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やたら長い人生のすごし方~隻眼、エルフ、あとケモ耳~  作者: HAL
3章 ウナ・パレムの終焉

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25 解放



 王族と領主、そして所長らが研究室から去った後、マサユキは部屋を片付けながらひそかに魔術契約書を探していた。王族の視察を受け入れるため研究室は大幅な模様替えを強いられていたが、それを普段の研究主体の部屋に戻すのだ。王子妃のために設えたテーブルセットや絨毯を運び出し、バリケード代わりにと並べてあった実験机をもとの配置に戻す。別室に押し込めていた魔道具や実験器具を設置し直し、希少素材の保管箱を運び入れる。

 高貴すぎる客が立ち去り、厳しい上司も不在。残された魔術師たちの緊張は緩み切っており、マサユキに仕事を押しつけるだけ押しつけ休憩室で寛いでいる。監視の目は緩んでいた。研究時には触れることが許されていない様々な魔道具や素材の保管箱、隠し金庫に書類の束に記録簿などを堂々と調べるチャンスだ。


「魔力を遮断する箱って言ってたよな」


 希少素材の保管箱や魔石入れ、参考文献の納められた書棚やその引き出しを、マサユキは掃除しながら漁っていた。


「羊皮紙はたくさんあるのに、ほとんどが設計書やメモ書きなんだよな」


 完成前の魔道具の設計書の束に、研究者のメモ書き、論文や魔道具の仕様書の下書きなどは大量にあるが、魔術契約に関する羊皮紙は発見できなかった。


「研究階はいつも大勢がいるし、俺も出入りするから、やっぱりどこか他の場所に保管されてるんだろうな」


 マサユキが立ち入ったことがないのは、最上階だ。ギルド長個人の執務室と研究室があるが、所長派の側近しか上がることは許されていなかった。そこに忍び入ることはできるだろうか。


「見張りはいないけど、魔術の壁があるって聞いたことあるしなぁ」


 魔道具で発展を続けていた時代に、ギルドに盗みに入った他領の者が、魔術の壁で侵入を阻まれ捕らえられたという話が、許可のない場所に立ち入らないようにという警告としてマサユキに語られていた。魔術の壁に触れると激痛が走り、それは錬金薬では緩和することもできず一カ月以上ものたうちまわる事になるらしい。

 傷みに対する恐怖がマサユキを委縮させていた。激痛を受けて魔術契約書を盗み出せればよいが、失敗すればすべてが終わりだ。自分だけでなくケイトにまで及ぶ契約を考えると、突破する勇気が持てなかった。


「おい黒級!」


 大扉から顔を出したのはフランクの腰巾着である青級の魔道具師だった。彼は苛立たし気にマサユキを睨みつけると、怒鳴るように呼びつけた。


「所長がお呼びだ、今すぐ来い!」


   +


 マサユキを連れて腰巾着が向かったのは、上階への階段だった。上がる前に紫色のリボンを渡され、手首に巻いておくようにと言われた。見れば彼の手首にも同じリボンが巻かれている。


「これでいいでしょうか?」


 マサユキの腕飾りの上からリボンを巻いた。腰巾着はリボンがしっかり結ばれていることを確認すると、無言で階段を登りはじめる。早く来いとでもいうように踊り場から睨みつけられたマサユキは、覚悟を決めて後を追った。


「……何?」


 階段中ほどの踊り場にあがった途端に、何かが身体の中を通過していくような違和感を感じた。魔術壁を通り抜けた感覚だろうかと狼狽えている彼に、青級魔道具師が「早くしろ」と叱りつける。マサユキは残る階段を駆け上がって彼に追いついた。


「高貴な方々がお待ちだ、お前はただ所長の言葉に頷いていればいい。決して余計なことを言うな、わかっているな?」


 マサユキの返事を待たずに彼は扉を開けた。そこは彼が侵入を諦めていたギルド所長室だった。

 護衛騎士らに囲まれて王子夫妻と領主、そしてフランクがいた。彼らテーブルには何枚かの羊皮紙と筆記用具が置かれていたが、それが普通のものではないとマサユキはすぐに気づいた。前にその特殊なインク瓶を目にしたのは、自分が魔術契約書に署名をした時だ。


「お前がマサユキか?」


 アルフォンス王子の言葉と同時にマサユキの頭が押しつけられた。転ぶように膝をつき、ぐいぐいと押さえられて頭を下げる。絨毯の模様しか目に入らない状態のマサユキに、耳を疑うような言葉が投げられた。


「黒級の攻撃魔術師ごときが、発案者に居座るなど強欲が過ぎる。経緯を聞いたが、フランクの恩情に仇で返すとは悪辣だ、不相応な契約魔術は破棄してもらうぞ」

「なっ」

「不敬だぞ、許しもなく顔を上げるなっ」


 驚いて顔を上げかけたマサユキを、力任せに押し付ける腰巾着からは強い焦りが感じられた。契約魔術の破棄を命じる王子の声には不快感と苛立ちがある。王子の命令は大歓迎だが、素直に受け入れることはできない。


「意味が分かりません」


 マサユキは押さえつける手を引きはがして顔を上げた。焦り、引きつったような笑みを浮かべているフランクと、憤怒の形相の領主、そして侮蔑も露わな王子を順番に見る。


「俺は所長から恩を受けたこともないし、契約魔術で利益を受けたこともありません。一体どんな説明をうけたんですか?」

「黙れっ!!」


 フランクの怒声を追って真横から拳が叩きつけられた。もう一度殴りつけようとする腰巾着の拳は、騎士によって止められた。右頬が熱く痛い。


「お前はマジックバッグの利益を得るため、フランクに取り入って契約魔術を結び、不当に利益を奪っていたのだろう?」


 痛む頬に手を当てながらマサユキは王子をまっすぐに見返した。相手が王族だろうと貴族だろうと、ここで屈指するわけにはゆかない。


「マジックバッグで金なんて、一ダルだって受け取ってませんよ」

「家を買わせたのだろう? 魔石の買取価格を吊り上げて利益を得たはずだ」

「俺が住んでいるのは集合住宅だし、賃貸です。家賃は自分で払っています。それに魔石だって、全然高くなんかない、明細が全部残っているから、証明できますっ」

「いい加減にしろっ!」


 いきり立ったフランクが顔を真っ赤にして怒鳴る。マサユキのもとへ襲いかかるような勢いで駆け寄ろうとするのを、騎士が遮って押さえ込んだ。


「契約内容の認識にこれほど齟齬があるのは面白いな」


 王子はテーブルの上にある羊皮紙を取ってマサユキに見えるようにかざした。


「お前のサインの入った魔術契約書の原本だが、ここには発案者の権利として金銭と待遇の保証の条件が書かれている。契約魔術に反したときは罰が下されるはずだが、どちらにもその痕跡はない。さて、どういうことかね?」


 マサユキが口を開ける前に、フランクが早口で説明した。


「懲罰魔術が発動していないのです、誰も契約に反していないのですから、当然です」

「俺はこの黒級魔術師に問うている」

「……っ」


 黙っていろと睨まれたフランクは、背後に立つ騎士に肩を掴まれて椅子へと押し戻された。

 目の前に差し出された契約書を読んだマサユキは、判別できる文字については自分がサインした物と同じであると認めた。サインも自分が書いた文字に間違いはない。だが。


「失礼ですが、ここにいる魔術師以外の皆さんの中に、魔術言語を理解できる人はいますか?」


 マサユキは王子やその護衛騎士らを見渡してたずねた。


「このサインは俺が書いたものです、間違いありません。でも俺は魔術言語で書かれた内容が読めなくて、騙されて奴隷契約を結ばされました」

「ふむ、魔術言語か」


 どうやら王子は魔術契約に関する知識があるらしく、マサユキの説明に興味を引かれたようだ。


「はい。この契約書の四辺の飾り、上級魔術師が使う魔術言語なんです。一つの契約書の中に二つの言語で条件が書かれている場合、文字そのものに力のある魔術言語の条件が優先されるって、後になって知りました」


 マサユキは腕の飾りをほどき、皮膚に印された契約魔術の証を見せた。腕に巻きついた模様は、奴隷の輪を連想させる。王子の目がすうっと細くなった。


「俺にはそこに書かれている魔術言語は読めません。だから本当はどういう契約が結ばれているのか、何も知らないんです」

「兄上は魔術言語も学んでいたが、俺は武芸の方に傾倒していたのでなぁ。視察には兄上が来るべきだったか?」


 王子の視線を受けてフランクの笑顔が引きつった。


「だが契約が有効である証拠に、マジックバッグの設計書に貴様の名前が入っている。フランクによればこれは契約魔術による縛りであり、解除するか無効状態にしなければ消えないらしい……それでは困るのだよ」


 解除もしくは無効化。その言葉を聞いたマサユキの肌が怖気で泡立った。声に含まれた冷徹な色に震えが止まらない。


「む、無効状態、とは、どど、どういうことでしょうか?」

「契約者の存在が無くなれば簡単だ」


 王子の言葉を受けて護衛騎士が剣柄に手を置いた。契約者の片方が死ねば、契約は成立しなくなる。解除を拒否しても無駄だぞとの脅しだ。


「お、俺を殺しても、契約は無効にはなりませんっ」


 マサユキは膝を強く握りしめてフランクを振り返った。


「契約を交わしたときに、連帯保証としてもう一人がサインした魔術契約書があるんだ、俺が死んだら契約は残った者に受け継がれるんです……彼女も殺しますか?」

「……きさま」


 ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえてきそうだった。フランクはケイトを害せない。自分をどんなに痛めつけることがあっても、彼女にだけは手を出せないその確信があった。王族と交渉する度胸なんてないし、王子の威圧感は恐ろしい。これみよがしに剣の存在をちらつかせる護衛騎士が怖い。だが、これが最初で最後のチャンスなのだ、ケイトを奴隷契約から解放するために、ここで踏ん張るしかない。マサユキは深く息を吸い込んで王子と向き合った。

 フランクとの睨み合いを興味深げに見ていた彼は、決意を秘めたマサユキの顔つきにグッと顎を引いた。


「契約の解除に同意するには条件があります」

「不遜だが……聞こうか」

「俺の契約解除と一緒に、連帯保証の契約も一緒に解除することが一つ目」


 いくつ要求するつもりなのかと王子の眉がピクリと跳ねた。


「二つ目は魔術言語を読める立会人を同席させてください」


 魔法使いギルドにも貴族にも属さない第三者がいいと付け加えた。


「三つめは?」

「俺が譲れないのはこの二つの条件だけです。これを認めてもらえるなら、マジックバッグにかかわる権利なんていりません」


 マサユキの出した条件は王子にとって不利に働くものではなかった。だが有利に働くものでもない。手間暇かけるのも面倒だ、この者ともう一人を処分してしまえば簡単だが、国内最高峰の魔術師の狼狽ぶりが引っかかっていた。


「……いいだろう。飲もう」


 トン、とテーブルを指で叩き、領主とフランクに命じた。


「すぐに契約を解除しろ。それが済まねば新たな契約が結べん」

「い、今すぐとおっしゃられても、準備が」

「契約書ならそこにあるではないか。連帯保証の契約書もこの部屋で保管しているのだろう?」


 本人のサインが必要というなら今すぐ呼べばよい、迎えを出せと命じる王子に、マサユキが自分で迎えに行くと主張した。


「見たこともない怖い騎士が突然やってきても、彼女が怖がるだけです」

「では護衛をつけよう。立会人の心当たりはあるのかね?」


 魔術言語を理解できる者のほとんどが魔術師だ、ギルドに所属していない魔術師などいるのかとたずねる王子に、マサユキはアキラを推薦しようと思った。だがその前に、これまで沈黙を貫いていた領主が先に進言していた。


「先ほど殿下の側に控えさせた医薬師ギルド長はいかがでしょうか。彼は治療魔術師として魔法使いギルドに登録はありますが、彼の所属は医薬師ギルドです」


 王子はマサユキに一人騎士をつけて「迎えに行け」と命じた。

 騎士に追い立てられるようにして塔を出たマサユキは、期待と不安と興奮で騒ぐ胸を押さえながら、ケイトの待つ部屋へと向かった。アキラに助けを求めるつもりが、領主のおかげでサイモンに迷惑をかけることになってしまったが、彼は敵ではないし、マサユキの境遇にも同情的だったから、きっと力になってくれる……希望を託すしかなかった。


「ケイト、ケイト!」


 木の扉を叩いて呼んだ。

 ダンダンダンと拳で叩かれる激しさに、怯えの混じる声が返った。


「マサユキ?」


 細く開いた扉の隙間から恋人の姿を確かめると、彼女は安堵して大きく扉を開いたが、その後ろに立っている騎士を見てビクッと震えた。


「これを外せるぞ!」

「な、なに?」

「俺たちの契約魔術が破棄できるんだ!」


 マサユキの早口の説明を聞いたケイトは、信じられないというように口を開け、腕飾りの上から契約魔術痕をぎゅっと握った。


「ホントに……?」

「ああ、ホントだよ。急ごう、ギルド所長たちの気が変わる前に行かなきゃ」


 マサユキは戸惑っているケイトを急かし、魔法使いギルドへと引き返した。

 雪花亭の脇を抜けて大通りに出る。途中、医薬師ギルドの前を通るとき、薬局の窓際にいるアキラと目が合った。心配そうな視線を向けられ、マサユキは護衛という名の見張りに気づかれないように、こっそりと頷き返した。アキラが素早く窓際を離れたかと思ったら、薬局から出てきたシュウが二人と騎士を追い越していった。マサユキたちの数歩前に出ると、後ろの二人に合わせるように歩調を落として歩く。

 自分たちだけで立ち向かうのではない、アキラやコウメイやシュウが、陰ながら支えてくれている。その実感に胸が熱くなり、気持ちが奮い立った。

 強く握ってくるケイトの手を握り返したマサユキは、シュウの背中を見ながら塔へ向かった。


   +++


 マサユキたちがギルド所長室に戻った時、呼び出されたサイモンらが先に到着していた。彼の側に立つコウメイは、眼帯を外し前髪の分け目をずらせて印象を変えており、入室したマサユキたちに他人を見るような視線をチラリと寄こしただけだった。


 彼を呼びそうになったケイトの手を強く握って止めた。テーブルの上座に王子が、その左右の辺にギルド所長と領主がいる。空いている一辺に二人が着席すると、王子が一同を見渡すとおもむろに命じた。


「これで全員そろった、契約魔術の解除をはじめよ」


 取り繕った表情を張り付けたフランクが、二枚の魔術契約書をテーブルに並べた。


「まずはマサユキとやらが確かめよ」


 二枚の契約書の大陸公用語で書かれた契約内容には間違いはなかったし、記されたサインも自分たちのものに間違いはない。


「立会人サイモン、検めよ」


 マサユキから手渡された二枚の契約書に目を落とした彼は、読み進めるうちにどんどんと表情を険しくし、ギリギリと奥歯を噛みしめながらフランクを睨んだ。


「なかなか面白そうな内容のようだな、読み上げろ」

「……よろしいのでしょうか」

「許す」


 ためらいがちにケイトの様子をうかがったサイモンは、王族の命令には逆らえないと覚悟を決めて背筋を伸ばした。


「マサユキとの契約条項は次の三つ。一つ、マジックバッグに関する知りうる情報を無償で提供する。一つ、マジックバッグの発案者として、開発が失敗に終わった場合は、開発費用の弁済と魔法使いギルドの名誉を汚した責任を全て負う。一つ、カザルタス領外への移動を禁ずる」


 予想していた以上に悪辣な契約を結ばされていたのだと知ったマサユキは、怒りよりも笑いがこみ上げてきそうになって困った。薄笑いを浮かべた王子がフランクに視線を向けたが、彼は能面のような顔で無言を貫き通している。


「もう一枚のケイトとの契約条項ですが……一つ、カザルタス領外への逃亡を禁止する。一つ、フランクを主人と求めて服従し、獣人一族の便宜を取り付ける事、以上です」

「……獣人、だと?」


 王子は息を呑んで目を見開き、領主は焦ってペン立てを倒した。彼らの視線が一斉にケイトを向き、彼女の被る不自然に大きな帽子に集まった。


「っ!」


 突き刺さるような視線から逃れようとケイトはマサユキの背に隠れた。

 脚を組み反り返るように椅子に座っていた王子が姿勢を改め、王族とは思えぬへりくだった口調で彼女に乞うた。


「ケイト殿と言ったか? すまないがその帽子を脱いで見せては貰えないだろうか」

「……」

「大丈夫だから、な?」

「……わかった」


 マサユキに促され、彼女は思い切って帽子を脱いだ。癖のある栗毛の上側頭部から、毛におおわれた獣の耳が現れると、彼らは動揺と絶望とに息を呑んだ。


「……よりにもよって獣人族を奴隷契約で縛ったのか」

「フランク! きさま街を壊滅させる気か!?」


 溜息とともに王子は額を抱えた。領主は唾を飛ばす勢いで責め立てたが、フランクはわずかに顔をしかめただけで己の正当性を主張した。


「壊滅するわけありません、私は獣人族に危害を加えておりませんから」

「契約で縛っておるではないかっ」

「身の安全を保障し領内で保護するために、私が保護しているということを契約の形で示しただけですよ。何の問題があるのです?」


 ケイトに施された奴隷契約を善意の方向に拡大解釈すれば、フランクの主張も筋が通っているように聞こえる。だが獣人本人が望んでいないのだから屁理屈でしかなかった。


「問題だらけではないかっ。よりにもよって魔法使いギルドの長が、ウェルタラントの教訓を蔑ろにするとは……」


 獣人族であることは弱点だったはずだ。だが彼らに正体を明かしたことで自分を取り巻く空気が一変してしまった。だが悪い空気ではないことは分かる。戸惑い驚いたケイトだが、繋いでいた手を握るマサユキの力の強さに励まされ、グッと一歩を踏み出して口を開いた。


「け、契約の解除を、してください」


 ウェルタラントの教訓とかいうものが何かは分からないが、王族や領主が狼狽えて強く出られなさそうな今がチャンスだった。


「解除だけでよろしいのですか?」


 すっと背筋を伸ばした王子が、賠償は求めないのかとたずねた。


「私は、私たちはこの契約魔術から解放される事しか望んでいないわ」

「だがあなたの一族がこの者の愚行を知れば報復に出るでしょう」

「だ、黙っているわ。私がしゃべらなければいいんでしょ」


 獣人族との交渉における最善を探る王子は、何か裏があるのではと疑い、またケイトの焦りに引っ掛かりを感じ取っていた。真意を探ろうする王子の鋭い視線に、ケイトの虚勢が揺らぐ。形勢が逆転しそうになったところに助け舟を出したのはサイモンだった。


「彼らに事情があることは一目瞭然ではありませんか? 獣人族の女性と人族の青年、二人の睦まじさを見れば、彼女がこの街で起きた不幸を一族に報告する可能性は低いでしょう」


 どういう運命か人族と獣人族の二人は恋仲になったが、人族を憎悪する獣人族たちが彼女の恋心を許すはずがなく、人目を避けて二人はこの街にたどり着いた……駆け落ちしてきた彼女が一族の世界に戻って報復を訴える可能性はない、とサイモンは一同を見渡した。


「少なくとも、彼女が獣人の世界に戻るのは、恋人を失ったときか一族の追手に捕まった時でしょう」


 マサユキを害すればケイトは即座に獣人族の世界に帰るだろう。恋人を殺された恨みと相まって奴隷契約の事実を仲間に訴え、報復に出るかもしれない、と煽った。


「早急に二人を解放し、奴隷契約の事実などなかったのだと、彼女立会いのもとに証拠を全て隠滅することをおすすめします」


 契約は片方が死ねば無効になるが、フランクが寿命を全うした後に奴隷契約が解除されたとしたら、国は責任者を罰することもできず、獣人族と対決しなければならなくなるだろう。


「何せ彼女たち獣人族は、我々よりもはるかに長く生きるのです。痕跡を残しておけば、子や孫に再びの悲劇を押し付けることになりかねませんよ」


 サイモンの穏やかだが揺るぎない芯のある説得で、王子はケイトへの追及を諦めた。報復を恐れる領主はフランクを急かし、二枚の契約書にサインさせる。

 契約魔術の解除方法は簡単だ、それぞれの署名に魔力を消すインクで重ねて署名すればいい。先にフランクが重ねて署名をすると、彼の署名から魔力が消え鈍色に変色した。マサユキとケイトが同じように署名し、契約書をサイモンに渡した。


「確かに、契約書から魔力は消えた」


 では奴隷の証から解放されたのかと腕飾りを外したマサユキは、まだその手首に魔術式の痣が残っているのを見て「そんな」と悲鳴のように吐き出した。


「落胆するのは早いぞ、まだすべて終わっていないのだから」


 サイモンはケイトにも手首の痣を出すように言い、二枚の契約書をテーブルに置いた。


「契約魔術は魔紙と魔力インク、そして今回の場合は魔術言語そのものの力で結ばれている。そのすべてから、魔力を抜き去り処分してしまわなくては終わらないのだ」


 腰のベルトに下げてあった杖の、火蜥蜴の牙でできた先端を契約書に押し付けた彼は、短く「炎滅」と唱えた。

 牙の先から出た火花が一瞬で膨れ上がり、契約書だけを貪るように焼き焦がしてゆく。魔紙が黒焦げになって文字が消え、形を保てなくなって崩れてもまだ炎は燃え続けた。灰すら残さず焼き尽くした炎は消えずにふわりと宙に浮かぶと、魔術式が刻まれた二人の腕に絡みついた。


「きゃあっ」

「熱く、ない?」


 拘束していた魔術式を焼き終わった炎は、サイモンの杖に吸い込まれるようにして戻っていった。これで魔術契約のすべてが解消されて消えたのだ。慣れない規模の魔術で疲れふらりと傾いたサイモンの身体を、側に控えていたコウメイが支えた。


「これで私の役目は終わりました。退出してもよろしいですな?」

「よかろう、ご苦労であった」


 コウメイに支えられ歩くサイモンの後に続き、ギルド長室を出て行こうとした二人を王子が呼び止めた。


「ケイト殿、この度のお詫びにこれを受け取ってもらえないだろうか」


 そう言って王子が差し出したのは、ニーベルメア王家の紋章の入った指輪だった。つい今しがたまでアルフォンスの指にはめられていたものだ。


「ニーベルメア国内で何か困ったことがあれば、それを見せればよい。その紋章を持つものを害することはないし、庇護を得られるだろう」

「……そんな凄いものは」

「賠償を求めないと言うが、それでは人族の誠意が疑われてしまうのだ。荷物になるものでもなかろう、受け取っていただきたい」


 それを受け取らねば帰さないというような気迫に負け、ケイトは王子の手から紋章入りの金の指輪を受け取った。


   +++


 足早に階段を駆け降り、表玄関から堂々と魔法使いギルドを出る。

 雪雲に覆われて暗いはずの空に、たくさんの星が瞬いているように見えた。


「……やったぞ」

「やったのね」


 街灯の灯りが膨らんで眩しい。

 どちらからともなく手を取り合った二人は、ひっしと抱き合った。

 自由なのだ、これでこの街を出ることも、この国を出ることもできるのだと。


「お二人さん、大通りで見せつけてくれるねー」

「シュウ!」

「感動を分かち合ってるとこ悪いけど、時間がねーんだ。一緒に来てくれ」


 そう言って歩き出したシュウの表情は、これまで見たことがないほどに緊張しているように見えた。



※ウェルタラントの教訓 新しい人生(略)6部「選択する未来/狂気」にチラリと出てきます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 貴族王族は地雷やなぁ。 よくぞ短い綱を渡った。(渡きってはいない)
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