06 懐かしきナモルタタル 前編
ハリハルタでの取り引きはやはり魔物素材が中心だったのだろう、ベルナルド老人が納得できる仕入れを終えて町を出発したのは、九日目の早朝だった。
ここまではのんびりとしたスピードで馬車を走らせていたというのに、ハリハルタを発ってからは馬車が軋むほどの速度で北上していた。
「今度はやけに急いでるなぁ」
「できるだけ早く生魔の森の影響を受けないところまで進む必要があるんだろう」
森を避けるようにして整備された街道だが、チラホラと視界に魔物の姿が見えている。コウメイとシュウが威圧を放って追い払っていたが、そうでなければ馬車は何度か襲撃を受けていただろう。
「揺れがキツイなー」
「そうか?」
「この程度なら大したことはないぞ?」
ハリハルタから北上する馬車はスピードを出しがちだが、コウメイとアキラの知る最速の行軍に比べれば、この程度はゆりかごのようなものだ。それでも座っていると腰が痛くなるため、彼らは馬車の柱をつかんで立ち、魔物が近寄らぬよう周囲への警戒を続けていた。
馬車の速度とコウメイたちの警戒が功を奏してか、彼らは昼を過ぎるころには、魔物に襲撃されることもなく安全域までたどり着いていた。休憩もなしで街道をひた走ったベルナルド商会の馬車は、遅い昼食をとるためようやく馬車を止める。
「お先ーっ」
「あ、シュウの奴、また先に行きやがった」
「俺たちだって我慢してるのに……」
馬車が止まるなり飛び降りたシュウは、街道から外れた草むらに駆けていった。限界を訴えていた膀胱を交代でどうにかしてから、少しばかり遅めの昼食だ。
「簡単なもので悪ぃが」と言いつつコウメイが用意したのは、薄切りの魔猪肉を炙って挟んだサンドイッチと、白芋の酢漬けだ。野外での食事は干し肉と堅パンが定番のベルナルドらにしてみれば、多少パンが乾いていたとしても上等な昼食である。
「今夜は渓谷にある村で泊まる。ナモルタタルには明日の閉門のころには着くじゃろう」
「急ぐんだな」
「商談相手との約束の日が迫っておるんじゃ。難しい相手じゃからの、遅れるわけにはいかん」
三人との契約もナモルタタルまでだ。
「コウメイの飯は美味いし、シュウの荷運びには助けられた。アキラのおかげで村人がよく集まって売上も伸びた。おぬしらとの旅は退屈する暇がなかったのう」
呵々と笑った老人は、食後のコレ豆茶を手に三人をじっくりと見て「オルステインに来る気はないか」とたずねた。
「ナモルタタルで別れるには惜しい人材じゃ。ぜひとも儂の元で働いてほしい。雇われる気はないかね?」
報酬ははずむぞと勧誘されたコウメイは苦笑いだ。
「俺らは冒険者だぜ。商人の仕事なんてできねぇよ」
「冒険者のままでかまわんよ。護衛をかねて儂の旅に同行し、こうやって美味い飯を食わせてくれれば良い。たまに護衛もしてくれれば助かるが、基本は好きにしてもろうてかまわんしな。ときどき儂の頼みをきいて仕事をしてくれればいいんじゃ」
どんな仕事とは明言しないところが実に怪しげだ。まるで細作か密偵のようではないかと思ったコウメイだが、賢明にも口にはしない。ベルナルド商会には色々と謎が多いと感じていたコウメイとアキラは、やはりなという確信を持った。
「ベルナルドさん、そろそろ休憩を終えませんか? あまりゆっくりしていると、夕刻までに村に入れませんよ?」
ここまでかなり早い速度で来たとはいえ、まだ生魔の森の端は視界にあるのだ。あまりゆっくりしてもいられないし、予定が決まっているというのなら遅れるわけにはゆかないだろう。アキラがやんわりと促すと、老人はさほど粘ることもなく引いた。
動き出した馬車は夕暮れ前に渓谷手前の小さな村に入った。ここは村でありながら乗合馬車の簡易駅も設けられており、ちょうど南へ下る馬車が止まっていた。乗客らは近くに建てられた小さな小屋で一晩を過ごすらしい。
ベルナルド商会の馬車はそこを通り過ぎ、周囲よりも大きくて立派な家の前で止まった。老人によれば、この町に泊まるときはいつも村長の家で世話になっているらしい。あいにく田舎の村なので村長の家といえども客室は一つしかない。コウメイたちに与えられた寝床は干し草小屋だったが、不満はなかった。
「明日の夜にはナモルタタルか」
干し草に寝転がり乾いた甘い香りを楽しみながら、コウメイは懐かしい街の人々を思い浮かべた。十年以上も経つのだ、彼らの風貌も街の様子も変わっていることだろう。
「楽しみだなー。大っきい街なんだろー?」
「王都に比べれば小さいものだぞ」
「割とのんびりした街だぜ。住み心地は悪くはなかったけどな」
「色々案内しろよなー」
観光するほど見る物があるかどうかはわからないと言う二人に、シュウは「それでもいいから」と見物をねだった。
「ダチが住んでた街だぜ、昔話ついでに色々見聞きしてーだろ」
「普通に住んで、冒険者やってただけだから、それほど面白い話なんかねぇぞ」
乗り気でないコウメイを煽るように、シュウは昔コズエたちから聞いた話題を蒸し返した。
「コウメイ狙いの女子がどーなったのかとか、ギルドの美人なおねーさんがどうしてるのかとか、気にならねーのかよ」
「ならねぇっ」
むしろ顔を合わせたくない相手だと二人は顔を歪める。肉屋と宿屋の二人はすでに身を固めているだろうから、いまさらどうこう心配はしていないが、歳を取っていないこの姿では会いに行っても名乗ることはできない。そしてエドナに関しては、彼女の勘の良さと見識を考えると、顔を合わせれば間違いなく正体を見破られそうで恐ろしい。無意識にか小さく震えたコウメイを見逃さなかったシュウが、ここぞとばかりに突っ込んだ。
「何を怖がってんだよ? まさか責任取らされそーになって逃げたとかー?」
「んなことするわけねーだろっ!!」
「えー、昔のコウメイってそーいうの得意だったろー」
「得意じゃねぇ!!」
ニヤニヤとするシュウの襟首をつかんだコウメイは、いい加減にしろと揺さぶった。
「昔話したいなら、俺もシュウの失敗談をひとつ披露してやろうか?」
「俺は失敗なんてしてねーし」
高校生時代には失敗するほどのアレコレもなかったのだが、その虚しい過去は胸の奥に隠したままシュウは挑発に乗る。そこに珍しくアキラが便乗してきた。
「へぇ、そうなのか?」
「俺が聞いたのは、付き合ってた女子マネに、浮気を疑われてひっぱたかれたってヤツだな」
「お前は浮気した方なのか」
アキラの目が険しく細められ、ハギ藁でほかほかしていたはずの寝床が一気に冷え込んだ。
「ち、違う!! あれは相手校の応援席に同中の女子がいて、久しぶりだなーって話してただけだって!!」
「結構な美人だったって聞いてるぜ?」
「あー、それはそうなんだけどよー」
他校の美人と歓談する場面を目撃した女子マネ彼女が、ライバル校のスパイにいい顔するんじゃないとシュウをひっぱたいたらしい。
「何でもなかったんだぜー。なのに思いっきり平手打ちとか、ひでーだろ?」
「鼻の下伸ばしてたなら当然だろ」
「ああ、ハニトラに引っかかったのか」
シュウらしいなとアキラが微笑み、そういえばハニートラップを仕掛けたおっさんもいたと思い出したコウメイは苦笑いだ。
「まあ、そういうわけだから、俺らはナモルタタルでは極力名前を出さないでおきたい。ギルドや宿屋はシュウが話をつけてくれよ」
ホウレンソウのパーティー名は問題ないが、ギルド関係者のいる場所では名前を出すなと念を押した二人に、シュウは「まかせとけ!」と胸を張って応えた。
「大丈夫かねぇ」
「まあ、いざとなれば魔法使いギルドの名前を出せば、なんとかなるだろう」
一抹の不安を覚えつつも、懐かしい街への郷愁に、二人の気持ちは高まるのだった。
+
平時の渓谷には関門は存在しない。早朝に村を出たベルナルド商会の馬車は、昼前に渓谷を通過し、森に挟まれた街道を北に進んだ。森が途切れたところで昼食休憩をとったが、街が近いせいか、その間にも多くの馬車や旅人が街道を往き来していた。
「今回の旅は平穏だったのう」
まだ目的地に到着したわけではないというのに、老人は感慨深そうにそう言うと、無口なマッティオが珍しく声に出してその驚きをあらわし、ニコロももの足りなそうだ。
「確かに、一度銀狼に襲われただけでした。こんなに安全な旅程ははじめてだ」
「盗賊が出るかもって聞いてたのに」
彼らの話しぶりからは、普段の旅程では数日に一度は魔獣や魔物を追い払っていたようだ。こっそりと視線を交わした三人は、威圧でありとあらゆるものを追い払っていたことは黙っていた。もっとも盗賊に関しては関与していないので、彼らの運が良かっただけだろう。
「まだ街に着いてねぇんだ、油断するにゃ早いだろ」
「見ての通り馬車の往来が増えてきた。魔獣や魔物はよほど飢えていない限りにぎやかな街道には近づかんよ。ここから先の警戒対象は同業者の皮を被った盗賊じゃ」
大きな荷馬車が後をついてくると思っていたら、実は盗賊だったというのはよくあることらしい。あるいは困窮した農村が丸ごと追い剥ぎに変わることもある。だからはじめての村で寝床を借りるときは、手土産を持参して村を懐柔する必要があるのだそうだ。
「へー、そんなことあるのかよー」
「初耳だな」
これまで何度も村で屋根を借りた経験のある三人だが、一度として村人に襲われたことはなかった。だが旅慣れた老人が言うのだから、実際は珍しいことではないのだろう。
「手土産か」
いつも狩りすぎた肉を宿代がわりに提供してきただけなのだが、その行動が正解だったようだ。
「さて、街に入るまであと少しじゃ、最後までしっかり頼むぞ」
飯係として雇われたはずだが、いつの間にやら商会の護衛としてもカウントされていた。自分の身を守るついでなのでかまわないのだがと肩をすくめた三人は、行き交う旅人に笑顔を振りまきながらも、怪しい馬車や馬が近づかないよう、警戒に努めたのだった。
+
ナモルタタルの街門は彼らの記憶と大きく変わってはいなかった。石造りの高く頑強な街壁、分厚い鉄扉の開かれた門前には、警備の兵士と管理の役人がいる。ベルナルド商会の馬車は、すぐに手続きを終え街へ入る許可が下りた。荷馬車に同乗しているコウメイらも簡単な身元確認で問題なく門をくぐり街に入る。
街壁の内側には乗合馬車の待機用広場と停留場がある。コウメイらはそこでベルナルドの馬車を降りた。無事にナモルタタルに到着したのだ、彼らとの契約はここまでだ。
「じゃあな、爺さん。世話になった」
自分たちの荷物を下ろし終え、老人に挨拶をすませる。
「世話になったのはこちらじゃよ。食事係だけでなく護衛までさせてしもうたしな。余計な仕事の分、報酬を追加で払うから、ワシらの宿まで来てくれんか?」
「追加なんていらねぇよ。俺らは護衛らしい仕事はほとんどしてねぇし」
「いや、しかしな」
「ここまで乗せてきてもらっただけで十分だ」
「マッティオさんが焦れているようですよ。そろそろ日も暮れますし、私たちに気を使う必要はありませんよ」
「じゃあな、じーさん。楽しかったぜー」
なんとか引き止め、もう一度三人を勧誘する口実を欲しがっていた老人は、けんもほろろにあしらわれて諦めたように肩を落とした。
「儂らは白銀の星亭に泊まる、街を発つのは五日後だ。気が変わったら訪ねてきてくれよ」
そう言うと馬車に乗り込んで貴族街に近い高級宿へと去っていった。
「粘ったな、爺さん」
「ちょっともったいなくねーか? 追加報酬だろー」
「わずかな金のために、あんな怪しげな連中と関わり合いたくないな」
「そんなに怪しかったかー?」
確かに旅外商の一行にしては商品は少なかったし、人員も大幅に不足していた。だが立ち寄る町や村でちゃんと商売していたし、不自然な様子はなかったとシュウは首を傾げる。
「確かに小さな商いはしていたが、日用雑貨の行商なんて、外国まできてする商売じゃないと思うぞ?」
大きな取り引きもしていたが、ベルナルド商会は圧倒的に小売りの行商が主軸だった。街道を外れた町や村まで足を伸ばすことも多く、まるで各地の情報を集めているようだった。
「それよりも、今日の宿をどうする?」
「知ってる宿屋は一つしかねぇだろ」
「じゃーそこでいいんじゃね?」
「そういうわけにもなぁ」
銀葉亭はレベッカの実家だ。彼女に対するわだかまりなどは全くないが、かつて街にいた冒険者と自分たちが関連づけられたくなければ、銀葉亭は避ける方が無難だろう。かといってその辺の宿屋に飛び込むのも不安だ。食事の不味い宿も、シーツを替えない宿も、見知らぬ他人と相部屋を強制される宿も避けたい。
「ギルドで紹介してもらうしかねぇな」
「一泊一人百ダル以内で二食付き、個室希望だが無理なら三人一部屋というところか」
アキラがメモした板紙を手に、シュウが冒険者ギルドへ向かおうとしたときだった。
「それならうちの宿に泊まりませんか?」
乗合馬車の降客に声を掛けていた少年が、彼らの前に歩み出て人なつっこそうな笑顔で営業をはじめた。
「うちの宿の料理は美味しいって評判だよ。部屋は清潔だし、客層もいいから安心して泊まれるよ!」
弾けるような笑顔でそう言ったのは、まるで夕日のような赤毛の、ソバカスがチャーミングな少年だった。
「値段はいくらだ?」
「一人百二十ダル。ちょっと高いけど、洗い湯付きだからお客さんたちに向いてると思うんだ!」
アキラは熱心に宿の良さをアピールする少年をじっくりと観察した。年齢にありがちなひょろりと長い手足をしているが、痩せているわけではなく健康的だ。彼の髪はくせ毛で跳ねていたが、汚れや皮脂のべたつきはなくふわりとやわらかそうだし、肌も衣服にも不潔さは全くない。
「俺たちに向いてるって、どうしてそう思った?」
「だってお客さんたち、手が綺麗だからさ」
少年曰わく、冒険者は手を見ればその人物のことがだいたいわかるのだそうだ。
「眼帯のお兄さんの大っきな手は、シワに汚れが残ってないし」
料理をする手は常に清潔を心がけている。
「銀髪のお姉さんの手は爪の先まできちんと手入れされてるし」
「お兄さんだ」
「あ、ごめんなさい。ええと、鉢巻きのお兄さんは剣ダコが凄いけど、ちゃんと手当てされててぞんざいに扱ってないから」
コウメイたちが老人らと別れてからはまだほんの少ししか時間は経っていないというのに、なかなかの観察眼だ。
「うちは洗い湯を使うことが絶対条件の宿なんだ。そういうのって人によっては凄く嫌がるからさ。湯は入らないから値引きしろって冒険者もいるんだけど、そういう客は断ってる……お兄さんたちならうちの宿に満足してくれると思うんだけど?」
コウメイはニカッと歯を見せて笑い、少年の赤毛をクシャクシャとかき回した。
「おう、俺らにぴったりの宿だぜ。案内してくれよ」
「ありがとうございますっ」
「連泊は可能か? 二泊か三泊くらいだが」
「もちろんです」
「俺すげー食うけど、飯のお代わりできるよな?」
「有料になりますけど、爺ちゃんの飯は美味しいからたっぷり食べてください」
それぞれ荷を背負った三人は、弾むような足どりの少年を追いかけた。街の広場からは道一本、冒険者ギルドにほど近い四階建ての建物の前で足を止めた少年が、満面の笑みで三人を振り返った。
「いらっしゃいませ、銀葉亭にようこそ!!」




