03 商業都市リアグレン
ベルナルド商会の旅はとてものんびりとしたものだ。先を急ぐ商隊は一日で商業都市リアグレンにたどり着くというのに、彼らはトルンとリアグレンの真ん中にある小さな山村で馬車を止めた。どうやら村の役人とベルナルド老人は旧知らしく、多くの商隊に素通りされるこの村で小さな商いをするらしい。
「ではコウメイたちは夕食の支度を頼むよ。ワシらは店を開くからの」
先頭の荷馬車が幌をあげると、側面が商品棚になっていた。品揃えを確かめた老人が小さなベルを鳴らすと、今か今かと待っていた村人らが馬車を取り囲む。
商売の邪魔だとでも言うようなニコロの視線に追い出された三人は、門番の村人に近隣の狩り場の使用許可を求めた。
「それなら柵沿いに西へいったところにある、小さな森で魔猪を討伐してくれないか」
春の繁殖時期に討伐しそこね、増えた魔猪が村の畑を荒らしにきて困っているのだそうだ。今は作物の収穫時期なため、村人らも魔猪狩りまで手が回らずに困っているという。それならばと三人は遠慮無く魔猪を狩った。狭く小さな森だというのに三つの群れが餌場を争うことなく共存していたのは、村の農作物という格好の餌場があったからだろう。
「ちょっと狩りすぎたかもなぁ」
「やっちまったのはしかたねーよ、さっさと解体してくれー」
日頃から大人数の村人らに追い払われていたせいだろうか、魔猪はコウメイたちの数が少ないと知ると先を争うように襲いかかってきた。攻撃されれば反撃するのは当然で、彼ら足元には十一頭の屍が転がっている。
「もう終わったのか」
まるで大きな花束を抱えているかのように、両手一杯に薬草を摘んで戻ってきたアキラはご機嫌だ。魔猪の皮を処理するコウメイの横で分類し、そのいくつかを差し出した。
「これとこれは野草で、こっちのは香草だ、料理に使え」
「助かるぜ」
「なー、それ苦いやつじゃねーよな?」
「お子様舌だな」
「アキラのは爺舌すぎるんだよーっ」
シュウは背負子を組み立てると、コウメイが解体した肉をスライム布で包み、縛りつけて楽々と背負った。
大量の土産を持って村に戻ると、門番には顎が外れんがばかりに驚かれ、村人には畑の被害が軽減すると喜ばれ、ベルナルド商会の三人にはどれだけ食うつもりなのかと呆れられた。
「魔猪を討伐してもらえたのはありがたいが、あいにく村には謝礼をする余裕がないのです」
ベルナルド老人と話していた村長は、コウメイらの反応をうかがうような困り切った様子で頭を下げた。どうやら報酬を要求しにきたと思われたらしい。
「気にしないでください。私たちは夕食の食材を狩りに出ただけです。たまたま群れに出くわして、攻撃されたので身を守るために屠っただけですから」
皮は次の町で売りさばくつもりだし、肉も食べきれないので村に寄贈するとアキラが言うと、村長は明るい顔で繰り返し礼を言った。
「今日と明日で食い切れるのか?」
魔猪肉一頭分を丸々料理するコウメイに、マッティオは渋い顔だ。食材を無駄にするのはどうにも我慢ならないらしい。
「ふむ、皮の処理はなかなかのものだ。これならリアグレンで良い値で売れるだろう」
魔猪の皮を検分した老人は、ギルドに卸すよりも皮職人に直接売ったほうが高値がつくと助言し、よければ卸先を紹介しようとまで言った。
ニコロは十一頭分の肉を軽々と背負っていたシュウの剛力が信じられないようで、その挙動を熱心に観察しはじめた。
ベルナルド商会が店じまいし、空が赤暗く染まりはじめたころ、コウメイらは村の集会所の一角に腰を落ち着けていた。ずらりと並べられた料理は、村から提供された食材も使った豪華なものだ。
「これが魔猪肉の串焼き。こっちのは丸芋と肉の甘煮、野草の卵とじに、デザートはバモンの砂糖煮だ」
「短時間でよくまあこの品数を作ったものだな」
「ふうむ、少々変わった味付けだが、悪くはない」
「……その芋の煮たやつ、もっとくれ」
ニコロは不貞腐れたように空になった椀を突き出している。どうやら三人の胃袋はつかめたようだ。
「あの鍋のスープはださないのかね?」
老人が鼻を動かしながらコウメイの背後にある寸胴鍋に視線を向けた。
「いい匂いがしておるが」
「あれは一晩寝かせてやっと旨みが出る。明日の朝のお楽しみだ」
魔猪の骨スープは濃厚だが、食べ盛りのニコロ少年がいるなら残ることはないだろう。
「明日の昼飯は馬車を止めて火を焚く余裕はあるのか?」
「いや、六の鐘までにはリアグレンの街に入りたい。今日よりは急ぎになるだろうな」
出発は朝一番だと聞いたコウメイは、朝食の下ごしらえと同時に弁当の用意をはじめた。汚れ物はアキラが、荷運びはシュウがテキパキと片付けてゆく。ベルナルド商会の三人は顔合わせの反発を忘れ、ナモルタタルまでの旅程の食事を楽しみにするようになった。
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南北の街道と東へ向かう街道の分岐にある商業都市リアグレンは活気にあふれていた。
「ここの空気は、陽気な賑やかさだな」
住人の気質は気候風土だけでなく、経済的な力の有無でもずいぶんと変わるものだ。同じ商業都市でも、山間部にあるナモルタタルは堅実で地味な雰囲気だったし、ダッタザートは砂漠が近いせいか開放的で野性的な印象が強い。ここリアグレンはひと言でいうならば都会的な街だった。
「石造りの高層建築が多いな」
「アレ・テタルに少し似てねーか?」
「いや、あそこは多国籍っていうか、怪しげな雰囲気が強かったぜ。こっちはピカピカの大都会って感じだろ」
「そうだな、どちらかというとシェラストラルに近いように思うが」
「えー、そーか?」
一年以上も王都に住んでいたシュウだが、アキラの意見には頷けないようだ。当時のシュウが受けた城下町の印象は、もっと窮屈で暗い印象が強いらしい。
リアグレンの街門をくぐった馬車は大通りを進み、地味ながらも威厳のある建物の前で止まった。馬車から降りる前に、黒いお仕着せの男性が駆け寄り、老人に手を貸す。
目立たない看板には、ハギの穂を束ねた絵が描かれており、小さく「結びの宿」と記されていた。お仕着せの男によって開かれた重厚な木製扉、踏み込んだロビーはまるで高級ホテルのような上品なしつらえだ。顔が映るほどに磨かれた石床の上に、土足で踏むにはもったいないような厚くてふわふわの絨毯が敷かれている。
「ここが今夜の宿だ。少々値は張るが、寝台の寝心地は良いし、飯も酒も美味い」
居心地の悪さを顔に出すシュウに向かって、老人は笑顔で「疲れが取れるぞ」と釘を刺す。飯係とはいえ老人らに雇われている身では、別の安宿に泊まるという選択は許されないようだ。
「お連れ様がたのお部屋ですが、あいにく空きがございませんで、一部屋を三人でお使いいただきたいのですが」
案内された五階の客室にはベッドがひとつしか無かったのだが、予備の組み立てベッドが入れられ、さらには綿入り座面の長椅子が運び込まれたため、かなり窮屈ではあったが三人の寝床は確保されていた。
「お食事は二階の食堂にて八の鐘からでございます」
宿の規則を簡単に説明し終えるとお仕着せの男は忙しそうに立ち去った。
「……一泊、いくらだって?」
「一人三百五十ダル」
「高けーよっ」
これでもベルナルド老人の口利きで割り引きされているのである。
「予定は三泊だったよな?」
取引先との商談は二日ほどかかるらしく、出発は三日後の昼前だと聞いている。
「あの爺さんやり手っぽいのに、金銭感覚が謎だな」
「いや、商売相手に合わせてるんだろう」
高級品の取り引きに薄汚れた姿で向かっては侮られるだけだし、信用も得られない。
「なー、金、足りるのかよ?」
「この程度の贅沢は問題ないが、どうも落ちつかねぇよなぁ」
染みついた貧乏性はなかなか払拭できるものではない。彼らは高級宿の代金を稼ぐため、さっそく冒険者ギルドへと向かった。
「そういやここってアリエルちゃんがいるんじゃなかったか?」
コズエたちの友人である彼女は、この街の商家に嫁ぎ手腕をふるっていると聞いている。
「あまり商家街には近づかないほうが良さそうだ。彼女はコウメイが眼帯なのも、俺の髪の色が抜けたことも知っている」
五、六年ほど会ってはいないが、この程度の時間経過では、他人のそら似と誤魔化されてはくれないだろう。ベルナルド老人に紹介された店に魔猪の皮を持ち込もうとしていた三人は、高値での売却を諦めることにした。
冒険者ギルドに持ち込んだ魔猪の皮は、一枚二百ダルで買い取ってもらえた。稼げる獲物は何かと掲示板を確かめると、大蜘蛛の糸袋に高値がついていた。特に大黒蜘蛛は相場よりも三割ほど高い。リアグレンの街は繊維業や織物業が盛んだとかで、糸袋の需要は高いとのことだった。
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翌朝早くから、三人は大黒蜘蛛を探して街西にある山間の森に出かけた。
「大蜘蛛の糸袋で作った生地って、どんな高級な服になるんだろうな」
「薄くてなめらかで軽いらしいぞ。貴族や金持ちの服に使われるらしい」
アキラにとっては糸袋は魔道具の素材でしかない。大蜘蛛よりも大黒蜘蛛の糸袋の方が魔力に染まりやすく耐久性がある。処理の仕方によっては接着剤のような役割も果たすため、服地に使うと聞いたときは「もったいない」と声が出てしまったほどだ。
「魔道具でも服の材料でも何でもいーよ。ガンガン狩ろうぜー!」
他の冒険者に先を越されたくないと急ぐシュウを、二人は慌てて追った。大黒蜘蛛は毒にさえ気をつければそれほど難しい魔物ではない。高値な素材を求めた冒険者たちとの競争を覚悟していたコウメイたちだが、発見した巣の周辺には競争相手らしき存在は影も形も無かった。
「うわー、いつ見ても不気味だなー」
陰鬱に感じるほど日の射さない森の奥、樹齢も立派な大樹に糸を張りめぐらした大黒蜘蛛が、その中央で獲物がかかるのを待ち構えている。触れた者を捕らえて放さない強力な接着力のある巣は、地面すれすれの位置にも展開されており、大黒蜘蛛の捕食対象が空だけでなく地上にもいるのだとよくわかる。
コウメイたちが追い込んだワーラットが巣糸に引っかかり、あっという間に絡め取られ毒にやられた。
「毒持ちが毒にやられるとか、こえーなー」
「毒じゃなくて疫病だ」
「どっちも似たよーなものだろ」
頭上から聞こえてくる不気味な咀嚼音を聞きながら、三人はザックリとした作戦をたてる。
「俺が風刃で巣を破る。二人は落ちてきた蜘蛛を頼む。ああ、巣も落ちてくるだろうから、絡まるなよ」
「そんなヘマはしねぇよ」
巣の主が食事に気を取られている間に、それぞれが立ち位置を決めた。アキラが風刃で巣を支える縦糸の端を切断してゆくと、大黒蜘蛛の巣は風に煽られ大きくはためいた。足場を崩された蜘蛛が餌を抱えたまま宙にぶら下がったところを再び風刃が襲う。
命綱を切断された蜘蛛は、地上で待ち構える二人に向けて毒爪を突きつける。
シュウが跳び、毒爪を切り落とした。
腹の下を狙って剣を突き出したコウメイは、貫くと同時に頭胸部へと斬り裂いた。
「一匹目、しゅうりょー」
「ワーラットの死骸はどうする?」
「燃やすしかないだろうな。疫病が広がっては困るし」
大黒蜘蛛の腹部から糸袋を取り出し、残る死骸は穴を掘ってワーラットとともにアキラが燃やして埋めた。
「次いくぜー」
昼食のために角ウサギを狩り、向こうから襲ってきたのだからと銀狼を討伐し、目的の大黒蜘蛛を探して森を駆け回った三人は、もうすぐ八の鐘というころに街に戻った。
「糸袋が七つで四千九百ダルか。他のも合わせたら結構いい稼ぎになったな」
「これで気兼ねなく高級飯を味わえる」
値段が気になって豪華な料理を楽しむどころではなかったアキラは、硬貨の入った袋を手にほっと息を吐いた。反対に値段など気にならないコウメイは、味付けや調理法を分析しながら堪能していた。今夜の料理も楽しみにしている。
「さすが高級宿だよな、昨夜のコース料理とか、繊細で上品で、美味かった」
「美味いけどさー、なんか食い足りねーよ、あれ」
美味しいものは美味しいと素直に味わったシュウだが、品数は多いが少しずつ提供される食事では満足できなかったらしい。
「おかわりさせてもらえなかったしー」
彼にとって食事とは、満腹感と達成感を満足させるものだ。どちらも感じられなかった時点で、腹一杯になるの庶民飯の評価が高くなる。
「またあれっぽっちしか食わせてもらえねーんなら、何か買って帰ろうぜー」
夜食が欲しいシュウは、二人を強引に市場へと引っ張ってゆく。あまり臭いのキツイものは避けろと釘を刺されつつ、シュウはつぶした丸芋を焼いた料理と、蒸した角ウサギ肉と野菜を挟んだサンドイッチ、豆と魔猪肉の煮込みを買い込んだ。屋台料理を目にして食欲を刺激されたのだろう。コウメイとアキラもいくつか料理を選んでいる。
「あー、また酒のツマミ系かよー」
コウメイは炒って甘辛く味付けした豆に、酢漬け野菜を、そしてアキラは蒸留酒の酒瓶を抱えている。
「宿で酒を頼むと高いからな」
「明日は街の見物するんだし、早起きの必要はねぇんだ、ゆっくりしようぜ」
宿に戻った三人は、身綺麗にして夕食の高級コース料理を堪能し、部屋で酒盛りを心おきなく楽しんだのだった。
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リアグレン三日目、三人はフードを深く被って顔を隠し、街の見物に出かけた。ダッタザートでコズエやサツキの店を見てきたばかりなので、衣料品店や菓子店のような店についつい視線が向かう。街中に店を構える菓子店は尻込みしそうになる高級店ばかりだ。服飾工房の飾り窓には、地元の特産である織物を使ったドレスや紳士服が飾られていたが、それらにはさして興味を引かれなかった。
「狩猟服の店ってねーんだな」
「あれは冒険者ギルドが専売してるものだし、こんな街中に店を構えても客は来ないだろう。商品は客のいる場所で売るのが一番だ」
街中の店を冷やかした後、三人は庶民の台所である市場に紛れ込んだ。近隣農家からの収穫物がずらりと並び、木工製品や革製品の店ばかりでなく、古道具屋や古着の露店も多い。繊維産業の街だけあって、織物や糸や端布を扱う店はあちこちに見うけられた。
「おい、兄ちゃんたち、ちょっと待ってくれ」
色鮮やかな布をぶら下げた店の前を通り過ぎようとした三人は、山のような服地の向こうから男に呼び止められた。
「その狩猟服、ちょっと見せてくれねえか」
「見せるって、ただの服だぜ?」
「いや、その生地だ。ああ、やっぱりだ、リアグレン織じゃねぇか」
服地商の男は、コウメイの上着に触れると、その表面を撫でて「間違いない」と青ざめた。
「最高級のリアグレン織を狩猟服なんかに仕立て上げるなんて、なんて贅沢をしてるんだ!」
戸惑うコウメイらを見て、男は怒りを抑え込んで布地の価値を訴えた。いわく、リアグレン織は富豪や貴族が服を仕立てるときに使うような高級生地であり、消耗品扱いの狩猟服に使用するなど正気の沙汰ではない、そうだ。
「確かに、繊維糸と大黒蜘蛛の糸で織り上げた生地は、軽くてやわらかいのに摩擦に強く汚れにくい。だからといって狩猟服はないだろうに……もったいないっ」
すがりつかれ、狩猟服に顔を埋められそうになったコウメイは、慌てて男の手を振り払った。人々は何事かと足を止め、騒ぎの中心にいるコウメイたちを振り返る。三人は慌てて野次馬たちをかきわけると、市場から逃げ出したのだった。
「……なぁ、あのおっさんの様子だと、この狩猟服、とんでもねぇ値段なんじゃ?」
顔だけでなく、衣服までをしっかりとマントの下に隠して冒険者ギルドに逃げ込んだコウメイたちは、売店で売られている狩猟服と自分たちの着ているものを比較して唸った。手触りのよさも、厚みややわらかさも、絹とズタ袋ほども違う。
「これは……コズエちゃんに支払う額を間違えたな」
自分たちの着ているものが他の冒険者らと違うのは、コズエのデザインゆえだと認識していたが、どうやら大きな間違いだったらしい。繊維の街だけあって、ここで売られている狩猟服は、他の町で販売されているものよりも品質が良い。だが三人の着ている服はそれ以上だった。軽さに肌触り、色の発色や丈夫さ、どれを取っても比較にならないのだ。
「どうりで宿の従業員が俺たちを丁寧に扱うはずだ」
冒険者を相手にするにしては嫌な顔ひとつしなかったし、給仕も部屋の清掃も完璧だった。プロフェッショナルだからこそ客を区別しないのだろうと思っていたが、どうやら最高級のリアグレン織を、消耗品である狩猟服に惜しげもなく使える経済力を認められていたらしい。
「この服、すげー着心地いいんだよなー」
「動きやすいし、丈夫だし」
「汚れが付着しにくくて扱いも難しくない……狩猟服にぴったりな生地だと思うが、ここの人たちの認識では違うらしいな」
リアグレン織の値段を、それとなくギルド職員にたずねたアキラは、聞かなければ良かったと後悔することになった。
「……厚意に甘えるにしては、ちょっとな」
「かといって贈り物に現金を返すのも」
「けどさー、さすがにこの金額はねーよ」
頭を付き合わせて唸った三人は、ダッタザートでは入手困難かつ稀少な服飾素材になりそうなものが手に入ったときには、換金せずにコズエに送りつけようと決めた。特に国外の布製品などは滅多に手に入るものではないだろう。
「そーいや、じーさんの荷物にきれーな布とかあったよなー?」
「オルステインの布か、見せてもらおうぜ」
三人は宿に戻り、商談に出かけたベルナルド商会の面々が戻るのをロビーで待ち構えたのだった。
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商談を終えて戻るなりコウメイたちに取り囲まれたベルナルド老人は、事情を聞いて笑った後、この先で卸売りする予定の商品を見せてくれた。
「ダッタザートあたりはサンステンの砂漠越え商人たちの商域だ、オルステインの染め布はそれほど出回っておらんだろう。その狩猟服を縫った御仁も気に入ってくれるだろうよ」
老人が選び出した布地は、深く濃い青色だった。ムラもなく均一に美しく染めあげられている。
「濃い色の染め布は、沈んだ汚い印象のものが多いのに、これは綺麗だな」
「深いのに、重く見えねぇ。いいな、これ」
「キレーな青だなー」
「ルオランス染めといってな、わしの街の特産だ」
藍染めに似ていると、アキラはその深い青の布を撫でた。その表情を見て「気に入ったようだな」と目を細めた老人は、他の布も取り出し広げる。こちらは藍色に白い模様が映えていた。
「これ、雪の模様みてーだぜー」
「こっちは格子柄だな」
「さざ波のようだ……」
どの布も一点ものだ。同じ雪模様の染めであっても、二つとして同じ柄はない。これは選ぶのが大変だぞと、三人はひとしきり頭を悩ませ、それぞれが一枚ずつ選んだ。コウメイは最も深い藍色の一枚を、アキラはグラデーションの美しいものを、シュウは雪模様の一枚だ。
「……お買い上げ、ありがとうございます」
まさか旅費を浮かせようと護衛職に応募した冒険者が、安くはない品をぽんと現金で購入するとは思いもしなかったのだろう。マッティオは戸惑っているし、ニコロの表情は引きつっていた。ベルナルド老人だけはコウメイたちの経済力を疑ってはいなかったようで、にこにこと笑顔で品を包み、配達の手配まで請け負った。
「あんたたち、金があるんなら乗合馬車を使えばいいだろ」
ちゃんとした座席にすわって快適な移動ができるのに、荷箱の間に腰を押し込むような乗り心地を選ぶなんて酔狂ではないか。もしや何か企みがあるのかとニコロの表情が険しくなった。
「お前ら、まさかエネルスト商会の間者か?」
「これ、ニコロ。剣をおさめなさい」
冒険者による街中での私闘は禁止されている。ましてや先に武器を抜いた側が圧倒的に不利なのは誰もが知っている。コウメイらに向けられた剣先を、老人は杖で軽く叩いて鞘に戻させた。
「彼らはエネルストの連中とは無関係だよ」
エネルストというのは彼らの商敵だそうだ。前回雇い入れた冒険者は、エネルストの息がかかっていたらしく、行商を妨害されかなりの損失を被った。そのため今回の旅は、冒険者の孫が行商の助手兼護衛として同行したのだ。
「旅費を出せない冒険者が、こんな大金を持ってるはずないだろっ」
ニコロにとっては宿代を即金で支払ったことも、彼らの扱う高級な布地を購入したことも、彼らを疑う根拠となっているようだ。
乗合馬車を選ばなかったのは、シュウの身体が大きすぎて窮屈なのと、狭い車内でじろじろ見られるのをアキラが嫌がったからだと説明しても理解されそうにない。だがベルナルド老人は「彼らは無関係だ」と繰り返した。
「ウチの取り引き先を探るつもりなら、商談に出るわしらに同行しようとするはずだろう?」
仮にも護衛として雇われているのだから、たとえ移動の間だけの契約であっても、それを口実に商談相手を探ろうとしたはずだ。だがコウメイらは連日別行動である。
「万が一に取引相手の情報が漏れたとしても、信頼関係のない商談なぞうまくいきはせんよ」
盗まれて困る情報はないし、妨害を防ぐのはニコロの役目だ。そう言葉をかけられて少年は奮起した。「期待しているぞ」という言葉は、コウメイたちからすれば、発破をかけられたのだか挑発されたのだかわからない。
鼻息の荒い孫と、困惑する三人を、愉快げに見ている老人は、なかなかに腹黒い御仁であった。




