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 マーゲイトを出たコウメイとシュウは、険しい山道を順調にくだり、六の鐘(午後2時)の頃には前に野営した分岐までたどり着いた。ここで一泊するぞと荷物を下ろしたコウメイに、まだ日暮れまでは時間があるとシュウは不満をぶつけた。


「町まではもうちょっとなんだぜ?」

「シュウ一人ならな。俺の足じゃどれだけ急いでも着くのは九の鐘過ぎだ。夜中に町についても意味ねぇだろ。門は絶対に開かねぇんだから」


 シュウの「もうちょっと」とコウメイのそれにはかなりの差がある。身体能力の差は大きく、コウメイが全力で走っても閉門には間に合わない。それに手土産の調達が終わっていないのだ。


「明日は獲物を狩りながら町に戻ろう。少しはギルドに恩を売りたいからな」

「おー、久々の狩りか。何狙う? やっぱ大物?」

「食える魔獣と、皮素材あたりだな」

「明るいうちに少し狩ってきてもいーだろ」

「食える獲物を頼むぜ」


 野営の準備を整えるコウメイを残し、シュウは嬉々として獲物を探しに行ってしまった。


   +


 翌朝、道なき道を歩きながら、二人は襲ってくる魔物や魔獣を屠って進んだ。


「ゴブリンはいいな、荷物が少なくて済む」

「臭いし汚ねーけどな。あ、なんか小せーのきた」


 草むらがざわざわと不自然に揺れた次の瞬間に、鋭く空を切る音がした。


「おわっ」


 三十センチほどの棒が二人を狙って飛んでくる。

 コウメイは剣で打ち払い、シュウは背負った荷物を盾にして防いだ。

 刺ネズミがシュウの背に狙いを定めている隙に、コウメイが回り込んで素早く頭を叩き切る。


「こりゃ、まともに刺さったら大ケガしてたな」


 荷箱に突き刺さった刺を抜いたコウメイは、箱板に穴をあけるほどの威力に目を見張った。皮鎧や防具も貫きそうだ。


「刺ネズミって食えるんだっけ?」

「知らねーな。けどこの刺は買取素材っぽくねー?」

「解体の仕方がわからねぇな」


 コウメイは試しにと刺の束を掴んで引っ張ってみた。それほど力を入れなくても簡単に抜けるようなので、とりあえず一匹を丸裸にして刺を包んで持ち帰ることにした。

 その後、大蜘蛛からは糸袋を採取し、銀狼二頭は毛皮を剥いだが、肝心の肉が出没しない。


「角ウサギもいねーのかよ」

「シュウの狩る気が伝わったのかもな」

「俺の気配なんてコウメイの殺気ほど威力ねーって」


 森の出口を目指しながらも獲物を探して歩き回った二人は、ようやくカルカリの実を貪る魔猪の群れを発見し「肉!」と叫んで飛びかかった。

 二人は三頭の魔猪を屠り、肉と皮を背負って町に戻ったのである。


   +


「こんなに早く戻ってくるとは思いませんでした」


 アーネストのサインの入った受領証を確認したポリーは、そろそろ込み合いそうな入り口付近を探すように何度も視線を向けている。アキラはマーゲイトに居残りだと伝えると、目に見えてがっかりと肩を落としたが、コウメイたちが出した魔物素材を見た途端、プロの顔になった。


「ゴブリン四体の討伐報酬は八百ダル、大蜘蛛の糸袋は二つで百六十ダル、銀狼の皮は傷も無く処理もいいですね、二頭で三百六十ダルでしょうか。刺ネズミの肉はないんですか?」

「あれ、食えるんだ?」

「食べられますよ。肉は一頭分五十ダルで買い取っています」

「そりゃもったいねぇことしたな」


 森に捨ててきてしまったと言うと、査定の順番待ちをしていた冒険者からも「もったいない」という呟きがいくつも聞こえてきた。


「次からはぜひ持ち帰ってくださいね。ええと、刺は全部で八十ダルかな。魔猪の皮もとても状態がいいし、肉も下処理終わってて助かります。三体で五百四十ダルでどうでしょう?」


 合計千九百四十ダル。荷運びの報酬も合わせれば二千三百ダル、悪くはない。現金を受け取ったコウメイはギルドカウンターの反対側にある酒場に足を向けた。すでにシュウはスツールに腰を掛け、本日の料理を味わっている。


「エル酒と同じ奴」


 シュウの隣に腰を下ろしたコウメイの前に、ガルウィンは怒りを堪えたふうに料理の器と空のカップを置いた。今日の料理は魔猪と豆の煮込みに、潰し芋の団子。小判のように形成された潰し芋は表面が多めの油で焼かれていて、カリっと香ばしく食欲をそそった。


「機嫌悪そうだな」

「お前たち、何の目的で嗅ぎまわっている?」


 エル酒を注いでカウンターに戻ったコウメイは、ギルド長にぎろりと睨まれた。


「そっちのヤツは何を聞いてもだんまりだし、町に余計な面倒を持ち込むんじゃねぇ」


 隣のシュウを見ると、ジョッキで口元を隠しコウメイの視線から逃げるように目を逸らせていた。酒場聞き込みを張り切っていたが、ウォルク村出身の祖母について問い詰められて返答に困り、下手に口を開いてぼろを出すよりはとひたすら食って飲んでいたようだ。顔の色の変わり具合から、これ以上飲ませたら潰れそうだ。


「お前ら、ウォルク村の何を聞いて来た? 事の次第じゃただではすまねぇぜ」


 エル酒を一口飲んで顔を上げたコウメイは、強面の顔を利用して威圧してくるガルウィンの視線を真正面から受け止めた。


「そうやって脅すってことは、何かあるんだよな?」

「……誰に聞いてここに来た?」

「知り合いだよ。シュウが世話になった宿屋の主人だ、元冒険者の。昔この辺りに来たことがあるらしいぜ」

「名前は?」

「現役の頃のものは知らねぇ。ウェルシュタントでは白狼亭のネイト、だ」


 他所からペイトンにやってくる冒険者はそれほど多くはない。懐かしい名前を聞いてガルウィンの毛虫のような眉がもぞりと動いた。


「そうか……ネイトさんか」


 ネイトの名前を聞いただけでギルド長の警戒が薄れていた。よほど親しいのか、信頼があるのだろう。


「ギルド長、ネイトのおっさんと知り合いなのか?」

「命の恩人だ」


 そう言ったきりガルウィンは二人の質問に無言を貫いた。昔を懐かしむように目を細め、無言で酒を注いでは飲み、客の注文に料理を提供し金を受け取る。ギルドの受付が閉じられ、収入の大半を飲んだ冒険者が、一人二人と酒場を立ち去り、閑散とした頃になってようやく彼は口を開いた。


「お前たちがウォルク村に行こうとしているとポリーに聞いたが」

「ああ、そのつもりだ」


 三人の他には誰もいなくなった酒場で、ガルウィンはジョッキを片手にコウメイの横に腰を下ろし、酢漬けの根野菜を盛り付けた皿を差し出してため息をついた。


「やめておけ。あそこは呪われている」

「なんだよ、それ」


 それまでガルウィンを避けるようにしていたシュウが、コウメイ越しに身を乗り出した。ガルウィンは二人の視線を横に感じながら、厨房の壁に視線を定めて話しはじめた。


「昔からあの村への森は、冒険者たちにとっては力試しの場所だったんだ」


 ギルド長がまだ生まれる前から、その風潮はあったらしい。北の森には凶悪な魔物が出る。その魔物を倒して無事に村にたどり着ければ一流の冒険者と認められる、だそうだ。


「若造だった俺も仲間と村を目指して森に入った。そしてヘルハウンドに襲われて、命からがら逃げ帰ることになった」

「……ヘルハウンド」


 ガルウィンたちパーティーの行く手を遮ったのは三頭の巨大な狼だった。これがヘルハウンドかと闘志に燃えたが、一刀すら入れられずに仲間たちは鋭い爪と牙に次々に倒れ、ガルウィンも前足で叩き払われ倒れた。


「死を覚悟したところにやってきたのがネイトさんらのパーティーだった」


 ネイト一人で三頭のヘルハウンドの注意を引いているうちに、彼の仲間がガルウィンたちを森から脱出させてくれた。ネイトは負傷しながらも無事にヘルハウンドから逃れ、ガルウィンらと町で合流を果たしたのだ。


「やっぱり北の森にヘルハウンドがいるのか」

「ああ、だから二十九年前に村がヘルハウンドに襲われたと聞いても、だれも疑わなかった」

「村と町は行き来があったんだろう? マーゲイトへの荷運びもあっただろうし、村人は襲われたりしてねぇのか?」

「ヘルハウンド除けの何かの秘術か、忌避術でも伝わっていたのかもしれん。町の人間は村を目指すと襲われたが、村人は一度も襲われることがなかったからな」


 だからこそ腕に自信のある冒険者たちは村を目指したのだろう。だがヘルハウンドを倒して村に到達したという冒険者は出なかったそうだ。重い傷で再起不能になった者や、自信を喪失して廃業する者が続出し、ペイトンの冒険者ギルドでは腕試しの禁止を言い渡すほどだった。


「それが呪いか?」

「呪いは、この後だ」


 コウメイは空になったジョッキに酒を注ぎ足し、シュウには水を注いだ。ガルウィンに視線で問うと空ジョッキが突き出される。エル酒を満たし席に戻って続きを促した。


「村が襲われ救援を求められたが、正直、無理だと思っていた。だが一度もヘルハウンドと遭遇することもなく、討伐隊は村にたどり着いた。だがなぁ……あの村はどこかおかしい」


 ガルウィンはエル酒を一息に飲み干して、不安を押しのけるように言った。


「村の壊滅がはっきりした後も、しばらくは冒険者らの力試しは続いたが……」

「ヘルハウンドに襲われたか?」

「いや、あれ以来ヘルハウンドは出没しなくなった。かわりに村に入った冒険者たちが消えるんだよ」

「消える?」

「行方不明って事か?」

「ああ、村に向かった冒険者たちから、一緒にいたはずの仲間がいなくなったとギルドに報告が入るようになった。パーティーごと姿を消した奴らもいる」

「魔物に襲われて全滅したとかじゃなくてか?」


 流石に人間が消えるというのは信じられなかった。仲間とはぐれ魔物に食われてしまったとか、人知れずパーティーが全滅したのではないかと首を傾げる二人に、ガルウィンは「消えたんだ」と繰り返した。


「北の森は西に比べて魔物も凶暴だし種類も多くて難所だが、ヘルハウンドが出没していた頃に比べればそれなりの腕のあるやつらなら、全滅なんてしねぇよ」


 あまりにも行方不明が続いたため、ギルドも町の役人もウォルク村の再調査をしたが、人が消える原因はわからなかった。


「調査隊員も何人か姿を消しやがったからな、これは触らねぇ方がいいだろうってことになった」


 親しい友や家族がウォルク村で消えたきり帰ってこなかった人々は、村を恐れ、移り住んだ元村人を責めた。高齢で行くあてのない数人を残し、皆が町を去ってしまったのは、ペイトンの人々が追い出したようなものだ。そして人々はウォルク村から目を逸らし、口を固く閉じるようになったのだ。地図からも消され、町には過去を知る者が減っていった。


「これが呪いだよ」


 なんとも答えようがなく、コウメイはシュウと顔を見合わせた。獣人族に関する情報の欠片でも聞き出せればと思っていたが、さらに謎が増えてしまった。


「いやにペラペラと情報を喋るが、どういう心境の変化だよ」

「お前らはネイトさんから村の事を聞いたんだろう? 彼の紹介なら信用できる」


 よほどの信頼があるらしい。


「それにな、不用意に聞きまわられるくらいなら俺が情報を売った方がましだからな。まだ傷を引きずっている者は多いんだ、町の住人を刺激してくれるな」


 頼むから町で聞き込みはするなと言うガルウィンは、厳つい顔には似合わない懇願の感情を浮かべていた。


「別にな、俺らは古傷をえぐりに来たつもりはねぇ、必要な話が聞ければそれでいい」

「なら俺が提供できる情報で我慢してくれ」


 これらがエル酒の杯を重ね、酢漬けの野菜に高値を払って得た情報だった。


   +


 コウメイたちは町に一泊し、ギルド長から聞き出した内容を精査し、念のために資料棚の記録簿を読ませてもらった。こっそりと義眼でも確認したが、隠匿されているものは見つけられなかった。

 町での聞き込みを禁止されたシュウは、西の森で討伐に専念し、ワームやゴブリンを中心に狩って暇をつぶした。


 マーゲイトへの荷物と自分たちの必要物資を調達し終え、ちょうど山頂の魔法使いギルドへ戻るという二人の攻撃魔術師とともにペイトンを発って二日。


 約五日ぶりに魔術師の村に戻ったコウメイたちは、晴れ晴れとした笑顔のアキラと、おろおろする中年魔術師と、鼻息も荒く調合場を占拠する少女に、のんびりと見守る老魔術師というカオスに迎えられた。


   +++


「……何やってんだよ、アキ」

「売られた喧嘩を買っただけだ」

「いや、売ったのはアキラの方だよなー?」


 しかも値引きなしの押し売りだ。五日ぶりにあたたかな食事を囲んだ情報交換の場で、自分たちの不在時の話を聞いたコウメイは頭を抱え、シュウは爆笑していた。


「子供のヒステリーなんか無視してりゃいいだろ」

「無視もスルーも効果なかったんだ。ついでにミシェルさんたちと連絡を取る口実にもなったから、ちょうどよかった」

「こんなくだらねぇ事で呼びつけられるのか。アキの師匠をやるのも大変だな」


 コウメイは町で調達してきた酒をグイっと一気に飲みほした。


「それで、勝てるのかよ」

「勝てないケンカはしない主義だ」


 ついでに言えば、勝てるケンカしか買わない。


「うわー、アキラこえー」


 怖いと言いながらもケラケラと笑うシュウの膝を叩いて、アキラはペイトンでの成果をたずねた。


「ギルド長から面白い話が聞けたぜー。ネイトさんと知り合いだったらしい」

「命の恩人、か」


 ガルウィンから聞き出したネイトとのこと、記録に残されていないウォルク村の謎を聞いたアキラは、無意識に空の酒杯を指でもてあそびながら考え込んだ。獣人族の村だという確証は得られなかったが、壊滅した状況は大体わかった。人間が痕跡もなく姿を消すというのなら、転移魔術陣が関係ありそうな気がするが、魔力もなく起動方法も知らない人間が転移できるとも思えない。やはり魔法使いギルドが関わっているのだろうか。


「ウォルク村に何がおきたんだろうな」


 コウメイはアキラのカップに酒をそそぎ、マーゲイトでの調査の進捗をたずねた。


「ここってペイトンよりも古いんだろ、何かわかったことはあるのか?」

「それ以前の問題だ。見られたくない資料を隠そうとするギルド所長と、煩いヒステリーにつきまとわれて、資料を探すことすらできなかった」


 自分なりに奮闘したのだけれどとアキラはため息を吐いた。資料庫に入り本を手に取れば、それは自分が読んでいるのだから横取りするなと難癖つけられ、村にもっとも長くいるトマス魔術師に話を聞きに行けば、魔道具の授業を受ける時間だから邪魔をするなと割り入って追い出される。狭い村ではヒステリーから身を隠すこともできないと、気分転換に薬草採取に出れば、追いかけてきたシンシアに採取場を荒らすなと詰められる。


「うわー、ストーカーじゃん」

「あのおっさん、止めなかったのかよ」

「謝罪は口先だけだったな。むしろ見えないところで煽っていたようだ」


 調査の妨害をしたいアーネストと、構ってほしいシンシア。師弟の利害が完全一致していたのは、アキラにとって不幸だった。気の休まらない五日間が十日にも二十日にも長く感じられて、蓄積された精神的疲労は簡単には癒されそうにない。


「それでケンカ吹っかけたのかよ、大人げねぇな」

「俺も我慢の限界だったからな」


 たとえ四歳も年下の小娘が相手でも手抜きするつもりはない、そう言って自信ありげに笑むアキラはとても迫力があった。


「……なー、コウメイ」

「何だよ」


 真面目くさった顔つきのシュウが、コウメイをチョイチョイと指で呼んだ。顔を突き合わせて声を潜め、恐る恐るにたずねる。


「アキラってさー、気づいてねーの?」

「ないなぁ」

「鈍すぎるだろー。お前親友だし、教えてやれよ。シンシアちゃんがかわいそーじゃん」


 肘で突かれたコウメイは、考えに沈むアキラの横顔をチラリと見て首を振った。


「やだよ。アキの中で完全に対象外かつ敵認定してんだぜ。構ってほしいだけなんだから、ちょっとは優しくしてやれ、なんて言ってみろよ、俺が刺殺されるじゃねぇか」


 大人に囲まれたシンシアの世界に突然現れた年齢の近い異性。それも同じ魔術師という共通点はあれど、大きく差のつけられた階級。彼女がアキラに感じているのは、反発や嫉妬だけではないだろう。彼女の保護者は複雑な乙女心を読み取るほど繊細ではないようだし、シンシア自身も自分の感情を持て余しているように見えた。そしてアキラはそれらに気づけるほど彼女に興味を向けていない。


「あいつサツキちゃん以外の女子はマジ眼中にないんだなー」


 長い睫毛が伏せられたアキラの思考に沈む横顔は、男の自分でも見惚れるくらいだ。これを利用せずにいるなんてもったいないとシュウは常々思っていた。


「筋金入りのシスコンだからな」

「まさか妹に変なこと考えてねーよな?」

「……俺の悪口が聞こえたような気がしたが」

「気のせいだろー」

「酔ってんだよアキは。幻聴だ、幻聴」


 これくらいの酒量で酔うものか、とのアキラの冷たい視線に貫かれた二人は、そろって板の間に倒れ伏したのだった。


   +++


 アキラは一時的にアーネストに師事し、製薬技術の基礎を学んだ。シンシアと机を並べる気はないので座学は教本を借りて自主学習にし、実技はアーネストの調合台を借りて、時間と材料の許す限り錬金薬の調合を繰り返した。


「薬草採取に行くぞ」


 錬金薬の調合には薬草が必要だ。ギルドの薬草園を頼りたくなかったアキラは、コウメイとシュウを引っ張りまわして、あちこちから薬草をかき集めた。


「科学の実験やってるみてーだなー。あの三角のってなんだっけ?」

「フラスコだな。あっちのは試験管っぽいし、ビーカーに似たやつもあるな」


 暇だからとアキラの調合を見学していたシュウは、高校時代の科学実験を思い出していた。複雑なガラス器機に試薬の容器、道具の形状も様々だ。浅い鍋のようなものもあれば、たっぷりとした容量の鍋もある。教本を傍らに置いたアキラは、それらの器機を使いながら薬草を刻んだり、魔術で水を作り出したり煮詰めたりと、製薬作業に集中している。


「アキラが錬金薬を作れるようになったらさー、色々便利になりそーだよな!」


 討伐時に錬金薬の残量を意識して戦う必要はなくなるかもしれない。いつでもどこでも、補充が必要になったらアキラに作ってもらえばいいのではないかと、シュウの目がきらきらと輝いた。


「無理だろ。調合用の魔道具は高価だし、あれ全部は持ち歩けねぇよ」

「箱一つ分くれーなら俺が運ぶぜー」

「割らずに運ぶ自信あるか? あれ、ほとんどガラス製だぞ」


 小さな炎にかけられた細い容器も、薬草を混ぜ合わせる口の広い容器も、魔力水が伝い流れる細い管も、すべてこちらの世界では希少で高価な透明度の高いガラスで作られている。しかも自分たちの知るガラス容器と違って大変割れやすい。


「ちょっとした振動で割れそうなくらい繊細な道具だぜ、あれ」

「あー、無理だ。絶対割るわー」


 どれだけ丁寧に包んで箱詰めしても、自分が背負えば絶対に割る。自信満々にそう宣言したシュウは、どこでも錬金薬をすっぱりと諦めたのだった。


   +


「ようこそおいでくださいました」


 マーゲイトの転移室で三人の魔術師を迎えたアーネストは、恐縮に身体を小さくしていた。


「お忙しい中、我が弟子のために本当に申し訳ありません」

「わたくしの弟子が言い出したことですし、アーネストには迷惑をかけたのでしょう、ごめんなさいね」


 紫色の肩飾帯をつけたミシェルは、ゆったりとした足取りで転移陣を出て、同行の二人を振り返った。


「こちらの濃紺魔術師はアキラのもう一人の師匠ですわ」

「アレックスいいます、よろしゅう」


 背は高いが細身で黒い髪、濃紺のローブをまとった三十代半ばと思える男は、表情の読み取りにくい目をしていた。


「そしてもう一人の青魔術師は今回の試験の判定官を務めます、治療術師のリンウッドですわ」

「……世話になる」


 アレックスとは対照的に、青いローブの中年男の方は、魔術師とは思えないほど筋肉質でがっしりとした立派な体格で、顔つきもゴツゴツと男らしい。リンウッドは心あらずといった風で、無精ひげを撫でながら転移室の壁や天井を眺め渋い表情だ。アーネストへの挨拶もおざなりに済ませてしまった。


「あの、今回は灰色級への昇級試験でして、青色の方が判定官というのは何かの間違いでは……」


 昇級試験の判定官は二つ上の階級の魔術師が就く決まりだ。灰色級の試験に五つも上の色級魔術師が来たのでは弟子が不利だと焦るアーネストに、ミシェルがおっとりとほほ笑んで。


「試験は灰色ですけれど、わたくしの弟子は橙ですからね、念のため青の彼を連れてまいりましたの。リンウッドは本部の役職にも就いておりませんし、公平な目で見ることができますから安心してくださいませ」

「そ、そうですか……転移でお疲れでしょう、先に部屋にご案内いたしましょう」


 アーネストはひとまず休息をと三人を整えた寝室に案内しようとしたのだが、男二人が口をそろえて辞退した。


「あ、わしらの部屋はアキラとおんなじとこでええで」

「堅苦しいのは好かん」

「あの、彼らの部屋は寝具もないような板の間ですが?」

「かめへん、わしら普段からそない贅沢な生活しとらんし」

「休憩は必要ございませんわ。準備ができているのならすぐに試験を始めてくださっても結構よ」


 アーネストは戸惑いながらも上司らを応接スペースに通し、準備が整うまでこちらでお待ちくださいと茶と菓子をふるまった。喉を潤し終えたリンウッドが、早速試験会場の点検に向かおうとするので、案内した方が良いのか、ギルド長をもてなした方が良いのか、困り切ったアーネストはおもねるように強張った笑みを向けた。


「そんなに硬くならないでちょうだい。今日はギルド長ではなく、一人の魔術師として弟子の試験に立ち会うために来たのよ」

「そない落ち着かんようやと、いろいろ疑うてくれて白状しとるようにしか見えへんで。後ろめたいことあらへんのなら堂々せな、な?」

「……試験の準備が整いましたら、呼びにまいります」


 アーネストは精神的疲労を作り笑いで何とか誤魔化して、応接スペースから早々に辞したのだった。


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[一言] アレックスとリンウッドさんまでも来たし、なんか色々捗りそうですね。
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