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ハイキック

作者: 西順

 それは見事なハイキックだった。


 軸足となる左脚は柱の様にピンと立ち、素早く捻りこまれた腰の回転力は余す所なく右脚に伝えられて、相手の左側頭部に当たったと思えば、相手は何が起こったのか分からずに吹っ飛び、路地のビル壁にぶち当たって昏倒した。


 そうして汚い路地に横たわる男を確認した彼女は、乱れたパンツスーツの上着を正すと、こちらへ振り返り、


「大丈夫?」


 と右手を差し伸べてきたのだ。その手は鍛えている跡こそあるが、決して大きなものではなく、その手から順に体へと視線を向ければ、彼女自体大柄な体をしているのでないと分かった。


「大丈夫?」


 もう一度彼女に訊かれた僕は、そこでようやく我に返ると、こちらを見ている丸い黒目に気が付いた。大きくて虹彩が綺麗で、まつ毛も長く、その上の眉も短くも太くシュッとしている。鼻は小さく可愛らしく、口は少し厚めだろうか。オレンジ系のリップが良く似合っている。顔の輪郭は丸いが顎先に向けてスッとしており、艶のある黒髪は頭の後ろでお団子に纏めていた。はっきり言って可愛い。僕のタイプだ。


「くち……」


「え?」


「口、切れているね?」


 そう言って彼女は上着からハンカチを取り出して、僕の口に当てようとしてくれたが、僕はそれが無償に恥ずかしくなり、それを左手で丁寧に断ると、右腕で雑に口元を拭いながら立ち上がった。


 立ち上がってみると、やはり彼女は小さかった。自分の身長が190cmあるから、余計に小さく見えるのかも知れないが、多分150cmも無いだろう。


「あ、あの、有り難うございました……」


 我ながら消え入るような掠れ声で、90度のお辞儀で感謝を表す。


「いいえ、私、ああ言う卑劣漢って、大っ嫌いなんです!」


 彼女は両手を腰に当てて男を振り返ると、ぷりぷり怒っている。その姿がまた可愛かった。


「はは……、僕もボーッと歩いていましたから」


 もじもじしてしまう。実際ボーッと歩いていて男とぶつかった事から、路地に連れ込まれて殴られたのだ。


「え? そんなの殴られて良い理由にならないですよ!」


 ぷりぷり怒る彼女はやはり可愛い。


「…………」


「…………」


「…………それじゃあ、私、もう行きますね」


 あ、彼女がもう行ってしまう。それはそうだ。彼女と僕の関係は、正義の味方と助けられた一般市民Aなのだから。だが僕はこれで彼女との関係が無くなってしまう事に、胸がキュッと締め付けられ、どうにか、どうにかこの奇跡的に繋がった関係性の糸が切れるのを恐れ、思わず声を掛けていた。


「あ、あの! お礼をさせて下さい!」


 僕にこんなに大きな声が出せたのか、と自分の事ながら驚き、そして彼女もまた驚いていた。


「お礼、ですか?」


 街頭に紛れようとしていた小さな彼女は、格闘技をしている人間らしく、キュッとこちらへ振り返ると、小首を傾げて僕を見上げてくる。うん、可愛い。


「あ、僕、パティシエをしておりまして、その、助けて頂いたお礼に、ウチの店のお菓子をご馳走します!」


 嘘ではない。街をボーッと歩いていたのも、次のシーズンのお菓子を何にするか考えていたからだ。


「お菓子、ですか」


 右手を口元に持ってきて考え込む彼女。思えば彼女は格闘技をしているのだ。それもあんなに見事なハイキックを放つ程に。食事制限や栄養管理なんかも厳しくしているのかも知れない。お菓子を奢るなんてのは、彼女からしたらお礼でも何でもなかったのではないか? 今更ながらそう思い至り、人生最大の失敗をした事に、崩れ落ちそうになりながら彼女を見遣ると、何故か顔を真っ赤にしていた。


「あの……、私、こう見えて大食いですよ?」


 更に可愛かった。当然この後お腹いっぱいお菓子を食べてもらい、連絡先の交換。とはいかなかったが、彼女はウチの店の常連となってくれ、そうして現在、僕の横でパートナーとして店を盛り立ててくれている。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 正しいフォームのハイキックは芸術的な美しさがありますし、 主人公が心を奪われるのも無理はありませんね。 強く、優しく、そしてお菓子も大好きという三拍子揃ったヒロインでした。
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