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第13話 風変わりなお茶会


 徳光殺しから二日が過ぎた、二十七日の午前七時。この日は日曜日で金澤氏の仕事はオフ、時也は日中の警護担当だ。辻馬車通りの自宅で出勤準備をしていると、業務用携帯に電話がかかった。

『ああ、新宮さん。おはよう』

「おはようございます、金澤先生」

『朝早くにすまないね。今日は一日中家で仕事をする予定なんだが、よければうちに上がっていかないかね』

「先生のご自宅に、ですか」

 躊躇いがちな時也の声に「ああ、そうとも」と氏の返事が被る。

『この一週間、私の身の安全を守ってくれたお礼と言ってはなんだがね……まあ、仕事をするとはいっても半分は休んでいるようなものだ。何、正直に言ってしまえば話し相手が欲しいのだよ。大したもてなしはできないが、ゆっくり寛いでくれたまえ』

 急な提案に面食らいながらも、時也は冷静に考えた後「上司に確認してから折り返します」と電話を切る。すぐさま東海林警部にコールすると、まだ七時を過ぎたばかりだが二コール目で通話口に出た。

『まあ、相手方たっての要望なら断れるまい。屋内だから狙われないとも限らないし、用意周到な犯罪者ならターゲットの自宅くらい把握しているだろうからな』

「はあ……あの、これが罠である可能性はないでしょうか」

『罠? 金澤氏が敵と内通しているというのか』

 部下の奇想天外な発言に、さしものボスも素っ頓狂な声を出す。

「そこまでは断言できませんが、金澤氏が我々を信頼し過ぎている気がしたもので」

『新宮の仕事ぶりを相手方が正当に評価しているのだろう』

「そうかもしれませんが……いえ、私の妄想です。すみません、今の会話は放念してください」

 数秒の沈黙が続いた後、ボスは「わかった」と静かな声で返す。

『ひとつだけ言っておくが、警官の勘は侮れない。新宮も十年間、警察の世界に身を置いてあらゆる経験をこなしてきた。そのお前だけに備わっている勘がある、それは信じていい。また何かあれば連絡してくれ』

 上司の力強い声に背中を押され、家を出る。金澤氏に電話をかけ直し「ぜひお邪魔させていただきます」と返答してから、桜町駅発の快速電車に飛び乗った。

 向かう先は、金澤氏の自宅がある白葉区あけび野。立浜市内でも有数の高級住宅街だ。桜町駅からあけび野駅までは市営地下鉄〈スカイライン〉が直通していて、三十分程度で白葉区エリアに到着した。金澤氏から迎えの提案もあったが、丁重に断り徒歩で目的地を目指す。

 駅を出てからひたすら直進し、歩道橋が架かった交差点を右折する。勾配が強い坂道をえっちらおっちら上りながら右左折を何度か繰り返すと、やがて「金澤」と表札が掲げられた煉瓦造りの住宅が姿を現した。横に広い二階建ての外観は、西洋映画に出てくるちょっとした別荘のようだ。入り口が二箇所設けられていてどちらから入るべきか迷っていると、大きな門構えのほうから見知った男が飛び出した。

「やあ、新宮さん。お待ちしていましたよ。さあさあ、どうぞこちらへ」

 チェックのシャツにチノパンという休日らしい格好の金澤氏が、満面の笑みで時也を迎え入れる。事情が事情とはいえ、警察官相手にこうもフレンドリーに接する人間も珍しい。思いがけない形での自宅訪問に、何とも表現し難い複雑な感情をポーカーフェイスの下に押し込めた。



「さあさあ、ゆっくりしてくれたまえ。大した部屋じゃないが、ここは私のお気に入りの場所でね」

 リビングルームに通された瞬間、金澤氏の言葉は単なる謙遜に過ぎないと悟った。時也の寝室三つ分にも相当する空間は、数十人規模の客でパーティを開けるほど広々としている。大きな掃き出し窓からは、こぢんまりとしていながらも手入れされた美しい庭が見えた。そこにあるべき位置に据え置かれたソファやテーブルなどの家具は、インテリアに疎い時也でも一目で高級品だと判る洗練さを備えている。スリッパ越しに感じられる肌触りの良いペルシャ絨毯は、金持ちの家にはお決まりの調度品だ。一つひとつに値札が付いていれば、目を通す度に卒倒していたかもしれない。

 時也もそれなりの給料で不自由のない暮らしをしているが、彼らのような生活を目にすると否応なしに突きつけられる。努力だけでは埋められない、格差という名の大きな溝を。

「素敵な空間ですね。調度品は先生自らセレクトされたのですか」

 邪念を追い払うように、努めて明るい声で訊ねる。氏はさも嬉しそうに笑みをこぼすと、

「セレクトしたと言っても、ほとんどが高級家具の中古販売店で購入したものだよ。今は何と言うのかな……そうそう、アウトレットだ。最近は横文字の言葉が増え過ぎてどうにも不便だ。まあ、立ち話もなんだし座ってくれたまえ」

 広々としたソファには、手入れされた猫の毛のようにふわふわと滑らかなソファシーツが被せられている。このまま横になればうっかり寝入ってしまいそうだ。

「新宮さんは、コーヒーと紅茶はどちらがお好みかな」

「今日はコーヒーをお願いします」

「それは良かった、私も今はコーヒーの気分なんだ。それに、ベルギーへ旅行した友人からの土産もある。王室御用達のブランドチョコだ」

 大理石のテーブルに、コーヒーセットと茶菓子が並ぶ。さながら『不思議の国のアリス』のお茶会だ。遥か昔に読んだ児童文学の記憶は朧げだが、たしかイカれた帽子屋とウサギが時の止まったお茶会を開いていて、そこにアリスが乱入するのだったか——。

「いやはや、これではまるで『不思議の国のアリス』のお茶会だな」

 時也の思考をトレースしたかのように、金澤氏がけらけらと笑う。「そうなると、新宮さんは不思議の国に迷い込んだアリス役といったところかな」

「それでは、金澤先生は帽子屋とウサギのどちらでしょうか」

 氏は繊細な模様があしらわれたコーヒーカップを傾けながら、

「そうだなあ。可愛らしいウサギよりも、気難しい帽子屋のほうが適しているかもな」

「たしかあの物語は、帽子屋がハートの女王につまらない詩を披露して時間が止まってしまい、永遠にお茶会を繰り返すストーリーでしたよね」

「新宮さんは文学少年だったのかね」

「いえいえ、うろ覚えの内容をお話ししただけですよ……」

 ふと黙り込んだ時也の顔を、市議会議員が怪訝そうに覗き込む。

「コーヒーが口に合わなかったかい」

「いえ、大変美味なコーヒーですよ……似ているなと思ったんです。『不思議の国のアリス』のお茶会と警察が追う事件は」

「似ている? また気になる発言だね。どういう意味だい」

「アリスが参加したお茶会は、永遠に時間が進まないままです。我々が追いかける事件も同様に、被害者や加害者たちが事件に囚われて前へ進めなくなってしまうことが多々あります。彼らの時間を動かすきっかけのひとつが、事件の真相解明。私たちは、止まった時計を修復して彼らの時間を進めるために日々奔走しているのかもしれないと考えまして」

「なるほど。面白い話だ——いや、面白いは不適切な言葉だな。実に興味深い。そういえば『不思議の国のアリス』には、ハートの女王の裁判の話も出てくるね。児童文学も侮れないな。まさか警察とこんなふうに結び付けられるとは」

 一人大きく頷く金澤氏。時也はにっこりと微笑みながら「それでは」と強引に話を繋げる。

「事件という不思議の国に迷い込んだ私から、金澤先生にいくつか質問してもよろしいでしょうか」

「おや、ここで事情聴取の時間か。もしかして、君はこれを狙って私の誘いを承諾したのかい」

「滅相もない。たまたまタイミングが重なっただけです。遅かれ早かれ、どこかの機会で先生と話さなければと考えていましたから」

「涼しい顔をして、君もちゃっかりしているな。まあいいさ、それが仕事だろうからね。私は仕事熱心な若者が好きなのだよ。さあ、何でも訊いてくれたまえ。できる限りの回答をしよう」

「それでは早速ですが、トクミツ建設株式会社の社長が亡くなられた件はご存知ですか」

 被害者の名前が出た途端、氏の表情が一気に暗くなる。彼は「ああ」と力無く頷くと、

「昨日の昼のニュースで見たよ……彼の会社には、立浜ネクストワールドの建設を依頼していた。非常にショックだよ、彼には色々と世話になっていたからね。豪快な社長で多少気が短い一面もあったが、頼れる兄貴分といった人だった。あまりに急な出来事なもので、本音を言えば何が起きたのか今でもよく理解できていない」

「我々も驚いています。早急な犯人逮捕のために捜査を進めているところです」

「ニュースでは、遺体が焼かれた状態で発見されたと報道されていたな……酷いと言うほかない」

「非常に残虐な殺し方です。警察は関係者への聞き込みを徹底して行うでしょう」

 何か思案するように顎に手を添えていた金澤氏は、ふと顔を上げると「もしかして」と時也を見る。

「徳光社長を殺した犯人と、三人の市議会議員を誘拐した犯人が同一人物だと警察は考えているのではないかね? 君がいつか言っていたじゃないか。立浜ネクストワールドの建設を快く思わない何者かが事件を起こしている可能性もあると」

 まさに図星だが、「すべては憶測の域を出ません」と言葉を濁す。

「警察はあらゆる可能性を考慮して捜査します。そこで先生に質問ですが、徳光社長を恨んでいたり快く思っていなかったりする人物に心当たりはありませんか」

 腕を組み、ソファに深く凭れかかる金澤氏。

「こんなことを言うと身も蓋もないが、誰からも恨みを買わない人間などこの世には存在せんよ」

「それはごもっともです。先生が特に気にかかる人物はいませんか」

「気にかかるねえ……ああ、そういえば」

「何か思い出されましたか」

「名前まではわからないが、徳光社長の会社に怒鳴り込んできた男がいたな」

「詳しくお聞かせいただけますか」

「あれは、私が彼の事務所を訪ねたときだった。立浜ネクストワールドの件について打ち合わせがあった日だ。たしか……二週間ほど前だったかな。従業員の制止を振り切って男が部屋に乱入してきたんだ。彼は徳光社長に向かっていきなり『裏切ったな!』と物凄い剣幕で怒鳴ったんだよ。私は訳がわからずにぽかんとしていたが、徳光社長は男を宥めながら別室に連れていった。それから十分、いや二十分ほど待たされたかな。彼が戻ってきたので打ち合わせを再開したんだが」

「多忙な先生にとって、その待ち時間は長く感じられたのでは」

「その日はたまたまスケジュールに余裕があったんだ。それに、事の経緯も気になっていたからね」

 氏はにやりと笑いながら、コーヒーを啜る。

「だが、彼は男について何も語ってはくれなかったよ。まあ、当然だろうな。自分を裏切り者呼ばわりした奴について詳しく話したがるわけがない」

「男の見た目はわかりますか。体型や服装、何か目立った特徴など」

「おそらく同業者だろうね、作業着姿だったから。体型は、中肉中背といったところかな。眼鏡をかけていた気もするが、よく憶えていないな」

 従業員も目撃しているのなら、裏取りをすれば男の素性はすぐ判明するだろう。問題は二人の会話の中身だ。

「裏切り者とは、穏やかではありませんね。話の流れからすると、徳光社長がその男に対して信頼を反故にするような行為を働いた、と考えられますが」

「徳光社長の仕事には多少強引なところもあったらしいからね。風の噂だが」

「徳光社長が荒っぽいビジネスをしていて、それを良く思わない者もいたと?」

「どこの業界にもある話だ」

 金澤氏は肩を竦める。時也は懐から手帳とボールペンを取り出しながら、

「先生が徳光社長とお会いになったのは、その日が最後ですか」

「直接会ったのはそうだが、三日前に電話したよ。夜の八時頃だったかな」

「差し支えなければ、どういった会話を?」

「建設計画について二、三確認したい事項があってね。電話は三十分程度で終わった。思い返せば、あれが彼の最期の声だったのか」

「質問を変えますが、ここ最近の徳光社長に何か変わった様子はありませんでしたか。何かに怯えていたり、普段と違う行動をとっていたり」

「殺されることを仄めかす言動があったか、という意味ではノーだな。彼はそこまで小さいタマじゃない。目には目を、歯には歯を……それくらいの気概はあった」

「仕事以外で、何か問題を抱えている気配はありましたか」

「プライベートについては殆ど触れていない。彼との会話はいつも仕事が中心さ」

「では——」

 質問を破るように、呼び鈴が家中に鳴り響いた。金澤氏は笑いながら立ち上がると、

「どこの部屋にいても来客がわかるように、敢えて大きな音にしているんだよ」

 いそいそとした足取りで玄関へ向かう。程なくすると、屋敷の主人が二人の人物を従えてリビングルームに姿を見せた。新たな訪問者は時也を見るなり盛大に顔を顰める。彼らのスーツの胸元には、刑事部捜査一課を象徴する警察バッジが光っていた。


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