「10」 宿禰(すくね)・少ねえ
俺が教室に戻ると、あろうことか、眼前に目を疑う光景が飛び込んできた。おい。みんなは?みんな表情が無機質なのはなんでだ?俺は夢でも見てんのか?誰か………頼む。嘘だと言ってくれ。
クラスメイトが全員機械人形になっていやがった。しかも、この形にあの装備。それに………この色は………
「マジか………………」
全部オレンジだ。全部ニトロゼウスなのか。おかしいだろ。未来に橙星はいなかった。
三つの記憶のうち、ニトロゼウスは、いや、皇橙星は、どの記憶にいた?もう、覚えちゃいねえのかよ。たった一人の親友。二日しか会ってないのに、強烈だった。鮮明だった。今でもあの顔を思い出せる。記憶が、薄れていっても、あの橙星の顔だけは、決して忘れない。
無論、忘れられるわけがなかった。忘れたとしたら、歯を磨くことを忘れるに等しいと思った。どうもおかしな表現だが、その表現が適当だとしか、考えられなかった。それは、つまり橙星がいることを当たり前だと意味することに等しい。
おかしいよなあ。どう考えてもおかしいだろ。俺は今、過去にいる。そうだ過去にいる。過去で何かをする。未来に影響が出る。未来から過去に戻る。過去で違う行動を取る。未来が変わる。でもそれは、橙星をいつも巻き込んでいた。橙星を巻き込むことで、日常が非日常へと変わっていくような気がした。
「キサマをハイジョする。」
そうかよ。ロボット野郎がしゃしゃるなよ。排除。排除ってよ。俺を排除したところで、何も変わらないだろ。俺が死んでも、ニュースにすらならねえよ。悲しむ人もいない。唯一悲しむと思われた友人は、今どこにいる。どこにいんだ?遠隔操作か。どこかで、こいつらを操ってんだな。俺に友人なんて、できねえんだよ。こうして、生まれ変わっても、実際は死んでんだろうけどよ。これだけは、言っておっきたかった。人間はいつか死ぬ。それが、怖いとか。それを頭の片隅に入れて生きることが重要なんじゃねえ。『そうだよなあ。人間死ぬんだから頑張らなくちゃな。』じゃなくてよ。ただ、頑張るだけじゃ意味ねえし。方向性違ってたら、元も子もねえし。俺が言いたいのはな、『忘れるな』ってことだ。人間は忘れちまう生き物だ。まあ、それは仕方ない訳だ。そういう構造してるからな。エビングハウスの忘却曲線というものがある、これがどれだけ人間の脳が都合のいい構造をしてるかわかる。一日で覚えたことが、まるで走ることを覚えたかのように加速して、日を増すごとに記憶が薄れていくんだ。
だからよ、俺は、『忘れたくない。』一度忘れたのも事実だ。それには、おそらく時間が関係している。親類が死んだら、泣くだろ。あんなに、良い人だったのにって綺麗ごと吐くじゃねえか。なのによ。一年経ったら、なかったことみたいになってんのは、何故だ?おっかしいだろうよ。忘れんなよ俺。今度こそは………まったく、反吐がでるぜ。ったくよお。
「おい。ロボット。よく、覚えとけ。偏に可能性ってもんがある。可能性を尺度で測ろうとしてはいけない。なぜなら人間の可能性は、無限大だ。既定の数値をも超えてくる。で、俺ら人間達はよ。賢いやつらに操られてきたんだよ。所詮、お前らも操られてんだろ?やれるもんならやってみろよ。俺を排除できるなら、跡形もなく消し炭にしてみろよ。」
ロボット相手に煽りは効かねえ、だが、橙星が必ず近くにいるはずだ。
血眼になって、教室内を見渡す。どうやら、俺の眼は節穴だったらしいな。
教壇に、1人の男が立っているのがわかった。
普通、教壇に立っていたら先生だと思う。なんの真似だ。しけたことしやがる。
俺は、視覚の隅でそいつを捉える。口が動いているが、何言ってるかわからねえ。
待てよ………。この声、聞き覚えがあるぞ。橙星。
「アカセ………なのか?」
「―――やあ、フミヤ。僕は、君の代わりになりたい。君の存在を消しにきた。この歴史から、なかったことにする。邪魔なんだよ。排除しなければならないんだ。受け入れてくれ。」
「………はい。そうですか。」
「………え、いいんですか?」
「なわけねーだろ!そんな簡単によ。はいそうですか。って言うわけねえだろ!なんでもかんでも上手くいくと思ったら大間違いなんだよ。いいか、耳の穴かっぽじってよく聞けよ。人生は理不尽だ。思い通りになるのは自分のことぐらいなんだよ!頭いいんじゃなかったのかよ。そんなこともわからねえならよ。一年からやり直して来いよ!ちったあ頭使いやがれ!なんのためにそこに脳みそがついてんだ!考えるためだろ?だったらよ、もっとましな文言考えて出直してこいよ!あかせ!」
時間稼ぐぐらいしか俺にはできねえよ。どうするよ。相手は、大勢いる。なんとかして逃げる算段か、倒す方法を考えねえと、今か今かとロボットが近づいてくるぜ。ロボットに好かれるとは夢にも思わなかったぜ。橙星は何してんだ?あれ?ちょっと待てよ。なんだよ。あの瞳、紫色になってやがる。俺の見間違いか?
「メツ・イッシキ。」
目の前にあった。机が真っ二つに切れる。は!?マジかよ。
机が、豆腐でできているかのような錯覚をする。机ってそんな柔らかいのか。―――いや、そんなわけねえ!
驚くほどの切れ味だぜこれはよ。こんなアホみたいな化け物が、何体もいやがんのか。どうやって倒す………
タッ
タッ
タッ
タッ
廊下から、走ってくる音が聞こえる。誰だ?もしや・・・橙星の仲間か?マジかよ。俺積んだな。考えたくもなかったが、俺死んだらどうなるんだ?2回目の死ってことになるのか。天国にも地獄にもいけねえかもしれねえ、おそらく行くのは、虚無だろうな。なんちゃらノートってアニメで見たな。そうか。俺、死ぬのか。くっ………死にたくねえ!死にたくねえよ!こえーよ。こえー!!頼むよ!つーかよ、俺の代わりってなんだよ。
いや、ちょっと待て。橙星は、攻撃してこねえ………てことはよ。
「おい!橙星!」
「なんですか?」
なんで敬語なんだ?まさか、俺に敬意を表している。ちげえな。慇懃無礼だろ。この野郎。見下してるに違いねえ。まあ、いい。そんな細かいこと気にしてる場合かよ。
「ちょっと、話そうぜ。その………………なんだ、俺にとってはこれが最後なんだしよ。最後つったら、わかるだろ?ほら、あれだよ。ここに、紙はねえからその………」
「もしかして、遺言ですか?」
何食わぬ顔で、こっちを見る。俺は必死に作り笑いをした。眼前に死が迫っている。相手に作り笑いってこともバレてるだろうけどよ。
「えっと、そうだよ。冥土に行く前に、遺言を残しときたくてな。」
「へえ、そうですか。まあ、いいでしょう。」
「俺には、父さんがいる。父さんに俺の最後のメッセージを伝えてくれ。方法は何だっていい。お前は、普通じゃねえから。直接会うなんて馬鹿な真似はしねえと思うけどよ。父さんに感謝してもしきれねえ。俺が両親がいると言わなかったのは、なにも。母さんが亡くなってるからじゃねえ。勘違いすんなよ。母さんはどこにいるか知らねえが、引き取ったのは父さんなんだ。親権は、どちらも譲れなかったらしい。ところがどっこいだぜ、父さんは料理も家事も最初はまともにできなかったんだ。しかもよ、教師だったからな。勉強はできるが、その反面、家庭的な面で、母さんには、劣る部分があったんだ。だから、弁当を買ってきたり、ウーバー頼んだりして、作らなかったんだぜ。洗濯や皿洗いなんかも家事代行ってサービスが今じゃ世間では浸透してるからよ。それを、使ってたな。こんなこと聞かされてもよ、なんの話だと思うかもしれねえ。で、なのに俺は学校へ行かなかったんだよ。人間関係に特に悩んでた。何喋ったらいいかわからねえ。友達の作り方がわからねえ。父さんに、色んなことを教えてもらった。この十七年間。俺は、屑だったかもしれねえ。でもよ、一つわかったことがある。父さんは、1人だけなんだよ。父さんは一人だけなんだよ。お前さ、どの面下げて、俺の親によ。代わりになりたかったんで、排除しました。って、言いに行くつもりだよ。俺は、気づいたよ。さよなら。父さん。」
「情けは人の為ならず………ですか?」
「間違ってんだよ!」
時間稼ぎはこれで充分だろ。
俺は、ゆっくりと橙星に近づく。一歩一歩着実に………………俺の予想が当たってれば、間違いねえ。
あれだな。今も禍々しく光ってる。そうなんだろ?あれで、操作してんなら。使えなくしちまえばいい。
俺は、橙星の瞳孔が見える程、近づくと指にはめてあるそのオレンジ色の指輪にペッ、と唾を吐いた。
「馬鹿野郎。死んでたまるかよ!」
「なんのつもりですか?」
やっぱりな。これだけ近づいたからわかったけどよ、瞳の色がちげえ。紫だ。幻術か何かで操られてるんじゃねえか?そもそも、幻術なんてあるのか?
「ニトロゼウス。やれ。」
「メツ・イッ………」
誰だ?この黒い影はよ、目にもとまらぬ速さ、こいつは………………さっき走ってたやつだ。
この肌の色。そして、黄色い服。紫の文字のプリント、こいつは………
「おいガラクタ。ところで、どういう状況だ。おたくは、誰だ?赤いジャケット。」
「歴史也だ。こうこうこうでな。」
「そうか。」
「あんたこそ誰だ?」
「俺は、NBAを志すもの。名前をタチ………………」
「橘だろ?」
「そうだ。話が早いな。フミヤ。」
「あったりめえだ。お前より、長生きしてらあ。おまえさ、なんでレモンかじってんだ?」
「腹が減っては戦はできん。」
「へえ。そうかよ。」
俺と橘は、背中を合わせ、なるべく隙を減らした。
「どけ。タチバナ。」
でもよ雑魚ふたりじゃなんもできねえぞ。
「あんたよ。バスケしかできねえんだろ?なんで、逃げなかった?それどころか、助けに来たよな?」
「その通りだ。だがしかし、俺ができるのは、バスケだけじゃねえ。バスケはもちろん好きだ。でも、ここにいる理由は他にある。俺が………………」
「特質だからだ。」
『宿禰』
すくね?なんだそれはよ。あれ、服が縮んでねえか。何が起こってる!?
「―――呼んだか?涼将。俺様の番か?久々の人間界だ。派手に暴れてやらあ!」
なんだ?喋り方が違う?違うな。それだけじゃねえ。肌の色が、紫?それにあの筋骨隆々な肉体は、面影がねえ。それに頭部に角が生えてるぜ。鬼………なのか。
「なんだ。キサマは。」
ロボットも動揺してるな。まあ、俺も動揺したが。
ドゴオオオン
ロボットの頭部が床に叩きつけられる。化け物か、こいつ。
「あ、ああああああああああああああ、キ、キサ、キサ、マを、ハイ………」
「排除される気分はどうだ?ペッ。カラクリ人形ごときが。この俺様に図がたけえ。貴様は、頭を床につけねばならんな。」
な、なんなんだよ。こいつはよ。
強すぎるだろ。
「ハイゴががらアきだ。タチバナ。」
「関係ねえ。俺は人ではない。そういった意味ではお前も同じか。カラクリ。」
「メツ・イッシキ。」
ズドオオオン
流石に、やられた………のか!?
「図が高いと言ったぞ?聞こえなかったか?」
それから、次々に華麗な動きで、ロボットを打ち負かしてくNBA野郎こと橘涼将。見た目はちげえが、面影がねえ。強いな。強すぎる。で、この青色の肌の奴はなんだっけ。あの呪いのアニメのキャラクターに名前が似てたな。もしかしてよ、考えたくもねえが指でも食ったのか?いや、まさかな。
「こんだけかよ、少ねえ。次は、もっと用意しとけよ。朝飯前だぜ。戻るぜ。涼将」
「おお。サンキュ。宿禰。全部倒したぜ。話聞かせろよ。皇。」
【橘家の由来】
第43代天皇である元明天皇は、即位を祝う宴で、天武朝以後の宮廷に歴仕した忠誠を嘉して、杯に浮かぶ橘をみて、次のようにいいます。
「橘は果実の王なり。その枝は霜雪を恐れずして繁茂し、葉は寒暑をしのぎてしもばず。しかも光は珠玉と争い色は金銀と交わりて益々美し。ゆえに橘を氏とせよ。」
このようにして、元明天皇は三千代に橘宿禰の氏姓を与えたといわれています。宿禰とは当時の氏姓制度「八色の姓」で朝臣に次ぐ上から3番目の位にあたります。これが橘氏の由来です。
番外編
「10.5」走る・齧る
まあ、ここまでくれば紹介も必要ないとは思うが、名乗っておく。
俺は、橘涼将で、由緒正しき橘家の子孫だ。
子どもの頃から、何か特別優れていた訳ではなかった。
所謂、天賦の才というものは何一つなかったと言ってもいい。だが、走るのは好きだった。
小学生の時に部活動の選択があった。その時、先生に聞いたわけよ。
「先生、たくさん走るスポーツって何ですか?」
俺は、てっきり陸上部を勧められると思った。
だが、その先生の答えは予想を反するもので、俺の度肝を抜いた。
「りょうすけ君。君はバスケットボールを知っているかい?」
いきなり、何だと思った。知ってるに決まっていたが、俺は陸上部に入りたかったもんで、わざと知らないと答えた。
「そうなんだね。実は、日本人でNBAに行った人がいてね。先生はその人に憧れていたんだよ。」
へえ、そうかよ。だから何だと思った。
「やってみないかい?バスケ。」
先生は、アニメやNBAの影響でバスケをしていたらしく上手かった。
ゴールに玉を投げて入れるだけのスポーツだと、当時はそう思っていた。
だが、実際は違った。初めて三週間ほど経ったころ、俺の投げたボールが吸い込まれていくように、リングに入った。
その時の感覚は今でも忘れられない。
バスケのゴールにはネットがついているんだが、リングの丸い部分に当たらずにボールが入ると、スカッと綺麗な音がする。
その音が鳴った時、俺はバスケに惚れたんだろう。
それは、俺が恋に落ちた音だったのかもしれない。
故に、俺はNBAを志している。
先生と日本の意志を受け継ぐため………
話は現在に戻るが、俺には毎日行う。朝の日課ってやつがあった。
試合の次の日は休みにしてる。
休むことも、練習だからだ。
で、俺の朝の日課は、学校に早く行き、朝方から校舎の周りをランニングをすること。
距離でいうと、10キロ。
朝方からの運動はあまりよろしくない。
だが、俺はそれを承知で行っている。
ランナーズハイを味わうためにな。
ランナーズハイとは、走った後に短時間訪れる強い幸福感や陶酔状態のことだ。
喜び、深い満足感、高揚感、ウェルビーイングといったポジティブな感情を経験し、穏やかな気持ちをもたらすそうだ。
俺は、ランナーズハイって言葉を意味も知らずに使っていた。
だがしかし、知ったかぶりってのはよろしくないな。
短期的には、得をするが、後で損をする。
俺は、何度か損をしている。
で、そういうやつのことを、短絡的というらしい。
イライラするよな。だが、走っていれば怒りなんてものはどうでもよくなる。
怒りってのは過去に執着しているに過ぎない。
過去にばかり、目を向けていれば、本当に大事なものを未来で見逃してしまう。
だから、俺は走ってる。未来をこの手で掴むために………………
そんな時だった。
校舎の方から、変な音がしたんだ。
俺は、どうもおかしいと思った。
でもって、今に至る。
忘れてた。走った後は、いつもレモンを齧ってる。塩分が不足するからな。
先生、ありがとう。
次回までどうぞよしなに!