惨劇の東京校-3
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公森 和葉が職場に求めるものベストスリーを挙げるなら、給料、やりがい、そして人間関係になる。
現職である塔伐科高校教師をその三点で評価すると、まず給料はとてもいい。並大抵でない競争倍率なだけあって、普通高校の教員の十倍はもらえている。その分大変なこともあり、守秘義務も多いけれど、不満はない。
やりがいも申し分ない。担当している一年梅組の子どもたちは皆いい子で、可愛い。少し生意気なところもあるけれど、そこも含めて愛らしいと言える。塔伐者という目標のために一生懸命頑張る彼らに寄り添うこの仕事は、ハードだが本当に楽しい。
ただ……人間関係、この一点だけは、現在進行形で頭をかかえている。特に普段関わることの多い、一学年団の三名がキツい。
「どうしたのーハムちゃん、暗い顔して。恋患い? 俺に」
一人目、桜組担任、佐倉慧。公森が東京校の一年生だったとき、三年松組にいた超有名人だったから、最初は同じ職場になれて嬉しかった。なにせ顔面が国宝だ。
しかしこの男、とにかくウザい。そして協調性が皆無。彼の気まぐれのせいでウチの学年だけ土壇場で四クラス制になり、着任早々大変な目にあった。その後も校内のルールや計画なんてお構いなしに好き放題振る舞うものだから、学年団の空気は常に最悪。この間なんて会議の合間に瞬間移動で北海道まで飛んで、カニ食って帰ってきやがった。
ちなみにハムちゃんとは、公森がクラスの生徒につけられたあだ名である。お前が呼ぶな。
「口開くなやカス、空気がクサなるわ」
公森の右隣から話しかけてきた佐倉に、狐目の男が公森の左隣から身を乗り出した。殺気立つ青年を半笑いで一瞥し、佐倉もぐいっと前に出る。
「なーに、稲荷クン? ケンカ売ってんの? 固めて校門のオブジェにしてやろうか?」
「やってみぃウスノロが」
両脇でバチる二人に挟まれ、公森はうんざりと仰け反る。いつもどおり過ぎるやり取りだ。
同僚二人目、竹組担任、稲荷 迅壱。黄金色の短髪と鋭い狐目が特徴的な、佐倉と同学年の二十四歳。なんでも塔伐科高校大阪校出身で、かつては"東の佐倉"、"西の稲荷"なんて言われたぐらい、佐倉と並び称されたエリートらしいのだが、この通り犬猿の仲どころではない。どちらかと言うと一方的に稲荷が佐倉を嫌っている感じだ。
稲荷は竹組の生徒に佐倉のあることないことを散々吹き込んでおり、勢い余って桜クラス全体をボロカスに言っているため、校内大会以前から竹組の生徒たちには桜組を敵視する風潮ができあがっていた。一度大々的に揉めたって言うし……本当に大人げない。お互いに。子どもたちかわいそう。
「おい。お前らいい加減にしろ」
少し離れて腕を組んで見守っていた禿頭にサングラスの巨漢が、泣く子も黙る低い声で凄んだ。黒のタンクトップ一枚に包まれた上半身、胸の前で組んだ腕の分厚さが人間をやめている。遠目から見たら普通に岩と間違えそう。
同僚三人目、一年松組担任、鬼瓦 厳柳斎。シンプルに顔と名前が怖すぎる。それさえなければ、ものすごく常識人で真面目でいい人。
鬼瓦の一喝で、「チッ」「すいませーん♡」と二人が矛を納める。鬼瓦は御年四十歳、異能を持つ新世代の中では最高齢のベテラン塔伐者だ。即ち、【塔】と同じ年に生まれた世代。
長年この東京校で教鞭を執っており、佐倉も公森も学生時代お世話になった。佐倉と稲荷の口喧嘩(時々ガチ喧嘩)を止められるのは彼だけだ。
「ここに何しに集まったか分かってんのか。切り替えろ。それとも……死んだウチの生徒を、これ以上コケにするか」
冷気と熱気が共に渦巻くような鬼瓦の言葉には、さすがに二人とも閉口した。そうだ――鬼瓦先生は、自分のクラスの子どもを亡くしているんだ。
四人が集まっているのは、職員棟の一階にある生徒指導室。監視カメラのついた個室だ。先ほどオンラインの全校集会を終えたばかりの四人がここに集まる経緯としては、一人の女子生徒による申し出が始まりだった。
その彼女は今、中央の机の前の椅子に座って、大人しく目を閉じている。佐倉よりも一等濃く鮮やかなピンク色の髪を腰あたりまで伸ばした、派手な顔立ちの少女である。
「じゃ、桃春、準備はいい?」
「はい」
佐倉の呼びかけに、恋は強い声で応答した。
一年桜組、桃春恋。彼女が職員室に、「取り調べに協力したい」と電話をかけてきたのが昨日の夕方。諸々《もろもろ》の会議を経て、一学年団総出で彼女の監視と護衛をするという条件で、今日この時間からの実現に至った。午後六時、空は真っ赤に焼けている。
桃春恋の異能は《尋問官》――嘘を見抜く力。この能力を使い、今から公森たちは、この学園内の生徒、教師、従業員、併設の塔伐科大の学生ら――校内に存在する全ての人間を尋問にかける。
リモート会議ツールを用いて、一度に十名ずつ程度、校内の人間をこの部屋と繋いだ映像通話に参加させる。恋たちからは十名全ての映像が確認できる一方で、尋問にかけられる者たちにはこの部屋の映像しか見えない。校内の回線とシステムのため、小細工は不可能である。
現状生徒を部屋から出すわけにいかないし、かといって恋の方から一人ひとり回っていては莫大な時間がかかる。恋は対象の姿さえ見えれば、たとえ映像でも嘘を見抜くことができるということなので、この方法が採用された。
「そもそも、オマエんとこのガキの能力はほんまにアテになるんかい。こんな大がかりなことしといて、精度ゴミやったらなんの参考にもならんぞ」
「ちょっと、稲荷先生! 本人の前で……」
「大丈夫です」
飽きもせず佐倉に突っかかる稲荷を見上げて、恋が青い目を見張る。
「先生、恋人はいますか?」
「は?」
「必ずノーで答えてください」
「なんやいきなり……」
「い、ま、す、か」
「おらんおらん、そんなん」
「ダウト、いますね」
ギョッ、と狐目が見開かれる。
「えーっ! いるんですか、稲荷先生! そんなに性格悪いのに!?」
「じゃかぁしい!」
「そのエメラルドが入ったネクタイピン、プレゼントですよね? 大事に使ってるんですねぇ」
「なんで分かったんや!?」
「エメラルドって五月の誕生石なんですよ。自分で誕生石入りのアイテム買う人ってあんまりいなくないです?」
嘘を見抜く異能だけではない、目敏すぎる彼女の炯眼に稲荷の顔が青ざめる。
「先生まだ若そうですけど、そろそろ結婚も考えてたりしてー」
「ないわ、ないっ! 遊びやあんなもん!」
「はいダウトー、そうですか、そんなに真剣に……ホントに彼女さんのこと好きなんですねぇ。出会いはいつですか? 告白の言葉は? あ、私が予想するんで全部ノーで答えてくださいね」
「もうわかった!! 十分や、堪忍してくれ!!」
ついに稲荷の方が両手をあげて降参した。茹でダコのように赤面した彼の顔などめったに拝めるものではない。佐倉がケタケタ笑いながら写メを取っている。
「分かったでしょ、桃春のチカラは本物だよ」
そうして開始された《尋問官》桃春恋による尋問は、およそ二時間程度で終了した。
塔伐高全生徒二三七名、及び全教職員、従業員、塔伐大生――総勢四百名近い人数を一息に行ったにしては、随分コンパクトな時間に収まったのは、一グループにつき質問を"たった一つ"しかしなかったから。
『神谷孔鳴を殺した人物を知っているか』
被尋問者は必ず『いいえ』と答えなければならない。この質問であれば、殺しの犯人はもちろん、仮に共犯者がいたとしても取りこぼさずに済む。嘘つきがいれば即座に恋が指をさし、ただちに佐倉が瞬間移動で確保に動く。
最後の十名が終了すると、恋は暗くなったモニターの前で脱力した。
「お疲れ、桃春。大手柄だよ」
「そうなんですかね……」
尋問の結果――校内の人間すべての潔白が証明された。
「結局犯人は見つからなかった……力になれなくてすみません」
「いや、少なくとも今校内にいる全ての人間が、殺しに関わっていないと分かった。ここにいる俺たちも含めてね。桃春のおかげで、生徒たちも仲間を疑って生活するような地獄から解放される」
「オマエはよーやったわ」
「明日から授業再開できるのは、桃春さんのおかげなのよ。お疲れ様、ゆっくり休んでね」
「佐倉、寮まで送ってやれ」
「はいはーい」
鬼瓦の指示で、佐倉は桃春とともに瞬間移動で消えた。
「……どー思う、公森センセ」
顔をしかめた稲荷の問いに、「え?」と目を丸くする。
「どうって、校内の人間全員の容疑が晴れたんだから、つまり外部犯ってことですよね。犯人はどこかから学園に侵入した何者かで、既に学園の外に逃げてしまっている……」
「塔伐高のセキュリティは盤石や。そんなポンポン入ったり出たりできるかい。仮にそんなことができる、佐倉レベルのチート野郎がおったとして――わざわざ、あんな人が集まるタイミングを選んで、ピンポイントで松組の二人だけを狙うか?」
口を閉じた公森に変わって、「何が言いたい」、と鬼瓦が問う。
「今回の尋問で容疑が晴れとらんヤツが、まだ一人だけおるでしょ」
「それって……」
稲荷は狐目を薄く開いた。
「――桃春恋、本人や」




