死屍累々-2
大砲で発射されたみたいに吹き飛んでいった馬城は、慌てて避けた竹組の団塊に突っ込んだ。
解放された反動で尻もちをついた沙珱は、前に立つ少年を呆然と見上げる。
「巽、くん……」
竜秋は応えず、鋭く前方を睨んだまま。冷静そうでいて、揺れ動く目は、混濁した記憶と現在の状況を懸命に整理しようとしているようだった。
「……俺は、随分、寝てたみたいだな」
まだ頭が痛そうに、乱暴に二度手のひらで額を打ってから、竜秋は初めて沙珱を振り返った。
「お前と、あいつらの声、ハッキリとじゃねー、けど覚えてる。聞こえてた。だから、起きれた」
言葉の出が、なんだか遅い。明らかに健常な竜秋と様子が違う。棘の激痛を受け続けた影響が脳にまで達しているのだとしたら――
「巽くん、もう戦っちゃダメ!!」
「……戦わなきゃ、生きてる意味がねぇ」
それだけ言って、もう前に向き直る。沙珱の言葉に応えたというより、抱えていたものが反射で口から飛び出したような、そんな感じだった。
「やっと、起きたかァ……巽ィィィィィッ!!!」
仰向けに転がってクラスメートたちに心配されていた馬城が、鼻血に染まった顔を爛々《らんらん》と輝かせ、バネ仕掛けのように跳ね起きた。
「……誰だよ」
「ずっとこの日を待ってたんだァ……お前をぶちのめせる日をなァ!」
全身に《拳闘士》のオーラを張り巡らせて、馬城が大地を蹴り砕く。目を見張った竜秋の元に一瞬で到達した馬城が、右足を鎌のように振り抜いた。
間一髪屈んだ竜秋の髪を掠めた上段蹴りの軌道が、頭上でカクンと九十度折れる。踵落とし――目を見開きつつ真横に転がった竜秋の残像を踏み潰して、馬城の踵が大地をかち割る。
「チッ!」
飛びかかった竜秋の拳は弾かれ、熾烈な乱打戦へもつれ込む。秒間十にも及ぶ打撃を互いにすべて弾き、いなし、かわす。重撃の衝突音が空間を圧する。しかし――沙珱には見えていた。この戦いの結末が。
「ぐぉ……ッ!」
竜秋の腰の下あたりに強烈な中段蹴りが入る。たまらず足が止まったところに飛来した肘が彼の顎を捉えた。脳を揺らす一撃に、意識が飛びかける。ガラ空きの鳩尾へ、怪鳥じみた奇声を上げた馬城の足が槍のごとくめり込んだ。
吐き出される大量の唾液。地面を跳ね転がって、ボロ雑巾のようになった竜秋の体が、沙珱のすぐそばまで滑ってくる。
「ァ……うぇ……ッ!!」
腹を押さえて七転八倒する竜秋を、馬城は蹴りを放った体勢のまま、恍惚の表情で見下ろしている。
《拳闘士》で身体能力を倍増させた馬城は、パワー、スピード共に竜秋を優に上回っている。小細工の入る余地がない、こんな正面戦闘で……異能を持たない竜秋に、どうやってアレに勝てというのか。
それでも竜秋は、二の足で踏ん張って立ち上がる。あぁ、本当に、なんて心の強い人。
「ヒヒヒ……知ってるぜ、俺。――お前、無能力者なんだってなァ?」
その強靭な心に、ヒビの入る音が聞こえた。
馬城は積年の恨みつらみを丸ごと吐き出す勢いで、目を血走らせて車輪のごとく舌を回す。
「去年、お前と同じ中学のヤツボコって吐かせたんだよ! あぁ傑作だぜ、神童とまで謳われたあの巽竜秋が、なんの天恵も授からなかったなんてェ!! それ聞いたときからさァ、ずっと、ずっっっっとこの時を待ってた!! "異能アリ"で、"正々堂々"お前をぶっ殺すこの瞬間を!!」
竹組の少年少女たちの間で、湖面に一石を投じたように、ざわめきの波紋が広がる。
無能力者? 無能力者って……異能がないってこと? マジ? かわいそう。あんなに強いのに。そんな人間いるの?
うげぇー……オレならムリ、自殺するわー。
竜秋の体が、銃弾に貫かれたみたいにピクリと跳ねた。
「ハハハハハハハハァッ!!! なんだよその顔、お前でもそんな顔するんだな!? なぁなァ、どんな気持ちだったんだよ? 無能のまま十四才の誕生日を迎えた時の感想、教えてくれよ!」
「……うるせぇ」
竜秋はよろめきながら踏み出して、果敢に馬城へ向かっていった。ぐんぐんと地面を蹴って加速し、跳躍する。幾千幾万と積み上げてきた、武の結晶のような飛び蹴り。
「おっっっっッ、せぇんだよザコォッ!!!」
迎え撃つように跳躍した馬城の体が、ひらりと竜秋の更に一段上を舞った。強烈な蹴りが竜秋の脳天を直撃、ハエのように叩き落される。
頭から血が流れるにも構わず、竜秋はすぐさま転がり起きて、また向かっていく。爆速で飛びかかる竜秋の拳をひらりとかわして、馬城は粘着質に笑いながら、足、腹、顔におちょくるような殴打を浴びせる。こいつ……いたぶって、愉しんでいる――灼熱のような怒りが、沙珱のこめかみ辺りで爆ぜる。
「なぁなぁァァァァ? 今どんな気持ちィ? 見下してたやつに手も足も出ないってさァ、どんな気持ちなんだよ、教えてくれよォ!?」
覚束ない足取りの竜秋に、声が裏返るほど興奮した馬城のボディーブローがめり込んだ。血を吐き、その場に膝を折って、それでも、亀のような速度で立ち上がろうとする竜秋を――踵落としの直撃が、ついに地に這いつくばらせた。
「はいィ、俺の勝ちッ!! 完全勝利!!!」
竹組の拍手と歓声を背に、両手を広げて快哉を上げた馬城の口端から、ヨダレが溢れる。
「………………ね、ぇ」
「――あ?」
足元で、虫のような呻き声が這うのを、笑みを消して馬城は見下ろした。竜秋が、両手のひらを地面につけて、懸命に起き上がろうとしている。
「…………まだ…………負けて…………ねェ……」
沙珱は、信じられなかった。
竜秋が、泣いているのだ。




