12 海の大暴走 後編
いつもならば、目を閉じればあっという間に朝になるのに、今はなんと夜の長いことか。重くのしかかる疲労とともにおちてくる瞼を強引に押し上げた。
日の出まで持ちこたえろ。
その言葉にすがり三人は戦い続けていた。
「あー、ごめん、おしっこ行ってくるー」
「交代前に済ませとかなかったのかよっ!」
「十秒できりあげろ!」
「無茶言うなよー」
補給も排泄も最低限、錬金薬をがぶ飲みして無理矢理回復させ、押し寄せる星クラゲを砂浜で押しとどめる。空が明るくなるのはまだだろうかとジリジリしながらの、肉体的にも精神的にも余裕のない戦いだ。
遠洋で絶命した死骸は波にのまれ海に沈んでいるが、浜辺で屠ったものは積み重なり、壁のようになりつつあった。これを防護壁代わりにできれば楽になると考えたのだが、さすがスタンピードだ、そうそう都合の良い展開にはならなかった。
「コウメイ! 左手の上位種を屠れっ」
アキラの指示とともに放たれた風刃が、死骸に覆い被さるようにしている星クラゲの上位種に命中する。すくい上げるように斬りとどめを刺したコウメイは、魔石を中心部にした付近の刺の形状を見て顔色を変えた。
「こいつ、死体を食ってるぞ!」
足元の死骸の表皮は、まるで食らいついた跡のようにえぐれている。
「やはりか。上位種への魔術の効きが悪くなっているように思ったんだ」
「そーいや、たまに凄げー硬いのがいるけどー?」
後方で戦場の全容を見渡すアキラは、上位種が突然変異であるかのように強化されていることに気づいていた。
星クラゲの上位種は吹き矢の直後に動きが鈍くなり攻撃力が低下する。そこをコウメイが斬り捨てるのだが、一匹一匹の絶命を確認している余裕はない。アキラの視界の隅で死骸だと思っていた個体が不自然に蠢き、しばらくすると再び起きあがって刺を吹いたのだ。
偶然かと観察していたアキラは、複数に同じ現象を見たことで確信した。即死しなかった上位種は、下位種の死骸を喰うことで傷を修復し、攻撃力を満たして、再びコウメイやシュウに襲いかかっていたのだ。
「共食いでパワーアップかよ」
「今のところ下位種にその性質はない、上位種だけのようだ、確実に屠れよ!」
「そんな余裕ねーって」
ひっきりなしに迫る魔物たちを、上陸させないように押しとどめるだけで精一杯だ、絶命を確認する余裕などない。だがそれをしなければ、打ち漏らした上位種は再生するたびに硬度を増し攻撃力を上げてくるのだ。
「朝まだかよーっ」
東の海がかすかに白みはじめていたが、それはまだ細く儚い線でしかない。
「もう日の出だろ? 増員はまだか? ミシェルさんサボってんじゃねぇぞ」
「……ここでは太陽が海面から半分あらわれたときが日の出だ」
「それ先に言えよっ」
「あー、まだ先っちょしか出てねー」
次第に明るくなる東の空に「速くしろ」と檄を飛ばしながら三人は星クラゲの上陸を阻止し続けた。
水平線が赤く燃えるように色づいてゆく。その中心で三割ほど頭を出した太陽が、夜を押しのけようと光を増し、灯りの魔道具がそろそろ用をなさなくなったそのときだ。
「氷矢!」
キラキラと朝日を反射する数十もの氷の矢が、一つと外れることなく星クラゲの中心を射貫いた。
「ミシェルさん?!」
「待たせたわね、交代するから休んでいなさい」
砂浜に駆け下りた彼女は、アキラの前に立ち、花のような造形の杖を振って次々と星クラゲを屠ってゆく。
「……まさかあなたが来るとは思っていませんでした」
ギルドで最も凶暴な攻撃魔術師とは彼女のことなのか。確かに、破壊力を目の当たりにすれば納得だが……誰が言い出したのか気になるところである。
「みな出払っていて、わたくししか対応できる攻撃魔術師がいなかったのよ」
「一人で来たんですか?」
それならばもっと速く来てくれればという恨めしい感情と、無茶をするなという心配が湧いた。ミシェルはそれを小さな笑みで笑い飛ばした。
「遅くなったのは腕利きを引っ張り出すのに時間がかかってしまったからなのよ」
彼女の視線を追ったアキラは、ギルド家屋から武器を手にコウメイらの方へ走り出す男たちを見た。五人の男たちの中に、見覚えのある冒険者が二人いた。
「……エルズワースさんに、ブレナンさんですか?」
熊獣人の彼はまだいいが、もう一人はアレ・テタルのギルド職員ではないか。十年ぶりの彼は髪の半分以上が白く変わっており、顔に刻まれたシワは数も増え濃くなっている。鍛えられた体躯は当時と変わらないように見えるが、間違いなく現役を退いているはずの年齢だ。退役軍人のような彼をスタンピードに引っ張り出したのかと責めるような視線を返すと、ミシェルは肩をすくめながら軽く杖を振った。
「あなたたちのための人選なんだから文句は言わないでちょうだい」
エルフと狼獣人の正体に頓着しない戦力をかき集めるのには苦労したのだと、ミシェルは愚痴りながら氷の矢を連射する。
熊獣人のパーティーに前線を譲った二人が、安堵の笑顔で戻ってきた。
「エルズワースさんはあなたたちに対価を求めるつもりのようだから、覚悟しておきなさい」
「えー、タダじゃねーのかよ」
「いくら払わされるんだろうなぁ」
「暴利はご容赦願いたいです……」
少し仮眠を取ってからブレナンの援護に入ることにしようと、補給をしながら打ち合わせる。
「錬金薬以外の水分……生き返るな」
「……美味い」
うっとりと味わうように水を飲む二人にシュウが、素朴でありながら全くもってどうでもいいが一度気になると忘れられない疑問を口にした。
「なー。あれだけガブ飲みしてて、おまえら平気なのかよ?」
特にアキラは用意した樽入りの錬金薬を一つ空けているのだ、水でもそれだけ飲めば膀胱が大ピンチになるはずなのだが。
「……錬金薬は水じゃない。魔力回復薬は体内に入るとそのまま魔力に変換されるから、生理現象とは無関係だ。シュウだって体力回復薬を飲んでも腹がいっぱいになった感じはしないだろ?」
なるほど、確かに回復薬では腹は膨れない。納得したシュウはこれで心置きなく仮眠に入れると砂浜に横になった。早朝の砂浜はひんやりと冷たく、長時間の戦闘で火照った身体を横たえると気持ちが良かった。
「……眩しーな」
目を閉じたが瞼越しの陽光が辛かった。木の陰にでも移動しようと起き上がって欠伸をした時だった。薄くあいた瞼の隙間から、とんでもない光景が見えたのだ。
「熊ぁ?」
波打ち際に、朝日を後光のように浴びながら暴れる大熊がいた。
「ああ、熊だぜ」
「熊獣人が猫にメタモルフォーゼしたらおかしいだろうが」
「いや、そーいうんじゃなくてさー」
エルズワースが連れてきた二人も、ムーン・ベアよりも大きな獣と変化して、その太くて力強い腕を振り回し、鋭くて凶暴な爪で星クラゲを引っかけては投げ飛ばしていた。
「あのさー、熊が鮭獲ってるみてーに見えるんだけど」
疲れて夢でも見ているのだろうかと顔を引きつらせるシュウに、アキラは目を細めて頷いた。
「安心しろ、俺も同じものが見えている」
「昔アニメか何かでこういう場面見たような気がするなぁ」
まるでゲームセンターのモグラたたきを見ているようだった。ひょいひょいとエルズワースらによって猟り飛ばされた星クラゲを、落下先の砂浜でブレナンともう一人がとどめを刺していたが、雨のように降られてはとても追いつかない。うまく逃れた個体が彼らの方へとにじり寄ってきていたが、ミシェルは遠距離攻撃に専念しており屠る素振りは見せなかった。
「どうする?」
「俺は寝てーよ」
「俺だって限界だぜ」
だが放置するわけにもゆかない。
「最初は、グーで」
「一発勝負な」
「りょーかい」
補給箱の前のじゃんけんの結果、コウメイが二人の仮眠を邪魔しようとする星クラゲを担当することに決まった。怠そうに長剣を引きずって向かうコウメイを見送ったアキラとシュウは、補給箱の影に頭を委ね心地よい眠りへと沈み込もうとしていた。
「アキ! シュウ!」
睡魔に抱かれる至福を味わうまであとわずかだというのに、コウメイの大声で起こされた二人は、嫌がらせかと眼光厳しく振り返った。
「クラーケンだ!!」
叫んだ声はコウメイのものではなかった。
切羽詰まった叫びをあげた熊の指す先には、朝日を背負うようにした巨大な軟体海洋生物が、ゆっくりと島に向かってきていた。
「やべぇのが現れたぜ」
「……タコ」
「イカだ」
「海のスタンピードは単一魔物じゃなかったのか?」
「あれは単体のようだし、スタンピードとは無関係じゃないかしら……」
眉間に深いしわを刻んだミシェルが、どちらにしても最悪の事態だとため息をついた。星クラゲだけで手一杯だというのに、クラーケンの相手までしている余裕はない。
「ミシェルさん、あれに魔術は」
「知っているわ、吸収されてしまうのでしょう?」
エルズワース率いる熊獣人らの戦力に期待するしかないが、おそらくクラーケンは上陸することはないだろう。だが吸盤つきの足を伸ばし動かすだけで、砂浜の彼らは簡単に払い倒されてしまう。敵がクラーケン単体なら森に逃げて去るのを待てばいいのだが、星クラゲの大群がいてはそれもできない。
「なんという絶妙なタイミングなのかしらね」
「最悪の間違いだろ」
「せっかくの休息が……」
「もう限界なんだよー、寝かせてくれー」
ふらふらと揺れそうになる身体に錬金薬を投与して強制的に回復させられた彼らは、クラーケンとの戦いにスイッチしたエルズワースらの代わりに、再びスタンピードの戦場に戻るしなかった。
まるでクラーケンから逃れるように勢いを増した星クラゲを魔術師二人が火力にまかせて大量虐殺し、その屍を乗り越えてきたものをコウメイらが斬り倒す。熊獣人らは海の帝王と名高い魔物との戦いに興奮し、早く来いと吠えながら猟っている。
クラーケンの丸い頭が深瀬で止まり、海中から数本の脚がうねりながら陸地へと伸びてきた。何かを探すように海面を撫でる脚は、エルズワースらの攻撃を受けてもびくともしない。
クラーケンの脚を避けながら星クラゲを屠るという面倒くさくも厄介な事態に、彼らは必死で対応しようとしていた。弾力がありぬるりと滑る吸盤を斬りつけ、叩き、逃げる。
『あらぁ、なんか騒がしいのねぇ』
そんな乱戦の中、何故か耳に届いた声に、アキラの動きが止まった。迫りくる星クラゲの吹き刺が貫く寸前に、コウメイの剣が叩き落としアキラをかばう。
「ぼーっとしてる場合か! 動けねぇならドーピングしてこい!」
「……コウメイ、聞こえなかったか?」
「何がだ」
「クラーケンの……声だ」
「アキ、休ませてやりてぇがなぁ」
アキラが幻聴を聞くほどに疲弊しているのだと思ったコウメイは、申し訳なさそうに頭を振った。限界を越え、それ以上を出し切ってもまだ足りない状況では、どれほど疲弊していても酷使するしかないのだ。数分ならと補給箱の方へ押しやろうとするコウメイの腕を振り払ったアキラは、他の面々の様子を確認して絶望した。
コウメイやシュウだけではない、ミシェルもエルズワースらも、クラーケンの声を聞いていない。
自分にしか聞こえないのだと、悟った。
『やだ、ラッキー♪ 真っ黒いのしかいないと思ってたのに、銀色がいるじゃない!』
そして空で激しく左右に揺れる脚は攻撃行動ではなく、手を振っているだけなのだということも、アキラだけしか理解していないだろう。
疲労と睡眠不足で青白かったアキラの顔から、さらに血の気が失せた。
『ちょっとぉ、夜更かししちゃ駄目でしょ。なんなのそのヤツレっぷり! せっかくの美貌が台無しじゃないの~』
「……」
『あ、そうそう、アンタ忘れ物したでしょ? 送れってうるさいのよコイツ』
ブンブンと振られる足先に、キラリと輝く何かが刺さっていた。
『だから来ちゃった』
語尾にハートマークがいくつもくっついていそうな声の直後、クラーケンの脚がえいやっとばかりに何かを投げた。
「危ねぇ!!」
アキラを狙って撃たれた物体を、コウメイが剣で叩き落そうとした。
直撃したそれは、まるで砲丸を受け止めたかのような衝撃だった。
痺れる手で耐えたが、剣が先に悲鳴をあげ折れる。
アキラはとっさに杖を前に突き出していた。
ミノタウロスの角はそう簡単に壊れる素材ではないし、満月の光を練り込んだ銀は向けられた魔力を吸収する特性がある。そして魔石には防御魔術が展開するように魔術陣を仕込んであった。アキラが盾にするには十分な根拠があったのだ。
だが。
パリィン、と。
光の盾を突き破り、頑強な飛来物が紫魔石に直撃する。
骨が折れるのではないかという痛みに手が震え、止まらないその勢いがアキラの身体を砂に押し倒す。
「そんなっ」
手の中の杖が、ほろりと崩れ落ちた。
魔石は砕け、銀は溶け、ミノタウロスの角は折れ。
そしてアキラの手に自ら収まったのは、一年前にニーベルメアの雪山で捨てたはずの杖だった。
『あー、やっと自由になれたわぁ。そいつ真っ黒いのに似てしつこいったらありゃしないのよ』
手のひらにしっくりと馴染む懐かしい感触に、絶望が全身へと広がってゆく。視界に広がる明らんだ空の隅で、吸盤の足先が歓喜に踊っていた。日差しが降り注いでいるというのに、何故だろう、ちっとも身体が温かくならない。
「大丈夫か、アキ?」
『久しぶりの南の海だもの、少しの間ゆっくりさせて貰うわね~』
「……おーい、生きてるよな?」
『長旅でお腹減ってるのよ、これ少しご馳走になってもいいかしら?』
ひょいと摘まみあげた星クラゲをパクリと一飲みしたクラーケンは、咀嚼するように身を震わせた後、海面を叩いて大波を起こした。
『何コレ、美味しいっ。北の海じゃこんな珍味は味わえないわよぉ!』
「……少しといわず全部食べても結構ですよ」
「ねぇ、アキラはどうしたの?」
「なんか訳分かんねぇことぼそぼそ言ってんだ。心配だから、ちょっと休ませてもいいだろ」
視線は虚ろに空を見つめ、存在しない何かと会話するアキラを見たミシェルは、これは尋常ならざる異常事態だと彼の戦線離脱を認めた。動かすのも心配だからと倒れたその場で安静にしているようにと言い置き、彼女はアキラの分も張り切らねばと戦場に戻ってゆく。
「アキ、回復薬だ、飲めるか?」
『いいのね? ほんとーに全部食べてもいいのね?』
「……お好きなだけ、どうぞ」
好きなだけ飲ませろと解釈したコウメイにより、治療薬と回復薬、ついでに解毒薬を口に含まされたアキラは、むせ返りながらそれらの錬金薬を嚥下した後、ゆっくりと瞼を閉じたのだった。
+++
星クラゲのスタンピードは、呆気なくも拍子抜けの結末を迎えようとしていた。
突如出没したクラーケンが星クラゲをものすごい勢いで食べはじめ、陸に向かってくる大群をその腹に収めてしまったからだ。大口を開け海水ごと丸呑みするクラーケンをやり過ごした星クラゲの数はそれほど多くはない。ぽつりぽつりと砂浜にあがってきた個体を討伐するのは、ブレナンでも十分だ。
「シュールだな」
「あれさー、タコでもイカでもねーよな?」
砂浜に敷布を広げ、温かなスープと蜂蜜を塗ったパンで腹を満たしながら、コウメイとシュウはクラーケンの豪快な食事風景を見物していた。
「まさか口があんなところにあるとはなぁ」
ぱっくりと開いた丸い頭頂部には、歯とおぼしきものが見えていた。海水ごと飲み込んで閉じると、歯をすりあわせるようにもごもごと動き、しばらくすると海水とともに刺や硬い表皮のカスをペッと吐き出すのだ。
「あなたたち、あれを見ながら良く食事ができるわね」
「きめぇけど、その辺は切り離さねぇと冒険者はやってらんねぇんだぜ?」
「そーそー、食えるときに食っとかねーと、いつ戦いがはじまるかわかんねーしな」
クラーケンが星クラゲを食い尽くしてくれればいいが、食べ飽きたり満腹になってしまったら再び戦いがはじまるだろうと、二人はモチベーションをギリギリのところで残していた。
「あの様子では食べ飽きることはなさそうよ?」
星クラゲのカスを吐き出したクラーケンは、身をよじって震え、幾本もの脚をくるくると踊らせながら海面を叩いている。全身で「美味い」と表現しているように見えた。
「ミシェルさん……星クラゲって、食えるのか?」
「……過去に食用にしたという記録はないわね」
「シュウ」
「んー?」
「クラーケン、美味かったよな?」
「ハンバーグはもう一回食いてーかなー」
「生物はさ、普通は食ったもので肉体が構成されてるんだよなぁ……」
キラリと目を輝かせたコウメイは解体用ナイフを手に腰をあげると、砂浜に放置されている星クラゲに近寄り、肉付きの良さそうな一つに刃を入れて裂き切った。
「彼、何をしているの?」
「食えるかどーか調べてんだと思うぜ」
執事から「お嬢さま(独身だから)」と呼ばれ、それに相応しい気品ある笑みを絶やさない(外面は完璧)なミシェルが、周囲を慮ることなく、家名や貴族の身分から乖離したすさまじく嫌悪に歪んだ表情を浮かべた。
「……本気なの?」
「コウメイのあの顔は本気だぜ?」
表皮の下にある組織を取り出しては口に入れペッと吐き出すのを繰り返していたコウメイは、何度目かの味見の末に振り返ると、勝利宣言のように拳をあげ最高の笑みを浮かべた。
「……いい笑顔ね」
「美味かったんだろーなー」
今夜の飯が楽しみだとシュウの尻尾がバタンバタンと激しく動くさまに毒気が抜かれたのか、あるいは平常心に戻ったのか、ミシェルが苦笑して注意を促した。
「シュウ、そろそろサークレットで耳と尻尾を隠しなさい。アキラにもピアスを着けてあげてちょうだい……他の冒険者たちが戻ったわ」
突如現れたクラーケンに驚き慌てていたのは、北と南を担当する冒険者らも同じだ。何事かとアキラからの指示を待っていたが音沙汰がない。与えられた区画の防衛に余裕が出てきた今ならと、代表者が状況確認にやってきていた。
「ギルド長? 増員はギルド長自らおこしになったのですか?」
南エリアからやってきたカートが、ミシェルの姿を確認して慌てた。下っ端の彼にとってギルドのトップの彼女は尊敬と崇拝の象徴なのだ。
「すまないが、状況を聞きたくてきたんだが……」
北の岸壁を腕輪付きらに任せたウェイドも説明を求めにやってきた。
「状況つっても」
沖ではクラーケンが星クラゲの躍り食いを堪能し、熊獣人らは相変わらず鮭猟り状態、アキラはぶっ倒れたまま、コウメイは端からは薄気味悪いとしか思えない笑みを浮かべながら解体にのめり込んでいる。
「見たまんまとしかなー」
その見たままが理解不能なのだと二人の表情が訴えていた。
コホン、と一つ息をついたミシェルが、ウェイドに身分を明かしてからアキラに代わって指揮をとると宣言した。
「今回大発生した海の魔物は星クラゲですが、見ての通りクラーケンが捕食しているおかげでこちらへの損害は激減しております」
「ではスタンピードは終結したと?」
「いいえ、クラーケンの食事が終われば再び星クラゲは押し寄せてくるでしょう。今は猶予ができたと思い、交代で休息を取り、いつでも戦えるように備えてください」
イレギュラーの重なった今回の海のスタンピードだが、その終結は過去の事例と同じく、星クラゲを全て討伐し尽くせば終わる。
「クラーケンが全部食ってくれたら楽なんですが」
「わたくしもそう思うわ」
眉根を寄せた笑みでミシェルは二人を持ち場へと帰らせたのだった。
+
星クラゲのスタンピードは七日後に終結した。島にいる人員と増援の六人という極めて少数による防衛戦だったが、過去に類を見ない早さで終結できたのは、クラーケンの存在が大きかったからだ。
『はぁ、もうお腹いっぱいよ』
丸一日星クラゲを食べ続けたクラーケンが海中に消えると、再び大群が押し寄せることとなった。たっぷりと睡眠をとったコウメイらは再び戦いの砂浜に立ったが、疲れ知らずの熊獣人らが盾となったことで、それまでよりも随分と余裕のある戦場だった。
三日目の夕暮れ、再び沖に姿を現したクラーケンが、またしても星クラゲを捕食しはじめたのを機に、討伐隊の面々は交代で休息に入り疲れを癒やした。その後は一日おきにクラーケンが出没しては星クラゲを食い尽くし、七日目に食う物がなくなるとうな垂れるようにその頭部を傾け、ペシペシと海面を何度か叩いて大きな波を作った後、海中に戻っていった。
「……終わったな」
「本当に終わったのかよ?」
「新しい星クラゲはどこにもいないわよ」
「海中の魔素濃度は十です」
ほぼ平常値だとハロルドが外装のはげた測定器を修理しながら言った。
「今回のは……記録に残しにくいわね」
何故魔物たちの進路が突然変わったのか。どうしてクラーケンが現れたのか、不可解な点が多すぎると頭を抱えるミシェルは、唯一すべてを把握していそうな銀髪の弟子を横目で見た。
アレックス製の杖を手に半ば切れ気味に戦い続けていた弟子は、不貞腐れたように口を固く閉ざしている。彼から聞き出すのは難仕事になりそうだった。
+
「……美味しいわね」
それは舌の上で溶けるように消えた。
「だろ? スープの中で開花してるみたいで見栄えもいいだろ」
「あんな赤黒い臓器が、こんなに美味しくなるなんて信じられないわ」
星クラゲは深海に生息する魔物であるため、スタンピードのような事態にでもならなければ滅多にお目にかかれない。
「珍味ってヤツだな」
「……保存は効くかしら?」
どうやらミシェルは土産として持ち帰りたいようだが、少しでも鮮度が落ちれば毒素を抜くことが難しくなり食用にはできなくなる。屠った後、鐘一つほどの時間で毒抜きができれば、あとは調理方法次第で数日は楽しめるのだが。
「解毒薬はあるんだ、試してみたらどうだ?」
「……わたくし、コウメイほどの探究心はないの」
にっこりと微笑んだミシェルは、星クラゲ料理を味わい尽くすまでは島に滞在すると決めたようだった。




