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第17話 第二の被害者


 立浜市西港区にある〈けいあい病院〉は、一般財団法人K県警愛会が運営する医療機関だ。三十を超える科目と四百の病床を備える大規模病院で、警察関係者に限らず一般向けにも開放されている。時也はけいあい病院での治療経験はなく、足を踏み入れたのも初めてだ。

 受付で東海林警部が警察手帳を掲げると、いち早く状況を理解した中年の女性看護師が「こちらです」と二人を誘導する。廊下を闊歩しながら、時也はボスに内海巡査部長の容態を尋ねた。

「幸い、命に別状はないと医者から聞いている。既に意識が戻っていて話もできる状態ではあるようだ」

「一体何があったんです」

「内海によれば、今夜——もう昨日になるのか、二十三時頃に佐野が自宅アパートを出たため尾行していたところ、突然背後から何者かに首を絞められ襲われたらしい。佐野を尾行中、内海は業務用携帯を通話モードにして繋げたままだった。電話の相手は佐野の行確を担当する別の捜査員。電話口の音で異常事態を察して俺に連絡を寄越したんだ」

「佐野が動いたんですか」

 語尾を上げた時也だが、続く警部の声は対照的に暗く沈んでいた。

「動いたには動いた……尤も、俺たちが彼を聴取することは永遠にできなくなったが」

 ボスの一言は、公安一課にとって最悪の事態を意味していた。それでも、今の時也にとっては捜査の行方よりも後輩の安否を確かめるほうが先決だ。程なくして、先導していた女性看護師が足を止めて「こちらです」と部屋の扉を手で示した。

「意識は戻っていますし話もできる状態ではありますが、襲われたショックがまだ残っていると思われます。気丈に見えるかもしれませんが、あまり無理をさせないでくださいね」

 念を押す看護師に「肝に銘じます」と一礼し、東海林警部は扉を三回ノックする。部屋の中から「はい」とくぐもった声が返ってきた。スライド式のドアを音もなく開くと、病院着姿の内海がベッドの上で頭をもたげた。何か言いかけた彼女を、東海林は掌で制する。

「本当はゆっくり休ませて明日以降にでも話を聞きたかったが、事態は急を要する。悪いが、少しだけ時間をくれないか」

 視線だけを東海林警部に注ぎ、内海は小さく頷いた。顔や腕にはガーゼが複数枚貼られ、首にはうっすらとだが指の跡が生々しく残っている。よほど強い力で締め上げられたのだろう。東海林班の紅一点は横たわった姿勢のまま二人を見上げると、

「ご心配をおかけしました……こんな事態になってしまって、情けないばかりです」

 形の良い唇が歪み、眉間にはくっきりと皺が刻まれる。痛みを堪えている——というより、己の不甲斐なさを心底悔やんでいる表情か。ボスは手近にあったパイプ椅子をベッドの傍まで引き寄せると、

「時間も限られているから、簡潔に済ませよう。俺の質問に一つずつ答えてほしい。記憶が曖昧な部分は無理に思い出す必要はない。体調に少しでも異変を感じたらすぐに言ってくれ」

 言葉尻は淡々としているが、穏やかな声色からは仲間への優しさと配慮が滲み出ている。時也は病室の壁に凭れかかり、聞き役に徹する姿勢をとった。

「内海は昨夜から今朝まで、佐野の行確を担当していたんだよな」

「はい。昨晩の二十時から今朝の八時まで、佐野を監視する予定でした」

「佐野がアパートを出た時刻は憶えているか」

「二十三時を五分ほど回った頃です」

「佐野はずっと一人で動いていたのか」

「はい……アパートを抜け出した佐野は、途中でどこかへ電話をかけていました。会話時間はほんの一、二分程度だったと思います。電話を切ってから最終的に向かった先は、西港区藤田町の住宅エリアにある墓地でした」

「そこで、佐野は何者かと会っていた?」

「恐らく……佐野が誰かと話しているらしい声は聞こえたのですが、相手の姿までは目視できませんでした。尾行を悟られないように一定の距離をとって様子を伺っていました」

「人と会うためにわざわざ夜の墓場へ行ったのか。問題はその相手がどこの誰なのか、だな」

「あの、東海林補佐。佐野は……佐野渉は、私が襲われた後どうなったのでしょう」

 一瞬だけ躊躇うような表情をちらつかせたものの、下手に隠しても意味がないと即断したのだろう。東海林警部はありのままの事実を告げた。

「内海が襲われた墓地の一角で、他殺体として発見された。検視官が弾き出した死亡推定時刻は日付が変わる前後一時間以内。後頭部を強打され、頭蓋骨が完全に骨折していたようだ。現場から凶器は見つかっていない」

 内海の反応は「そうですか」と存外に冷静だった。行確の対象が殺され、尚且つ自身まで命を狙われたにも関わらず大きく取り乱さないあたりが公安らしい。

「佐野は、密会相手に殺されたのでしょうか」

「まだ何とも判断できないな。内海を襲撃した人物による犯行という線も捨てきれない」

「あ……それはないはずです。話し声が聞こえた方向から足音がしたのですが、私がいる場所とは逆の方面へ遠ざかっていきました。その足音が途絶えた直後に襲われたんです。足音の主が佐野か密会相手かは不明ですが、私がいた場所と声が聞こえた場所の間は一本道でしたから、こちらに近づけば私が気付くはずです。ですので、襲撃者は二人とは別の人物かと」

「だとすれば、佐野の密会相手と内海を襲った人物は無関係ではないかもしれんな。彼らにとって不都合な瞬間を内海に目撃され、口封じのため殺そうとした」

「佐野と密会相手は仲間同士なのでしょうか」

「三人が市議会議員の失踪に何らかの形で関与しており、そこで内輪揉めが起こった。佐野の存在が邪魔になり、二人で結託して佐野殺しを企てた……そう言いたいんだな」

 内海は「はい」と頷き返すと、無言で考え込むボスから時也へと視線を移す。発言を躊躇うかのように唇が小さく動いた。上司がロダンの『考える人』よろしく前傾姿勢のまま固まっているため、時也は後輩に助け舟を出す。

「どうした内海、何か引っかかっているのか」

「いえ……すみません、私の勘違いです」

 意味ありげな目の動きが気にならないと言えば嘘になるが、今は敢えて触れない選択肢を取った。「そうか」とだけ返事をして、今度はボスに声をかける。

「これからどうしますか、東海林補佐」

『考える人』のポーズのまま沈黙していた上司は、ふと顔を上げると「ああ」と夢から覚めたような声を出す。

「そうだな。とりあえず本庁に戻って上の指示を仰ごう。新宮はこのまま帰宅してくれ。内海も、まずは休養が第一だ。明日以降、刑事部の連中がどやどやと押しかけるかもわからんが、くれぐれも無理をさせないように俺から釘を刺しておく」

「ありがとうございます」

 病室を辞し、閑散とした廊下を二人で進む。内海が襲撃されたときの状況や佐野殺しについて詳細を訊ねたかったものの、東海林警部の険しい横顔は一切の質疑を拒んでいるかのようだった。結局、病室を出てから一言も話さないまま時也は病院前でボスと別れた。



 翌日、時也は朝九時に県警本部庁舎へ足を運んだ。金澤氏の警護は夜間に割り振られているが、東海林警部から緊急招集がかかったのだ。十四階の小会議室に足を運ぶと、資料を手にした落合巡査部長がパイプ椅子を並べてだらりと横たわっていた。

「なんて姿勢ですか、落合部長。一応仕事中ですよ……あれ、田端係長は?」

「まだ来てねえよ。珍しく寝坊でもしたかな」

 即席の長椅子からのっそりと起き上がる様は、まるでナマケモノだ。時也はため息を吐くと、パーマ男から椅子を一つ奪って腰かける。

「俺らが手を拱いている間に犯人(ホシ)が調子に乗ったんじゃねえのか。佐野が殺られたうえに内海まで襲撃されるなんて」

 落合の声は明らかに不機嫌だった。その不満が誰に向けられているわけでもなく、ただ口に出さないと気が済まないのだと時也も斟酌している。

「ですが、これではっきりしましたね。徳光仁が殺害されてから佐野が殺されるまで、僅か四日しか空いていません。偶然にしてはあまりに出来過ぎている。両事件が繋がっていることは誰の目から見ても明白です。そして、市議会議員失踪も二人の死と無関係ではない」

「んなの、とっくの昔にわかっていたじゃねえか」

「それは、あくまでその可能性もあると我々が推測していたに過ぎません。ですが、今回の事件で三つの出来事には関連性があると確信が持てた。これは大きな違いです」

 時也は傍に立てかけていたホワイトボードを引っ張ると、水性ペンのキャップを外した。落合から手渡された資料に目を落としながら、ボードにペン先を滑らせていく。資料には、東海林班がこれまで収集した情報の概要がまとめられていた。

「立浜市議会は、立浜ネクストワールドの事業をトクミツ建設に発注していた。そのトクミツ建設は、野嶋組から分裂した葵組のヤメ暴たちを雇用している。そして、葵組の中で唯一トクミツ建設に雇われていないのが佐野渉。佐野は、立浜ネクストワールド建設に関わる三人の市議会議員をSNSで執拗に攻撃していた」

〈立浜市議会〉〈トクミツ建設〉〈葵組〉〈佐野渉〉のキーワードを頂点に、四角形の図がホワイトボードに描かれる。

「さらに付け加えるべき項目が三つあります。まず、佐野は動物愛護団体であるAPARに所属していた。次に、立浜ネクストワールド建設計画にはアーステクノロジーという建設コンサル会社が関わっています。そしてそこの責任者は学生時代、環境保護運動に傾倒していました」

「もしかしてその運動って」

 言いかけた落合を制するように、その顔前に片手を突き出す。

「残念ながら、彼がAPARに所属していた記録は残っていません。ですが、その手の団体を通じて佐野と繋がっていないとも限らない」

 佐野とAPAR、立浜市議会とアーステクノロジーのキーワードをそれぞれ実線で結び、APARとアーステクノロジーの間を点線で繋げた。落合は複雑化した図をしげしげと眺めながら、

「アーステクノロジーって会社は初耳だが、具体的に何を任されているんだ」

「建設計画の中でも、企画や設計、地盤調査、施工管理といった業務を請け負っています。建設前の下準備を担っているイメージですね。コンサルタントが策定した内容をもとに、建設会社が実際の工事に着手します」

「それじゃ、アーステクノロジーとトクミツ建設も結びつくわけだ」

 両者の間に新たな実線が書き加えられた。ホワイトボードの図を睨みながら、落合がぼそりと呟く。

「けどよ、ここまで関係者同士の繋がりが見えたってのに、未だに事件の核心が掴めねえんだよな。市議会議員失踪と徳光殺しが起きた段階では、立浜ネクストワールドの建設阻止が犯人の目的かと考えていたし、犯人候補の中に佐野渉が含まれていた。だがその予想図も、佐野が殺された今となっては白紙も同然だ」

 時也は「そうでもありませんよ」と言葉を返す。

「市議会議員失踪および徳光殺しが複数の人物による犯行であれば、佐野もその一員と仮定できます。組織の中で仲間割れが起き、佐野が抹殺された線も否定できません」

「内海を襲ったのは佐野の仲間かもしれねえってことか」

「市議会議員の失踪が誘拐事案であると仮定するならば、複数犯であると考えるのが自然でしょう。大の大人を三人も攫い、しかも誰一人逃げ出して警察に保護されていない状況から、誘拐の実行役や監視役などがいると思われます。佐野にも何らかの役割が宛てがわれていたのかもしれません」

「佐野が実行した悪事といえば、SNSで議員らを口汚く罵ったくらいじゃねえのか。それが議員誘拐にどう役立つんだ? 誘拐予定のターゲットをビビらせて、逆に警戒心を持たせてしまったら元も子もないだろうに」

 最も突っ込まれたくない部分をずばりと指摘される。返す言葉もなく黙り込んでいると、落合は冷静な口調のまま更なる疑問点を列挙した。

「佐野が立浜ネクストワールドの建設を中止させるために三人の議員をSNSで攻撃したのだとすれば、やはり佐野はAPARの一員である可能性が高まる。その場合、三人の失踪に加えて立浜ネクストワールド建設に関わっていた徳光社長の事件もAPARによる犯行と考えるのが自然だ。

 だが、APARは世界規模の団体ではあるが日本国内ではごく一部の界隈でしか名の知られていない弱小組織。現に、警察の捜査網にも今まで一度たりとも掛かっていなかった。そのAPARが、なぜここに来て殺人や誘拐なんて目立つ行動に出たのか——という疑問は拭えないな」

 理路整然とした主張を受け、時也は無言のまま肩を竦めるしかなかった。


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