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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ホラー系

【ホラー】落ちた実を拾いあげる夕暮れ

 鬼子母神は、毘沙門天の部下の武将の妻であり、五百人もの子どもの母親であった。子育てのための栄養を欲した鬼子母神は、人間の子どもを捕えて食べた。

 見かねた釈迦は,彼女の子を隠す。鬼子母神は嘆き悲しみ、釈迦に縋りついた。

 釈迦は諭した。「そなたが嘆き悲しんだように、人間の親も悲しいのだ。今のお前であれば、人間の痛みと苦しみもわかるであろう」と。

 その後、鬼子母神は仏法に帰依し、子育ての女神として信仰を集めた。



 1 下流の街


 梅雨がまだ明けぬ、チャコールグレーの空。

 首都高の下、県境を流れる川に沿って県道が続く。


「いやあ、気鋭の学者さんに、わざわざ来てもらって、ありがたいですよ」


 御堂多映子みどうたえこは、黙って頭を下げる。


 学者は本当だが、気鋭かどうかは不明である。

 運転する浜崎は、のっぺりとした、細い目の男。爬虫類系という面立ちである。

 依頼された児童館の雑務を担当していると言う。



「この辺の有川ありかわは、上流には昔、色街がありましてね」

「はあ」


「色街の女が孕んだ場合、この川に浸かって胎児を流すか、産んで、すぐに川に流すか、いずれにしても文字通り、腹の子を流したそうで、『子無川こなしがわ』と言ったんですわ。戦後、名前が変わりましたが」


 女性の前で、こんな話を平気でする浜崎に、多映子は苛つく。

 ただし表情には出さない。

 浜崎は道路の脇に停車する。


 その一角だけ、樹木が並ぶ。

 朱色の花が咲いている。

 脇には幾つかの小さな石塔。奥には、色の剥げた鳥居と賽銭箱。


「流れた出た胎児は、川が急に曲がる場所、つまりはこの辺りに、辿り着いたそうです」


 そう言った浜崎の目は一層細くなり、ちろりと舌で唇を舐めた。


「では、ここは慰霊のためのお社ですか?」

 あえて、多映子は尋ねてみた。


「元々祀られていたのは、『鬼子母神』です。有川の上流にある、大きな鬼子母神のお末社だそうです」


 遠くで雷鳴がする。

 灰色の雲から、ひんやりとした風が吹いてくる。


 カサッ


 気配を感じた多映子が、鳥居の先を見る。


 ふわりと風に広げる絹の糸。

 そんな黒髪の少女が、木の下に立っていた。


 ああ

 そうだね

 もうちょっとだね


 まあだだよ


「そろそろ行きましょうか」

「あ、はい」


 多映子がもう一度振り返ると、少女の姿はなく、石塔の上に、朱色の花が一つ落ちていた。



 2 子どもが消えていく


 御堂多映子は人類学の研究者である。


 今回、この地に伝わる『神隠し』の分析を、児童館の館長から依頼された。

 なんでも、十五年前に起こった子どもの行方不明事件を、文化人類学の観点から推測して欲しいのだという。


 車を停め、児童館までの道を歩きながら、浜崎は語る。


「十五年前ですねえ。児童館は小学校の跡地に建てられたものですが。その小学校で、ある日、二人の少女が行方不明になりました。その後も、ポツリポツリ、数年に一度、子どもが消えるのですよ」


 浜崎の後を、多映子はいつもより歩幅を狭くしながら歩く。

 道はところどころ泥濘ぬかるんで、路傍の雑草の丈は高い。


「それでね、子どもの数が減ったこととか、行方不明が続くとかで、小学校は廃校になり、児童館に代わりました」


 ぐにゃり


 多映子の足が何かを踏んだ。

 ゴムホースのような太さと固さ。


「ひいっ!」


 自分が踏んだものの正体に気付いて、多映子は声を上げた。

 それは腹を見せて横たわる、蛇の死骸だった。


 浜崎は驚くこともなく、唇を舐める。

「季節ですからねえ、この辺。元々水田地帯で、くちなわも多いんですよ」


 十五年前。

 最初に消えた少女たちの名は、丸山楡まるやまれの永輪塔子ながわとうこという。

 楡は、六年生の途中に転入してきた。

 塔子は、小学校の近くに、母親とふたりだけで暮らしていた。


「そうですなあ、最初に行方不明になったコ、丸山さん、アレは綺麗な子でした」

「やはり誘拐とか、そんな感じでしょうか?」

 恐る恐る多映子は尋ねた。


 ちらりと多映子の顔を見て、浜崎は言う。

「どうでしょうねえ。警察もいろいろ調べていましたが」


「もう一人の行方不明の方は?」

「ああ、永輪さんね。ちょいと訳ありでしてね。その母親が……」


 浜崎は人差し指で、自分の頭をくるくる回す。


「拝み屋っていうのか、だらしいない格好で枝を振り回したり、さっき見た、鬼子母神のお社でお百度したりで。娘の塔子ちゃん、虐待の噂ありましたもん」


 何処へいった

 何処へいった

 隠れてないで、出ておいで

 良いコだから出ておいで

 出ておいで!


 多映子の顔色が一層白くなる。

 浜崎は多映子の変化に気付かない。


「まあ、丸山の娘と永輪の娘が、家出したまま、行方不明という可能性も、ねえ」



 3 児童館の夕暮れ


 二人が児童館に近づくと、町内に音楽が流れた。

 流れる童謡のメロディは、子どもに帰宅を促すものである。


 児童館は鬱蒼とした木々に囲まれ、かつての小学校のおもむきはない。

 夕焼けを背景に、児童館を囲む木々の枝は、黒く長く伸びる。


『木ノ下児童館』


 ああ、まだいるのか

 あの女教師。

 たしか名前は、木ノ下みずき……



 館長室に案内されて、多映子は館長の木ノ下と向かい合う。


「ようこそいらっしゃいました。いえ、ようやく、ね」


 幾つになったのだろう。

 当時でも三十代。

 あれから十五年。


 くすくすと笑う木ノ下の顔は、多映子の記憶の中の表情と寸分違わず、多映子の拳は小刻みに震えた。


「捕まえたわ。隠れていた子ども」


 木ノ下は多映子の手を掴む。

 手の甲の骨が悲鳴を上げる。


 一旦中座した浜崎が、何かを肩にかけ、入ってくる。

 大きな高枝切り鋏だ。


「あなたの写真をネットで見た時、わたしは小躍りしたわ」

 うっとりと宙を見る木ノ下の表情は、かつて彼女が、同僚の男性教師を追いかけていた時と同じだった。


 その男性教師は、転校してきた丸山楡の面倒をみていた。他の児童よりも、些か濃い可愛がり方ではあった。

 ゆえに木ノ下は、露骨に楡をいびった。

 それどころか、クラスの女子を焚きつけて、いじめを作り出し、加速させた。


「クラス全員で、かくれんぼするわよ」


 木ノ下の指示で始まった遊び。

 今と同じような季節。小雨が降っていた。

 最後まで鬼のままだった楡。


 翌日から、彼女を見た者はいない。


 一緒にがんばろうね。

 負けないよね、わたしたち。


 母の奇行により、クラスから浮いていた塔子と楡は、互いに励ましあっていた。

 おそろいのヘアピンを買って、こっそりつけていた。



 楡が消えた翌日。

 塔子は校舎内を探しまわった。


 探して

 探して


 見つけてしまったのだ。


 校庭のはずれ。

 教師用の駐車場との境目で。

 ひと房の黒髪。

 血糊で固まった髪に、ヘアピンが絡まっていた。


 塔子が髪の束を拾い上げた時、生臭い空気に振り返ると、木ノ下がにやあ、と笑って立っていた。


 塔子は走った。

 走って走って、家に戻ると、母は彼女に水をかけ、家のドアや窓に白い紙を何枚も貼った。


 塔子は大きながま口と、一枚の紙きれを渡され、台所の床下収納の中に押し込められた。


「隠れていろ!」


 それが母の最期の言葉。

 閉まったドアは鉄製で、女児の力では到底開けられなかった。


 遠くの方でガラスの割れる音。

 濡れたタオルを振り回すような音。


 そして女の高笑いが聞こえた気がした。



「名前を変えて十五年。あなたはどこに隠れていたの? 御堂多映子さん。いえ、永輪塔子さん」


「楡はどうなった。母は……」


 木ノ下は、烏瓜のような唇を舐めた。その舌は二つに割れていた。


「子どものお肉は、美味しかったわあ。あなたのお母様は年だったし、体中に呪符なんかを巻いていたから、そのまま引き裂いたけどね」


 多映子の首を、浜崎が持つ、切り狭の刃が挟む。


「最後に何か言い残すこと、あるかしら」


「その能力ちから、どこで手に入れた、木ノ下?」

「ナーガ様よ。川のほとりのお社の」

「ナーガ、だと?」

「狡猾な蛇神だしん様は、血と肉の贄が必要。だから捧げたのよ。わたしを裏切った男の赤子を!」


 木ノ下の目に炎が上がる。

 それを合図に浜崎は、切り鋏に力を入れる。


 血しぶきが、天井近くまで上がる。


 ごとり

 何かが落ちた。


 木ノ下の哄笑が響く。


「なにがそんなに可笑しいの?」


 少女の声に木ノ下は真顔になる。


 目の前には傷一つ、ついてはいない多映子が立っている。

 多映子の足元には、首と胴体が切り離された、大きな蛇のむくろ

 胴体は、いまだのたうち回っている。


「ねえ木ノ下センセ。不思議に思わなかったの? いままで姿を隠していた、永輪塔子がなんで現れたのか」


 じりじりと木ノ下に近づく多映子の瞳には、血よりも赤い光が灯る。


 木ノ下は気圧されて下がっていく。


「ナーガだって? バカじゃないの? インドの八大竜王が、そんなチンケな贄で、本当に動くと思ったの?」


 木ノ下は歯を剥きだしに怒りの表情を浮かべ、両手を多映子に伸ばす。

 十本の指は黒い蛇になり、多映子の首を狙う。


 多映子はそのすべてを軽やかに躱し、まとめていた髪をほどく。


「姿を隠していたのは、あなたも一緒よ、センセ。ようやく力が持てたから、あえてあなたの誘いにのったわ」


 そう言って多映子は高らかに叫ぶ。


「もう、いいよ!」


 その途端、木ノ下は胸を掻き毟り、びりびりと衣服を破る。

 青白い胸から腹にかけて、デコボコした紫の塊が蠢く。


「あああああああ!!」


 蠢いた塊は、パリパリと裂ける。

 裂け目からは、墨汁のような噴水が上がる。

 木ノ下の体液の奥から、ずりずりと這い出す、何体もの胎児たち。


「おまえが隠した子どもは、この世界に戻った! おまえは罪と咎を、その身で受け止めよ!」


 多映子は手に持った、一本のヘアピンを、木ノ下の額に差し込んだ。

 

「ぎゃあああああ!!」


 断末魔の絶叫は一瞬だった。


 血だまりの中、ハイハイしている一体の胎児を抱き、多映子は児童館を出る。

 残照のなか、多映子は胎児に囁いた。


「終わりましたよ。

鬼子母神様」




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― 新着の感想 ―
[良い点] 御社の言い伝えと神隠しの都市伝説。 それらの語られる導入部には、「地域に纏わるフォークロア」という趣があって良いですね。 そして終盤における怪異との対決シーンには「過去との決着」という要素…
[良い点] 「あの一作企画」から拝読させていただきました。 じわじわくる恐怖の描写。迫力ある戦闘シーン。 流石でございます。 読ませていただきありがとうございます。
[一言] 終盤の緊迫感にドキドキしました……! 強大な敵に立ち向かう主人公が格好良かったです。 それにしても蛇って実物見ても勿論びびっちゃいますけど、こうやって作品に出てくると不気味さが増しますね。 …
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