8 記憶
朝食を終えてすぐにギルドの資料庫に向かったアキラたちは、天井に届くほどの大きな本棚で占められたそこを、奥から順番に調べることにした。
「まずはコウメイの義眼で探してみてくれ」
「了解……っと、うわぁ、頭痛くなるくらいギラギラしてんなぁ」
眼帯を取り外したコウメイは、目を窄めながら魔術的隠匿のある資料を片っ端から取り出しては、書机に積み重ねていった。
「隠蔽がかかってるのはこれくらいだな」
「これは俺が全部確認するから、コウメイは他の読める資料を探してくれ……アレックスたちはあてにならなそうだし」
チラリと振り返ったそこには、己の研究に関連する資料や記録を見つけるたびに、本来の目的を忘れて読みふける魔術師たちがいた。
「人族にしては古い記録が残っとるんやな」
「ここは物理的な意味で隔離されているところですものね、本部政変の影響も受けていないし、資料や記録の離散がなかったということでしょう」
「ほう、この地方は面白い素材があるんだな」
立ったまま資料を読みふける者、床に這いつくばって写本をはじめる者、こっそり持ち帰ろうと懐に隠そうとする者。
「アレックス、資料は持ち出し禁止だぜ」
「ミシェルさん、椅子があるんですから座って読んでください」
「おっさん、床で写すなよ、蹴っ躓くじゃねぇか」
この日はアーネストもシンシアもその他の魔術師たちも、組織のトップ連中に畏れ慄いてか資料庫に近づいてはこなかった。
「シュウ、こっちのは本棚に戻してくれ」
「紙が足りなくなりそうだ、アーネストからもらってきてくれ」
「あ、インクも頼むわ。それと小さいテーブルあると助かるんやけど」
「椅子もお願いね。腰が痛くなっちゃったわ」
シュウは指示を受けて荷物を運び、お使いにと走り動き回っていた。
自分でも手がかりを探そうと古い書物を手に取ったのだが、何故か読むことができなかったのだ。本に文字が書いてあるのはわかる。だがその文字が、シュウには謎の記号の羅列にしか見えない。
「なー、コウメイ、これ読めるか?」
「ええと、岩鳥、ヨルナガ、ガルバ豆、詰めて、塩……レシピっぽいぜ」
「俺、全然読めねーんだけど、なんでだ?」
自動翻訳がついてたはずなのだがと不安になったが、今は原因を調べている余裕はない。
読めない自分は役に立たない。その後ろめたさを振り払うように、シュウは肉体労働を積極的に引き受け、忙しく動いていた。
+
「なかなかおもろいもん読ませてもろたわ」
「本部に無い研究録が収められているなんて、予想もしていなかったわね」
「滞在期間を延長したいくらいだな」
自分たちの欲望のままに資料庫の探索をしたらしい三人は、充実した時間を過ごして満足そうだった。午後からも文献の調査をするのだと実に楽しそうに語りながら、昼食のハギ粉団子入りのスープを食べている。
「あんたら手伝ってくれるんじゃなかったのかよ」
「あなたたちの調べものなのだから、あなたたちが主体になるのは当然でしょう?」
「アキラの読めへん資料あったら読んだるで、遠慮せんと持ってきたらええわ」
つまり手伝う気はない。邪魔されるよりはましなので、三人の事はアーネストたちへの忌避剤代わりとして放置と決めた。
「なー、何か分かったのか?」
「ウォルク村ができた当時の記述が少しだけな」
アキラはスープの椀を置いて、メモに目を落とした。
「村が領主によって認められたのがおよそ二百年ほど前になる。当時の人頭帳には十三人が登録されていたらしい」
「ジントウチョウってなんだ?」
「戸籍みたいなものだ。納税の基礎資料だな」
マーゲイトの魔法使いギルドは、ウォルク村ができた当時から深くかかわりがあったようで、村人たちの日々の生活がうかがえるような記録が多く残っていた。
「町から山一つ越えた森の奥に隠れ住んでいた人々を、最初に発見したのがマーゲイト所属の魔術師だったらしい。村としての体裁を整えて、領主の承認を受けて定住を許可されるまで協力していた記録が残っていた」
領内に許可なく住みついた者たちは不法民として捕らえられる。犯罪歴がなければ町の住民となることもできるが、そうでない者は罰金を取ったうえで領外へ追い払われるか、犯罪奴隷として労役につかせるのが普通だ。だがウォルク村の人々は町に属するでもなく、その地を去るでもなく、新たに村を作ってその地に住むことを選んでいる。
「役所の手続きとか詳しくねぇけど、村を作るのってそんなに簡単にできるものじゃねぇよな?」
「多分な。徴税に向かうだけでも大変な場所だ。そこに新しい村を作るだけのメリットがなければ、普通は認められないんじゃないか?」
魔法使いギルドが町への移住ではなく、新しく村を作る方向に協力したという事実には意味があるとアキラは考えていた。
「それで村人が獣人だったかどーか、わかったのか?」
「不明だ。人頭帳には人数と、性別と年齢が記録されているだけだ。あとは村の産業についてくらいか」
村立当初のウォルク村は狩猟によって得た素材を町で売り、穀物や塩といった最低限の品を購入するひっそりとした暮らしぶりだったようだ。
「マーゲイトへの荷運びを引き受けるようになってからは、町の人々とも交流ができて、村への移住も進んだようだ」
「獣人族の村に人族が移住したのか?」
「それって、ありえねーだろ」
二百年前といえば獣人族が人族と決別した後になる。アレックスの言うように村の住人がはぐれ出た獣人族であっても、人族を受け入れたというのは信じがたかった。
「ウォルク村って、ほんとーに獣人族の村だったのかよ?」
アレックスが嘘ついてるんじゃないのかと、シュウは昼食を食べている細目を睨んだ。
「ワシ、嫌がらせはするけど嘘はつかへんで」
「それはそれで性悪だよなぁ」
「アレは無視だ、無視」
「師匠に向かってアレはないやろ、アレは」
アキラは空の椀を突き出すアレックスを無視して続けた。
「町から移住した住人が増えてからは、村は狩猟と農耕が主な産業になったようだ。村で栽培した野菜の出荷の記録が残っている」
村で収穫した野菜の一部はマーゲイトに納められ、残りを町で売り払っていたようだ。
「あとは薬草の栽培もやっていたようだな。マーゲイトへの売却記録があった。ペイトンへも卸していたようだ。今のところ分かったことはこれだけだ」
「たったそれだけかよー」
村が消滅した理由も、その後の冒険者が消える謎もハッキリしないままだ。それでは何もわかっていないのと同じじゃないかとがっかりするシュウに、アキラは「そうでもないぞ」と不敵に笑った。
「こんなありきたりの記録が、あえて魔術で隠匿されていたという事実の方が、よっぽど重要だと俺は思う」
「だな。どう読んでも隠す必要のない当たり前の記録だぜ、それを魔術で隠すってところがあやしい」
まるで村の存在そのものをなかった事にしてしまおうという、何者かの意思が見え隠れしているような気がする。そう言ったアキラの言葉に、コウメイもシュウも深く頷いていた。
「午後からの調査で、もっと具体的なことが分かればいんだが」
「隠匿されてた奴は全部調べ終わってるしなぁ」
期待薄だとコウメイが言うのを聞いて、シュウはため息をついたのだった。
+++
アキラとコウメイは資料庫に籠り、ミシェルたちもそれぞれが文献を読んだり、調合室を借りたりして好き勝手に行動しているなか、シュウだけは何もする事がなくギルドの玄関階段に座って日向ぼっこ状態だった。
「翻訳機能、壊れちまったのかなー」
こちらの世界に放り込まれた自分たちに言葉のハードルはなかったはずだ。商店の看板も読めたし、ギルドの依頼の文章も、王都が出すお触れも問題なく読めた。なのに冒険者ギルドの古い資料や、魔法使いギルドの蔵書らは魔術的隠匿がかかっていなくても読めないものばかりだ。
「まさか俺がバカだから読めねーとか?」
昼食後に、何が読めて何が読めないのかを自分なりに調べようとしたのだが、資料庫の壁に張り出している注意書きは読めても、収蔵されている本の類はダメだった。
「リンウッドさんが書き写したヤツは読めるのに、書き写す前のが駄目ってのも意味わかんねーよ」
苛立ちを発散するように、シュウはガシガシと頭を掻きむしった。
「俺、なーんも役に立ってねーし」
日向ぼっこなんてご隠居のような暇つぶしをするのではなく、自分にできる事をしたかった。自分一人なら険しい山道も、足場の悪い森の道も、問題なく駆けてゆける。資料調査も必要だと思うが、現地を直接見た方がわかることだってあるはずだ。そうアキラに訴えたのだが。
「単独はダメだ。シュウに何かあった時に、誰も助けることができないだろう」
「じれったいのはわかるけどな、シュウが活躍すんのはアキの下準備が終わった後だ。それまでゆっくりしてろよ」
と単独でのウォルク村の訪問は禁止されてしまった。仕方なく皆の作業が終わるまで暇をつぶしているのだが、退屈だ。
「うおっ?」
「邪魔よ、どきなさい」
不貞腐れているシュウの背後で、扉が開いた。扉は背に当たって途中で止まり、同時に尖った少女の声が降ってきた。腰の位置をずらし場所を扉に譲ると、シンシアが玄関から出てシュウを冷たく見おろす。
「よう、シンシアちゃん。どこか行くのか?」
「あんたには関係ないでしょ」
彼女は蔓で編んだ籠を紐で斜め掛けにし、刃の短いナイフを持っていた。採取に向かうのか、膝まで覆うしっかりとしたブーツを履いている。
「んー、けど一人だと危険だろ」
「馬鹿にしないでよね。私は役立たずのあんたとは違うの」
グサリと刺さる一言を遠慮なく放つ少女に、流石のシュウもカチンときた。恋する乙女は謎な行動をするというが、周囲に当たり散らされては堪ったものじゃない。
「あのさー、シンシアちゃんはさ、なんでそんなにトゲトゲしてんだよ。そーいう態度はアキラには逆効果だって分かってんだろー?」
「わ、分かってるわよっ」
ぐっと握りしめた両手の拳がブルブルと震えていた。
「分かってるけど、分かんないんだものっ」
「はぁ?」
意味が分からないと首を傾げるシュウの隣に、シンシアは一人分の間隔をあけて腰をおろした。
「私だってこんなのは嫌なのっ。魔術で負けっぱなしなのは悔しいし、でも教わるのはもっと嫌で、でもあの人を見てるとこの辺りがモヤモヤして、頭が真っ白になって、胸が痛くなって」
シンシアは腹を撫で、頭を振り、心臓の上を両手で覆った。
「あんなに冷たい目で睨まれたくないのに、何やってもダメで、わかんないよ……」
初めて会った時のキラキラした笑顔が見たいのだと、シンシアが呟いた。
それは村の入り口で怒鳴りつけられ、荷物を奪われた時の事だろうか。よほど腹が減っていたのか、干し肉を涙を流しながらかじっていたシンシアの強烈な姿は忘れられないが、あれの何処にキラキラの笑顔なんてトキメキの要素があるのかとシュウが首をひねった。
「私を見てるあの人が、太陽の光を背負って笑ってたの。すっごくきれいで、身体から漏れてる魔力がキラキラと反射して見えて、それ見た瞬間に、干し肉にかじりついてる自分が恥ずかしくなって、わけが分からなくなっちゃった」
「はぁ、そーなん、だ?」
突然現れた少女の謎の言動に呆気にとられたアキラは、作り笑いを浮かべていただけじゃないかと思うのだが、シンシアには後光が差し穏やかにほほ笑んでいるように見えていたらしい。乙女のフィルター恐るべし。
「シンシアちゃんってさー、何歳からマーゲイトに住んでんの?」
「六歳からよ」
幼い頃に魔力に目覚めたシンシアは、成人前からマーゲイトで魔術師修行を積んでいた。成人と同時に正式に魔術師見習となり、十二歳で黒級の薬魔術師の資格を得たのだ。
「そりゃまた、すげーな」
田舎の、さらに辺鄙で不便な陸の孤島で、十年近くも魔術修行生活をおくっているのだと聞いてたシュウは、純粋に「凄い」と感嘆の声が出ていた。
「そうよ、私は凄いんだから。ペイトンから出た初めての魔術師なのよ」
閉ざされた世界で限られた相手と魔術しか見てこなかった少女には、アキラのような存在は刺激が強すぎたのだろう。そして初対面でのショックを引きずった経験値皆無な少女は、アキラの前では常にパニック状態になってしまう。シンシアが一目ぼれした相手がコウメイだったら、もう少し心穏やかにドキドキの初恋を楽しめるのにと思うと、思わず「かわいそうになー」という言葉がこぼれていた。
「かわいそうじゃないわ、私はかわいそうなんかじゃないんだからっ」
「あー、ゴメン。シンシアちゃんのことじゃねーんだ、ゴメンっ」
「ふんっ、私ったら役立たずに何をしゃべってたのかしら。私忙しいんだから、邪魔しないでよね」
ぎろりとシュウを睨んで立ち上がったシンシアは、ローブの尻を手で払って土ぼこりを落とすと、脇に置いてあった薬草入れの籠を手に取り振り返った。
「こんなとこで座り込んで泣いてるなんて、みっともないったら」
いや泣き言いってたのはあなたですよ、とは突っ込まないシュウだ。
「あんたも魔鹿を狩るとか、岩鳥を捕まえるとか、ショボイけどできる事やればいいでしょ。そうしたら役立たずなんて言われないんだからねっ」
そう言ってシンシアは脱兎のごとく走って行ってしまった。
「うわー、ツンデレだー。ツンデレがデレてるところ初めて見たよー」
シュウの身近にいるツンデレはデレているところを絶対に見せないので、シンシアの反応はとても新鮮だった。
「ショボイけどできる事、かー」
よし、と勢いつけて立ち上がったシュウは、小屋から狩り用の装備を持ち出した。魔力を使う仕事も頭を使う仕事も得意ではないが、食料確保なら自信がある。ほとんど平地のない急斜面や岩場で苦も無く動ける自分が狩らなくてどうする。
「唐揚げか鹿肉ハンバーグが食いてーな」
つま先ほどしか足場のないような細い道を下りながら、獲物を探して歩いた。勾配が緩やかになったあたりで、頭上に生き物の気配を感じ、シュウは岩石の突き出た斜面をするりと登りはじめた。斜面に生えた灌木の周囲に、動く灰色の生き物を発見した。鶏ほどの大きさの岩鳥だ。天敵の少ない環境に慣れた岩鳥は、気配を消して迫るシュウに気づかない。餌になる虫を探して岩間や灌木の根本に頭を突っ込む鳥たちは、丸々と太っていて実に美味そうだった。
「唐揚げ、はっけーん」
岩間から伸びた低い灌木に隠れるようにして近づいたシュウは、腰のナイフを抜いて構えた。捕まえるのではなく、息の根を止めることを優先すると決め、灌木の陰から飛び出した。
驚いて飛び逃げようとする岩鳥の頭をはね、岩間から頭を出す前の首をナイフで切り落とし、飛び逃げた一羽を追って跳躍したシュウは、足を掴み取る。
「うおっ」
岩肌を撫でるように風が吹き、シュウの身体を煽った。くるりと捻りを入れてバランスを取り、斜面に着地する。
「あー、折れたか」
岩鳥はシュウが着地する際に、突き出ていた岩石に頭を強打しそのまま絶命していた。だらん、とぶら下がる首を切って血抜きしながら、シュウは再び岩場を登った。
「一羽、いねーぞ」
まき散らした血痕から少し離れた場所に転がっていた一羽を拾い、もう一羽を探して血痕のあとをたどっていく。
「ん? 何処のじーさんだよ?」
岩鳥は岩場を転がり落ちていたようで、山道の脇に立つひょろりとした老人に拾われていた。
「それ俺が狩った獲物なんだぜ、返してくれねーか?」
「なんじゃ、せっかく空から飯が降ってきたかと思ったんだがなぁ」
岩鳥の足を持って血抜きの作業をしていた老人は、足元にできた血だまりを残念そうに見ている。岩鳥ならいくらでも狩れるから一羽くらい分けてやってもいいが、それよりもこんな足場の悪いところに、七十を過ぎたと思える老人が一人で居ることの方が不思議で不自然だった。
「なぁじーさん、あんたこんな山の上までどうやって上がってきたんだよ? 連れはいるのか? ちゃんと町に帰れるのかよ?」
帰れないのなら背負って町まで連れて帰ってやるぜ、と言ったシュウに、老人はおかしそうに笑って答えた。
「覚えておらんのか、まあシンシアの元気が有り余って目立っておったから仕方ないが。こう見えて、わしも魔術師の端くれじゃぞ」
シュウの頭にマーゲイトの魔術師の顔が順番に思い浮かんだ。ツンデレ少女に、腰の低いギルド長、もう一人は老人で。
「あー、確かトマスさんだっけ?」
人の良さそうな笑顔で、初日の夕食会でコウメイの料理を黙々と食っていた老人だ。やせ細った七十過ぎの老人とは思えない旺盛な食欲で料理を片付ける様子には驚いたものだった。
「気が付かなくて悪かったよ。けどこんなとこで何してんだ?」
「散歩じゃよ、散歩。ペイトンから頼まれた魔道具を作ろうと思ったんじゃが、資料室がいっぱいで使えんかったからな」
「わりーなじーさん。仲間が調べものしてんだ」
「ふむ、何を調べとるのか聞いてもいいかね?」
「あー、どうだろ?」
アーネストに事情を説明して協力を求めていないということは、他の魔術師にもしゃべらない方がいいのだろうか。昨夜の密談も結界魔石を使っていたことだし。そういえば誰かのぞき見している奴がいたらしいが、まさかこの老人ではないだろうな。シュウは目を細めて「岩鳥はしばらく食べてない」と惜しむように血抜きの終わった岩鳥を眺める老人を見た。
「そういえばじーさんって、マーゲイトにはどれくらい住んでんだ?」
「そうじゃな、わしが三十の時に出張所に派遣されてからじゃから、もう四十三年になるか」
「四十三年って、なげーなぁ。そんなに長げーと嫌にならねーか?」
と呟いてふと気づいた。この爺さんなら壊滅前のウォルク村を知っているのではないか、と。どうやって聞き出せばいいだろうか、さり気なく、普通の会話で、とシュウは必死に考えて話題を振った。
「ここ町にも遠いし、近くの村も山の向こーなんだろ? 俺だったらこんな辺鄙なとこに四十年も閉じ込められたくねーなー」
「老いるとこれくらいのんびりした環境の方が楽じゃぞ。町は気忙しいし乱暴な者も多い」
トマスはちょうどいい高さの岩にゆっくりと背を預け、谷向こうの山に目をやった。
「できればもう少し緑が多い方が気が休まるがのう。深すぎる山奥の村というのも困るが」
「山奥の村って、ウォルク村だろ? スタンピードで壊滅したっていう」
懐かしむようなトマスの温厚な表情が、硬く固まった。
「ずいぶん古いことを知っとるんだな」
「偶然聞いたんだよ、町で誰かが話してたから」
少し露骨だったかと焦ったが、シュウは偶然を装うことに徹した。七十を過ぎたトマスが町に降りることはないだろうから、自分たちが聞きまわっていたことが知られることはないはずだ。
「スタンピードってキツイよなー。倒しても倒しても魔物が湧いて出るだろ、休めねーし、逃げ場ねーし」
「ほう、若いのにスタンピード討伐に参加したことがあるのかね」
「三カ月くらい前に、砂漠でな。キング・スコーピオンはすげー硬かった。じーさんは魔道具師だっけ? それならスタンピード討伐には出たことねーよな?」
シュウの言葉を聞いたトマスは、物を知らぬ若造を諭すように言った。
「魔術師を侮るでないぞ。魔術師は錬金も製薬も攻撃も一通りこなせねば名乗れないのじゃ。そのうえで長い年月をかけて専門を極めていくんじゃぞ」
魔道具師を侮るなよと言われ、そういえばリリーも攻撃魔術が得意だったなと思い出した。
「じゃ、じーさん攻撃魔術使えるのか?」
「もちろんじゃ。昔は冒険者たちと組んであちこちに討伐に行ったもんだぞ」
「じゃーさ、ウォルク村のスタンピード討伐にも参加したのか?」
この流れなら不自然ではないだろうと思いながらシュウが問うと、トマス老人の表情が曇った。
「いいや……参加しておれば友人たちを救えたかもしれんが、ちょうどその時期は出稼ぎでこの地方を離れていたんじゃ」
トマスは冒険者ギルドに紹介されたパーティーに臨時加入し、国境近くの森まで討伐に出ていたのだ。
「仕事を終えて戻ってきた時には、村が壊滅したあとじゃったよ」
トマスは悔いるように目を伏せた。あの仕事を引き受けていなければ、村人の助けにすぐに応じることができたのに。あれほど悔しく悲しい思いをしたことはなかったと、トマスは辛い思い出を振り払うように頭を振った。
「じーさんの友達は、助かったのか?」
「……いいや、生存者の名簿には載ってなかった。せめて弔いをと思うて村まで行ってみたんじゃが、破壊された家屋の残骸ばかりで、何も発見できなかった。せめて骨を拾ってやりたかったんじゃが」
魔物と戦った痕跡も、一滴の血痕すら見つけられなかった。
「そのうち村で人が姿を消すようになって、その調査にも行ったんじゃが、魔道具師のわしにはどうにもならんかったな」
ゆっくりと振り返ったトマスは、シュウのつま先から頭のてっぺんまでを見て、懐かしそうに表情を緩めた。
「わしの友はお前さんのように身が軽くて、岩登りが得意な若い青年でな。大量の荷を軽々と背負って、町とここを何度も行き来してくれていた。毎週大きな荷物を背負ってやってきては、わしらが退屈しておるんじゃないかと町や村の話を聞かせてくれたよ」
荷運びに来る彼らとの交流は、マーゲイトに引き籠る魔術師たちにとっては生活の癒しであり刺激でもあったようだ。
「最後に会った時に、わしは依頼を請けて出かけるところじゃった。彼も近々修行の旅に出ることになったから、荷運びをするのは最後だと言っておった……」
あれが永遠の別れになるとは、自分も友人も予想していなかった、そうトマスは悲し気に目を伏せた。
「修行? 職人に弟子入りするにしては遅くねぇか?」
青年というからには十代後半から二十代だ。確かこの世界では十二歳前から職人に弟子入りするのも珍しくなかったはずだ。
「いや、弟子入りではなかったはずだ。一族の伝統とか言うておったぞ。荷運びする連中は二十歳になったら試練の旅に出るんだそうだ。大陸を旅して修行して、一人前になって村に帰ってくる。帰ってこない者もいるようだったが、たいていは数年後に嫁を連れて帰ってくる」
ふふ、とトマスは思い出し笑いに表情を緩めた。
「ルーヴより前に村を旅立ったルプスは、強い婿を連れてくるぞと張り切っておったよ」
「ムコ?」
「ルプスは女の身でありながら男と同じように荷を運んでおったんじゃ。修行に旅立つ前に挨拶に寄ってくれての……彼女がスタンピードに巻き込まれずに済んだことが、唯一の救いじゃなぁ」
「その女、帰ってきたのか?」
「いいや、彼女も帰ってこなかった、戻ってこなくて良かったんだよ。村が壊滅した姿なんぞ見せたくないからな」
そう思わんか? と問われ、シュウは無言で頷いた。
「彼女が村を出たのは四十年近くも昔の話じゃ。今頃はどこかで強い男をつかまえて、子や孫に囲まれて幸せに暮らしておるだろう」
彼自身の希望の込められたその言葉は、ひどく物悲しく響いた。
※おまけ/本編で補完できなかったので…
「俺だけ自動翻訳がおかしいのはなんでだーっ」
「どれが読めないんだ?」
「コレと、これは読めるけど、そっちの三冊と、コウメイの読んでるそれは謎の記号にしか見えねー」
「シュウ、古典のテストは何点だった? 英語は?」
「ギリギリ」
「ギリギリなんだ?」
「赤点回避」
「……それだな」
アキラがシュウの前に四冊の本を置いた。
「右から一番目がこの世界の現代語で書かれた本だ。二人とも、タイトルは読めるか?」
「「レイトン伯爵の回顧録」」
「二番目が古代語」
「読めねー」
「創世古記録」
「三番目、他大陸語」
「読めねー」
「マーゼル大航海日誌、かな」
「四番目が魔術言語」
「「読めねー」」
「つまり、魔術言語以外は、日本で解読できなかった言語については自動翻訳されないだけだ」
「お前らそんなに頭良かったのか?」
「コウメイは理科三類目指してた奴だぞ」
「アキは模試でK大A判定以外に取った事ねぇ奴だぞ」
自動翻訳はサボっていないことが確認できたのだった。
(※作者の頭はシュウと同レベルです)