Color 1 始まりの光(2)
僅かに傾いてきた西日は、より輝きを増す。
うららかな陽気に包まれた、なのめ町は、今日も変わらず平穏を保っていた。
風に乗った甘い春の香りが鼻孔をくすぐり草木を揺らす。しかし、そんな町中を覆う穏やかな空気は、なのめ高校の校門前で漂う険悪な雰囲気の前に、無残に散り去り、六人の大柄な男子生徒たちによって、行く道を遮られた一人の少年は憮然と、そして露骨なまでに嫌な顔をしていた。
短くバサバサとした、銀色かかった白い髪。体つきは均整が取れており、どこか狼を思わせるような精悍な顔立ちと、目つきの悪い印象を与える金色の三白眼。今、その目は機嫌の悪さも手伝ってかなり険悪な色を帯びていた。
他の生徒は、この揉め事に巻き込まれまいとして、校門前で睨み合う彼らを大きく避けながら通り過ぎていく。
「ちょーっと用があるんだけどいいかな? トガクシシュウゴくん」
ガラの悪い男子生徒たちの中から、リーダー格らしい大男が毛虫のような眉毛を片方だけ上げ、指を鳴らしながら前に出る。名を呼ばれた少年――戸隠守護は、黙ったまま相手を睨みつけた。
「昨日は俺のダチが世話になったらしいなぁ。ちょっとばかりケンカが強いからって、あんまりデカイ面してんじゃねえぞ! 今日はその礼をたっぷり……ぶへふっ!」
大男が言い終わるより早く、守護の右拳が容赦なく顔面にめり込んでいた。
他の男たちは思わず、ケンちゃーん! と、この大男の名前を叫んだが、ケンちゃんと呼ばれた大男は既に目を回して後ろに倒れ、伸びている。
「うっせえな! こっちは早く帰らねえといけねえんだ、どけよ!」
一人が守護へ殴りかかったことを皮切りに、道を遮っていた五人は次々と続いていったが、守護の啖呵から一分もかからないうちに、彼らはあっと言う間に打ちのめされていく。
けっ、と倒れた男たちを一瞥し、怪我ひとつ無く、息も乱すことなく歩みだした守護だったが、背後から自分の名を呼びながら駆けてくる声に気付き、ふと足を止めた。
「守護~!」
ゆるい癖のある、金の絹糸のような髪をまとめてポニーテールにし、黒目勝ちな青い瞳はどこまでも澄んでいる。
少女は軽く息を弾ませながら、守護の元に駆け寄った。
「何だよ、亜姫」
守護はこの幼馴染みの少女――河元亜姫に尋ねたが、亜姫は守護の問いに構うことなく、伸びている男たちを気の毒そうに見やり、あーあ、と鈴の鳴るような声を漏らす。
「またケンカしたら、斑さんに怒られるのに~」
「お前が言わなかったらいいだけだろ。つーか、あっちが勝手に絡んできただけだっての」
守護は憮然とした顔で踵を返し、歩き出すと、亜姫も当たり前のようにその横をついて歩く。
「ほんとにケンカバカだよね~」
「人の話聞いてんのか? おい」
亜姫が歩くたび、小さなペンダントが胸元で光を浴びて輝いて揺れ、守護が覚えている限り、ずいぶんと幼い頃から、亜姫はこのペンダントを肌身離すことなく着け続けている。
普段なら気にも留めないこの輝きが、今日は何故か目についたが、守護は自分が目をやっている相手の部位に気付き、慌てて目をそらした。
亜姫は、そんな守護の視線にも気付くことなく、ふうと大袈裟なため息をつく。
「だって、昨日もケンカしてたじゃない~。それで怒られて、今日、罰として屋根裏掃除することになったんでしょ~?」
「お前っ、どこでそれを……!」
「昨日、斑さんの怒ってる声が聞こえてきたの~」
ママが、今日も賑やかね~って笑ってた~、と亜姫はほわりと笑う。
守護と亜姫の家は隣同士。幼い頃から家族ぐるみで付き合いもある。
しかし、自分が叱られていたことが全て筒抜けだったということを知ると、守護は恥ずかしさからぐぅと唸ると、そのまま黙りこんだ。
幼い頃はほとんど変わらなかった二人の背丈や影の長さも、今は大きく違う。しかし、横に並んで歩く距離は変わらない。
小学生の頃は、二人並んで歩いたり一緒に行動したりすることを周りからからかわれることも多かったが、高校生にもなると、そんなからかいはほぼ無くなっていた。
「つーか、今日は音楽室に寄らなくて良かったのかよ?」
「うん。今日はピアノの調律があるからダメって先生に言われたの~。残念……」
しょんぼりと、亜姫は肩を落とす。
「合唱部も、なかなか人数が集まらないから、部活動として認めない~! って、言われたばっかりだし」
「歌うのは一人でも出来るだろ?」
守護の言葉に、亜姫は一度大きく首を縦に振ったが、でも……と人懐っこい笑顔を見せた。
「みんなで歌うと、もっと楽しいんだよ~」
幼い頃から亜姫は音楽全般が好きで、小中高と放課後は音楽室に入り浸っており、楽器は教室に置いてある弦楽器や管楽器、打楽器など、一通りの演奏も出来る。
文化祭にもなれば、そこはもうほぼ亜姫の独壇場と化し、彼女の歌や演奏目当てで訪れる者も少なくない。
なのめ高校の喧嘩バカと歌姫。この幼馴染コンビは街中でもちょっとした有名人だ。
「そんなもんなのか? さっぱり分からねえな……」
守護は興味がないように呟き、亜姫はその様子に少し不満気に頬を膨らませるが、そーだ、と思い出したように呟いた。
「知ってる? あの『お化け屋敷』に引っ越してきた人がいるんだって。日和ちゃんが、日和ちゃんのお兄ちゃんから聞いたって言ってた」
亜姫は、親友から聞いただけだというこの話に、何故か自慢気に胸を張る。
彼女の言う『お化け屋敷』とは町の外れに在る、古びた一軒家のことだ。
石造りの洒脱な外装だが、荒れ放題の庭と薄汚れた窓が、いかにも幽霊やそういう類のものが出そうな不気味な屋敷で、亜姫を含め近辺に住む者にはそう呼ばれていた。
「へー……。あんな所に住むなんて、よっぽどの変わり者だな」
「小さい頃、みんなでよく忍びこんで遊んだよねえ~。大きいネズミさんにびっくりして、私と功刀くんが泣いちゃって……。守護が床を踏みぬいちゃって、助けようとした日和ちゃんも床を踏みぬいて~」
「……覚えてねえよ、そんなガキの頃の話」
守護は思い出し笑いで肩を震わせる亜姫に、唇を尖らせながら答えた。
「ホントに?」
亜姫が小首を傾げて、守護の顔を覗き込む。純粋に問いかける青い瞳に、守護は耐えきれずに目を逸らした。
そんな守護の心中など構うことなく、亜姫は、ふわりと微笑む。
「島の外を冒険する時は、私も連れてってくれるんでしょ?」
「……覚えてねえよ」
「え~っ!」
心の底からショックを受けている亜姫を置いて、守護は少し歩みを速めた。
「いいから早く帰るぞ。今日、少しでも掃除しとかねえと、明日の休みが掃除で全部潰れちまう」
しかし、歩みを速めた守護に対して亜姫はふと足を止めた。
「どうした?」
守護が振り返ると、亜姫は口を半開きにして空を見上げている。
「空が……」
亜姫はスッと空を指差した。守護はその指先を追う。