14 奈落の目覚め
聞き捨てならない、あるいは聞きたくない名称が聞こえたような気がして、アキラは眉間を揉みながらたずねた。
「今、何とおっしゃいましたか?」
「エルフの狩り場だ」
「本気ですか?」と問うまでもない。エルズワースらは闘志をたぎらせ、今すぐにでも森に駆けていきたいという顔をしている。
「魔武具の素材は可能な限り高品質なものをそろえたい。この島で最も相応しい狩り場に連れて行ってくれ」
当然のように知っているはずだと決めつけているが、そんな場所は知らない。いや、おそらくあそこだろうという心当たりはあるのだが。
「……時期的に、非常にまずいと思うんですが」
次にエルフが狩り場にやってくるのはおよそ一月後だ。前回刈り尽くした虹魔石がそろそろ狩り頃に育っているだろう。そこに熊獣人らを案内し、虹魔石を先に集められては非常にまずいような気がするのだ。
「ああ、そろそろ時期だというのだろう? 大丈夫だ、俺らは虹を狩らない」
「ですが高品質の魔石が必要なのですよね?」
「獣人族に虹は強すぎる。我が身を変異させるかもしれないほど強力な素材は不要だ」
むしろ間違って虹魔石を狩ってしまうことが問題になるとエルズワースは苦笑いだ。
「エルフの報復は恐ろしいからな。アキラには道案内と同時に、立ち合いを務めてもらいたい。狩ってはならない個体の選別もだ」
エルフが立ち会うことで禁忌を冒す危険を回避し、万が一エルフ族の逆鱗に触れる失敗をおかしても、アキラの存在が彼らにとっての免罪符となる、というわけだ。
「……何で俺が」
「アレックスの弟子なのだろう?」
熊獣人族がエルフに報復されないような案内を頼む、と肩を掴まれ、三人の熊たちに囲まれたアキラは、逃走を断念するしかなかった。
+
エルフの狩り場は島のほぼ全域だ。虹魔石を持つ魔物がいるところならば、どこでも狩り場となる。だが最も虹魔石を得やすい場所というものがあり、彼らの狩りを見ていたアキラは、おおよその場所を把握していた。
「守りの大樹から南下し、オーガの巣穴のあるあたりから少し先に湖がある。その流れを追って進むと滝があらわれます」
島の南端は大きく陥没した一帯だ。そこに多数の魔核が存在しており、生まれ続ける魔物は、絶壁に囲われた奈落で生存を賭けた戦いを繰り広げていた。
「水による浸食で、滝とその周辺は周りに比べて比較的広くなだらかな地形になっている。そのため脱出を試みる魔物はここから這い上がってきます」
膜の向こう側のエルフたちは、這い上がってきた魔物の中から虹魔石持ちを選んで屠っていた。
「這い上がってくるのは全部虹魔石持ちなのかよ?」
「まさか。それなら島の魔物がすべて虹を持っていなければおかしくなる」
島の冒険者らが狩っているのは、奈落を脱出できるていどに強い魔物だ。真の意味で強い個体は、奈落の底で覇権を争っている。
大樹の下で一泊し、翌朝、まだ空が暗いころに出発した一行は、魔物らに襲われることなく順調に南下していた。
「エルズワースさんたち、威圧レベルマックスじゃねぇか」
「鳥肌立ってんだけどー」
「この勢いなら、奈落の制圧も難しくなさそうだ」
通常ならば魔物の妨害などで二日はかかる距離を、最低限の休憩だけでひたすら歩いた彼らは、一日もかからずオーガの巣穴近くまでたどり着いていた。
「今夜はここで野営か」
足を止めたエルズワースが、仲間に肉を狩ってこいと指示を出す。コウメイが五徳を出して鍋を置くと、ミシェルとアキラは手近な倒木に腰を掛けて安堵の息を吐いた。熊獣人らは夜目も利くし、体力も有り余っている。夜通し歩けば早朝には滝までたどり着けるが、さすがに人族には補給と睡眠が必要だと理解していた。
「寝床に丁度良さそうな場所があるな」
ぐるりと見渡したエルズワースは、オーガの巣穴に向けていた威圧を弱めた。すると巣穴から武器を手にしたオーガが飛び出してきた。一人の熊獣人が回り込んで巣穴の前に立ち塞がり退路を断つ。オーガに襲いかかられる寸前に、エルズワースは再び強烈な威圧を放った。到底敵わないと悟った凶悪な魔物たちは、一目散に逃げ出したのである。
「うわー、オーガが巣を捨てて逃げ出していったぜー」
「あそこを寝床にしろと……?」
「遺骨や遺品だらけなのでしょうね」
かつて大量の白骨や錆びついた武器を回収した場所だ。ミシェルは硬く目を閉じ、アキラは眉間を揉んだ。何故喜ばないのだとエルズワースは不満そうに二人を見下ろしているが、善意であるだけになんとも言葉がみつからない。
「どうした、人族は屋根のある安全な場所でしか休めないのではないのか?」
「そうでもありませんわ。野宿には慣れていますから気を遣わないでください」
「防衛が目的なら、結界を張りますからご心配なく」
オーガの巣に放り込まれる前にと、手早く結界魔石で安全地帯を作り出したアキラは、その中から動く気はないと意思表示するかのように座り込んだ。ミシェルもその隣に腰をおろし微笑んでいる。
獲物を引きずって戻ってきた熊獣人からオークを受け取ったコウメイは、手早く解体して大量の串焼きを作った。そのまま食べようとする彼らに特性スパイスソルトを渡したが、エルズワース以外は、人族から毒を渡されたとでもいうかのような警戒っぷりだ。エルフが肉に振りかけ、狼獣人が何度もおかわりをし、エルズワースも平然と味わっていることで好奇心が勝ったのだろう。一人がほんの僅かに振りかけた肉を口に入れた。
「……なんだ、これは」
「美味いっ」
一口食べた瞬間から、熊獣人の間でスパイスソルトの奪い合いがはじまった。
エルズワースの他の熊獣人らは、食事以外では人族とは馴れ合うつもりはないといわんばかりに素っ気なかったが、コウメイの料理は気に入ったらしく、そわそわと落ち着きなさげに鍋の残りを観察している。新しく焼いた串肉は次々に彼らの腹に消え、スープは二度も作った。
「随分と修行を積んだようだが、二人ともまだまだだな」
十年前に数日間とはいえ自分が鍛えた二人が生存しており、かつ当時よりも強くなっていることにエルズワースは満足していた。
「シュウはもう一皮むければ一人前だ。コウメイは……悪辣なものを身に取り込んだのだな」
「ああ、コレか」
眼帯を外して義眼をあらわにすると、熊獣人らは忌々しげに顔を歪め虹魔石から目を逸らした。
「それではもう戻れまいに」
「覚悟の上だよ」
「そうか、ではそれに見合うだけの強さが必要だ。時間の許す限り鍛えてやろう。シュウもだ、中途半端なままではいけない」
幸いにもこれから向かう場所は訓練相手には事欠かないぞという言葉に、十年前のブートキャンプ再びかと青ざめる二人だった。
+
オーガの巣から湖までは鐘二つもかからなかった。
「湖っていうよりも、広い池って感じだな」
「とても人工的な水たまりのようだ」
「湖と池って、広さの違いじゃねーの?」
「自然にできた広い水たまりが湖で、人工的に作られたものが池、と区別している」
水たまりの周囲を観察したアキラは、どこからも水が流れ込まないのに、奈落へとあふれるほどに豊かな水量を見て、ここが何者かにより人工的に作られた地形だと確信していた。
「何者って、エルフに決まってんじゃねぇの?」
分かりきっていることだろうと苦笑いのコウメイは、水の流れる先を目指して池縁を進んだ。
何の気なしにシュウが小石を池に投げ入れると、直後に水面は大量の魚の口であふれかえった。鋭い牙の生えた大きな口が、餌をねだる鯉のように水面でパクパクと存在を主張している。
「でけーピラニア」
「落ちたら食われて終わりだな」
戦闘中にうっかり足を踏み入れないようにしなければ。
水の流れが途切れ、水平線とも空とも見分けのつかない景色が視界に広がった。
「うわー、すげー滝!」
「下の方、水が霧になってないか?」
「高けぇな、まさに奈落だ」
切り立った崖というよりも、ぽっかりと陥没した巨大な穴のようだった。直角に近い岩崖が深い緑の森を覆い囲んでいる。岩崖が途切れた南方では、陽の光を受けた海面が銀色に輝いている。
「……気配がするな」
「ああ、うじゃうじゃいるぜ」
「コレ登ってくるのかー、そりゃ強いはずだぜー」
よくよく見れば、崖のあちこちで奇妙に岩が動いている。
「アキラ、虹持ちはいるか?」
彼らが目にしたのは、奈落から脱出しようと岩にしがみついた魔物たちだった。先を行く足を引きずり下ろして足場を作り、頑強な爪を岩に突き刺して身体を持ちあげる。そうして登ってくる魔物はどれも狂気に満ちていたが、エルズワースらの覇気を感じ取れる距離まで近づくと動きを止めている。
「右手の青い体毛のゴブリンですね、あとは地表に近いあたりに二つ、滝の真下からも一つ上がってきています……それと、底の森には百以上が感じ取れます」
遠すぎて具体的にどれと示せないが、相当数の虹持ちがいる。
「よし、では狩るぞ」
そう言ってエルズワースは、崖っぷちへと血の臭いのする赤玉を投げつけた。それを合図に熊獣人らが覇気を散らせる。途端に魔物たちの勢いが増した。風に運ばれた血の臭いに誘われるように、この場を目指し登ってくる。
「これ、呼び玉か?」
悪夢再びだとコウメイは吐き捨てた。
待ち構える彼らの前に、最初に這い上がってきたのは雷蜥蜴だった。この体型でよくも絶壁を登り切ったものだと驚いたが、その発達した四肢と太い爪、そして鞭のように動かして岩を砕く尻尾をみれば納得だった。
熊獣人の一人が剣で後ろ足をすくい斬った。跳ね上げられあらわになった腹をエルズワースの一刀が真っ二つにし、素早く魔石を取り出して死骸を奈落へと投げ捨てる。
「どんどん上がってくるぞ、ぼうっとしてないで手伝え!」
流れるような連携に見とれていた三人は、エルズワースに喝を入れられて戦闘に加わった。屠るだけならば、登り切った無防備な瞬間を狙えばそれほど難しくない。だが死骸から魔石を取るためには、死骸を崖下に落としてはいけない。完全に上陸してから攻撃しなければならないというのに、加減を誤ってホブゴブリンを崖下に落としてしまったシュウは、「下手くそめ!」とエルズワースから激しく罵倒されていた。
「今あがってきたゴブリンは虹持ちです」
アキラの判定を聞くと、エルズワースは槍をくるりと持ち直し、その柄尻でゴブリンの腹を突いて崖下へと落とした。
「おいおい、殺るのはマズいんじゃねぇのか?」
「……この高さから落下したら、確実に死にますよね?」
「手を滑らせて落ちる魔物は多い。見分けはつかんよ」
虹魔石さえ残っていれば問題になることはないと言い切る彼は、さすがアレックスと親交を持つだけはある。よく似た思考だ。
モグラ叩きのような討伐は続いたが、エルズワースの求める魔石を持つ魔物はなかなか登ってこない。
「何を狙ってんだ?」と問うたコウメイに、オーガを一突きで仕留めた彼は、暴れ足りないとでもいうようにため息をついて応えた。
「特大の魔石だ。それが一つあればいいのだが、おびき寄せられるのは雑魚ばかりだな」
「……もしかして、ミノタウロス狙いか?」
「あれの魔石、デカかったもんなー」
「余所と違い高濃度の魔力も期待できますが……ここで戦うのですか?」
彼らのいる崖上は、巨人系の魔物と戦えるほどの広さはない。しかも背後は肉食魚の大群が口を開けて待つ池なのだ。魔石を採取する前に誤って投げ入れてしまったオークの死骸は、あっという間に食い散らかされた。うっかり落ちれば溺れるよりも前に食われて終わりだろう。
「ここ、ミノタウロスの足の裏より狭いぜ?」
いやそこまで狭くないと突っ込む前に、巨大な指が崖淵にかかった。爪が岩に食い込み、まるで岩肌のような尖った角と毛のない頭が現れた。
「サイクロプスか?」
「でけーっ」
「一つ目の巨人か、丁度いい獲物だ」
崖下から現れた巨大な単眼が、物珍しげに彼らを見て瞬きする。エルズワースらは期待以上の獲物が現れたと興奮していたが、コウメイはこれがサイクロプスならば、ミノタウロスと遜色ないほどの頑強さだけでなく、厄介な攻撃手段を持つはずだと焦った。
「シュウ、おまえは囮だ!」
みなが道を譲るように避ける中、俊敏さを活かして森へ誘い込めと指示されたシュウは、一つ目の巨人の前に立った。
サイクロプスは己を挑発するシュウに向けてその手を伸ばす。這い上がろうとする巨大な足が崖岩にかかったが、その重みに耐えられるほど岩は頑丈ではなかった。岩が崖から外れ、足を踏み外したサイプロクスは、上半身で崖にしがみつくと、一つ目を大きく開いて威嚇のような声を出す。
「避けろ! 雷だ!!」
魔法を発するときのピリリとした肌の刺激を感じ取ったアキラが叫んだ。
その声と同時にサイクロプスの角から雷が走る。
幾筋もの光の矢が落ち、刺さった周囲を焦がす。
すべてを避けきったシュウは「魔法使うとか聞いてねーぞ!」と熊獣人に抗議した。
「やっぱり雷系の攻撃手段持ってたか」
「やっぱりって、知ってたのか?」
アキラに咎められて、コウメイは予想が当たったのだと頷いた。
「ギリシャ神話だとサイクロプスって雷系の神様だから、可能性はあるかもなぁと思ってたんだが」
「そーいうのは先に教えろよーっ」
ミノタウロスよりも巨大な身体は、その重さゆえに足がかりにした岩をことごとく踏み砕いていた。なんとか崖上にあがってもらわねばならないが、果たしてシュウの挑発でサイクロプスが奮起してくれるだろうか。
ちょこまかと動くシュウを叩き潰そうと手が伸び、激しく大地を平手打ちするたびに池縁が崩れて水が漏れる。落雷攻撃はあたりの木々を割き焦し、池の泥水にはぷかりぷかりと肉食魚が浮かんでいた。
熊獣人らも待ちくたびれていたが、サイクロプスも焦っているようだ。全身に力がこもり、見開いた巨大な目がぎょろりと突き出る。踏み支える足場がないならばその手で掴み取ればいいとでもいうように腕を伸ばした。地面を掘るように突き込まれた指先が、巨体を支えて引き寄せた。ずず、ずずず、と巨体が崖上に乗りあがる。
起き上がってからが勝負だとみなが身構えるなか、アキラは目の前のサイクロプスから突如として感じるようになった激痛に震え声をあげた。
「そんな……こ、こいつは、虹持ち、だ!」
眼前にある特大の虹魔石から発せられる力が、幾千もの針となりアキラの全身を嬲る。
「今まで気がつかなかったのかよ?」
「違ってたんだ……さっきまで、虹の気配のかけらすら、なかったんだ!」
何がどう作用したのかは分からないが、サイクロプスの魔石が目の前で虹に変化したとしか考えられない。
「せっかくの大物だが、虹魔石持ちでは狩るわけにはいかんな」
エルズワースはこの一つ目巨人も崖下へ落としてしまうことに決めた。
「退りなさい」
ミシェルが杖を地面に突き刺し、崖に楔を打ち込んだ。一つ、二つと楔が増えるたびにひび割れが広がってゆく。滝を含んだ絶壁が、サイクロプスの巨体を支えきれず崩れ落ちた。
ウアァァァァ――ォ!!
落下直前の悲鳴と同時に、雷が四方八方へと飛んだ。
しゃがみ、飛び退き、木を縦にして避ける。
肉食魚ごと水が弾け飛ぶ。
水量と幅が増した滝の流れに、シュウは足元の土ごとえぐり取られていた。
「掴まれっ!!」
「シュウーっ」
伸ばされたコウメイの手は届かなかった。
落下するサイクロプスを追うように、シュウもまた奈落へと真っ逆さまに落ちてゆく。
崖っぷちに身を乗り出したアキラが杖をかざしたが、落下するシュウは米粒のように小さく、魔術が届かないほど遠い。風膜で着地を補助することもできないまま、シュウが森に飲みこまれるのを見ているしかできなかった。
「あの木がクッションになってると思うか?」
「この高さだ、期待はしない方がいい」
錬金薬は持っているはずだが、落下の衝撃で破損している可能性が高かった。そしてサイクロプスやミノタウロスのような、巨人型の魔物がうじゃうじゃいる場所で無事でいられるかというと……。
「アキ」
「わかった」
コウメイとともに崖淵に踏み出し、杖をかかげる。行くぞと力を込めた二人を、エルズワースが止めた。
「心配するな、獣人族はこの程度では死ねん」
生存本能が身を守ると断言したエルズワースの、崖下をのぞき込むその目は期待に満ちていた。シュウに欠けているものが得られるだろうと言い、助けに行こうとする二人に「邪魔をするな」と言い放つ。
「邪魔だって?」
「そうだ。半人前の獣人が一人前になる良い機会だ、奈落で勝利し這い上がってくるのを待てばいい」
「……獅子の子落としにしては厳しすぎませんか?」
そうと望んで試練に立ち向かうのならばまだしも、シュウにとっては不意打ちだし、その覚悟もないのだ。
ぅぅうがあぁっぁぁぁぁ――――!!
奈落の森には多くの魔物が生息しているが、その気配や声は高地の崖上までは届いてこない、それだけの距離が確かにあった。
だが、その雄叫びだけは、確かに彼らの耳に届いたのだ。
裂けるような、恐怖に吠えるようなその声を聞いた二人は、エルズワースの制止を振り切って飛び降りようとした。
「行くならこれを持って行きなさい」
アキラの手を掴んで止めたミシェルは、半ば強引に彼から杖を奪い取り自分のそれを押しつけた。
「底では虹を狩らねばならないこともあるわ。アレックスの杖では色々と問題が起きかねないもの。わたくしの杖を持って行きなさい」
浜辺での戦闘で見ていたはずだから使い方は分かるだろう、と説明は一切無しだ。
「それと、これも着て行きなさい。少しは虹の痛みが軽減されるわ」
「そのローブでですか?」
「刺繍部分に使われている糸は虹魔石を包む布と同じものなの」
そう言ってミシェルは脱いだ薄紫のローブをアキラに押しつけ、袖を通させる。外れないように襟元を固結びで固定すると、その肩を力づけるように叩いた。
「行くぜ」
崖っぷちに足を掛け振り返るコウメイの手を取ったアキラは、地面を蹴るのと同時に大きな風膜の魔術を展開したのだった。
+++
二人は風膜に守られながら、落下速度を緩めることなく奈落の底に到達した。着地と同時にゴブリン数体を長剣で薙ぎ払ったコウメイは、アキラを振り返る。
「痛みは?」
「ローブのおかげで楽だ、この程度なら問題ない」
「なら行くぞ!」
地面に近づくにつれ大きくなった咆哮は、木々を揺らすほどの音量で響いている。
これがシュウのものだと、二人は確信していた。
走るコウメイを追いかけながら、アキラはミシェルの杖に魔力を注ぎ込む。槍のように伸びた杖先は、触れるだけで虹持ちのワーラットもホブゴブリンも毒ワームも真っ二つに斬り裂いた。
「サイクロプスはシュウの近くか?」
「いや、違う」
「不幸中の幸いだな」
魔物に取り囲まれたシュウを救い出す難易度が下がったと知り、コウメイの足は速度を増した。障害となる魔物を斬り払って先へ進む。絶命の確認も魔石や素材の回収もしない。立ちはだかりさえしなければかまわなかった。
キャウンッ
負け犬の悲鳴のような声とともにヘルハウンドが転がってきた。
「シュウ!? ……じゃねぇな」
敵に殴り飛ばされたのか、地面に転がり四肢を痙攣させている。その体毛は炎のような色をしていた。吐く息に混じる火花がチカチカと輝いてはすぐに消える。
同じ方向から折れ倒れる木々を、二人は飛び退いて避けた。
「剣竜か」
「丸太をスッパリかよ、尻尾のくせに切れ味良すぎだろ」
太く尖った剣のような尾を振り回しながら、剣竜が敵を牽制している。その脇にはホブゴブリンの群れが、対面には毒針を剥き出しにした巨大ワーム、五頭大蛇がうねり、オーガが棍棒を打ち鳴らして威嚇する。
魔物らの囲む中心にいるのは、黒と銀の毛皮のヘルハウンドだ。
前足で押さえたホブゴブリンの頭を食いちぎり、ぺっと同族に向けて挑発的に吐き飛ばす。それを合図に、魔物たちが一斉にヘルハウンドへと襲いかかった。
「アキ、あのヘルハウンドは……」
「……ああ、シュウだ」
額には見覚えのあるサークレットがしっかりとはまっている。魔武具は獣化し変化した頭に合わせ形状を変化させているようだが、幻影の魔術は効いていない。
襲いかかる魔物たちを、黒銀の獣は難なく返り討ちにしていた。ホブゴブリンらを前足で払い飛ばし、巨大ワームは後ろ足で蹴り潰す。剣竜の尾攻撃を鋭い牙で噛み止め、喰いちぎらんばかりに顎に力を込める。音もなく滑り寄っていた五頭大蛇が、シュウの尾を狙っていた。
「援護するぞ!!」
二人は背後や死角からシュウを狙おうとする魔物を屠っていった。いつだったか、この奈落を魔物の蠱毒と例えたが、揶揄のつもりだったあの言葉は真実を言い当てていた。大陸よりも強い島の魔物、そしてここではさらに強く凶暴な魔物がひっきりなしに襲いかかってくるのだ。
「コウメイ、どけっ」
個々に相手をしていてはキリがないし、このままでは確実にシュウの足手まといになる。アキラはピアスを外して魔力を高め、ミシェルの杖に注ぎ込んだ。竜の鱗に刻印された多数の魔術式が同時に発動し二人を救う。アキラは魔術も魔力も出し惜しみしなかった。
そして完全獣化したシュウは、とてつもなく強かった。
剣竜の尾剣を噛み砕き、軽く蹴った後ろ足は数体のオーガの骨をまとめて砕き、前足の爪がひっかいた大蛇の皮はその肉までも斬り裂く。彼らを取り囲んだ魔物たちが次々に屍と変わっていく。
コウメイがワームを斬り裂き、アキラが氷の槍先で五頭大蛇の心臓を凍らせる。シュウの前足が踏み潰したオーガが最後の魔物だった。
獣化したシュウを囲んでいた魔物は、すべて屍となり転がっている。
だが彼にとっての敵は、まだ残っていた。
ヘルハウンドに似た、だがもっと俊敏かつ強靱な肉体を持ち、力が強く鋭い爪を持つ獣は、一切の躊躇いも容赦もなく二人に襲いかかる。
「正気じゃねぇのか?」
攻撃をギリギリで防ぎながら確かめた獣の瞳に輝きはなく、ただ濃く暗かった。
「アキっ!」
牙に襲われかけたアキラを突き飛ばしたコウメイの身体は、鼻先で打ち飛ばされ木に激突する。裾の裂けたローブに足をもつれさせながら駆け寄ったアキラは、錬金薬を渡して盾を作った。
「土壁!!」
ミシェルの杖ならば苦手な土魔術も難なくあやつれた。突きつけた先の地面が盛り上がり、頑強な壁となって二人を守った。土壁に激突した獣は、一度引いて回り込む。二人は土壁を挟んでシュウの攻撃を避けながら、なんとか正気に戻す方法はないかと探る。
「額のやつ、完全に利かねぇのかよ?」
「縛っ!」
サークレットで締めつけその痛みで正気づかせようとしたが、やはり効果はない。不快だとでも言うように掻いた前足が土壁を削り、魔術盾が破壊された。
「どうやって止めりゃいいんだよっ」
剣で攻撃を受け流しながらコウメイが叫ぶ。
力、攻撃力、耐久力、すべて獣化したシュウが上だ。それに加えてコウメイには躊躇いがあるが、獣にはない。その差が二人を追い詰めていた。
「これで駄目なら、全員であの世だな」
そう呟いたアキラは、杖先を獣の口に向けた。
「水膜!」
大量の水がシュウの顔を包み込んだ。振り払おうとする激しい動きを追いかけて杖で水を操り、アキラは猛獣の鼻と口を塞ぎ続けた。
苦しみ暴れる獣は、転がる剣竜の屍を蹴り飛ばし、かろうじて立っている木々に体当たりし、水から逃れようと地面を掘る。執拗に貼りついて離れない水を操っている存在に気づいた獣は、怒りの雄叫びをあげ飛びかかった。
「アキッ!」
二人の間に割り込み、獣の攻撃を受け止めたコウメイもまた水に包まれた。
「絶対に水を切らすなよ!」
魔法による水の力が弱まったと感じたコウメイが、アキラに命じる。
「俺は大丈夫だ!! 絶対に、弱めるなっ」
溺れるのはシュウが先か、コウメイが先か。
陸上の水中戦とでも言うべき戦いにおいては、水魔法に親和性のあるコウメイがかろうじて有利だった。彼は自分の呼吸を確保すべく魔力を放出させ、獣の牙を抑え込みにかかる。
呼吸を封じられた獣の牙に、先ほどまでの力はない。
瞳孔が開き、苦しげに視線が揺れる。
今だ、と、コウメイが踏み込み獣を蹴り飛ばした。
獣は全く抵抗することなく地面に落ちた。
「シュウ!!」
それは不思議な光景だった。獣の身体が縮み、半獣の形に戻り、毛皮が消えてゆく。ほんの数回の瞬きの間に、凶暴な獣は見慣れたケモ耳と尻尾のシュウにもどっていた。
※さすがに服は破れてます(笑)。




