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第23話 北へ


『——大変長らくお待たせいたしました。この飛行機は、ただいま函立空港に着陸いたしました。現在の時刻は午前十時三十五分、気温は摂氏二十六度でございます。安全のため、ベルト着用のサインが消えるまでお座りのままお待ちください。上の棚をお開けになる際は、手荷物が滑り出るおそれがありますので十分お気をつけください……』

 CAの滑らかなアナウンスに、田端光留警部補は閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。窓の外に目を向けると、滑走路の地平線に青空と薄い雲が広がっている。これが真冬なら、見渡す限り一面が銀世界なのだろう。

 荷物を持った客が、搭乗口から乗客用通路に吐き出されていく。小型の旅行用バッグを担いだサラリーマン風の男性、コンパクトなショルダーバックを肩から掛けるワンピース姿の女性、リュックサックを背負った外国人——様々な目的を胸に秘めた者たちが、北の大地に足をつける。

 だが、この中で殺人事件の真相解明のために北淮道くんだりまでやって来た客は一体何人いるだろうか。

「俺くらいだろうなあ」

 人の列に紛れながら、眼鏡の警部補は小さくぼやいた。



 事件関係者の間に思いがけない共通点(ミッシングリンク)を発見したのは、落合巡査部長だった。

 二十六年前、野嶋組で闇金の回収業に奔走していた徳光仁は、出張のため訪れた佐幌市内で当時中学生だった時任忍と出会っていた。徳光は闇金の回収相手と道端で口論になり、殴り合いに発展しかけたところを通りがかった時任が仲裁に入ったのだ。徳光が傷害罪によりその場で現行犯逮捕された記録は、警察のデータベースにも残っている。時任が極道の世界に足を踏み入れたきっかけが、この徳光仁との出会いにあるのではないか——そんな推測が公安一課の中で飛び交った。

 さらに、殺害された佐野渉の身辺調査を進めると、彼が新都で暮らし始めるまでのおよその経緯が判明した。

「佐野が新都へ移住したは二〇二一年。それ以前は兄と両親の四人で函立に住んでいたが、両親は兄弟が幼い頃に離婚していて二人は母親に引き取られた。ところがその母親は息子たちに無関心で、男遊びに明け暮れるばかり。いわゆるネグレクト状態だ。兄弟はそろって家に寄り付かなくなり、やがて悪い連中と連むようになった」

 四歳上の兄である航大は、高校時代に学校で喧嘩騒ぎを起こして退学。その後、地元の暴力団に所属して実家との縁を完全に絶った。渉も少年時代に数回の補導歴があり、自暴自棄になっていた様が伺える。

 そんな彼の転機が、十七歳になった二〇二〇年。突如として在籍していた高校を自主退学し、翌年には新都で野嶋組と盃を交わした。

「俺の勘では、佐野は北淮道で時任と出会ってるな。徳光と時任の場合と同じだ。時任との関わりを機に、佐野は苦い思い出が残る故郷を捨てて都会を目指した」

「函立に住んでいる佐野の実母は?」

「二年前に再婚して新しい男と住んでいるみたいだぜ。まあ、それも風の噂で聞いた話だから実際に確かめないと何とも言えねえな」

 当初、北淮道への出張捜査は落合に一任されるはずだった。しかし彼には、市議会議員の護衛という重大任務が課せられている。なんでも、護衛相手の女性議員が落合を気に入っているらしく「あんた、護衛プロジェクトの責任者なんでしょ。途中で役目を放棄するつもりなの」と彼を責め立てたらしい。そこで、彼の代打として田端が指名されたのだ。

 佐野殺しの後、公安二課がAPARの捜査に本腰を上げて乗り出したため、一課は半ば強制的にその捜査から外された。二課に横から仕事を掠められる形となり捜査員たちからは不満の声が噴出したが、流石の東海林警部も上層部の決定を覆すには至らなかった。しかし、だからといって「はい判りました」と大人しく引き下がったわけではない。

「たしかに、一課はAPARの捜査から一旦手を引かざるを得ない。だが、佐野渉は市議会議員連続失踪事件の重要参考人でもあった。佐野が議員失踪事件の最重要容疑者である以上、我々には彼の近辺を調べる権利がある。失踪事件はまだ俺たちの管轄内だからな」

 田端が歯がゆい思いでAPARの作業から退いたことを、ボスは言葉に出さずとも理解していた。彼に佐野の調査を任せたのは、「APARとの繋がりも含めて、北の地で存分に調べ尽くしてこい」という暗黙の指示でもあったのだ。その思いは部下たちの間でも一致しており、ある捜査員は出張直前の田端に力強く告げた。

「こうなれば、佐野が議員失踪に関与している証拠を絶対に掴みましょう。それに、佐野がAPARの一員である確証もついでに得られたら捜査に返り咲けるかもしれませんし」

「万が一にもそんな展開になれば、へそ踊りでも何でもやりますよ」

 警部補の冗談を間に受けたのか、次の日には「事件が解決したら田端係長のへそ踊りが見られるらしい」とあらぬ噂が公安一課の間で拡まっていた。



 空港を出た田端は、付近のレンタカー店で車を一台拝借するとその日最初の目的地へと向かった。空港から二十分ほどの距離にある集合住宅〈リバあけぼの〉。その七階に、佐野兄弟の実の母である佐野みづほが暮らしていた。落合巡査部長によれば、再婚相手の男と同棲しているとの話だ。

 みづほが市内のスナック店で働いていて勤務が夜間であることは、事前調査で把握している。今の時間帯ならまだ自宅で夢の中か、運が良ければ起床しているかもしれない。

 その読みは的中した。玄関扉から上半身を覗かせた女は、事前に入手した写真の人物——佐野みづほに相違ない。ノースリーブのワンピースから華奢な腕が伸び、小さい肩幅を隠すように長い茶髪が上半身を覆っている。きめ細かな肌やあどけない顔立ちといい、齢五十を過ぎた母親とは信じがたい容貌だ。

「どなたですか」

 連絡もなく訪問した無礼な客人に、怪訝な視線が向けられる。鼻につく独特の匂いは、男ものの香水だろうか。田端は相手に悟られないように前髪の下で眉を寄せながら、懐から警察手帳を取り出す。

「突然の来訪を失礼します。K県警察本部より参りました田端です。佐野みづほさん本人で間違いないですね」

「K県警察……ああ、渉の話ね。それなら地元の刑事さんに散々訊かれたわよ」

 シューズボックスに寄りかかり、気怠そうに答える。息子の死など微塵も関心がないかのようだ。みづほの腰あたりに置かれた陶器製のマリア像を一瞥しながら、

「佐野渉さんの事件に関しては、様々な捜査関係者が真相を追っているところです。お手を煩わせますが、どうかご協力をお願いします」

「協力っていっても、大した話もできないわよ。渉とはずっと音信不通だったし、どこで何をしていたかも知らなかったし」

「承知の上です。可能な限りで構いませんので、こちらの質問にお答えいただけると助かるのですが」

「ああ、はいはい。わかりましたよ……あんた、ちょっとあんた!」

 部屋の奥に向かって声を張り上げる。数秒ほど経ってから「なんだよ」と野太い声が返ってきた。

「ちょっと出てくるから昼は勝手に済ませておいて。仕事までには帰るから……」

 女の背中が視界から消える。玄関先で十分ほど待たされた後、身支度を終えたみづほがハンドバック片手に再び姿を見せた。

「この辺ね、なあんにも店がないのよ。ハンバーガーでいいかしら」

 彼女の案内に任せて入店したのは、函立駅とマンションの中間地点にあるハンバーガーショップ。ランチタイムのピークが過ぎたためか、客の姿はまばらで内聞の話をするにはもってこいだ。

「あなたも大変ね。捜査のためとはいえK県からわざわざ北淮道まで足を伸ばすなんて。渉の過去を調べてるってことは、もしかして佐幌にも行くの? 交通費だけでも馬鹿にならないわね」

 注文待ちの番号札を机上に置きながら、みづほは事もなげに呟く。実の息子が殺人事件に巻き込まれたというのに、他人事みたいな口振りだ。

「先ほど、渉さんとはずっと音信不通だったと仰っていましたね。具体的にはどれくらいの期間、連絡を取っていなかったのですか」

「あら、雑談もさせてくれないのね。クールな刑事さん……どのくらい連絡していないかなんて、忘れるほど長い期間よ。親に無断で家を出て、それからはずっと声も聞いていないわ」

「渉さんが高校を退学したのが二〇二〇年ですから、十二年前になりますね」

「そう、そんなものなのね。もっと長い時間に感じたわ」

「あなたに無断で家を出たと仰っていましたが、渉さんからは何の話もなかったのですか」

「そうよ。ついでに言っておくと、高校を自主退学したのだってあの子が勝手に決めたの。たしか二年生の冬頃だったかしら……そう、そうよ。進路相談の時期だっから間違いないわ。白紙の進路相談用紙をリビングのテーブルに叩きつけて、『俺、高校を辞めるから』って。その一週間後には学校指定の制服も鞄も全部捨てちゃって、そこから数日後に突然家を出てった。あの子と最後にやり取りをしたのは、新都へ行く直前よ。電話でたった一言、『俺、もう北淮道には戻らないから』って。兄弟そろって親不孝よ、そう思わない?」

 みづほの素行について事前に情報を入手している田端は、肯定も否定もせず質問を続ける。

「渉さんには、航大さんという四歳上の兄がいますね。彼も新都に?」

「知らない。行き先どころか、今生きているのか死んでいるのかすらも。私が知っている航大は、渉と同じように高校を中退して地元の暴力団グループに入ったところまで。何度か警察沙汰を起こして話を訊かれたけど、それもいつの間にかなくなったわ。渉が新都へ行くって言ったときは、てっきり航大の伝があるのかと思っていたけど」

「渉さんから、そういう話があったのですか」

「だから、何にもないってば。あの子たちのことは何にも知らないの。母親だからって、子どもの何もかもを把握しているわけじゃないのよ」

 声が熱を帯び、心なしか頬にも赤みが差している。今にも口論になりそうな勢いだったが、スタッフが絶妙のタイミングで商品を運んできたためクールダウンの時間が生まれた。みづほは黙ったままハンバーガーとフライドポテトを物凄いスピードで平らげると、アイスコーヒーが入ったカップを大事そうに手元へ引き寄せる。

「——刑事さん、結婚しているんでしょう。お子さんは?」

 警部補の左手にチラチラと視線を送りながら、か細い声で問う。

「小学生の娘が一人」

「だったら、わかるでしょう? 子どものすべてを知ろうとするなんて親のエゴよ……そりゃあ、自分が真っ当な母親だったかと訊かれたら胸を張って『はいそうです』なんて言えないけど。でも、みんながみんな完璧な親になれるわけじゃない。そうでしょ」

 縋るような眼差しを向けられ、眼鏡の警部補は困惑気味に答える。

「私は、あなたが完璧な母親かどうか診断に来たわけではありません。息子さんたちについて、何か情報をお持ちであれば教えていただきたいだけです。例えば、姿を消す以前の渉さんの交友関係や金銭事情、トラブルの有無などです」

「あなたは、娘さんの交友関係や学校でのトラブルを全部知っているの? 誰と仲良くて誰と仲が悪いか、好きな子はいるのか、いじめられていないか……何もかもを把握しているの?」

「話を逸らさないでいただきたい。これは殺人事件の捜査なんですよ。あなたが非協力的な態度を取り続けるようであれば、こちらとしても多少強引な手段に出ざるを得なくなる。私にその選択をさせないでください」

「何それ脅し? へえ、優男の割に怖いことを言うのね」

 ズズズ、と音を立てながらアイスコーヒーを啜る。ストローの先端にべったりと付着した口紅を細い指先で拭い取った。

「刑事さんには悪いけど、私慣れてるのよ。そういう脅し文句。男って自分がちょっと不利な立場になるとすぐに威嚇するのよね。相手が女だと尚更」

 色が抜けかけた髪をさっと掻き上げ、田端を軽く睨みつける。

「自分を強く見せようとする奴ほどね、逆に弱く見えるものよ……そういう意味じゃ、航大も渉も同じなのかしらね」

「どういう意味ですか」

「暴力団なんて、自分の強さを誇示しようとする連中の集まりじゃない。一人ひとりは大した力もないくせに、集団化した途端に組織の力をこれでもかと振りかざす。そんなの、本当の強さじゃないわ」

「では、あなたにとって本当の強さとは何ですか」

「さあね。それがわかっていれば、もっとまともな人生を送ってるわよ」

 肩にまとわりついた髪を邪険そうに払う。ちらと覗いた二の腕の内側に残った青痣を、田端の目は見逃さなかった。


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