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第20話 舟中敵国


「納得いかねえな」

 廊下の突き当たりに設けられた休憩所で、落合巡査部長はわざとらしくため息を吐いた。長椅子に座り缶コーヒーを呷っていた田端警部補は、「何のことですか」と長身の男に目を転じる。

「侵入者だよ。お前が佐野のアパートを訪れる前、既に何者かが部屋を物色した痕跡があるって話していただろ」

「それなら、佐野殺しの犯人あるいは内海さんを襲撃した人物ではないかと結論が出たじゃないですか」

「お前は本当にそう思っているのか」

「どういう意味ですか」

 自販機のボタンを親指で乱暴に押す落合。ガコンという無機質な音とともに、エナジードリンクが取り出し口に転がり出た。

「佐野の部屋は、玄関の枯れ草が落ちていた点とノートパソコンのロックが掛かっていなかった点以外に不審なところはなかったんだろ」

「そうですね。所々乱雑な箇所はありつつも、典型的な男の一人暮らしといった感じの部屋でした。物取りが荒らした形跡もなかったですし」

「そうなると、侵入者の狙いはやはりパソコンのデータであった可能性が高いわけだ」

「本来はパソコンにロックが掛かっていたところを、侵入者が解除してデータを窃取あるいは改竄したのではないか……という話は先ほどしましたね。佐野がパスワードを安易に他者へ漏らすとは考えにくいですから、推理としては妥当です」

「そして、その侵入者はAPARの一員かもしれないってところまでがさっきの話だった。けどな、冷静に振り返るとその仮説にどうも納得できねえんだよ」

「と、言いますと」

「これまでの佐野の動向から推理するに、奴がAPARの中でも取り立てて重要な地位に就いていたとは考えにくい。SNSで市議会議員(ターゲット)に脅しをかけたり、警察署の前で騒ぎを起こしたり。役目としては下っ端レベルだろう」

「まあ、佐野がAPARの幹部メンバーである可能性は低いでしょうね」

「だろ? とするならば、侵入者が佐野のパソコンから盗みたかったデータってのは何なんだろうな」

 落合の言わんとするところを察したのだろう、眼鏡の警部補は空になったコーヒーの缶を横に置き「要するに」と先を引き継いだ。

「わざわざ部屋に侵入しハッキングまでするほどの貴重なデータが、組織の下っ端構成員である佐野のパソコンに入っていたとは考えにくい」

「その通り。となると、侵入者の正体が自ずと絞られてくると思わないか。枯れ草の防犯装置を微塵も警戒せず、対象のパソコンから鮮やかにデータを盗み出し、そしてハムが仕掛けていた監視カメラの存在をあっさりと見破った。これらの条件を満たせる連中なんてそうそう多くいるものじゃない」

 一呼吸の間を空け、落合はゆっくりと言葉を紡いだ。

「最大の敵は身内にあり……侵入者は()()かもしれない。つまり、俺らと同業者ってわけだ」



「内海さんを襲ったのも、ハムの誰かだと?」

 表情こそ冷静だが、警部補の声には微かに驚きと疑念の色が混じっていた。

「正確には、佐野の部屋に侵入した人物Aと内海を襲撃した人物Bは別人で、どちらもハムの人間なんじゃないかと俺は考えている。

 俺が組み立てた仮説はこうだ。おそらく、佐野がアパートを出てその後を内海が尾行するところまではAとBがペアで監視していた。そこから二手に分かれ、Bが佐野と内海を追いAはアパート付近で張り込みを続行。佐野たちがアパートからある程度まで離れたところで、BがAに連絡してAは佐野の部屋に侵入した。連中が田端より先回りしてデータを盗み出せたのも、襲撃者Bが佐野のアパート付近で待機していたAに合図を送ったからだと考えれば辻褄が合う。

 一方でBは、同じハムの捜査員がヘマをして佐野を取り逃さないか見張っていた。Bが内海を襲った理由はよく解らねえが、Bにとって何か不都合な行動を内海が起こしたのかもな。Bが止めを刺さないまま逃走したのは、そもそも内海を殺す気なんて最初(はな)からなかったからだ」

「なるほど。襲撃者がAPARの連中でないとすれば、ピンバッジやパンフレットなどのAPARに関する物証が残されていた点も腑に落ちます。襲撃者には、そんなものを隠滅する理由は何もなかったわけですから」

「そういうことだ。もしかすると、内海が行確を開始するより前に佐野の部屋に盗聴器や監視カメラの類を仕掛けていた可能性もあるな。それらを回収する目的も兼ねていたのかもしれない」

 パーマ頭の推理を一通り聞き終えた田端は、声にならない声で唸る。

「舟中敵国……もとい、敵を欺くには味方から。いかにもハムらしい戦法ですね」

「まさにその通りだな。俺らだって互いをどこまで信じていいものか図りかねているわけだし」

 長椅子に座ったままの警部補が、片方の眉だけを器用に持ち上げてパーマ男を見遣る。

「何を仰りたいのですか」

「言葉のままだよ。どんなに苦楽を共にした者同士だからといって、互いの手の中をすべて曝け出すほど俺らの世界は生ぬるくない。お前だって解っているだろ」

 無言の睨み合いが十秒ほど続く。先に目線を外したのは田端のほうだった。

「私は、仲間内で騙し合いをするつもりはありませんよ」

 ぽつりと漏れた声は悲しげだった。田端は緩慢な動きで立ち上がると、コーヒーの空き缶をゴミ箱に押し込む。その動きを射るような目つきで見ていた落合は、

「別にお前を指して言っているわけじゃない。どうにもな、俺らは担がれている気がしてならねえんだ」

「担がれている?」

「上手く利用されているというか……もし、俺の仮説通りに侵入者や襲撃者の正体がハムの連中だとすれば、おそらく二課の人間だろう。佐野がAPARのメンバーである可能性は奴らもとっくに気付いているだろうし、俺たちよりも早い段階で動き始めていたかもしれない。だが、そこに思わぬ厄介事が入りそうになった」

「市議会議員の警護、ですか」

「ご明察。その役目を押し付けられたのが俺たち一課ってわけだ。ま、ボスはそのあたりまで見抜いていて内海とお前に別任務を宛てがったのかもしれねえが」

「ですが、結果としては市議会議員の失踪にもAPARが関与している可能性が出てきましたし、立浜ネクストワールドとの繋がりも失踪事案を扱っていたからこそ判ったことです」

「そりゃあそうだけど」

「それに、私は一課に厄介事が押し付けられたとは考えていませんよ。案外、宝はこっちのヤマに眠っているのかもしれない」

 訝しげな顔をする落合に、田端は小さく笑いかける。

「本来であれば、不確かな情報を仲間内に晒すのは得策ではないのでしょうが……私は、東海林班の皆さんを信頼しています。これがその証です」

 スーツの胸ポケットから取り出したのは一枚の風景写真だった。落合は手渡されたそれをしげしげと眺めながら、

「明らかに日本の景色じゃねえな」

「察しの通り、それはトルコ有数の都市であるイスタンブールを写したものです。佐野の部屋にあった写真立ての中に入っていました。尤も、表面に出ていたのは家族写真でしたからパッと見はわからないようになっていましたが」

「家族写真の裏に、か」

「ええ。幼い頃の佐野と家族で撮ったらしい写真がフレームに収まっていました。佐野には両親と四つ歳の離れた兄がいましたが、その兄も弟と同じくかつては暴力団に所属していたようです」

「両親と兄が“いた”ってのが引っかかるが」

「佐野の両親は既に離婚していて、兄弟は母親に引き取られています。佐野は函立の出身で、母親は今も市内で暮らしているようです。兄は名前を航大といいますが、現在は行方知れずで所在が掴めない状態です」

「なるほどね……で、問題はこの写真だ。佐野は海外旅行が趣味だったのか」

 写真をひらひらと動かす落合。眼鏡の警部補は首を横に振りながら、

「佐野の部屋にあった遺留品の中で、海外に関連するものはほかに見当たりませんでした。ノートパソコンに残されていたデータもざっと見てみましたが、海外の写真はなかったと記憶しています。ちなみに、佐野はパスポートを取得しておらず国外渡航歴もありません」

「じゃあ、この写真はネットからプリントアウトしたものか」

「それはよく判りませんが、意味もなく海外の写真を写真立ての中に隠さないでしょう。取り急ぎ、佐野とトルコの関連性を洗い出す必要がありそうですね」

「事件の鍵を手に入れるため、トルコまでひとっ飛びってか」

「場合によってはやむを得ないでしょう。もし落合さんの推理が正しければ、既に我々は二課に先を越されているわけですからね。これ以上後手に回るのは御免被りたい」

「珍しく負けん気が強いじゃねえか」

「そうでないと公安ハムなんてやっていられませんよ」

 写真を受け取りながら、田端はにやりと笑った。


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