白鬼の少女-2
その日の放課後、竜秋たちは九人がかりで佐倉に挑み、惨敗を喫した。
「なんなのあれ、チートすぎ! 勝てるわけないじゃん!」
夜、竜秋たちは男子寮と女子寮の間に位置する教養の談話スペースに集合した。竜秋と閃を中心に反省と対策法について議論するためであったが、開幕早々恋の口から飛び出したのは白旗ガン振りの敗北宣言。
実際、対策の立てようがないというのが正直なところだった。竜秋を凌ぐ素の戦闘能力に加え、瞬間移動とノーモーションの絶対防御を有し、極めつけは彼の手に触れられるだけで完全に無力化されるときている。どう倒したものか見当もつかない。
「で、でも、巽くんが正面を支えてくれるから、私たちはかなり楽させてもらってるよ」
「やなぁ。結局決め手に欠けるってところが一番のモンダイやなぁ」
「これでビャクヤがいればなー、全部解決すんのにな」
何気なくヒューが口にしたのは、皆が努めて勘定に入れないようにしていることだった。恋が慌てて話を変えた。
「佐倉先生ってさ、そもそもなんで桜クラスなんてつくったんだろーね」
「それは……僕らが塔伐者候補生として相応しくないから『いらない』から引き受けたんだって、前に」
「あれ嘘だよ」と、恋があっさり否定した。幸永が瞠目する。
「佐倉先生の言葉は嘘だらけ。あぁ、今日の授業は一つも嘘言ってなかったけど。そもそもあの人の性格的に、役立たずを引き受けるとか、そんな献身的なことしないでしょ」
「たしかに……」
「じゃ、じゃあ、もしかしていい先生だったりして!? オレらに秘められた潜在能力を見抜いて、一流の塔伐者に育てるためにわざと厳しいことを……」
拳を握って身を乗り出し、キラキラ目を光らせて夢想する爽司を、「それはない」と恋がバッサリ斬り捨てた。
「なんで!?」
「だって、あの人が言った『塔に登らせる気はない』って言葉――あれは純度百パーセント、嘘のない言葉だったもの」
重苦しい沈黙が、九人のワーストクラスにのしかかった。
結局、佐倉を倒して松に上がる以外、竜秋たちに塔伐者になる道はないわけである。
それから毎日、朝も、昼も、気づけば最初に佐倉が言ったとおり、どうやって佐倉を倒すか、それだけを考える学園生活になっていた。毎晩談話室に集まって、真剣に対策を立てた。もう弱音を吐く者も、脱線して駄弁る者もいなくなった。
反省はできている。対策も練れている。気づけば戦闘中に言葉を必要としないほど、九人の連携は深まりつつある。個人の鍛錬も手を抜いていないし、今まで経験のない多対一の立ち回りも慣れてきた。ストレスはない。前進している感じもある。
それなのに、まるで手応えがない。佐倉というあまりに巨大な壁。本格的に授業も始動していく中、心の休まる間もない日々に――竜秋は、充実していた。
勝てないことが、こんなに面白いなんて知らなかった。翌日にリベンジできるから、悔しさよりも「次どうするか」の思考が勝る。自分以外に八人分の手札があるから、まだ無数に試せるバリエーションがある。諦める、暇がない。
これで、白夜もいたなら――それはもう、考えないようにしていた。
入学からあっという間に十日が過ぎた。事件が起きたのは、その昼時である。
四時間目の授業を終え、いつものようにヒューが飛び出す。彼のおかげで昼と夜の限定カレーは、毎日半分以上を桜クラスの男子が独占していた。
毎日カレーでは流石に飽きてくると思いきや、あまりに美味すぎるため全くその気配がない。野菜もたっぷり入っているから栄養バランスも十分。月千エンで生活せねばならない竜秋たちにとって、食堂のカレーは救世主に近い存在だった。
ところがその日、竜秋たちは初めてカレーを食いそこねた。
「おい……あそこで倒れてるの、ヒューじゃね……?」
ヒューを追いかけて食堂へ向かっていたところ、道の中腹に人だかりができているのに気づいた。野次馬たちが集まってできた輪の中に、二人の人間がうずくまっている。
そのうち一人が、左足のスネあたりをおさえて悶絶しているヒューだった。ギョッとして駆け寄る。彼のズボンをまくり上げて痛がる箇所を診てみると、明らかに骨が折れていると分かる、尋常でない腫れ方をしていた。
「大丈夫か!?」
「こっちにももうひとり倒れてる!」
「まさか、ぶつかったのか……!?」
時速百キロを優に超えるヒューのスピードで、仮に誰かとぶつかったならお互い大怪我は避けられない。
ヒューを爽司、一査、閃が介抱している間、衝突したと思われるもう一人の男子生徒の元へ幸永と竜秋が駆け寄る。ヒューの左側、一メートルほど離れて倒れていた少年は左足を押さえ、苦しそうに起き上がった。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫に、見えるか……? バカみたいなスピード出して、いきなりぶつかって来やがって」
ヒューに代わって謝りかけた幸永を止めたのは、潤んだヒューの声だった。
「そっちが急に、飛び出してきたんだろ……! それでも、おれは、ちゃんと避けたよ……!」
「だめだよヒュー、ちゃんと謝らなきゃ。実際に怪我をさせてるんだ」
「でも!」
納得いかない様子のヒューに舌打ちして、少年は立ち上がる。鮮やかな水色の髪が目立つ、高飛車な印象の男。背格好や雰囲気からみて、どうやら同じ一年生らしかった。若竹色のネクタイ――竹クラスの証である。
「ぶつかっといて謝りもできねーのかよ。胸くそ悪ぃ。……っ、あー、痛ぇ」
左足をおさえて顔をしかめる少年に、「本当にごめん」と幸永が頭を下げる。
「彼には僕がよく言って聞かせるよ。償いたいけど今は何も差し出せるものがない、よかったら名前を……」
「――待った。彼、嘘ついてるだぁよ」
気づけば幸永の前に割って入って、閃が少年を見上げていた。
「なっ、なんだ、お前」
「キミはヒューくんの左側に倒れてただ。てことは、キミは、ヒューくんの進行方向から見て、左側から飛び出してきたってことでいいだか?」
「そうだよ、それがどうした」
「痛がっているのは左足。ヒューくんも左足が折れてるだよ。左側から飛び出してきたキミに対して、ヒューくんはどうやったらキミの左足に"だけ"接触できるだか? 他に痛めているところがあるなら、今言ってほしいだよ」
息を呑んだ少年の反応に、何かを確信した様子で、閃が前髪に隠れた目を見張る。
「キミがどこも痛めてないことは、ウチのクラスの《尋問官》さんを呼べばすぐに分かるだよ。だから今ぶっちゃけるだ。さっきから中途半端に握ってる右拳――それ、"なにを持ってる"だよ?」
言い終わるかどうかという刹那、少年がいきなり右拳を振り抜いた。とっさにのけ反った閃の手前で、拳は空を切った――はずだったのに。
ゴキィッ、と鈍い音を立てて、閃の小柄な体が真横へ吹き飛んだ。声も出せず倒れ込み、動かない閃に、一同何が起きたかも分からず戦慄する。
「閃!?」
「――あーあ、マジうぜー。落ちこぼれが探偵気取りかよ」




