11 海の大暴走 中編
「タラ、なんで避難してねーんだよ!」
スタンピード対策本部となったギルドに料理を運んできた彼女を見て、シュウが悲鳴に似た声をあげた。
「護衛は何してんだ?」
「私のために貴重な戦力を割くのはいけませんよ」
彼女につけてあった護衛役の冒険者の姿を探して眼光鋭く見回すシュウに、彼女は正論で釘を刺した。
「心配してくれるのは嬉しいですが非常時なんですよ。私にはみなさんの食事を作るという任務がありますから」
「飯なんかコーメイに任せときゃいーだろ」
「コウメイさんは主戦力の一人じゃないですか、誰が穴を埋めるのです?」
「私が代わりに戦うのですか?」と真顔で問われたシュウは、陸に上がった魚のように口を開け閉めしてうな垂れた。
「ほら、アキラさんが睨んでますよ。ちゃんと作戦を聞いて頑張ってくださいね」
タラは手のかかる弟のようだと思いながらシュウの背を押した。
最終討伐会議に集まったのは六人だ。アキラら三人にウェイド、そして島にいた冒険者パーティーのリーダー二人だ。六人が囲んだ島の地図には線が引かれ、アキラが割り振った担当エリアの確認作業がすすめられている。
「ウェイドさんと管理下の冒険者は北東の海岸線をお願いします」
町の中心部から北の海岸線はせり上がった絶壁だ。ほとんどの魔物は壁を逸れて南東のビーチに上陸するだろうが、勢いのまま這い上がってこないとも言えない。だがここでは叩き落とせばよいだけなのでさほど難しくはない。
「疾風の光と真紅の剣の皆さんは、この桟橋から南の海岸線をお任せします」
南東の海岸線も岩場や傾斜が多く、魔物の上陸はそれほど簡単ではないだろう。二つのパーティーを合わせても十三名と数は少ないが、この島で損害率の最も少ない二つのパーティーだ、安心して任せられる。
「こちらにはハロルドさんとカートが戦闘に参加します」
「あの二人、攻撃魔術は使えるのか?」
「嗜みですから多少は使えると思いますよ。どの程度かは夜までに直接確認しておいてください」
二人をどう使うかは疾風と真紅に任せる、と丸投げだ。
「それで、俺たちが砂浜か」
桟橋から北にある長い砂浜のほとんどはフットサル場になっている。シュウはそこを守るために全力を尽くすと気合いが入っている。
「本当に、たった三人でやるのか?」
海に面した起伏のない地形は、魔物が押し寄せやすい最も危険な場所だと誰にでも分かる。そこにわずか三人は無謀すぎると彼らの表情が叫んでいた。
「手伝ってくれんのか?」
「あ、いや、俺たちは持ち場があるからな?」
「そうだな、与えられた区画を守りきらねばな」
コウメイの笑顔の誘いに、彼らは焦り言葉を濁した。砂浜が破られれば自分たちも危ない。だがそこで戦うのは命を失うのと同義語だと理解している彼らは、不安を口にしながらも自分が戦線に立つつもりはないのだ。
「大丈夫だって。こう見えてもアキは橙級の攻撃魔術師だぜ」
アキラが魔石の査定と錬金薬の調合をしているところしか見たことのない彼らは、コウメイの言葉を半信半疑に聞きながら目を見合わせた。
「疑うなよー。試しに一発、でっかいのを見せてやれば安心すんじゃねーの?」
「魔力がもったいない」
「そう言わずに、皆を安心させてやるのもギルド所長代行の仕事だぜ」
コウメイとシュウに引っ張り出されたアキラは、薬草採取に影響のない森の奥に入り、大きな風刃を樹木めがけて打ち放った。今まで見たこともないほど巨大な風刃を見たウェイドらは顎が外れそうに口を開け、十数本の木々がなぎ倒されるのを呆然と眺めた。巻き添えをくった魔物の血肉が飛び散っている。
「な、心配ねぇだろ?」
シュウのずば抜けた身体能力も、コウメイの粘りと器用さもよく知っているウェイドは、アキラの攻撃魔術の威力が加われば無敵だなと乾いた笑いをこぼした。
+
アレ・テタルが予測したよりもかなり早く、海の魔物は姿を現した。海面の監視をしていた冒険者が討伐本部に駆け込み、水平線が泡立っているように見えると伝えたのは夕暮れだった。赤く染まる海の向こうから、波の壁が押し寄せてきていた。
「速すぎる!」
「全員、守りにつけ!」
号令が飛び、冒険者らが持ち場へと走る。
「増援は間に合うのか?」
「急かしますよ」
魔術玉や錬金薬を作りだめしていたアキラは、慌てて連絡板を手に取る。コウメイとシュウは持ち場に向かおうとする冒険者らに、薬と魔術玉を渡した。
「そんな、観測数値では確かに……」
「目の前の現実から逃げないでください。あなたの働きにかかってるんですよ」
いまだに認めたがらないハロルドを叱咤して、カート共々疾風に押しつけたアキラは、杖を手にギルドの建物を出た。
「あんたらが強いのは分かってるが、あの勢いだ、本当に大丈夫か?」
「ご心配なく。援軍がくるまでは持ちこたえますよ」
全力を出し切ることを考えるなら、余計な部外者は排除したほうが動きやすい。砂浜までともに走ったウェイドらは、三人を案じながら北の持ち場へと去っていった。次第に暗くなる空の下、波しぶきとともに迫る魔物の正体は、まだ肉眼で確認できない。
「魔物の波だな」
「あれ全部かよー」
まるで成長する壁が迫ってくるかのようだ。
「夕日のせいか赤く見えるが、何の魔物に見える?」
「魚類じゃなさそうだぜ」
「イカにも見えねーよな」
「手足のようなものが見える気がするんだが?」
言われてみれば海面を走っているように見える。手足のある海の魔物と言えばサハギンだが、二度続けて同じ魔物はないのではなかったか。今回のスタンピードは色々とイレギュラーが重なっている。これまでの蓄積を絶対だと思ってはいけないようだ。
「あれ、手でも足でもねぇぜ」
夕日を浴びた魔物の壁が、肉眼で目視できるくらいまで近づいている。アキラは杖に魔力を流し、コウメイとシュウは剣を抜き構えながら凝視した。
「……星、型か?」
「でっけーヒトデだ!」
「星クラゲか!」
表面を夕焼けに染めながら迫りくるのは、星クラゲの大群だった。見た目は五芒星のありきたりなヒトデに見えるが、その中心にある剥き出しの魔石の存在が、間違いなく魔物であると主張している。
「ヒトデなのに何でクラゲなんだろーな?」
「知るか。アキ、やっちまえ!」
杖を振りあげ、勢いをつけ溜めていた魔力を打つ。
「風刃!」
ウェイドらに見せたものよりも数倍大きな風刃が、壁のように迫る星クラゲを端からなぎ倒してゆく。だが星クラゲは真っ二つに切り倒された同胞の死骸を踏み越え、その勢いを緩めることなく海岸に向かい疾走していた。
「風刃、風刃っ!」
もとより戦力的に不利なのは承知していたが、アキラの攻撃魔術でどうにかなるだろうとの楽観があった。だが現実は冷酷だ。数の力は侮れない、ましてや星クラゲは何千何万と湧き、いつ終わるのか誰にも分からないのだ。
魔物の壁がじりじりと陸地に近づいている。色とりどりの個体の判別がつくほどに迫る星クラゲを、複数の風刃を駆使して屠ってゆく。アキラの攻撃魔術をすり抜け、あるいは乗り越えて上陸しようとするものは、コウメイとシュウが斬り倒す。ひっきりなしに襲いかかる魔物に一息をつく余裕さえない。爆発の魔術玉を駆使してコウメイが上陸を阻み、シュウの長剣で一度に数体を斬り倒しては次の星クラゲを叩き払う。
「きりがねぇっ」
「トゲトゲがいてーよ」
星クラゲの表面は無数の刺に覆われていた。彼らはそれを伸ばし刺そうとする。まるで星形のウニかハリネズミのようだ。そんなことを考えながら針ごと星クラゲを斬り捨てた。
「さがれっ!!」
アキラの悲鳴にも似た声を聞き、反射的に後退した。
コウメイがいた場所に炎の壁が立つ。
炎の中で無数の刺が燃え落ちた。
「あっぶねぇ」
「刺撃ってくるとか、聞いてねーぞ!」
「さすがスタンピードだ。星クラゲの上位種だろうな」
海の魔物の生態はギルドでもつかみきれていなかった。上陸を果たした中でも一回り大きく、中央の魔石を黒く縁どる星クラゲは、表皮の刺を吹き矢のごとく撃ってくる。吹き刺攻撃から二人を守りつつ、上陸を阻もうと星クラゲを薙ぎ払う。
「上陸したら弱体化するなんて、誰が言ったんだ」
海の魔物は陸にあがればその力は半減すると聞いていたが、それは嘘だろう。少なくとも迫りくる魔物は、とても弱体化しているとは思えない。星クラゲの表面は硬く、刺は凶暴で、押し戻されても怯まず突き進むその勢いは脅威でしかない。
とっぷりと日が暮れた砂浜を、かき集めた照明の魔道具が照らしている。その中で奮闘を続ける三人は、もう数鐘ほど休みなしに戦い続けていた。星クラゲの形はどれも同じなのに、表面の色彩はどれ一つとして同じものはない。どうやら中心部分の魔石の色がそのまま表皮にも現れているようだ。色の違いは魔力属性の違いなのか、どういった性質を持っているのか、といった興味を追求する暇はなかった。
「増援はまだかよーっ」
「出払ってて戦力が残ってねぇのかもな」
「最悪でも魔術師はいるんだ、間に合えば砲台がわりにはなるだろう」
そもそもフットサル場を三面は取れる広さの砂浜を三人で守り斬ろうと考えたのが無謀だったのだ。今さら悔いても遅く、アレ・テタルからの増援が到着するまで踏みこたえるしかないと気合いを入れる。
「伏せろ!!」
魔力回復薬を二本飲み干したアキラは、杖の先を持つと、魔石部分で空を払い斬った。その軌跡を鋭い風の刃が走り、追い詰められていた三人の支配地を広げる。後退なるものかと踏み込んだ二人が、死骸を越える星クラゲを片っ端から斬り倒した。
「うおぉぉぉぉーっ」
多対一の戦いで最初に本能を爆発させたのはシュウだった。額の輪を鉢巻きごと投げ捨てた彼は、シャツを引きちぎりかねない勢いで肉体を強化させていく。膨れ上がったシュウの怒気と闘気を海の魔物も感じ取れるのだろう。遠巻きに距離を開けはじめた。
「逃げんなー!!」
照明の影に隠れた星クラゲを引きずり出し、数体まとめて上位種へと投げつける。固まりになったところを一刀両断にし、覇気で刺攻撃を跳ね返しながら魔石を蹴り潰して次の星クラゲへと走り迫る。半獣化したシュウは足を絡め取る砂をものともせず、広い砂浜を走り回っては次々と海の魔物を屠っていった。
「ちょっと休憩」
獣化ブーストのかかったシュウに前線を譲ったコウメイは、後退して荒い息を整えた。魔術を連発するアキラを心配し様子をうかがうが、足元に転がる錬金薬の瓶を蹴り散らしながら狙いを定める姿は、肉体的な疲労以外には心配はなさそうだった。
「……俺が一番役に立たねぇとか、情けねぇなぁ」
義眼で寿命は延ばしたが、コウメイはごく普通の人族だ。シュウのような獣化による超人的な戦闘力は持っていないし、アキラのように魔術に特化した攻撃力も持ち合わせていない。元来の器用さと忍耐力、そして努力によって一般的な冒険者より強くなったが、所詮はその程度なのだと思い知らされ落ち込んだ。
回復薬を飲み、その効果が現れるのを待っているコウメイに、「代われ」とアキラから巾着袋とかすれた声が飛んできた。袋の中身は魔術玉だ。アキラが今回のスタンピードにあわせ特別に作ったもので、突風は爆風に、衝撃は爆発にと威力を高めている。
アキラと立ち位置を交代したコウメイは、一人で星クラゲの大群と戦うシュウの援護に回る。獣化したシュウは疲れ知らずだが、さすがに砂浜に一人というのは守備範囲が広すぎた。コウメイはシュウが間に合わない最遠の砂浜両端へとそれを投げていく。
「どわぁーっ、危ねーだろっ」
「クレームはアキに言えって!」
シュウは爆風によって思わぬ方角から飛んできた星クラゲを寸前で避けた。よほど表面が硬いのか、寸前で急所を守ったのかは分からないが、さしてダメージを与えられなかったようだ。魔術玉の効果を疑ってアキラを振り返ったが、彼は仰向けに寝転んで休憩中だった。胸が激しく上下しており、息を整えるので精一杯のようだ。
シュウの動きは速く、威力を計算に入れながら邪魔にならないよう魔術玉を投げるのはなかなかに難しい。十個ほど投げ終えた頃に、アキラが身を起こした。這うようにして補給箱に近づき、取り出した二つの回復薬を一気に飲み干す横顔は、流石に疲労が濃い。
「まだはじまったばかりだぜ、シュウを見習えよ」
「底なしの体力馬鹿と一緒にするな」
アキラにはタラの手料理を食べる余裕はなさそうだ。逆にシュウは一人砂浜でフィーバー状態だった。その動きには衰えも疲労も見えない。
「いくら体力馬鹿でも、獣化状態は永遠には続かねぇだろ。電池切れするみたいに倒れかねねぇぜ」
もう一度アレ・テタルに督促しろとコウメイが救援要請の念押しをする。このままでは全滅だとの危機感はアキラにもある。彼は放り投げていた連絡板を拾い、こちらの切迫具合を知らせようと筆記具を手に取ったところでアレ・テタルからの返信に気づいた。
「朗報だ。日の出まで持ち堪えろ、だと」
戦闘能力の高い冒険者数名と、ギルドで最も凶暴な攻撃魔術師を寄越すとあった。いずれもアキラたちの事情を飲み込める面々だとある。
「日の出ね、なら何とか踏ん張れそうだな」
「シュウ、コウメイと交代だ、錬金薬を飲んで休め」
ピアスを外したアキラが攻撃位置に戻った。長剣を持ち直したコウメイがシュウとスイッチし星クラゲを叩き斬る。
「まだ休まなくても平気だしー」
「ぶっ倒れられても俺は救護できねぇし、アキにも無理だ。ハリネズミになりたくなきゃ余裕のあるうちに補給しとけ」
コウメイによって乱暴に押し戻されたシュウは、後方の補給箱に走り寄った。闘志が落ち着くと自然に獣化が解けるようだ。ケモ耳姿に戻ったシュウは縫い目の裂けた服をぶら下げたまま、タラが用意してくれた串肉を食べた。脂ののった魔猪肉は冷めても美味しく腹を満たしてくれる。獣化していたときには感じなかったが、疲れがきていたのは間違いなかったようで、シュウは全身に重だるさを感じて腰を下ろした。
「仮眠してーけど、無理だなー」
アキラの魔術が広範囲にカバーしているからこそコウメイ一人でもなんとか踏みとどまっているが、自分がゆっくり休んでいては大群に突破されるのは確実だ。シュウは回復薬を手に取って一気飲みし、じんわりと活力が蘇るのを待った。
「さーて、格好よく助けにいくかー」
よっこいしょ、と跳ね起きた彼は、再び闘志を糧にメタモルフォーゼを遂げると、コウメイの隣へと駆け出した。




