Color 1 始まりの光(5)
―――おい守護。起きろ。おーい。
どこからか自分を呼ぶ、聞き覚えの無い声。
守護は眉をしかめ、億劫そうに重い目蓋を上げた。
「……どこだここ」
辺りは最果てもなく続く暗闇。明らかにさっきまでいた屋敷の庭ではなく、立っている感覚や方向感覚さえ失いそうになる。そんな空間だった。
―――やーっと起きたか。
下高音の声と共に、一人の若い男の姿が闇を切り抜いたように、守護の正面から数歩置いた距離に浮かび上がる。
長めに伸ばした鮮やかな赤い髪と、眦がすっきりとした赤い目。
痩せた長身の体に合った白色のジャケットが闇に浮き、そのジャケット以外は黒色で統一されているために余計際立つ。
そして、よく見ると男の両手は片方ずつ重く光る鎖に繋がれ、その鎖は男の僅かな動きに合わせて重量感をはっきりと耳に残した。
その鎖の先は闇の中に果てしなく続き、消えている。
「……誰だあんた……? 何でオレの名前を知ってんだよ」
この初対面の男に、最大限の警戒をしながら守護は尋ねた。
黒い影の化け物に遭遇した時に感じた、本能から発せられたあの危険信号とは少し異なるが、この男に対しても油断がならないと直感が告げている。
しかしその反面、ずっと昔から良く知っているような、記憶の澱にほのかに浮かぶ空気をこの男は身に纏っていた。
「あいつらの仲間か?」
―――あいつら? あー、ブレイムのことか。
慎重に口を開いた守護に、男は小馬鹿にするように眉をひそめたが、面倒くさそうに重い鎖で繋がれた手を持ち上げ、不自由そうに頭をかく。
―――ブレイムなんかと一緒にすんなよ。……まあいいか、お前何にも知らないもんな。
守護は、いい加減な返答しかしないことにムッとしながらも警戒を緩めることなく、男の言葉を待った。
―――あー、ブレイムも知らねぇのか。
守護の顔を見て、男は落ちてくる前髪を片手で掻き上げながら面倒臭そうに呻き、適当な言葉を探すように黙りこくったが、すぐに気が変わったように天を仰いだ。
―――まあいいや、時間無ぇし。これ以上ゴタゴタしてくると面倒だしな。後で覚えてたら話してやっから黙って聞けよ。まず、お前は石の『能力者』だ。
「石の『能力者』……? てめえ、さっきから勝手に訳分かんねぇことばっかり言ってんじゃねぇよ!」
我慢の限界が訪れ、苛立ちから男の胸倉を掴みにかかった守護を男は冷めた目で見下ろすと、鎖に繋がれて重い両手の代わりに、容赦の無い膝蹴りを腹に叩き込んだ。
ぐっと息を詰まらせ、むせながら腹を押さえて呻く守護をしれっと見下ろし、男は鎖を見せ付けるように拘束された両手をゆるゆると顔の高さにまで上げる。
重く、耳に障る鎖の音。
―――さすがに何十年もこんな所にいると、暇なんだよ。取引だ。お前にオレの力を貸してやる。そうすればお前はブレイムから逃げられるし、オレも退屈から解放される。いい話だろ?
これ以上はない提案だろうという矜持を口元に浮かべた男を、守護は噛み付くように睨みつけた。痛みが引いてきた腹から手を離し、ゆっくりと背筋を伸ばす。
―――早くしねえと、あの嬢ちゃんもお前も、闇に飲みこまれるぜ。
嬢ちゃん、という部分を強調し、男は守護を試すようにニヤリと笑う。口の端から獣のように鋭い犬歯が覗いた。
空間を支配するのは重い沈黙。守護は強く拳を握りしめた。
こんな男に助力を求めなければならない自分の弱さと情けなさに、守護は腹の中が煮えくり返りそうだったが、足かせのように纏わりつく迷う心を振り払い、真っすぐに男を見据える。
けっ、と悪態をつくと、守護は一歩踏み出した。
「その取引、乗ってやる! 力を貸せよ! てめえの退屈しのぎに付き合ってやる!」
男は、思っていたより早く答えが返ってきたことに意表を突かれたのか、一瞬きょとんと目を円くしたが、可愛げねぇけどいい答えだな、と口元から鋭い犬歯を覗かせて笑った。
ボロリと男の頬が崩れ、薄紅の花びらとなって剥がれ落ちると、それを皮切りに次々と男の体から花びらが舞い落ち、人の姿が崩れていく。
その瞬間、守護は思わず右手を前にさし出した。まるで、何かの力に導かれるように。
薄紅の花びらは渦を巻くように守護の手の上へと集まり、別の輪郭を縁取っていく。
―――そういや、名前言ってなかったな。
どこからか男の声が響き、守護は手の上にズシリとした重みが宿るのを感じた。
男の手首にはまっていた鎖が落ち、重厚な金属音が限りない闇の中に吸い込まれていく。その闇の中を舞う最後の薄紅が守護の手の上に収まり、静かに重みを宿した。
―――オレの名前は、散葉だ。