08 日記帳
「来週ですが、準備はできていますか?」
八の鐘が過ぎ、冒険者たちは宿舎に引き上げ、空は濃紺に塗りつぶされた頃だ。ギルドの閉店準備をしていたハロルドが、思い出したようにアキラにたずねた。
「来週……なにかありましたか?」
「アレックスの引継書は読んでいないのですか?」
問いに問いで返されて、アキラはそっと視線を逸らした。自分たちには魔力的な問題があり読めないからと、ハロルドから別冊を渡されていたのだが、表題を読んだだけで後回しにしたまますっかり忘れていたのだ。ハロルドはため息をついて「できるだけ早く読んでくださいね」と念押しする。
「これまでの業務に必要ではなかったですし、これからも必要とは思えませんが」
「それは読んでから判断してくださいよ」
ギルドの玄関を魔術鍵で施錠し、並んで街に向かいながらハロルドはアレックスがいた頃のことを話しはじめた。
「彼には彼しか知らない重要な仕事があったらしく、数ヶ月に一度の割合でひとり森に入り、数日間は戻らないのです」
「……定期的に、ですか?」
「ええ。荷造りをやらされていましたのでスケジュールはわかっているのですが、彼が何をしに森に入っていたのかは教えられませんでした」
アレだな、とアキラは森の中心にある大樹の方角を横目で確かめた。ここからでは肉眼で大樹を見ることはできないが、樹木から発せられる微量の魔力が、ここ最近不安定だなとは感じていた。
「行方をくらます前に数日間戻ってきたときも、ギルドの仕事はそっちのけで森に籠もっていましたよ」
十年以上も島でアレックスの尻拭いをしてきたハロルドは、彼が森に籠もる時期を完全に把握していた。だからアレックスから直々の引継書を与えられたアキラも、当然森に籠もるだろうと考えていたらしい。それが来週なのだ。
「……今晩のうちに把握しておきます」
「アレックスに頼まれていた荷のリストを明日お渡ししますね。あなたは彼とは違いますから、準備はご自身でされますよね?」
もちろんですと頷いてアキラは笑みを返した。
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夕食を終えたテーブルで、なみなみと注がれた蒸留酒に口をつけたアキラは、おもむろに本を取り出すと、嫌そうに顔をしかめたまま読みはじめた。向かいで晩酌に付き合っていたコウメイは苦笑いで本を指さす。
「不味そうに飲むのも、嫌そうに読むのもアキらしくねぇぜ。何なんだよそれ」
「アレックスの日記だ」
「日記? あいつの?」
「なになに、何かおもしれーこと書いてあるか?」
島に来てすぐに渡されていたそれは、アキラの蔵書棚の片隅にずっと放置されていた。
「面白いことは何も書いてない。内容はただの業務マニュアルだ」
表題に偽りはない。日付と、その日のアレックスの雑感が書き記されたものだが、その内容はどう読み取っても業務報告か手引き書だ。ためしにとある日の記述を読んでみせた。
「五月七日、晴れ、冒険者より納品された薬草で錬金薬を精製。毒草が混じっていたがそのまま使用。味が悪くなっただけで効果に問題なし」
「毒草って、いいのかよそれ」
「間違えて採取してくるヤツが悪い、とあるぞ」
「俺、アレックスの薬草依頼はぜってー請けねーことにする」
コウメイは呆れ顔で酒を口に運び、シュウはココナッツジュースのカップを手に青ざめている。
「これの八月第二週を読んで準備しなきゃならないんだ……」
気が進まない、とアキラは空になったカップを突き出した。コウメイが酒を注ぎながら心配そうに眉をしかめる。
「仕事なんだろ、飲みながらで大丈夫なのか?」
「飲まずにやっていられないような内容なんだ……」
いったいどんな特殊な業務なのだと目を丸くしたシュウは、アキラの手元をのぞき込んだ。
「真っ白じゃねーか」
「俺にも白紙のノートにしか見えねぇな」
ハロルドたちでも読めなかったのだ、相当に人を選んでいるらしい。
「……エルフ族の狩りの日に、監視に行け、だそうだ」
ピンときたコウメイは泥水でも飲んだような顔になった。飲まずにやっていられないアキラの気持ちはよく分かる。シュウだけは二人のやさぐれた様子に首を傾げた。
「エルフ族の狩りってなんだよー?」
「そういやあのときシュウは眠らされてたな」
「は? 何だよそれー」
前回島にいた頃の、夜の大樹の下で起きたアレコレを簡単に説明すると、シュウは悔しそうにテーブルを叩いた。
「そんな面白そーなことがあったのかよーっ」
「今だから面白がれるけどな、あんときは生きた心地しなかったんだぜ」
「刺し違える覚悟はしていた」
テントには妹たちがいたのだ。あの夜、周辺の冒険者らはアレックスによって眠らされていた。もしもサツキたちがテントから出てエルフの狩りを目撃していたら、細目は事態の隠蔽に動いただろう。アキラはたとえ自分が息絶えてでも、細目の首を絞める指を離さないと覚悟していた。
「ぶっそーだなー」
「その物騒な役割を押しつけられたわけだ」
アキラにだけ読める引継書によれば、四、八、十二月の第二週目の闇の日の夜が、エルフ族による狩りの日なのだそうだ。
「八月の二週目の闇の日つったら、五日もねぇじゃねぇか」
闇の日にアキラに押しつけられた責務は三つ。一つ目は闇の日の数日前から森に入り、虹魔石の成長具合と分布を確認して、町に近い位置にあるものはあらかじめ狩っておくこと。そうすることでエルフたちが人族と接触するのを防ぐらしい。
「フライング・ゲットしたら恨まれねーかな?」
「上前をはねたって怒鳴り込まれそうだぜ」
「牧羊犬になりきるしかないか」
虹魔石持ちの魔物を、できるだけ町から遠い位置に追いはらうことに決めた。
二つ目は大樹の守りの強化。腕輪付きの連中には命令を下せるが、そうではない冒険者らの行動に対し、魔法使いギルドは強制力を持たない。そのため野営地である大樹に餌を与えて放出する結界の力を増加させておくことで、冒険者たちの守りとする。
「夜中にふらりと森に入る者もいるので、多少強引に待機させるように、だそうだ」
「確かに、眠り薬をばらまいて強引に待機させてたよなぁ」
「おまえらよく眠らなかったなー」
以前に嗅いだものとよく似ていたのでとっさに気づけたのだが、果たして運が良かったのか悪かったのか、今となってはわからない。
「三つ目は、エルフどもがこちら側に乗り込んでこないように見張り、結界を超える者がいれば撃退せよ……無理難題過ぎる」
「撃退って、エルフの集団をか?」
「無理ゲーだぜー」
エディやアレックスのような常識外れの存在が何十、下手をしたら百数十人もいるのだ。アキラ一人で対抗できるはずがない。コウメイが手を貸しても、シュウが加わっても、まず不可能だろう。
「……読まなかったことに」
「なるわけねぇだろ」
気持ちは嫌というほどわかるが、往生際が悪いぞとアキラのカップに酒をつぎ足した。
「覚悟して切り替えた方が楽だぜ?」
ハロルドは詳細は知らずとも、闇の日には島にとって重要な何かがあると理解していて釘を刺したのだ。決してアキラを逃そうとはしないだろう。そしてアキラは、渋々とはいえいったん引き受けた代理所長の勤めを、アレックスを見習って放り出せる性分ではない。
日記を読み終えたアキラは、カップに残っていた蒸留酒を一気に飲み干した。強い酒精で忘れてしまいたいのに、数杯程度では酔えない強さが恨めしい。
「はぁ、シュウになりたい」
「酔ってんのか?」
「意味わかんねーって」
闇の日は五日後だ。いきなり本番をむかえるよりも、手前にできる限りの手を打っておくべきだろう。どんな準備をすれば良いのかと問うコウメイに、アキラは普通に二、三日程度の討伐に出かける時と同じでかまわないと言った。
「虹魔石持ってる魔物探して回るんだろ?」
「どのあたりにいるかは、すぐにわかる」
以前よりは耐性がついたせいか、肌に刺さるような痛みではなくなっていたが、痒みのような肌を撫でくすぐる感覚で、虹魔石の場所はおおよそ判別できる。
「……よし、この機会だ、新しい杖の限界を試すことにしよう」
エルフの狩りの監視業務は避けられないのだ、ならば少しでも有効活用すべきだ。
「やっと完成したのか?」
「おー、見せろよー」
ニーベルメアで紛失した杖の代わりに使っていた黒檀の杖は、注ぎ込む魔力量を誤ると崩壊しかねないほどに使い勝手が悪かった。汎用杖に手を加えただけの品質では、アキラの魔力に耐えきれないのだ。繊細なコントロールを心がけ、杖の機嫌を取るように魔力を操らねばならないなんて本末転倒である。
アキラはアレ・テタルでミシェルに教わりながら新しいミノタウロスの杖を自作していた。参考にしたのはアレックスの設計図だ。デザイン以外はとても優秀で高性能なそれを参考に、シンプルなデザインで作りはじめたのだが、素材がそろわずに完成させられていなかったのだ。ミノタウロスの角は入手したが、満月の光を練りこんだ銀は自作するのに時間のかかるものだったし、他にも夜告げの鳥の羽で梳った雪花石膏の粉や、新月の夜に採取した青珊瑚の粉末といった、謎の素材を集めるところからはじめなくてはならないのだ。そのほとんどがこのナナクシャール島でしか手に入らないため、アレ・テタルでは下準備だけ整え、島にきてから暇を見つけては集めに行き、アレックスの資材から拝借し作っていたものだ。
「どうだ、いいできだろう?」
アキラが自慢げに披露した杖を見た二人は、なんともいえない表情で感想を述べた。
「地味……だな。らしいといえばらしいが」
「ビミョー? もっとカッコイー感じのにすれば良かったのに」
先端に大きな魔石のついた、シンプルと言えば聞こえはいいが、なんとも微妙な杖だった。淡い紫の魔石を留める銀にもほとんど装飾はなく、輝きもしない。汎用品の黒檀の杖の方がよほど高性能に見えるのだが、アキラによれば性能は以前の杖とほぼ変わらず、軽く試した感触から使い心地も悪くはないのだそうだ。
「実用的な機能美を目指してみた」
「そう、なのか?」
「機能美かー、そーなのかー」
同意し辛い。そういえばアキラのセンスは壊滅的なのだったと、こっそり視線を交わした二人は、服は似合う物を買って押しつけることができるが、魔道具は彼にしか作れないのだから仕方ないと諦めの息をついた。
「どの程度使えるか、試すいい機会だと思うことにしよう」
どうやらアレックスに押しつけられたやっかいな事案は、自作の杖の耐久実験にすり替えることにしたらしい。
そうして荷造りを終えた三人は、牧羊犬の役割を果たすべく森に入ったのだった。




