
「どうして、彼が」
「その男の顔を見た瞬間、真っ先にお前に知らせておくべきだと思ったんだよ」
落合の声は、そのときの時也の耳には届いていなかった。写真の中でほくそ笑む、ウェーブがかった髪型の男——葛西文明の顔に目が釘付けになっていたからだ。
八月四日、月曜日の午前十時。時也は単独でアーステクノロジー研究所を訪問した。警護番は十六時から宛てがわれているため、半日は自由に行動できる。葛西文明には事前に連絡をつけており、来訪を快く承諾してくれた。
近未来的な研究施設へ足を踏み入れるのは、金澤氏に同行し初めて訪れたとき以来だ。葛西の研究室は相変わらず書籍や資料が山積みされていたが、不思議と乱雑な印象はない。それぞれの山が規則正しい高さで揃えられているためだろうか。
「珍しいですね、刑事さんお一人で来られるとは」
前回と同様、にこやかな笑みで迎えられる。ピンク色のシャツに濃紺のジレを合わせるコーディネートが洒落ていて、ファッション雑誌のモデルと見紛いそうだ。
「本日は、私から葛西さんに個別の質問があって参りました」
「ほう、刑事さんから私に? それはドキドキするなあ……まあ、その辺の椅子にお座りください。コーヒーでもどうですか」
訊きながらも、既にコーヒーメーカーの前に立ち右手にはカップが握られていた。「お構いなく」と形だけ断りながら、手近にあるキャスター付き椅子を引っ張る。片手に引っ掛けたジャケットを羽織るほど、室内は冷房がよく効いていた。
「最近は仕事が忙しいみたいで、金澤先生としばらく会っていないんですよ。どうです、先生はお元気ですか」
「ええ。普段と変わらずアグレッシブに活動なさっていますよ。定例議会が迫っているため、諸々立て込んでいるのでしょう」
コーヒーカップを受け取りながら、事実をありのまま伝えた。定例議会は一ヶ月後に控えているが、それは同時に公安一課による議員警護のタイムリミットでもある。目に見えない焦りが一課の捜査員たちを掻き立てていた。無論、時也も例外ではない。
「そうですか。まあ、議会以外にも先生は色々とご多忙でしょうからね。徳光社長の件もありますし……」
彫りの深い顔に影が落ちた。落合から見せられた地下競売の写真と、目の前の横顔が重なる。
「葛西さんもご存じでしたか」
「勿論ですよ。非常にショックを受けています。とても精力的に動く社長さんでした。道半ばで突然亡くなってしまうなんて、本人もさぞ驚いているでしょう」
コーヒーカップに口を付けてから、葛西はおもむろに時也へ視線を移した。
「もしかして、個別の質問とはアリバイですか。徳光社長が亡くなった日の、僕のアリバイを訊ねに来られたのでしょう」
「それもありますが、もう一つの事件についてもお話を伺いたくて」
「もう一つの事件?」
小首を傾げる葛西に、時也は薄く微笑みかける。
「ええ。先月末に起きた事件で、ある青年が何者かに殺されたのです。被害者は佐野渉。かつて県内で活動していた葵組という暴力団の元構成員でした」
「葵組?」
「亡くなられた徳光さんは、葵組の構成員だった若者たちをご自身の会社で雇っていました」
「元暴力団員を? それは初耳だな」
消え入るような声で呟く。演技でなければごく自然な反応だ。時也は相手の一挙手一投足を注視しながら、
「警察は両者の事件を追っていますが、徳光さんについては暴力団関係の事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて捜査しています」
「そういえば徳光社長は昔、暴力団に入っていたと小耳に挟んだような……まさか、その時代に関わった人たちが?」
「捜査の詳細はお伝えできませんが、あらゆる関係者に話を伺っているところです。これはあくまで形式的な質問ですので、どうか気を悪くされないでください」
「わかりました。それで、アリバイの件でしたね」
「ええ。徳光さんと佐野青年、それぞれの事件が起きた日のあなたの動向を教えていただけますか」
葛西は傍に放られていた手帳へ手を伸ばし、パラパラとページを捲る。そこに記録された内容によると、徳光仁が殺害された七月二十六日の未明、そして佐野が墓場で殺された三十日から三十一日にかけての夜、いずれも自宅で過ごしていた。独身かつ独り暮らしである彼のアリバイを証明する者はいない。
「こういうとき、アリバイのない人たちは全員を平等に疑うのですか」
余裕めいた表情は、自身に嫌疑が掛けられそうな状況を楽しんでいるかのようだ。時也はゆるりと首を振ると、
「時間的にも、アリバイを持たないほうがごく自然です。鉄壁のアリバイを持つ人物がむしろ疑わしいくらいですよ」
「それは、喜ぶべきなのか残念がるべきなのか」
「金澤先生からも同じ質問を受けましたが、アリバイがない、イコール犯人だとは即断しませんのでご安心を」
「日本の警察はそこまで短絡的じゃないでしょう。少なくとも、ドラマの中の刑事さんたちはとても優秀だ」
「あれはフィクションですから」
コーヒーを啜りながら、葛西の右手がさりげなく覆い隠した革張りの手帳を一瞥する。
「ところで、立浜ネクストワールド建設の件はどうなっているのでしょう。徳光氏が亡くなられて、計画に支障が生じているのでは」
「支障どころじゃないですよ。トクミツ建設は次期社長の選出もまだですし、こちらも想定外の対応に追われて計画は完全にストップしています」
「市議会も、来月の定例議会で審議するはずです。現場の責任者が死亡したとあっては、諸々調整する必要に迫られるでしょうから」
「刑事さん、何としてでも犯人を捕まえてください。立浜ネクストワールドは、市の未来がかかった一大プロジェクトです。それを台無しにした犯人には、責任の重さを充分に理解してもらわなければなりません。もちろん、徳光社長の命を奪った罪の重さも」
息巻く葛西に「善処します」と頷き返す。あなたがその犯人でなければ良いのですが——と続く言葉を、胸の裡に留めながら。




