逆ハーと魔法と狂愛と殺人証明
残酷な描写ありは念のためではありません。
ネクロフィリアではありませんが、死体といちゃつく描写ありなので、苦手な方はご注意ください。
想像してみて欲しい。
もう死んでいるはずの人間が、自分の目の前を生前と同じように歩いているところを。しかもその人物を殺したのが、自分であった場合を。
ほとんどの人が『ありえない』と思うだろう。
私は今現在そういう事態に直面していた。
私が殺したはずの相手は、婚約者であるエルド・ルシトー伯爵令息だ。
私とエルドは王立学園に通っており、私は授業が終わった放課後に、使われていない旧校舎へとエルドを連れ出した。机が片付けられた教室の一室で、私は無抵抗のエルドの心臓を、魔法で作った氷のナイフで一突きした。心臓を刺されて死なない人間はいない。
普段旧校舎に人通りは全く無く、私の犯行は誰にも見られていなかった。仮に見られていたとしても、私の実家の権力を使えば簡単にもみ消せる。この国の公爵家とはそういう存在だ。
私が犯行に使った氷のナイフは、溶けてしまえばただの水になる。私がエルドを殺した証拠は、どこにも存在しなくなる。エルドを刺した後に脈が無いことと、身体が冷たかったことは確認した。心臓を刺されたエルドは、この時間違いなく死んでいた。
私の手には心臓を刺した時の感触が今も残っている。
私が犯行に及んだ理由は単純明快だ。エルドを愛していたから。
婚約者同士である私とエルドは相思相愛だった。私は彼を心から愛していたし、彼も心から私を愛してくれていた。心から彼を愛していたからこそ、私は彼を殺した。
私とエルドは七歳の時に出会い、互いに一目惚れした。私の強い希望で私とエルドの婚約はすぐに結ばれ、エルドは私の婚約者になった。エルドは魔法や武術が人並みな一方で、人並み外れて聡明な少年だった。
私とエルドは同い年であり、王太子殿下も同じ年の生まれだ。エルドはその頭脳を見込まれて、王太子殿下の側近候補に選ばれた。順当にいけば、エルドは将来宰相になっていただろう。エルドはルシトー伯爵家の次男だったので、私の家に婿入りし公爵にもなるはずだった。
王太子殿下やエルドを含めた側近候補達は、全員が品行方正清廉潔白な方々だった。彼らがいれば、この王国はこれからより良い国になっていくだろうと、多くの人が信じていた。私もそう思っていた。
私達は十五歳で王立学園に入学し、平穏な学園生活を送った。最終学年である三年目半ばのある日までは。
その日エルドは何の理由も無く、突然王立学園を欠席した。王太子殿下とエルド以外の側近候補達も、なぜかこの日は王立学園を休んでいた。
この翌日一人の男爵令嬢が、王立学園に前触れなく転入してきた。ロゼレア・フェキシー、ピンク色の髪が特徴的な令嬢だった。
国内のほとんどの貴族の家名を知っている私でも、フェキシー男爵家のことを知らなかった。この時とても不思議に感じたことをよく覚えている。元平民であるロゼレアはフェキシー男爵家に引き取られ、王立学園に転入することになったのだと、私は後に知った。
ロゼレアが王立学園にやって来た日から、ロゼレアの周囲には王太子殿下と側近候補達による逆ハーレムが形成されるようになった。もちろんエルドも、その逆ハーレムの一員となっていた。
エルド達は少しでも時間があれば、ロゼレアに付き従う。珍しくロゼレアの近くにいない時には、彼らは皆死んだ魚のような目をしていた。品行方正清廉潔白だった彼らが、まるで人が変わってしまったかのようだった。
この様子を見ていた私は、ロゼレアが魅了魔法を使っていると確信した。ただロゼレアは王太子殿下と側近候補達以外に、魅了魔法は使っていない様子だ。また不思議なことに、周囲に見せつけるように彼らとべたべたとしていても、ロゼレアはどこか嬉しくなさそうにしていた。
ロゼレアが逆ハーレムを形成していれば、これを良く思わない人物は当然出てくる。それでもロゼレアは誰にも危害を加えられていないようだった。いつも逆ハーレム要員の誰かが近くにいるので、ロゼレア一人になることが無かったからだろう。
冷静に状況を分析する一方で、私は毎日気が狂いそうだった。
愛するエルドが奪われた。魅了魔法だなんて人の心を踏みにじる、卑怯な手を使って奪われた。許せない。エルドには私以外の物になってほしくない。私以外を選ぶのならそれなら……。こんな思いが私の心を埋め尽くしていった。
殺すならロゼレアを殺すべきだ。でも決して一人にならないロゼレアを害するのは、現実的ではなかった。だから私はエルドを殺すことにした。殺してしまえば、エルドが私以外のものになることはないのだから。
あんなに私を愛してくれていたのに、ロゼレアに簡単に魅了されたエルド。それまで意識しないようにしていたけれども、振り返ってみればエルドに対する怒りみたいなものも、私にはあったのだと思う。
エルドを殺した翌日の朝、何食わぬ顔で王立学園に登校した私は、何かしらの騒ぎが起こっていると思い込んでいた。しかし私の予想は裏切られた。朝の王立学園は騒ぎなど何もなく、いつも通りだった。まだエルドの死体が発見されていないからだと結論付けて、私は納得することにした。
でも私の予想はさらに裏切られた。昨日私が殺したはずのエルドが、朝からいつも通りにロゼレアの周囲に逆ハーレムを形成して、平然と廊下を歩いていたのだ。私はエルドの視界に入ったはずなのに、エルドは何のリアクションも示さなかった。
なぜ? どうして?
意味が分からずに、疑問ばかりが私の心を埋め尽くした。昨日確実にエルドを殺したはずだったのに、一体どういうことなのか。エルドを殺してしまえば、私以外のものにはならないはずだったのに。どうして?
授業が始まっても、内容は全く耳に入らなかった。その後も混乱し続けた私は、放課後になり多少冷静さを取り戻した。
証拠が残らないように殺したのは、失敗だったのかもしれない。どうやってエルドを殺すか考えていた時、私は証拠を残さないようにすることばかりを考えていた。それが裏目に出て、今は自分がエルドを刺した事実さえ疑わしい。
もしかしたら、あれは全て夢だったのかもしれない。でも今でも手に残る心臓を刺した感触は、夢にしてはリアル過ぎた。
何でもいいから確かなものが欲しくて、私はふらふらと昨日エルドを殺した旧校舎に一人で向かった。私がエルドを殺した旧校舎の一室は、何もかもが昨日のままだった。机が片付けられてただ広いだけの教室で、私は昨日エルドが倒れていた床に触れた。ここにも証拠は何も残っていない。やはり全てが夢だったのだろうか。
しゃがんでいた私が立ち上がると、背後から声が聞こえてきた。
「やっぱり犯人は事件現場に戻ってくるの!」
振り返るとそこには、ピンク色の髪の女子生徒がいた。逆ハーレムの中心人物ロゼレアだ。ロゼレアの背後には、エルドを含めた逆ハーレム要員達がぬらりと立っていた。彼らの作り物めいた微笑みからは、一切の感情がうかがえない。ロゼレアは無邪気に尋ねてきた。
「あなたがエルドを傷つけたの?」
ロゼレアの質問に、私は何と答えるべきだろう。否定したとしても犯行現場に来た時点で、私の犯行であることは明らかだ。でもここに来ずにはいられなかったので、ロゼレアにばれてしまったことは仕方ない。
何の冗談かと、しらばくれることはもちろん可能だ。私が刺した証拠はどこにも何も残っていないのだから。あるとしても、エルドの証言だけだ。ロゼレアが質問してきたことから、おそらくエルドは私に刺されたことをロゼレアに証言していない。
本当は目の前にいるロゼレアを殺したかった。でも出来なかったからエルドを殺した。私は今だってロゼレアを殺したいが、ロゼレアの後ろにはエルド達が控えている。複数人相手では私の方の分が悪い。
私に『殺した』ではなく『傷つけた』と訊いてきたロゼレアは、間違いなく私の知らない何かを知っている。何か行動を起こすのは、ロゼレアの話を聞いてからでも遅くないだろう。どうせ犯行はばれているのだし、私はロゼレアの質問に正直に答えることにした。
「傷つけた? その表現は相応しくありませんわ。私は昨日ここでエルドを殺しました。傷つけたと表現するのは誤っています」
「あれ……? 気付いたからあんなことしたんじゃないの? もしかしてばれてなかったの? もうばれてると思って話しちゃってたの……」
ロゼレアは明らかにおろおろとし出した。私の返事が想定と違ったということだろうか。
ロゼレアは私が何かの秘密に気付いたから、犯行を行ったと思っていたようだ。ロゼレアは秘密がばれた相手のことを、把握しておきたかった。でも探し当てた私は、秘密を何も分かっていなかったと。
焦ったロゼレアは、思っていることを全部口に出てしまっている。エルドを刺した犯人が私だと分かれば、ロゼレアがわざわざ私の前に登場する必要はなかったはずだ。……もしかしてこの子だいぶ抜けている……? いや今は油断するべきではない。
先ほどからロゼレアの後ろで、エルド達は一言も発さずに突っ立ったままになっていた。薄気味悪く笑ったままで、誰もかれも相変わらず行動がらしくない。
賢いエルドならきっと、ロゼレアが私の前に姿をさらすことを止めたはずだ。本当に行動が彼らしくない。
私がちらちらとエルドに視線を送っても、エルドは何の反応も示してこない。エルドならきっと目を合わそうとしなかったり、何かしら反応したはずだ。本当に彼らしくない行動ばかりとっている。
私はエルドに向けていた視線を、そっとロゼレアに戻した。冷静さを欠いているロゼレアにこのまま畳みかけたら、彼女は全て話してくれそうだ。
「私は決して間違っていませんわ。貴方が間違っているのではありませんこと? 私はこの手でエルドを殺しましたわ」
首を大きく横に振ったロゼレアは、衝撃的な事実を言ってのけた。
「ううん、ロゼは間違ってないの! だって、あなたはエルドを殺してないの!」
「私が殺していないとはどういうことかしら? 私は確かにエルドを殺しましたわ。あの時彼は確かに死んでいました」
エルドの脈が無いことと、身体が冷たかったことは確認した。これで死んでいないなんて言わせない。私はロゼレアを冷たく睨みつけた。
「だって、死体は殺せないの!」
震える声でロゼレアは叫んだ。ロゼレアが不利な状況に陥っていても、エルド達は身動き一つ取らないままだ。
私はここである事実を気付かされた。人が死んだ直後で、あそこまで身体が冷え切っているはずがない。今までエルドの身体に触れたことが一度も無かったから、エルドは冷え性なのだと勝手に納得していた。
それに心臓を一突きしておきながら、返り血の一滴さえ私は浴びていなかった。この場所にも血痕は一滴も残っていない。
私の中で前提条件が崩れていく。そのまま思考に沈み込みそうになる私の意識は、ロゼレアの大声で現実に引き戻された。ロゼレアはぽんと手を打つ。
「あ! 今気付いたの! あなたはたしか……エルドの婚約者なの!」
視線をさまよわせて、ロゼレアは考え込むそぶりを見せた。
「そっか、ロゼはあなたに恨まれて当たり前なの。あなたは可哀想な人なの。計画について誰かに話したらダメとは言われてないから、あなたが知りたいことがあるなら話してあげるの」
話したら駄目と言われていなくても、そこは暗黙の了解なのではないだろうか。あと敵であるロゼレアに憐れまれる筋合いはない。
知りたいことを話してあげると言いつつ、ロゼレアが嘘を言う可能性も否定はできなかった。でもロゼレアに欺かれない自信が私にはある。明らかに抜けている彼女には、決して騙されたりしない。
一度深呼吸をしてから、ロゼレアは小さく首を傾げながら私に訊いた。
「あなたはロゼが使った魔法が何か分かる?」
私は逆ハーレムといえば魅了魔法だとずっと思っていた。でも違った。あれは魅了魔法よりもずっと珍しい魔法であり、私は今でも半信半疑だ。
「貴方が使ったのは……死霊魔法ですか?」
「ぴんぽーん。そうなの。ロゼがこいつらにかけてる魔法は死霊魔法なの。ロゼはフリーの死霊魔法使いなの。こいつらみーんなもう死体なの」
ロゼリアがそう言ったとほぼ同時に、ロゼレアの背後に立っていた全員が床に崩れ落ちた。呼吸は完全に止まり、彼らの目に光は無い。離れた場所から見ても、彼らが死んでいるのは明らかだった。
死霊魔法とは人や動物の死体を使役する魔法だと、聞いたことがある。使える人物が限られるかなり特殊な魔法であり、死霊魔法を使う者は多くが迫害されてきたとも。
まさかそんなものが王立学園内で使用されているとは、夢にも思わなかった。私以外の王立学園の生徒も、まさか彼らが死体だったなんて、思いもよらなかったはずだ。
「では私に刺されたエルドは、なぜ倒れたのですか?」
床に崩れ落ちた面々が、生き生きと動きだし立ち上がった。こうして見ると、彼らが本当に死体だとは到底思えなかった。
「死体だとばれないように、できるだけ生きてる人間と同じ反応をするようにしてたの。死体には痛みも何もないの」
ただ生前の強い恐怖は死体になっても残っていると、ロゼレアは小さな声で付け加えた。ロゼレアは後ろを向き、手慣れた様子で死体達に指示を出した。
ロゼレアの指示に反応したのは、次期騎士団長と言われていた令息だった。彼は自身の袖口から、大ぶりのナイフを取り出した。普段の護身用に隠し持っていた物だろう。彼はそのナイフで目にも留まらぬ速さで、自らの前腕を切り落とした。ぼとりと床に腕が落ちるが、傷口から血は一滴も流れていなかった。
彼は何事も無かったかのように落ちた腕を拾って、切断面同士を合わせた。一瞬で服を含めて全てが元通りだ。
「エルドがあなたに心臓を刺されたとしても、ロゼの魔法でちゃちゃっと修復できちゃうの。心臓の傷を治した後に、誰に刺されたのかロゼが訊いてみたの。でもただ震えるだけで、エルドは何も答えなかったの。それで、犯人を見つけるために犯行現場のここで張り込んでたら、あなたが来たの」
きっとエルドは愛する私のことを、かばおうとしてくれたのだ。たとえ死んでも私のことを愛してくれている。感動した私は、思わず涙しそうになってしまった。
「ロゼは貴方の質問に答えたから、貴方も質問に答えるべきなの。どうしてロゼではなく、エルドを殺そうとしたのか聞かせて欲しいの」
私はエルドを殺そうと思った経緯を、簡潔にロゼレアに説明した。私の話を聞くロゼレアの顔がだんだん引きつっていく。
「うへえ、愛が重すぎるの」
引き気味のロゼレアの感想は一言だった。私も多少人より愛が重い自覚はある。私は気を取り直して、ロゼレアに質問を投げかけた。
ロゼレアと話をするうちに、別の知りたいことが生じていた。私は誰がエルドを殺したのかを知りたい。
「貴方がこんなことをしたのは、フェキシー男爵家の指示ですか?」
「フェキシー男爵家なんて元から存在しないの。でも国王があると言えば、あることになるの。ロゼは国王に雇われてる身なの。上等な死体をくれるって言うから、ロゼはこの仕事を受けたの。えへへ、見目良く、魔法が使えて、鮮度も抜群、最高だったの」
王太子殿下やエルド以外の側近候補に目をやりながら、嬉しそうにロゼレアは語る。
「貴方が彼らを殺したのですか?」
私が尋ねる声は震えていた。答えによっては、私は彼女を殺さないといけないかもしれない。たとえロゼレアが死霊魔法使いだとしても、私は絶対に負けたりしない。
「勘違いしないでほしいの。ロゼはいい死体は欲しいけど、自分で人を殺したりは絶対にしないの!」
死体を見つめる嬉しそうな様子から一転して、ロゼレアはどこか怒っていた。
「ロゼのところに仕事の依頼が来たのは、王立学園に転入する前日の夜遅くなの。たぶんこいつらが殺されたのは突発的で、ロゼに話が来た頃にはもうすでに殺されてたの。人が殺されることになる仕事なんて、ロゼは絶対に受けないの!」
私はロゼレアの言うことが信じられなかった。信じられるはずが無かった。
でもエルド達のらしくない行動の理由が、理解できてしまった。ロゼレアが生前の彼らを全く知らなかったからだ。知らないながらにロゼレアは最善を尽くしそうとした。その結果が、この逆ハーレムの偽装だったのだろう。魅了されていることにしてしまえば、多少のおかしな行動は魅了のせいにできてしまう。
「彼らは皆正しい行いをする方々でしたわ。殺されるような筋合いはありません」
「だからなの。綺麗すぎる水の中で、魚は生きていけないの」
……そういうことだったのか……。その一言とロゼレアの雇い主が陛下だという情報で、全てが理解できてしまった。
この国で誰よりも正しくあろうとしたエルドと王太子殿下達は、この王国に変革をもたらそうとしていた。腐敗した王国を正しい方向に導こうとした。でもそれすら許されない程に、この王国は腐敗しきっていた。腐敗しきったこの王国で生きていくには、彼らは正し過ぎた。
だから消された。一人残さず殺された。
「こいつら平民からは人気があったから、評判を地に落としてって、国王がご希望してたの。急に殺したせいでその後のことが全部ずさんで、ロゼから見ても穴があるし何だか無茶苦茶なの」
評判を下げる方法として、ロゼレアは逆ハーレムを選んだ。らしくない行動に不信感を抱かれないようにするためにも、逆ハーレムは適切だった。
たかが元平民の小娘に骨抜きにされたことで、王太子殿下達がこれまで築き上げた何もかもが台無しになっていく。王太子殿下達を下げることで、他を上げようという陛下の魂胆が見え見えだ。
「この国本当にろくでもないの。早く仕事を終わらせて、大変だけどまた前みたいに旅するの」
ロゼレアの言葉は、まるで自分自身を鼓舞するかのようだった。彼女としても、この仕事に関しては何か思う所があったらしい。
ここから先はあくまで私の推測だ。
死霊魔法使いであるロゼレアは、どこかに定住したくても定住できなかった。だから旅を続けるしかなかった。少女一人の一人旅がどれだけ過酷なものかは、想像に難くない。ロゼレアが死体を欲しがったのは、身を守るための力が欲しかったからだ。
ここまでロゼレアと話して、私はロゼレアが悪い人物ではないと確信できた。それにロゼレアがいれば……。
「無理を承知で貴方に頼みがあります」
続けて私は躊躇いなく頼みを口にした。
「え!? それはちょっと耳を疑うの」
ロゼレアは目を見開いていたが、私は何もおかしいことは言っていない。
それからしばらくして、ロゼレアと死体達は王立学園から姿を消した。恐らく逆ハー集団による、集団駆け落ちということにされているだろう。『だろう』と推測なのは、私自身も王立学園から姿を消してしまっており、事実の知りようがないからだ。
今私とロゼレアは隣国の暗い森の中で、たき火を囲んでいる。たき火を挟んで向かい側にいるロゼレアが、私に話しかけてきた。
「毎日毎日よく飽きないの」
ロゼレアは私のことを理解できないと言いたげだった。
私はロゼレアが使役するエルドに、背中を預けて座っている。私のお腹の上にはエルドの腕があり、後ろから抱きしめられている状況だ。
普段ロゼレアが使役する死体達は、ロゼレアの影の中に仕舞い込まれている。私が頼めば、ロゼレアはいつでもエルドを影の中から出して触れあわせてくれた。
「そんなに好きなら、エルドの死体をあなたにあげてもいいの。そうすればあなたがロゼと旅する必要は無いの」
膝を抱えて目を伏せたロゼレアは、旅に不慣れな私のことを気遣っているようだった。
元々ロゼレアの目当ては、王太子殿下やエルド以外の側近候補達の死体だった。彼らは魔法や武術に秀でていた。一方で頭が良いだけのエルドの死体には、ロゼレアとしてはあまり価値がなかったらしい。
「貴方の魔法が無いと、死体の保存が難しいでしょう? 腐りゆく死体は愛せても、骨までいくとさすがに私でも厳しいわ」
ロゼレアの死霊魔法は非常に強力だ。一切の腐敗なく、エルド達の死体を保存し続けている。後ろからエルドに抱かれている今の状態でも、私は死臭を一切感じていない。
「ロゼには線引きが分からないの。あなたが死体でもいいって言うのも分からないの。死体は所詮死体なの」
死体は所詮死体。ロゼレアがよく口にする言葉だ。
「死体だとしても、エルドはエルドよ。こうしてエルドと触れ合えるのが、私はとても嬉しいわ」
エルドの冷たい頬に触れた。滑らかな肌の手触りがとても愛おしい。
「生前のエルドは恥ずかしがって、私を一目見ると逃げ出したり、指一本でも触れることを許してくれなかったわ。定例で開かれる婚約者同士のお茶会では、いつも緊張でがたがたと震えて、目を合わそうとしてくれなかったわね。私を好きで好きでそんなことになっていると思うと、いじらしくて堪らなかったわ」
思い返すと懐かしくなってしまった。
「エルドはあなたに何か言ってたの?」
ロゼレアは伏せていた目を上げて、こちらを見ていた。私とエルドの相思相愛ぶりに興味をもってくれたらしい。
「エルドが私に愛の言葉を囁くことは、一度も無かったわ。真に愛し合う者達の間に言葉は不要よ」
「それって……何でもないの。言わぬが花なの」
ロゼレアは大げさに首を左右に振った。私の発言にどこかおかしい所でもあったのだろうか? 私とエルドの微笑ましい、ただの相思相愛エピソードだったはずだ。
「もしも旅に出ないであのまま実家にいれば、私は他の相手と結婚する羽目になっていたわ。エルドがまだこの世にいるのに、そんなのは絶対に嫌よ。実家のことなんてどうでもいい。私はエルドさえいればそれでいいわ」
学園にいた時に抱いていた思いが嘘のように、今はロゼレアに対する負の感情は全くない。むしろ感謝している。思う存分エルドと触れ合えて、今の私は幸せだ。
「ねえ、私の存在は貴方の旅の役に立っているでしょう?」
私とロゼレアは持ちつ持たれつの関係だと、私は思っている。ロゼレアの返事は悩む間もなく返ってきた。
「その通りなの」
現に私とロゼレアが安全に森の中で野営出来ているのは、私が周囲に結界を張っているからだ。ドラゴンのブレスを防御しきるほどの結界なので、何人たりとも私達に危害を加えることは不可能だ。
ロゼレアは強力な死霊魔法が使える代わりに、それ以外の魔法がほとんど使えない。ロゼレアが魔力持ちの死体を欲しがっていたのは、間接的にでも死霊魔法以外を使えるようにするためだった。
一方で私は主要な系統の魔法がだいたい使える。私がいれば旅で困ることはまずない。ロゼレアは気付いていないだろうが、私が手を回したから、あの王国を簡単に出国できたのだ。ロゼレア一人では、王国に消されていても不思議ではなかった。
ついでに私は出国する直前に、どうせ国を出るのだからと、エルドを直接手に掛けた人物だけは私の手で殺しておいた。ちなみにその人物は私の父だ。
これで私もあの王国のことは、もうどうでもいい。
大きな瞳が開き切っていないロゼレアは、小さな欠伸をした。すっかり眠くなってしまったようだ。
「ロゼはもう寝るの。おやすみなの」
ロゼレアは横になると、すぐに可愛らしく寝息を立て始めた。
元々ロゼレアはたった一人で、いくつもの国を旅していた。抜けているところがあるロゼレアは、一人旅で危険な目に遭うことがやはり多かったらしい。旅の初めの内は私のことを警戒していたようだが、今は心から信頼してくれている。
愛しいエルドとの生活を続ける為にも、可愛らしいロゼレアのことは私が守らないといけない。エルドとロゼレアの二人を守るためなら、私は何だってする。
エルドの冷たい腕の中で、私もゆっくりと瞳を閉じた。エルドの腕の中なら、今日は良い夢が見られそうだ。