第24話 あるキャバ嬢の話
佐野みづほを自宅まで送り届けた田端は、車を北へ走らせる。程なくして辿り着いたのは、道内有数の観光名所である〈五稜閣〉からほど近い焼肉店。もちろん、一人焼肉に訪れたのではない。店主の男は、かつてみづほが勤めていたキャバクラの元オーナーだ。
「エリナちゃんかあ。懐かしいね、もう二十年前になるのか。彼女、元気にしてる?」
無精髭を生やした焼肉屋の店主に、田端は「それなりに」と曖昧に返す。店はランチを終えた十五時に一度閉店し、十八時から夜の部が再開する。今は開店準備中で、店内はオーナーと田端の二人だけだ。
「エリナとは、佐野みづほさんの源氏名ですか」
「ああ、そうだよ。彼女、店では結構な人気者でさ。ま、場末のショボい店舗だったけど地元客が多くて悪くない雰囲気だった。自分で言うのもなんだけど」
「客とのトラブル等もなかった?」
「全くないわけじゃないけど、少なくとも警察の世話になったことは一度もないよ」
「キャストと客が男女関係になるようなケースはありましたか」
「あったかもしれないね。その辺りも敢えて詮索はしなかった。たとえプライベートで何があってもキャスト自身の責任だから」
「佐野みづほ……エリナさんが二人のお子さんを育てるシングルマザーであったことはご存知でしたか」
「そりゃあ、ね。採用面接で一応確認はしたよ。シフト組むのにも影響あるし」
「お子さんたちと直接の面識はありますか」
「エリナちゃんの? ないよ、そんなきっかけも理由もないし。ちょっとした雑談の中でどんな子たちか聞いたくらいかな。たしか男の兄弟で、二人とも海に関する名前だったっけ」
「どういった話をしましたか」
「兄貴はやんちゃ坊主で弟は物静かな子だとか、そんな程度だよ。キャストの私生活に深入りしないのがモットーだったからね」
「育ち盛りの息子さん二人を抱えて夜職をこなすのは大変だったのでは」
「だと思うよ。本人からそういう弱音はほとんど聞かなかったけど。見かけによらず根性はあったな。ほら、彼女って見た目は小柄で華奢な感じだから。ま、庇護欲をそそるって意味で客からはよく目をかけられていた」
「客から援助してもらっていた?」
「援助ってほど大袈裟なものじゃない。ほかのキャストよりちょっと多めにバックをもらうくらいだよ。だからってキャストから恨まれるわけでもなかった。彼女が苦労人なのは店の子たちも知ってたし、そもそもエリナちゃんは店の中でも最年長だったからね」
店を辞めた時点で、みづほは三十三歳の誕生日を迎えていた。十代から二十代が多くを占めるキャバクラ業界の中ではいわゆる「おばさん」扱いされてもおかしくないが、みづほは実年齢よりかなり若く見られていたために違和感なく店に溶け込めていたのだとか。
「そもそもうちの店は地域密着が売りでね。派手さとは程遠い、フランクで気軽に立ち寄れる店ってのがコンセプトだった。キャスト間の空気も良い意味でほのぼのとしていたよ。だからこそ、エリナちゃんくらいの年齢でもやっていけたのかもしれない」
商売道具を手際良く準備しながら、店主は快活に笑う。出入り口の扉に嵌め込まれたすりガラスから西日が差し、煤で黒ずんだ店の床を照らし出した。
「店舗の閉業は、経営不振によるものだと伺いました」
「そうだよ。うちは零細店舗だったからね。客も年配層が多かったし、あの時代から若者の地元離れも進んでいたし」
「閉業に際して、エリナさんに佐幌市内の店を紹介したとか」
「そうそう。知り合いが佐幌に新しい店を出してさ、信頼できる奴だから彼女を紹介したんだよ。エリナちゃん、店が閉まるって知ってからかなり落ち込んでいて、俺もちょっと罪悪感があってね。向こうもキャストを探しているみたいだったから丁度いいタイミングだった」
「エリナさんが佐幌の店で働き始めてからの様子は聞いていましたか」
「いや、別に。エリナちゃんとは引っ越して以降連絡は取ってないし、佐幌のオーナーからも特に話はないけど」
業務用冷蔵庫に伸ばしかけた手を止め、店主は田端を振り返る。
「エリナちゃんに何かあったの? 刑事さん、しかも他県の警察からわざわざ訪ねてくるなんておかしいとは思っていたけど」
「いえ、彼女自身は今回の捜査対象ではありません。事件の一関係者として聞き込みに回っているだけで」
「ふうん……ま、彼女も色々と大変だったみたいだからさ。ちょっとは報われているといいけど」
帰り際、田端は「ここだけの話ですが」とさりげない口調で訊ねる。
「エリナさんに対して、キャスト以上の感情を抱いたことはありましたか」
髭面の店主は斜陽に目を細めながら田端を見返すと、
「野暮な質問だね」
小さく笑ってから、別れの挨拶をするように片手を振った。
函立市内の焼肉店を辞した田端は、レンタカーを急いで返却してから十七時台発の〈特急北翔〉に飛び乗った。予約していた佐幌市内のホテルにチェックイン間際で滑り込むと、寝支度もそこそこにベッドへ倒れ込む。「ホテルに着いたら連絡してね」という妻との約束を思い出し慌てて起き上がったのは、日付を超える数分前だった。
北淮道滞在二日目。ホテルで朝食を済ませてゆっくり身支度を整えると、最初に業務用スマートフォンからある人物に電話をかける。佐野みづほが佐幌で勤めていたキャバクラ店のオーナーだ。焼肉店の店主から電話番号を入手していたのである。
「今も風俗店勤務なら、まだ布団の中か」
呟きながら腕時計に目を落としていると、五コール目で「はい」と低い声が応答した。田端がK県警察本部の者だと名乗ると、明らかに警戒するような口調で「何ですか、他県の刑事さんが」と訊き返す。
「突然のお電話を失礼します。以前、貴方が経営する店に勤めていた女性について伺いたいのですが」
佐野みづほの名前を出すと、相手は電話越しに「ああ」とため息をこぼす。
『エリナのことか。彼女ならとっくの昔に辞めてるよ』
「貴方は、今も同じ店にお勤めですか」
『そうだよ。市内の〈アフロディア〉って店。悪いけど、店に乗り込んでくるのは勘弁してほしいな』
不快げな声を上げる男に、田端は「今、少しお時間をいただけますか」と控えめに提案する。電話越しの聴取ならと了承を得てから、ベッド脇のサイドテーブル上で仕事用の手帳を開いた。
「佐野さん……エリナさんがアフロディアで働き始めたのは、二十年前と伺っていますが」
『あれは夏頃だったかな。ちょっとだけ体入して、そのままキャストに採用したよ。篠崎から話は聞いてたし』
「函立の店の元オーナーですね。彼とはどういったご関係ですか」
『学生時代からの同級生だよ。腐れ縁ってやつかな。若い頃は一緒に店を持つなんてクサい夢を語り合った仲だ』
「篠崎さんからは、彼女についてどういう話を聞いていましたか」
『エリナのこと? 別に大した話じゃねえよ。自分の店が廃業するってんで、世話してほしいキャストがいるって。それだけだ。こっちも新規開店に向けて人員集めてたし渡りに船だった。どのみち面接はするつもりだったし、その段階じゃ詳しいところまでは詮索しなかったさ』
アフロディアはいわゆる「熟女系キャバクラ」で、通常のキャバクラと違いキャストの年齢層が高めに設定されている。だからこそ篠崎も佐野みづほを気軽に紹介できたのだろう、と男は述した。
『ガキ二人がいるシングルマザーって話は小耳に挟んでいたし、篠崎の店でもそれなりに稼いでいたみたいだから特に心配はしていなかった。まあ少しばかり男関係にルーズだとは伝えられちゃいたが、火遊びくらいなら目を瞑るつもりだったよ。それくらいならトラブルにも入らねえ』
「つもりだった、ということは実際のところ問題が発生していたのですか」
電話越しに「はっ」という荒い鼻息。
『問題なんて起きてねえよ。そうなる前に向こうから辞めちまったんだから』
「辞めた? 彼女自らですか」
『そうさ。エリナがうちで働いていたのは十年……いや九年だったか。まあこの手の業界じゃベテランの域だよ。四十を越えたら夜職は体力的にも精神的にも堪えるからな』
「店を辞める理由は本人から聞かされましたか」
『んなもん聞いちゃいねえよ。ま、あいつのことだからパトロンでも見つけて引退したんじゃねえのか』
「あいつのことだから、というのは」
『男を絆す術にかけちゃピカイチだったからよ。金を持て余す太客でも捕まえたんじゃねえのかって思っただけだ』
「該当するような客がいたのですか」
『だから、あくまでも俺の想像だって。十年も前だぞ、客のことまで憶えてねえよ』
数秒ほど考え込んでから、田端は再び口を開く。
「質問を変えます。エリナさんのお子さんについてご存知のことはありますか」
『面接で聞いた以上は知らねえな。たしか男二人の兄弟で、兄貴はアフロディアで働き始めた年に中学校へ進学したとか』
佐野兄弟が高校を中退した時期、佐野みづほはまだアフロディアに勤めていたはずだ。だがオーナーは佐野家の事情について「知らない」の一点張りを貫き、有益な情報を引き出せないまま電話による聞き込みは終了した。
手帳を閉じ、サイドテーブルのデジタル時計に目を向ける。かれこれ一時間ほど通話していたらしく、時刻は十一時を回っていた。




