18 望まぬ邂逅
赤毛の老エルフに招かれたアキラは、サカイの存在もあって断ることも逃げ出すこともできず、彼女の後をおとなしく歩いた。ブレイディは他の老人とは異なり、おっとりとした口調だ。
「ずいぶんとアレックスに気に入られとるようやなぁ」
「……そうでしょうか?」
「そや、その杖が証拠や。それアレックスが作った杖やろ?」
見えないはずの彼女は、アキラの持つ杖の存在を見事に言い当てていた。
「さっき部屋に入ってきたときからずっとや、その子、みなに分らんように、色を重ねてジブンを隠しとったで」
「色、ですか……」
思わず腰の杖を見下ろしたアキラは、その魔石が黒く変色していることに気づいた。
「色々あってなぁ、フィーリクス以外は目ぇ見えへんのやけど、その分魔力の色いうか、波長には敏感になっとるんや。それを上手う誤魔化すんやで、なかなか簡単やあらへんのに」
視力を失った老エルフらは魔力の特長で個人を判別しているが、全く見ず知らずの魔力が現れれば当然警戒し、アキラは無事ではいられなかっただろう。アレックスの杖が薄く魔力を張り巡らせることで、彼らを勘違いさせたのだ。
「フィーリクスはんやレオ坊は違うて知っとったやろうけど、その杖でアレックスの庇護あるてわかったから、お小言くらいですんだんやで」
見ず知らずの怪しげなエルフであっても、同族の庇護下にある者には寛大だ。「あとでほめてあげんとアカンよ?」と老夫人に言われたアキラは、若干疑いまじりに杖を見下ろした。相変わらず黒いままの魔石に、まるで期待するかのような小さな星が点滅して見える。
どうやら敵陣を無事に切り抜けられたのはこの杖のおかげのようだが、これまでの被害を思うと素直に感謝はしづらいものだ。それにまだ完全に敵陣から脱出できたわけではない。すべては島に戻れてからだ。
「ジブン、いつまで人族の領域におるつもりなん? あちらで苦労しとるんやない? アレックスは面倒かけてへん?」
ゆったりとした歩みの間に、彼女はアキラに色々とたずねる。だが彼は曖昧に言葉を濁し、己の情報を決して漏らさなかった。この老エルフがどういう立場にあるのか、アキラの情報をどう利用するのか分らないからだ。
「……残念やわ」
警戒を解かないアキラの態度に、赤毛のブレイディは落胆のため息をついた。
「サカイの慰めになるかと思うたけど、ジブンここに残る意思あらへんのやな」
「ブレイディ老師、強制はいけませんよ」
それまで沈黙を守っていたサカイが、やんわりと老夫人の手を撫でた。
「せやけど」
「焦る必要はありません。時間はたっぷりあるんです、時間だけは……」
労わりあう二人の姿にほろりとするものを感じつつ、アキラはこっそりとため息を吐いた。エルフ族の時間感覚にこちらを巻き込まないでほしいものだ、と。
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老エルフを自宅へと送り届けたサカイは、アキラを振り返ってはにかんだような笑顔を見せた。
「俺は坂井優司。きみ、色彩がありえないんだけど、日本人だよね?」
「萩森彰良です。いろいろありまして色が抜けてしまいました」
マリーアントワネットみたいだねと言った彼は、こちらの人が相手では理解されないネタを言葉にできて嬉しそうだ。間違いない、彼は自分たちよりも前にこの世界に転移した日本人の一人だ。
ブレイディの自宅から少し歩いたところにある小さな平屋がサカイの家だった。彼は恥ずかしそうにアキラを招き入れる。玄関とも呼べないような小さな空間の奥にすすむと、まるでワンルームマンションのようなコンパクトな部屋が現れた。壁際にベッド、部屋の真ん中には小さなローテーブル、片隅にはクローゼット代わりの木箱が置かれ、目立たない隅の方には水回りがまとめられている。
アキラの反応を期待するような視線に、彼はなんと応えていいか分らず、無難な感想を述べた。
「……居心地が良さそうですね」
「昔住んでいた部屋をできるだけ再現してもらったんだよ。狭苦しいと呆れられたけどね」
どうぞ、と座布団を勧められ、アキラは頬を緩めた。正面に座ったサカイがあたたかな飲み物を差し出す。懐かしい香りに鼻腔をくすぐられた。
「コレ豆茶ですか?」
「コーヒーって言ってほしいな」
サカイはミルクを注いでかき回す。白い渦模様が柔らかな色合いに変わったコーヒーを、彼は大切そうに飲み味わっている。
「アレックスに聞いていたけど、アキラは最近こちらにきた転移者だね?」
「サカイさんは……いつこちらに?」
「人族の暦で言うと四百九十八年の夏だったよ」
今から百六十年も前だ。
ワンルームマンションを模した部屋にくつろぐ彼が、幕末の生まれだとはとても思えない。
「それは西暦で言うと何年頃のことですか?」
「一九八九年」
アキラが生まれる十年以上も前だ。
「……随分と時差があるようです。俺が生まれる十三年前ですよ」
「それだけしか経っていないのか?」
サカイは消防士だったと語った。台風災害の救援中に二次災害に巻き込まれ、同僚らとともにこちらに転移したのだそうだ。白い場所で選択を求められたのも、送りだされるときの言葉も、アキラが聞いたものと同じだった。
改めてサカイを観察した。二十代半ばでエルフとして転移した彼だが、たくましい体つきとは裏腹に、落ちくぼんだ眼孔、たるんだ皮膚に刻まれる深いシワ、顔色も悪くとても疲れて見える。彼は転移したときの年齢から計算しても随分と老けて見えた。
「日本はどんな風になっているんだろうね」
彼は自分がこちらに来てからの日本のことを聞きたがった。読んでいた漫画や小説の結末、ファンだったミュージシャンらの新曲、アキラが知っているものについて一つ一つに応えていくと、彼は悔しそうに懐かしそうに身もだえる。
「サカイさんはここで、エルフたちの中で何をしているのですか?」
「何もしていないよ。ただ時間を潰しているだけだ」
世界に対する興味は色あせてしまった。かといって終わらせるだけの気概もないんだよと、サカイは窓の外へ目を逸らせた。
窓の外は暗闇だった。
ナナクシャール島からこちらに拉致されて半日がたっている。虹幕の向こうとこちらでは昼と夜が逆転していた。エルフの領域が夜ならば、あちらはもう昼だろうか。
圧倒的な魔力に囲まれていたときは緊張で考える余裕も無かったのだが、解放され、同郷の存在とともにいると、離ればなれになった仲間を思い出す。早くあちらに帰りたい。どうすればここを出てもとの場所に戻れるだろう。サカイならその方法を知っているかもしれないとたずねてみた。
「元の世界には帰れないよ」
だが返ってきた言葉は、絶望に打ちひしがれたものだった。
「僕は何度も試した、でも……帰れなかった」
「……」
アキラはこの領域に連れ込まれる前にいた場所に戻りたい、と伝えたつもりだった。だがサカイにとって「戻る場所」は日本なのだ。
返事に躊躇うアキラの様子から、言葉の意味が違うのだと気づいたサカイは、驚いて同郷のエルフをまじまじと見つめた。
「君は帰りたくはないのか?」
「……帰らないと覚悟を決めてずいぶん経つので」
「諦めがいいんだな」
「かもしれません……」
帰りたくなかったわけではない。だが何としても帰るのだという強い気持ちは持たなかった。それはあのころの自分が、自立に向かって前だけを見ていた時期だったからかもしれないし、妹や仲間がいたからかもしれない。若く、ともに助け合う存在がいて、だからこの世界にも比較的早く馴染めたのだと、今ならわかる。
アキラは日本への帰還に焦がれるサカイに、何と言葉をかけていいのか分からない。
「故郷が恋しくはならないのか?」
サカイは苛立たしげに年齢をたずねた。見た目はまだ十代だが実年齢はもうすぐ二十八歳だと応えると、彼は「まだ若い、この気持ちはわからないだろうね」と切り捨てるように言った。
「百年もすれば、君も理解できるようになるだろう」
仲間が先に死んでゆき、独り残されれば嫌でもわかると、八つ当たりのような感情をぶつけられ、アキラは無言でいるしかなかった。
彼の孤独に同情はできても、共感することはないだろうとアキラは思った。コウメイとシュウがいる自分は、彼のように絶望に喘ぎ、ただ己が朽ちるのを待つだけの時間を過ごすことはない。それはとても幸せなことだと、アキラはあらためて己の幸運を噛みしめていた。
「ここを出て、元いた場所に戻りたいのですが、帰り方を知りませんか?」
自分がいては嫌な思いをするだけだろうと立ち上がったアキラに、サカイは薄ら笑いを向け、ここまでの道を覚えているかと問うた。石畳は複雑に入り組み、周りは木々ばかりで目印になるものも無かった。分からないと応えると「そろそろレオナードが待ちくたびれているでしょうから、送っていきますよ」とサカイも立ち上がる。
「黒の刻って言ってただろう。その時刻に道を開いてアキラを返すつもりのようだから」
藍色は最初からアキラをこの領域にとどめておくつもりは無かったらしい。
アキラにとっては居心地の悪いワンルームを出た。
星の輝きも月の光も届かない闇の中に、石畳の道だけがほのかに光を放ち浮かびあがっている。複雑に入り組んだ光の道を迷いなく進むサカイの後を追う。彼は歩きながら「レオナードが道を開いたら急いだほうがいい」と忠告した。
「時々迷い込んでくる人族を返すための道だから、底意地の悪い罠が多いんだ、あまり時間をかけると後悔することになるよ」
何度か道を選びながらたどり着いたそこには、レオ坊と呼ばれていた藍色のエルフが待っていた。
「アレックスの系譜」
そう呼びかけた彼は、アキラに小さな法螺貝のアミュレットを押しつけた。
「ええか、あの放蕩者が戻ったらそれ叩きつけるんやで」
「叩きつけるのですか?」
「せや、手紙は握りつぶすやろし、言伝は聞かんふりするやろ。強制的にこっちの声聞かせるんにはこれが一番や」
彼はアレックスの行動を熟知しているようだ。
「何処にぶつければ?」
「頭でも顔でも腹でも尻でも、好きなとこ投げつけたったらええ」
では顔面を狙うことにしますと返したアキラは、アミュレットを懐にしまい込む。
レオナードが石畳を降り、指先で宙に一筋の縦線を描くと、そこから魔力が流れ、虹色の幕が現れた。カーテンを開けるようにして虹幕を持ちあげ、アキラを振り返ってさっさと帰れとでもいうように顎で指し示す。
幕の向こうは、踏み込むのを躊躇うような底暗い闇だ。
「帰りたい場所を思いながら歩けばいい」
尻込みするアキラにサカイが囁いた。
「いいかい、時間をかけては駄目だよ」
「……サカイさん」
「愚痴を聞かせて悪かったね。独りが耐えられなくなったらこっちにおいで。昔を語り合える仲間はいつでも歓迎だよ」
アキラは無理に作ったような彼の笑顔に、なんと返していいのか分からなかった。「さよなら」では再会を望まないと切り捨てるようだし、「また」では再訪の約束ととられかねない。迷った末に、アキラは無言で小さく頭を下げ、虹幕の向こう側へと踏み出したのだった。
+++
アキラが領域を出た途端、背後で虹幕が閉じられた。
光が消え、闇が全てを押しつぶそうと迫る。
「灯り」
魔法で小さな灯火を作ろうとしたが、魔力は闇に吸い込まれてしまった。
手を伸ばしても、何も触れられるものはない。
サカイの言葉を思い出し、アキラは帰る場所を思い浮かべた。
ナナクシャール島の、守りの大樹。連れ去られる直前に見た二人の姿。それを思い描き、帰りたいと望むと、遠くに小さな星が現れる。
あれを目指せばいいのかと、アキラはゆっくりと歩き出した。
臭いも音もない闇では、時間の感覚があやふやだ。アキラは歩数を数えていたが、千歩を数えても、万歩を超えてもいっこうに星に近づけないことに焦りを感じはじめた。歩みを早めても、走っても、進んでいるという感覚がない。まるでその場で足踏みをしているかのようだ。
「これが妨害か?」
歩みを重ねるたびに、足が、身体が重くなってゆく。
喉が渇き、飢えが通り過ぎ、目がかすみはじめた。
それ以上前に進めなくなり立ち止まったアキラは、長くかかって息を整え、目を閉じた。脱出のためならば、手段は選んでいられない。
「……頼むぞ」
アキラは腰に下げていた杖を手に取った。本来の色に戻った魔石に手のひらを置き魔力を注ぐ。すると火花を散らすような輝きが、石の内側でいくつも弾けた。そして増幅された彼の魔力は、闇を打ち破れとばかりに、杖を起点に広がっていく。
広大だと思っていた闇は、思いのほか狭く小さなものだったらしい。魔力が間近で何かを激しく揺すぶるのを感じた。
「――――アキっ!!」
声と同時に腕を掴まれ、強く引き寄せられた。
硬くあたたかなものにぶつかり、そのまま押しつけられる。
「……コウメイ」
ほんの半日離れていただけなのに、その声がとても懐かしかった。
髪から頬、首に肩に背中にと、ペタペタと手が往復しアキラの存在を確かめるように動く。
「撫で回すな」
心配をかけたのは悪かったが、これは大げさだろうと顔をしかめたアキラに「それくらい許してやれよなー」とシュウの笑いを含んだ声が聞こえた。
振り返るとサークレットを外したシュウが、「おかえりー」とこぼれんばかりの笑顔で彼の肩に腕を回した。その尻尾はちぎれるのではないかと思うほど激しく振られている。
「アキラ、二ヶ月も行方不明だったんだぜー?」
「え?」
驚きに目を見開いたアキラに、シュウは「待ちくたびれたぜー」と笑いながらサークレットを額に戻した。
空は茜色に染まりつつあった。守りの大樹の下にはテントと、焚き火にかけられた鍋がぐつぐつと沸いているのが見える。
「……二ヶ月?」
「そ、二ヶ月」
幻ではないと確かめて安堵したのか、ようやく腕の力を抜いたコウメイが、アキラを間近で見据えた。
「遅ぇぞ」
拗ねたような顔で睨まれ、アキラは胸をくすぐられたような気恥ずかしさと、戻ってきたのだという安堵に、張りつめていたものが溶けるのを感じた。
「ただいま」
知らぬ間に南の島の冬が終わり、新緑の春が近づいていた。




