35 アレ・テタルの別れ/エピローグ2
四月、淡い色合いの花が一面に咲く草原を横目に、一頭立ての幌馬車がゆっくりと街道を南下していた。昼下がりに馬車は小さな村に入ると、幌をあげて積み荷の商品を披露し、小さく商いをはじめた。
「砂糖は一リル五百ダル、塩は三百ダルです。オマケですか? これでもかなり安くしてるんだけどなぁ」
器を持って買い物をするオバちゃんたちに押され気味のマサユキの横では、コウメイが簡易五徳に網を置き、海魚の干物を焼いては客に試食をすすめている。
「脂のってて美味いだろ? 焼いて食ってもいいし、ほぐしてスープに入れたらいい出汁がでて美味くなるぜ。一枚三十ダル、五枚で百二十ダルでどうだ?」
試食した一人が酒が欲しくなると呟いたことで、村の酒好き連中がこぞって干物を買い求めた。
「この布は薄いのにとても丈夫なの、肌触りもいいから下着を縫うのにピッタリよ」
「古着はこっちに並べとくからさー、よさそーなの自分で選んでくれよ」
国が違えば衣服も違う。近隣では見ないデザインや色使いの古着に女性たちが集まってきた。ケイトが下着に向いているとすすめた布に触れて、その柔らかさと肌触りに虜になった女性たちは、彼女が帽子に飾っている花のモチーフにも目を止めた。あれが良いこの色がかわいいと、作りためていた花モチーフはあっという間に売れてしまう人気だ。
「黒いその丸薬は腹下しに、赤い丸薬は熱さましだ。ぎっくり腰にはこの緑の粉末をハギ粉と水でよく練ってから患部に貼り付けてください。二日酔いですか? それならこの黄色の粉薬を酒を飲む前に服用すると少しは楽になりますよ」
銀髪に戻し、肩にかかるくらいで髪を切り整えたアキラは、村の老人に囲まれていた。症状を聞いては薬箱から様々な薬を取り出しすすめている。旅の間に学んだ一般調合薬の腕も随分とあがり、一端の薬売りである。
「この村でもたくさん売れましたね」
「やはり砂糖は売れ筋です、もっと仕入れておけばよかったなぁ」
「干物完売だぜ」
「俺らの食う分まで売っちまったのかよー」
「お花モチーフは利益率が高くて儲かるわね~」
ニーベルメアを脱出して約半年、にわか旅商人はすでに「俄か」ではなくなっていた。
「なんだかこのままずっと旅商人を続けてもいいような気がしてきたわ」
「仕入れた品が売り切れるのって楽しーよな」
「流石に本業にするのは無理だよ」
「狩猟ついでだから薄利が実現できるんです、行商一本ではとても儲けは出ませんよ」
「そろそろ国境だ、ウェルシュタントに入ったらアレ・テタルは近いぜ」
手綱を握っていたコウメイが荷台を振り返り、マサユキとケイトに問うた。
「覚悟はできたか?」
「とっくにできてるわ」
「俺たちはアレ・テタルに骨を埋める覚悟をしたよ」
二人は旅の間にコウメイたちの話を聞きながら、今後をどうするか話し合ってきた。この世界で生きるようになって十年も経つというのに、自分たちは周りを見ようとしていなかったと思い知った。しかもこの半年の旅で九年間のウナ・パレムでの生活よりもずっと濃く、深く、様々なことを知り視界が広くなったように感じていた。
「今度は逃げなくても済むように頑張るよ」
「地道に少しずつだよね」
マサユキはもう一度魔術師に弟子入りして学び直すと決意していた。脅し、取り引きをするのではなく、尊敬できる師を探してきちんと弟子入りを申し込むつもりだった。
村々に寄り道をしながら三日目に国境を越えた。国境の街で不要な積み荷を売り払って身軽になり、街道を南へと走った。分岐で東に向きを変え進むと、懐かしい街壁が見えてきた。
雪のニーベルメアから約半年をかけ、五人はアレ・テタルに辿り着いたのだった。
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「遅い!」
魔法使いギルドではなく私邸の方を訪ねていったアキラたちは、額に青筋を浮かべながら微笑むという器用な表情のミシェルに、短い一言とともに迎え入れられた。
「あなたたち、のんびりし過ぎよ。この半年、わたくしがどれだけ忙しかったか!」
風呂を借りて身ぎれいにし、久しぶりの豪華な食事を堪能し、食後のコレ豆茶と菓子を囲んで人払いをした場で、ミシェルはこの半年の愚痴を延々とこぼし続けた。
「報告はいらねぇのかよ」
「遅いって言ったでしょう。関係者からの聞き取りも裏付け調査も処分も全部終わってるわよ。後で報告書を渡すから相違点だけ確認して教えてちょうだい、修正するわ」
五人がウナ・パレムを離れた後、ミシェルは後始末に奔走したようだ。事が事だけに自分ですべて対処するしかなく、アレ・テタルを部下に丸投げして大陸中を走り回って暗躍していたらしい。全てを片付け終わったのはつい先月のことで、街に戻れば戻ったで留守の間の決済やら仕事が山積みになっており、ミシェル自身も数カ月ぶりに私邸に落ち着いて寛いでいたところだったらしい。
「マサユキさんとケイトさんには魔法使いギルドを代表してお詫びいたします」
ひとしきり愚痴った後、ミシェルは改めて二人に謝罪をした。
「二人が奴隷契約に縛られた期間の補償として賠償金をお支払いいたします。またこの地で生活されるのでしたら、住まいや仕事をご紹介いたしますわ。ご要望がありましたら遠慮なく仰ってくださいね」
「あの、ギルド長さんはシュウのサークレットの製作者さんなんですよね?」
「ええそうよ」
風呂上がりのシュウはサークレットを外しケモ耳と尻尾を出していた。ここでなら外しても大丈夫だという言葉と行動を信じ、ケイトも帽子を脱いで夕食の席に出てきていた。
「私もシュウのと同じサークレットが欲しいんです」
「獣人族の特徴を隠したいのね?」
真正面から見据えられ、ごくりと息を呑んだケイトに、ミシェルはおっとりとした暖かな笑顔を見せた。
「わかりました、あなたにぴったりの魔武具を作りましょう」
「ありがとうございますっ。あ……代金はどれくらいかかりますか?」
「本来ならば素材を持ち込んでいただいて、製作料に三十万ダルほどいただくのですけれど」
「三十万っ」
魔武具の依頼と二人への賠償は別の話だ、相殺することはできないと釘を刺されたケイトは、恐るおそるたずねた。
「……出世払いは可能ですか?」
「ごめんなさいね、分割はお断りしておりますの」
顔をそむけたシュウが相変わらずのボッタクリだと呟いた。
「金ならアレを売り払ってから足りない分を調達すればいいんじゃねぇか?」
ミノタウロスの角が二本に大魔石が一つ。どうせミシェルに売りつけるつもりだったのだ、思う存分吹っかけてやれとコウメイがニヤニヤ笑っている。アキラがとびきりの笑顔でミシェルの注意を引いた。
「ミノタウロスの角と魔石、いくらの値をつけますか?」
ミシェルの顔色が変わった。
「ミノタウロスですって?」
いつどこで手に入れたのか詳細を吐けと鬼気迫る表情で問い詰められ、コウメイは自分たちがウナ・パレムから飛ばされてからの出来事を語った。
「二人が廃坑に入ったのが十月十六日で、ミノタウロスを倒したのがおよそ三~四日後、間違いないわね?」
「廃坑の中にいる間は時間経過がハッキリしねぇけど、大体そのくらいで間違いねぇぜ」
コウメイとアキラの話を聞いたミシェルは固く目を閉じて額を抑えた。
「素材の代金だけでなく、情報料も支払わなくてはならないわね」
「いくら出す?」
「素材は現物を見なければ値段はつけられないけれど、そうね、情報料は五万ダルというところかしら」
「二人に支払われる賠償金っていくらなんだよ?」
「一人十五万ダルよ」
二人合わせて三十万ダル。サークレットの製作料と同額だ。ミシェルは最初からそのつもりだったのだろう、労わりの目で二人を見つめている。
手に入れられる金額を聞いてケイトは驚き、マサユキは「俺の分を使って」と彼女の手を取った。
「でも、とても返せないわ」
「返さなくていいんだ。サークレットは二人で買うんだよ」
さすがに金額が大きすぎるとためらうケイトに、マサユキは「結婚指輪の代わりにしよう」と囁いた。二人で共同で購入して、二人が一緒に暮らせる間ずっと身に着けていてくれれば嬉しいと。
「……またイチャつくのかよー」
「妬くな、羨むな」
「あなたたち、半年間よく耐えたわね」
「嫌でも慣れますよ」
抱き合って喜びを分かち合うマサユキとケイトは、コウメイらに遠慮してかすぐに二人の世界から戻ってきてくれた。そのまま旅の思い出話に花を咲かせていたが、緊張が解けたケイトは欠伸を噛み殺していたし、マサユキも長旅の疲れが一気にきたらしく、何度も瞬きを繰り返して意識を保とうとしていた。
「今夜はゆっくり休んでね。事務的な手続きは明日にしましょう」
ミシェルに促され、二人は「おやすみなさい」と寝室に戻っていった。笑顔で見送り、扉が閉まった瞬間、彼女は笑みを消し深く息を吐いた。
「話はこれからが本番ってとこだな」
「ええ、そうね。アキラの帰還が遅かったから、本当に大変だったのよ」
ミシェルはマサユキたちのいる間はウナ・パレムでの決着について言葉を濁していた。契約魔術に嫌悪感と恐怖を持っている二人に、さらなる契約魔術を強制しなくてはならない情報は与えるわけにはゆかない。
「地下道から侵入した後のことを、詳しく話してちょうだい」
そこから塔に雷が落ちるまでの調書だけは空白なのだ。
コウメイが新しく入れ直したコレ豆茶が全員に配られたのを確認してから、アキラはミシェルの求める視点での顛末を語った。
+++
「……あの細目め、あの場に居たなんて聞いてないわよ!」
ミシェルは眉間を揉みながら腹黒細目を罵った。
「いや、ウナ・パレムに雷が落ちた時にいたかどうかは」
「居たに決まってるわ。虹魔石を餌に二人のエルフを追い払ったのでしょう? 聞く限りだけど、金髪の方は自分の魔力だけで封印を破壊できないようだし。けれど実際に破壊されたということは、虹魔石を使ったに違いないのよ」
そしてアレックスは、己の私物を奪われたうえで、勝手な使用を許すほどのお人好しでも間抜けでもない。彼はエイドリアンが虹魔石を使う目的を知っていて奪い返さなかったのだ。
「アレックスは今どこに?」
「知らないわ。ウナ・パレムとニーベルメア国王に話をつけた後、ここに戻る前に姿を消してしまったのよ」
ナナクシャール島にも戻っていないらしい。
「またどこかで悪だくみしてるのかと思うと怖いわね」
「俺らとしては、ミシェルさんがさらっと重要機密を暴露したことの方が怖ぇんだけど」
「封印の事かしら?」
「転移魔術陣にそんな役割があるなんて知りませんでしたよ」
騙し討ちはやめてくれと抗議するアキラに、彼女はしれっとしてカップで口元を隠した。
「簡単に教えられることじゃないわよ」
「だったら俺らにも教えんなよー」
「あなたたちは当事者だし、今さらでしょう?」
エイドリアンがウナ・パレムの転移魔術陣ごと封印を破壊してしまったため、ニーベルメアでは魔核が活性化し、上位魔物までが普通に闊歩する事態に陥っているらしい。国をあげて対策に奔走しているらしく、他国に攻め入る余裕は全くなさそうだということだ。
「その雷というか、塔の封印が破壊された時に、魔術師たちに被害者が出るようなことは?」
金髪エルフと戦っていたあたりで気配の消えていた魔術師たちの安否が気になっていた。派手に魔法を使ってあちこちを破壊してしまった罪悪感からアキラの声は神妙だ。
「死者はいないわ」
では自分のせいで負傷者を出してしまったのかとアキラは胸を痛めた。
「目に見える負傷者もいないわよ」
「……目に見える、とは?」
「記憶がね、消されているのよ」
取り調べの結果、あの時塔に居た魔術師らから、マジックバッグの設計に関する記憶がきれいさっぱりと失われていたのだ。
「フランクはマジックバッグの研究をしていたことも、試作品を完成させたことも当然覚えていたわ。けれど設計に流用された転移魔術陣に関する部分だけが、記憶から抹消されているの」
「それは……」
何とも言えない気持ちの悪さに言葉が詰まった。封印を破壊し消し去るというのは、物理的な破壊だけではなかったのか。
「俺は、設計書の内容を覚えていますが?」
「神罰の雷を浴びていないから、でしょうね」
ウナ・パレムの関係者の間では、あの神々しいばかりの雷のことは「神罰の雷」と呼ばれているらしかった。事実、今のあの地は神から罰を与えられているとも言える環境なのだ。
「この半年の間に、単一魔物のスタンピードが十回も起きているわ。それも上位種のスタンピードばかりよ」
キングオークにホブゴブリン、吸血蝙蝠に雷蜥蜴と、厄介な魔物のスタンピードが連続発生し、ニーベルメア国は随分と疲弊しているらしい。
「もしかしてミノタウロスの発見の日時を細かく確かめたのは……」
「封印が解けた影響に間違いなさそうね」
廃坑洞窟に発生した魔核からミノタウロスが発生したのだ。魔核を破壊してきたのでなければ、時期が来ればまたミノタウロスは出現するだろう。
「洞窟の中だし、あのでっけー身体じゃ出てこれねーだろ。それほど心配しなくてもいーんじゃね?」
「だな。閉じ込めておけばふもとの町や村を襲うこともねぇだろうし」
牛頭巨人のスタンピードなんて考えたくもない。いや、あの閉鎖空間で大発生すれば、ミノタウロス同士で戦うことになるのではないだろうか。
「……ミノタウロスの蟲毒」
アキラの低い呟きに、想像したくないとコウメイは天井を仰ぎ、シュウはそのうち様子を見に行きたいと頬を緩ませた。
「何にしても、あんまり後味のいい結末じゃねぇなぁ」
自分たちが関わったことでウナ・パレムの魔法使いギルドの存在意義が失われ、あの国が魔物にあふれることになってしまったのだ。
「最善は尽くしたわ。アキラの介入が間に合わなければ、あの街だけでなく、ニーベルメアという国そのものが壊滅していたかもしれないのよ」
王家とフランクの間に契約魔術が結ばれた後だったら、マジックバッグが王家の手に渡った後だったなら、エルフはあの国を一夜にして廃墟に変えただろう。塔の破壊と関係者の記憶だけで済んだのだ、最小限の犠牲だとミシェルは落ち込むアキラを慰めた。
「魔石の流通が元に戻れば、街壁の防御も心配なくなるわ。それにサイモンは優秀よ、彼を慕って移籍した魔術師たちとともに街の人々を治療し続けているわ」
サイモン以外に治療魔術師がいなかったのは、フランクが移籍を希望する者たちを脅し止めていたからだそうだ。彼が更迭され、魔法使いギルドの運営が正常化するにしたがって、何人もの治療術師や薬魔術師がサイモンのもとに集まったらしい。
「だからアキラが罪悪感を抱く必要はないのよ」
冷めてしまったコレ豆茶を飲み干し、アキラはなんとか気持ちを切り替えようと目を閉じた。
「さて、今夜話した内容は報告書にまとめて提出してちょうだい。三人ともよ」
「えー、なんで俺も?」
「途中から別行動だったんでしょう、視点の異なる報告が必要なのよ。任務報酬と引き換えだから、ちゃんと提出しなさい。コウメイ、あなたシュウを手伝ってあげなさいね」
「シュウのレポート手伝うのかよ……」
嫌そうに眉間にしわを寄せたコウメイの肩に、笑顔のシュウが腕を回して「頼むぜ、親友!」と押しつける気満々で詰め寄っている。
「アキラ、あなたしばらく暇でしょう? 少し仕事を手伝ってくれないかしら」
「一年以上にもわたる重要任務を終えたばかりですので、特別休暇を申請します」
こき使われるのは御免だと突っぱねる彼の反応は予想済みだったようだ。鋭利で攻撃的な美しい笑顔に、ほんわりとした微笑みで対抗しながら、ミシェルは「特別報酬を用意しているのよ」とベルを鳴らした。控えの間に待機させていたのだろう、執事が盆にのせた大きめの包みを恭しく運んできてテーブルに置く。
「お嬢様、こちらで間違いございませんでしょうか?」
そう言って艶やかな光沢のある布を丁寧に開き、包んであった箱を見せた。
蓋の右下に花束が彫られ、一輪だけに淡いピンクの色がついている。真ん中にはブルーン・ムーンのロゴ。
「それは……」
「最近ダッタザートで評判の菓子箱ですわ。ちょっとしたお茶請けにとてもいいのよ」
妹の作った菓子を目の前にぶらさげられ、拒絶できるアキラではない。それをしたらシスコンの称号を捨てなくてはならない。
「ギルド長付き補佐官として、しばらくお願いね」
悔しくてたまらないのに嬉しくて頬が緩むという、複雑怪奇な表情のアキラを、コウメイは「サツキちゃん最強」と苦笑いで見守るのだった。
+++
ミノタウロスの角はアレ・テタルの魔術師たちがこぞって欲しがったため、買取価格は予想以上の高値になった。雪山で紛失した杖の代わりを自分で作るべく、アキラは自分の取り分を現物で確保したため、売却量が減り、それもあってさらに値があがった。
「私たちも魔石の現物が欲しいの」
ケイトとマサユキはサークレットの材料としてミノタウロスの魔石を欲した。必要な量を報酬として受け取り、それをミシェルに提出して製作を依頼していた。
「大金持ちだぜ!」
ミノタウロス素材の売却益と長期依頼の成功報酬を受け取った三人は、合わせれば街に豪邸を買えるほどに懐が豊かになっていた。手渡された大量の貨幣を前にシュウの興奮は抑えられないようだ。
「落としそうで心配だ、すぐにギルド口座に預けたほうがいい」
「無駄遣いすんなよ。一日五百ダルもありゃ上等だろ」
「ガキの小遣いじゃねーよ」
二人の忠告を無視し大金を引っ提げて街に繰り出したシュウは、大きくなった気をさらに煽り持ち上げられ、一晩で手持ちの現金を使い果たして戻ってきた。
「言わんこっちゃねぇよ」
「何処で巻きあげられたのか覚えてるか?」
「花街でたわわなおねーさんにナデナデしてもらってるところまでは覚えてんだけど……」
その先は酔いつぶれてブラックアウトしたらしい。
「天引きしといて正解だったな」
「被害は最小限で食い止められたか」
こうなることを見越した二人が、シュウには本来受け取るはずの報酬の一割だけを現金化して渡しておいたのだ。それでも一晩で一万ダルは散財しすぎではないだろうか。
サツキのクッキー箱にまんまと釣られたアキラは、日々ミシェルにこき使われていた。今日は魔術学校の助手、明日は連絡会議の秘書、明後日は昇級試験の試験官と、面倒で手間のかかる仕事ばかりを押しつけられている。
「コウメイは暇そうだな、羨ましいよ」
「暇じゃねぇよ。ミシェルさん人使い荒いって」
コウメイはコウメイで、やれ北の山に出没した五頭大蛇の魔石を獲ってこいだの、知人に珍しい食材を貰ったから美味いものを作れだのと都合よく使われていた。
「断ればいいだろ」
「けどなぁ、魔石はアキの杖に使うかもしれねえって聞かされたら行くしかねぇし、二人が美味い飯を期待してるって囁かれたら張り切るしかねぇだろ」
「……っ」
ミシェルの人使いの上手さは狡猾さと紙一重である。
「シュウは?」
「真面目に討伐に出てるぜ。ケイトさんに『働かざるもの食うべからずだ』って叱られたらしい」
一万ダルもの大金を花街で使い果たしたと聞いた彼女は、シュウの両頬を力いっぱい引っ張って「バカな弟ほどカワイイものだけど、躾は絶対に必要ね!」と半日近く説教し続けたらしい。
マサユキはミシェルに紹介された老魔術師に弟子入りした。魔力量が少ないながらも、研鑽と工夫を重ね、魔力量以上の術を操る攻撃魔術師だ。温厚で我慢強い老人との相性は良いらしく、マサユキはのびのびと学んでいるそうだ。
そんなふうにアレ・テタルでの滞在が二ヶ月を越え、そろそろ日差しが熱くなってきた頃だった。
「アレックスが戻ってこないのよ」
「何か支障が?」
四月に一度島に立ち寄ったらしいが、数日で「ちょっと出かけてくるわ」と言って姿を消したきり行方不明なのだそうだ。
「ナナクシャール島の責任者が不在なのは困るのよ」
昼行燈に見える彼だが、要所を抑えた一応の管理職だった。一ヶ月や二ヶ月の不在は平職員でもカバーできるが、流石に数カ月に及ぶ不在はまずいらしい。居れば居たで面倒を引き起こす問題児だが、居なければ居ないなりに問題も生じる厄介な存在だった。
「アキラ、しばらく代行しててもらえないかしら?」
「しばらくはのんびりしたいのでお断りします」
「のんびりする合間に、気分転換でちょっとハロルドを手伝ってくれればいいから」
本当に代行で済むのかと疑いの目を向けたアキラに、ミシェルはにっこりと微笑んだ。
「あなたたちもナナクシャール島でのアレックスの仕事ぶりは覚えているでしょう? 彼が仕事していたところを覚えている?」
「昼寝してるか、釣りしてるか、酒飲んでるかだったな」
「たまーに討伐に出てたのは見たことあるぜ」
「仕事らしい仕事は、島に入るときの手続きくらいか?」
「魔石の査定もやっていたが、島ではそう数も多くなかったしな」
彼がまともに働いている姿を見たことはなかった。腹黒糸目の事だから隠れて暗躍していたかもしれないが、それはアキラには関係ないし、ここでミシェルに振り回されるよりも、アレックスのいないナナクシャール島でのんびり店番をするのは悪くはなさそうだった。
「あなたが探している杖の素材も、大半はあの島でしか入手できないものばかりよ」
雪山で紛失した杖の代わりを作ろうとしていたアキラは、必要素材の不足が原因で製作が途中で止まっている。直接自分で調達に行けば杖の完成も早くなるだろう。様々な条件を天秤にかけた結果、アキラはナナクシャール島行きを決断した。コウメイとシュウはアキラが決断する前から荷造りをはじめており、心は南の島でのリゾートライフに染まっていた。
「いいわねぇ、南の島でリゾートライフ」
「美味しい貝がとれるんだってね、こっちに戻ってくるときにお土産にお願いしていいかな?」
見送りにきたケイトとマサユキは、餞別だと言って三人にハギ藁で編んだリゾート帽子を贈った。日差しの強い浜辺で大活躍することだろう。
「じゃあな」
「行ってくるぜー」
「二人とも元気で」
荷物とともに三人は魔術陣に入った。
「本当にたくさんお世話になったわ、ありがとう」
「みなさん元気で、楽しんできてくださいね」
サイモンの指導で作った黒檀の杖を突き、魔術陣に魔力を満たす。
『ナナクシャール』
別れ際の彼らは、眩しいほどに幸せな笑顔を見せていた。
第4章 ウナ・パレムの終焉 完




