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第25話 母の苦悩


 八月二日、土曜日の午後。佐野みづほが勤めていたキャバクラ店のオーナーと電話を済ませた田端は、地下鉄に乗って中区南エリアを目指した。

 北の大地も真夏日が暑いのは全国と同じで、冷房が効いた車内からホームに出た瞬間、熱をふんだんに含んだ空気が一気に押し寄せる。蒸した地下の空間から地上に出ると、街路樹の木陰で一休みする通行者がちらほらと目に留まった。頭上にはすっきりと晴れ渡った青空が広がっているが、そのぶん陽射しが強さを増して外気温を容赦なく上昇させていた。

 佐野兄弟が通っていた〈佐幌南海高校〉は最寄り駅から徒歩五分足らずの距離だが、目的地へ到着する頃には汗でシャツが背中に張り付いてしまっていた。顎から伝う雫をハンカチで拭いながら、田端は正門をくぐり敷地内へ足を踏み入れる。

 外壁全体がグレー色に統一された私立高校は、正面玄関が十本以上の柱に支えられた円柱型の建物で、どこか近代的な造りをしていた。ポツンと立てられたポールには、〈夏期休暇期間は閉校しています〉と印字された紙が貼られている。

 建物全体をぐるりと半周して裏手へ進むと、広々としたグラウンドが視界に現れた。モノトーンカラーのユニフォームを着た男子たちがサッカーボールを必死に追いかけ回し、その傍では制服姿の女子数名とパーカーを羽織った男がしきりに何か叫んでいる。夏休み中の部活動といったところだう。

 数分ほど静観していると、パーカーの男が不意にホイッスルを鳴らした。男子生徒たちが一斉に動きを止め、ユニフォームの袖で汗を拭きながらグラウンドの端にわらわらと集まる。顧問らしき男が生徒の輪を抜けたところで、田端はチャンスとばかりに小走りで駆け寄った。

「すみません、こちらの高校の先生ですか」

 首からタオルを下げた男は、スーツ姿の部外者に怪訝な視線を向ける。

「そうですけど、どちら様ですか」

「突然の訪問を失礼します。私こういう者ですが」

 目の前に掲げられた警察手帳に、男は目を白黒させた。

「道外の警察の人が、うちに何のご用件でしょう」

「こちらに在籍していた生徒について調べています。ここで一番長くお勤めされている職員をご存知ですか」

「一番長い……私が知っているのは、ツルサワ先生くらいかな。今日来られているはずですよ」

 男に頼み込んで校舎の中へ通してもらった。外壁と同じグレーで統一された廊下を進み、上へ続く階段を昇る。やがて到着したのは、二年生の担当教員が割り当てられている大職員室だ。

「ツルサワ先生。お仕事中にすみません」

 開きっぱなしの扉をノックして中に足を踏み入れると、デスクで独りパソコン作業をする人物がいた。芥子色のベストに白シャツを合わせ、頭髪には白いものが混じっている。作業に集中しているのか、男の呼びかけにピクリとも反応しない。

「ツルサワ先生……ツルサワ先生!」

 三度目の呼びかけで、白髪頭の男はようやく頭を動かした。ゆっくりと田端たちの方を向き、丸眼鏡を指先で持ち上げる。

「先生にお客様です」

 短く告げ、サッカー部顧問はいそいそとした足取りで職員室から立ち去った。田端はツルサワの席に近づきながら、ジャケットの胸元から警察手帳を取り出す。

「お仕事の邪魔をして申し訳ありません。私、K県警察本部から参りました田端といいます」

「都会の刑事さんが、北淮道くんだりまで何の用ですかな」

 突然の来訪にもさほど驚いた顔をせず、ツルサワはのんびりとした声で要件を問う。首に掛けた名札には「敦沢靖司つるさわやすし」と印字されていた。

「十二年前、こちらに在籍していた生徒について調べています。先ほどの男性にお尋ねしたところ、ここで一番長くお勤めされている職員が貴方だと伺いました」

「十二年前か。ちょうど、私がここに赴任したのが十二年前でしたよ。ですが、当時は担任を受け持っていませんでしたからね。私は複数のクラスで数学を教えていました」

「十二年前にここを退学した男子生徒がある事件に巻き込まれ、捜査しています。退学時、彼は二年生のはずなのですが」

「私が担当していたクラスには退学者などいませんでしたね。残念ながら、その生徒について教えられることはなさそうだ」

 田端は「そうですか」と肩を落とすが、ここで大人しく引き下がるほど諦めの良い人間ではない。

「過去の生徒の記録が確認できるものはありますか。たとえば、学校ではクラス文集なんかよく作っていますよね」

「うちもやっていますよ。ただし強制でするものではないので、クラスによってはないところもあります」

「過去のクラス文集は保管されていますか」

「文集は配付分しか刷らないですから、生徒と教師の分しかないと思います」

 放った矢は的を外れるばかりだ。それでも、警部補は根気強く質疑を続ける。

「こちらの学校は、卒業生の同窓会を開催していますか」

「そりゃあもちろん」

「であれば、同窓会名簿も作成しているはずですね」

「名簿も含めて、同窓会に関する一切は事務局が取り纏めています。詳しい話はそちらで聞いたほうがよろしいかと」

 田端は敦沢に頼み込んで、事務局代表者の連絡先を入手してから佐幌南海高校を辞する。腕時計で時間を確認した警部補は、雪国の茹だるような暑さにげんなりしながら次なる訪問先へ足を向けた。



「都会の刑事さんが、こんな田舎に何の用事で来るのかと思いましたよ」

 タワシのような尖った短髪にホームベース型の顔をくっつけた男は、田端の向かいにどかりと腰を下ろした。現在は佐幌東警察署の刑事課に在籍する、永井玄治警部補。彼はかつて佐幌南警察署——まさにこの瞬間、二人が滞在している警察署内がそうだ——の生活安全課で少年犯罪を取り締まっていた。田端が永井警部補を訪ねたのは他でもない、彼が過去に佐野航大の傷害事件を担当していたからだ。

「佐野航大ですか。懐かしいなあ、もう何年前になりますか」

「航大が最後に南署で取り調べを受けたのは、記録によると十七年前の八月ですね」

「十七年か。そりゃあ私も歳を取るわけだ……それで、彼が今度は何をやらかしたんですか」

 タワシ頭を掻く永井に、田端は「いえ」と首を振る。

「現在我々の捜査対象にあるのは、弟の佐野渉です。彼は四日前にK県内で殺されました」

 永井は目を丸くして「そうですか」と消え入るような声で呟く。

「我々は佐野の過去を洗っているところで、兄の航大に連絡を取りたいのですが行方が掴めない状況で困っているのです」

「兄貴はたしか、学校を中退して新都へ移ったのではないですか」

「弟の渉が高校を辞めて新都へ移り住んだことは話を聞いていますが、航大も新都へ移住を?」

「彼が二度目に捕まったとき、保護観察処分を受けて保護司がついたんです。ですが、処分期間が明けないうちに無断で転居してしまって。そのときに住民票を確認したので間違いありません。居住地が佐幌から新都に変わっていた」

「転居後の足取りはご存じですか」

「住民票に記載があった住所を保護司と一緒に訪ねましたよ。都内の独り暮らし用アパートでしたが、既にもぬけの殻でした。不動産業者に問い合わせたら、入居して半年も経たないうちに出ていってしまったと。警察の追跡を警戒していたのか、鼻の効く奴ですよ。以降の所在は一切不明です」

「佐野兄弟の前科と前歴を照会したところ、兄の航大には暴力事件による二度の逮捕歴が、弟の渉には深夜徘徊による三度の補導歴が記録されていました。先ほど、航大は二度目の逮捕で保護観察処分になったと話されていましたね」

「ええ。初犯では当時在籍していた高校の同級生をタコ殴りにしたのですが、観護措置はとられず釈放されています。ところが二度目はそう甘くなかった」

 航大が二度目に逮捕されたのは、高校を退学した後。深夜にコンビニで不良グループと屯していたところを店の副店長に注意され、口論の末に暴力を振るった。相手は全治六ヶ月の重症を負い、後に店を辞めている。航大を含む五人の少年がその場で現行犯逮捕され、うち三人が家庭裁判所で少年審判を受けていた。もちろん、航大もその一人だ。

「佐野は傷害罪の前科があるにもかかわらず、少年院送致を免れていますね。この判断基準は何だったのでしょう」

「まあ、悪く言ってしまえば彼の演技力の賜物ですね」

「反省しているフリをしていたと?」

「当時彼についていた弁護士や家庭裁判所の調査官によれば、自分の非行をしおらしく反省している様子だったと……『自分はとんでもないことをしてしまった』『自らの行いをきちんと償いたい』などと告白していたようです。航大は母子家庭で母親は家を不在にしがち、それに弟の存在もありましたからね。そうした家庭環境も慮られ、送致が見送られたのでしょう」

「しかし、処分期間中に保護司の目を掻い潜って佐幌から飛び出した」

「その保護司がまた絵に描いたような善人でしてね。弟も含め、佐野兄弟の面倒をよく見てくれていたんです。本当の父親のように」

 子どもの非行は両親の愛情欠如が原因——とまとめてしまえば話は早いが、すべての犯罪をそう簡単に一括りはできない。田端は慎重に言葉を選びながら、

「実は昨日、佐野兄弟の母親と会ってきたんです。二人の居場所もその生死さえも知らないと言い張っていました。腹を痛めて産んだ子どもに対して関心が薄いように感じましたが、その一方で彼女が息子たちに一種の恐怖心を抱いている印象もあったのです」

「恐怖心?」

「『暴力団は、自分の強さを誇示しようとする。一人ひとりを見れば非力だが、集団化すると組織力を振りかざす。そんなものは本当の強さじゃない』と……反社会組織に関わる息子たちへの本音にも聞こえます。彼女もまた、裏社会の闇に呑み込まれてしまった彼らにどう救いの手を差し伸べれば良いのか、戸惑っていたのかもしれません」

「鋭い観察ですね。保護司も彼女から似たようなことを打ち明けられたと言っていましたよ。実の息子たちにどう接するべきなのか解らない、と」

「彼女もまた、完璧な親であるべきだという固定観念に囚われていたのかもしれませんね。その呪縛に苦しみ、現実から逃れようと外に救いを求めた」

 ふと口を噤み、唇を指先でなぞる。急に黙り込んだ田端を気遣うように、永井は「どうかしましたか」と顔に似合わぬ柔らかい声で問いかけた。

「そういえば、昨日彼女のマンションを訪ねたとき……そうだ、ありましたよ。玄関脇のシューズボックスの上に、小さなマリア像の置物が」

「彼女がキリスト教信者だとは聞いていませんが、息子たちの出来事を通して入信してもおかしくはありませんよ。ここらの地域には教会も多い——っと、ちょっと失礼」

 スーツの内ポケットから携帯電話を取り出しながら、永井は席を立った。最初の二言までは落ち着いた声で相槌を打っていたが、その横顔が次第に険しさを増す。通話を終え、携帯を握りしめたまま佇立する彼に田端は「どうかしましたか」と呼びかけた。

「偶然ってのは、どこに転がっているか予想できないものですね」

「と、いいますと」

「今、函立の所轄にいる同期から連絡がありました。東川原町の集合住宅で女の他殺体が見つかったと」

「まさか、それって」

 田端の言葉を遮り、永井は顔を歪めた。

「佐野みづほですよ」


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