17 領主の帰還
初回のマジックバッグ使用実験の十五日後には、二回目が行われた。
フランクの部下たちを数人のグループに分け、各自を競わせるようにして作り上げた試作品は七つ、そのすべてにマサユキは試用者として立候補した。開発にかかわっていないのに「発案者」として設計図に名前が載り、完成後の利益を約束されているのは申し訳ないからと理由を述べれば、怪しまれることも断られることもなかったそうだ。初回の惨事で負傷した魔術師たちは試用したがらず、危険な役割はマサユキに押し付けてしまおうという思惑もあったのだろう。
二回目の試用実験ではそれぞれのグループが作った七つのマジックバックを試した。ギルド所長が中心となって製作された物が一番性能が高く、用意してあった八十個の石がすべて袋の中に収納できた。だが直後に袋が内側から破裂し、初回実験の時と同じく石が実験室を襲ったそうだ。
「隠し持っていた錬金薬が役に立ちました」
前回は机の下に逃げ込んで無事だったが今度は回避が間に合わず、マサユキは肩に石弾の直撃を受けてしまったそうだ。
「錬金薬は足りましたか?」
アキラの問いに「なんとか」と苦笑いで答えたマサユキにとって、錬金薬三本は少しばかり懐に厳しい出費だった。
「必要経費だろ、こっちで負担した方がいいんじゃねーか?」
「もちろんです。現物支給になりますが、いいですか?」
アキラは早速手持ちの錬金薬をマサユキに渡そうとした。
「後でいいよ、今から必要になるかもしれないだろ」
「そうよ、これからムーン・ベア討伐なのよ、それはケガした時のためにとっときなさいよ」
冬になれば冬眠するムーン・ベアは、九月も終わる頃になると餌を求めて森を出て村を襲う。コウメイたちが引き請けたのは、数日前に目撃情報のあったムーン・ベアの討伐だ。
「森のくまさんごときで負傷するほど、俺らは弱くねぇぜ」
「そーそー、何回も討伐経験あるし、ケガなんかしねーって」
準備万端でありながら緊張に身を引き締めているマサユキたちとは正反対に、コウメイら三人はピクニックにでも来たかのようにのんびりとしていた。余裕を通り越して格下の魔獣を相手にするような発言に、カチンときたケイトが目を細めた。
「舐めプしてると、ケガするわよ?」
「他所のと違って、ここらのムーン・ベアは群れるからね」
他所では単独行動が基本の魔獣だが、ウナ・パレム近辺に出没するのは最低でも三頭の群れだとマサユキが注意した。
「去年、六人の熟練冒険者に囲まれたにもかかわらず、三人の頭を殴り飛ばした十字傷を討伐しなきゃいけないんだ、あんまり気を緩めないでくれよ」
二つ名持ちの魔獣など滅多にいるものではない。コウメイはキリリと気を引き締めたが、逆にシュウの足は軽く弾んでいた。
「十字傷のムーン・ベアかー、楽しみだなー」
スキップでもしているかのような軽やかな足さばきに、マサユキとケイトは「戦闘中毒だ」と匙を投げた。
「張り切ってるようだから、私たちの盾になってもらおうよ」
「いいのかなぁ」
チラリと横目でうかがうと、アキラは「いい作戦だ」とほくそ笑んでいた。
街の南に位置する村から目撃情報のあった森へと入った五人は、額に十字傷のある巨大なムーン・ベアと、彼女の率いる五頭の雄月熊と遭遇した。
「メスなのかよっ?!」
「一番でかくて強いとか、ねーよ!!」
シュウやコウメイならまだしも、自分たちには熊と一対一の勝負など無理だ。アキラの土魔術で作った深穴にオス熊たちを誘い込んで落とし、一頭ずつ屠ってゆく作戦でムーン・ベアの群れを討伐することにした。
なお、十字傷とはガチの勝負がしたいと主張したシュウの熱意に折れ、好きなだけ戦ってくれとアキラは別の穴を掘ってそこに一人と一頭を放り込んでおいた。
「楽しそうだなぁ」
「脳筋も極めると凄いのね」
屠ったムーン・ベアの解体をしながら四人はシュウと十字傷の戦いを見物した。死闘ともいえるほどの白熱した戦いは、敏捷性の優るシュウが細かく傷を負わせ、手数で勝利し終わった。
「はー、強敵だったぜ」
「……シュウ、今晩の飯抜き」
「なんでだよっ」
スッキリとした笑顔で勝利を宣言したシュウに、コウメイがダメ出しを突きつけた。
「斬り過ぎだ」
闘魂を燃やすことに全力を尽くした結果、十字傷の毛皮は見るも無残に切り刻まれた状態である。
「これだけ大きくて立派な毛皮なら、千五百ダルくらいになったのに」
「ああ、これだけ傷が入っていたら査定は半値以下だろうな」
「もったいないわね~」
「あ」
ムーン・ベアの買取素材は、高値が付く順に毛皮、胆嚢、爪である。報奨金のついている十字傷の頭を背負ったシュウは、四人の後ろをとぼとぼとついて街に戻ったのだった。
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門の様子がおかしいと最初に気づいたのはコウメイだった。
「何かあったのか? 足止めされてるみてぇだぜ」
閉門の近い時刻、門が込み合っているのはいつものことだが、今日は門兵に咎められる冒険者がいつもよりも多いようにみえる。
「そこ、血を落とすな!」
「泥だらけの靴のやつは迂回だ」
「汚れた荷を引きずるな!」
「大通りは通行禁止だ、壁沿いの道を行け」
ムーン・ベアの首から滴り落ちる血をみて叱りつけた門兵は、コウメイたちを裏通りへと押しやった。
「何があったんだ?」
「今まで通行禁止なんて言われたことねーよな?」
街に入る人々を見張ってピリピリしているのは門兵だけではなかった。普段は貴族街の警備をしている騎士たちが、下町に姿を現し目を光らせて監視している。門兵は騎士らの命令に従っているだけのようで、彼ら自身も困惑を隠せないまま、人々に注意を促していた。
コウメイたちの疑問に応えたのは冒険者ギルドの職員だった。
「領主様の馬車が街に戻ったんですよ」
「それが?」
街で一番偉い貴族が自宅に帰ってきた、それで何故ぴりぴりするのかと首を傾げるコウメイたちだ。
「毎年ご領主様は十月いっぱいは王都に滞在してるんです」
ニーベルメア国の貴族たちの社交シーズンは、雪の解ける四月から秋が終わり雪の降りはじめる十月いっぱいだ。雪解けのぬかるんだ街道を王都に向けて出発した領主や貴族たちは、雪がちらつきはじめると領地に戻ってくる。
「領主夫人やお子様たちは雪が降りはじめると街に戻ってきていましたが、ご領主様はいつも積もりはじめてから領地に帰ってくるんです。夫人よりも先に領地に戻ってきたことなんてなかったんですよ」
社交シーズンの領主は、王都で貴族同士のつながりを深め、商談を結び、王族に取り入るために連日パーティーや茶会に忙しいはずだ。それを中断して戻ってきただけでなく、騎士まで派遣して街の見回りをはじめたのだ、ただ事ではない。
「前回、領主様が常にない行動をした時は、魔石の取り扱い許可を取りあげられました。今回は何があるんでしょうね……」
ギルド職員の暗い呟きを、アキラたちは黙って聞いていた。
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ウナ・パレムの街に領主の豪奢な馬車が駆け戻った翌日。
「魔道具の一斉点検をはじめる!」
貴族街の警備を担当する騎士らがそう宣言し、街兵と魔法使いギルドを総動員して街灯の点検をはじめた。壊れている物は修理し、魔力切れの魔石を交換してゆく。それだけではない、大通り沿いにある建物の所有者に掃除を命じ、土汚れを洗い流させ、雑草を抜き花を飾らせる。
「偉いお客さんを迎える準備だって言ってたよ」
夕刻、獲物を査定窓口へ運び込むコウメイから離れ、ひとりぽつんと佇んでいたアキラの上着の裾を引いたのは、少年冒険者のハリーだった。講習の頃からは随分と肉付きも良く健康的になり、頭半分ほど背が伸びていた。
「誰に聞いたんですか?」
「騎士様たちが集まって話してるのを、こっそりね」
ハリーたちは雇われて街の清掃に走り回っていたらしい。騎士たちは大人たちの動きには目を光らせていたが、伝達係の少年たちには警戒が薄いようだった。アキラはギルドの隅の方に移動しハリーにたずねた。
「偉い客が誰なのかは分かりませんか?」
「とっても偉い人としかわからなかった。それと偉い人の奥様がお忍びで街に来るかもしれないから、大店はいつでも迎え入れられるように準備をしておけって命令が出てるよ」
それらの店に照明や空調設備のために魔石を配布する話も出ているらしい。よほど気を使って歓待しなければならない客なのだろう。
「それとね……」
ハリーが当たりの視線をはばかるようにしてアキラの耳に囁いた。
「お客さんが街にいる間は、魔法使いギルドは部外者の立ち入りを禁止するんだって言ってた。魔石の買取もしないんだって」
「……それはハリーたちも困るんじゃありませんか?」
はした金にしかならなくともクズ魔石の売り上げは少年たちにとって貴重な収入源だ。心配するアキラに少年は大丈夫だよと笑顔を向けた。
「先生に教わってから薬草と角ウサギでいっぱい稼いでるし、最近は隠れ羊も狩るようになって余裕があるんだ。魔石は貯めておけばいいんだし」
少年の目は生気に満ちていた。心身の疲労で目を曇らせ、生きることに折れかかっていたとは思えないほど元気だ。
「お兄ちゃんっ」
「アン、大丈夫だったか?」
今日の報酬を受け取ってきた少女が、もう一人の少年とともにハリーの側に駆け寄った。
「あ、先生、こんにちは!」
「先生、薬草の余り貰ってください」
ガイが腰に下げていた袋から薬草を取り出してアキラに差し出した。彼らは査定ではねられることを考え、いつも余分に薬草を採取しているらしい。
「俺たちじゃうまく使えないから、捨てるより先生に使ってもらった方がいいと思う」
「貰うわけにはゆかないよ、これと交換でどうかな?」
アキラは非常食として持っていたクッキーバーを取り出した。ちょうど四本あるので仲間と分けるのにも丁度いいだろう。
「今後は余った薬草は医薬師ギルドに持って行くといい。あそこも薬草の買取をしているからね」
冒険者ギルドより買取価格は低いが、余分を捨てるくらいなら少しでも収入になった方がいいだろう。買取情報の礼を言って仲良くギルドを出て行く兄妹を見ていると、少し胸が重くなった。
「どうした、暗い顔して」
報酬を受け取ったコウメイはアキラの視線の先を追って、仕方ねぇなあと息をついた。
「サツキちゃんが恋しくなったか」
「そういうんじゃない」
「やせ我慢すんなって。明日サツキちゃんのレシピでジャムクッキー作るから、それで我慢しろよな」
いくら真似て作ってもそれは妹のクッキーではない。それをはっきりと口にするほど天邪鬼ではないが、慰めを素直に受け入れるのは照れくさい。アキラはわずかに視線を逸らせて話題を変えた。
「領主の情報は聞けたのか?」
「ギルドには大した情報はねぇな。ハリーたちから何か聞けたのか?」
「ああ、大物が乗り込んでくるようだ」
二人は冒険者ギルドを出て医薬師ギルドへと向かった。
+
閉門時刻の迫る街は忙しない。空が薄暗くなり、大通りの街灯が街の中央から順番に明るく輝きはじめた。点検整備に駆り出された魔術師たちが、こっそり仕込んである監視用の魔道具の調整作業に忙しく働くのを横目に、二人は医薬師ギルドの扉を叩いた。
「いらっしゃい、師匠なら奥にいるわよ」
診療を終えたサイモンはギルド長室で書類仕事、クレアはすでに退所しており、薬局はマリィ一人が店番中だ。アキラは勝手知ったる医薬師ギルドの職員専用の扉から奥へと入り、ギルド長室をノックする。
「入れ」と短い返事を聞いて扉を開けると、執務机で頭を抱えながら書類と格闘しているサイモンがいた。
「忙しそうですね」
「誰のせいだと思ってるんだ」
疲労の濃い顔がアキラを睨んだ。
「昨日マサユキが来ていた。明日、急ぎ三回目の試用実験をすることになったそうだ」
「前回から五日も経っていませんよ?」
驚いたアキラの声がかすかに上ずっていた。ズタボロに裂けたマジックバッグの修復はそんなに簡単にできるはずがない。サイモンは疲れを振り払うかのように大きく頭を振った。
「領主様のお達しだそうだ。実験に立ち会うと言ってきたらしい」
「突然帰ってきたのは、マジックバッグのためかよ?」
「おそらくな。王都にあてて報告は送られていたようだから、試作品が出来たと聞いて我慢できなくなったのではないかと思うね」
開発をはじめて七年。この間の金銭的支援は莫大なものになっていたし、痺れを切らしていたところに試作品とはいえマジックバッグが形になったのだ、領主が実物を確認したいと思うのは当然だろう。
「立ち会うのは領主だけなのでしょうか?」
「他に誰が立ち会うというのだね?」
眉根を寄せたアキラの問いに、サイモンも問いで返してきた。アキラは街にいる騎士らから、ただならぬ緊張を感じ取っていると説明した。
「領主は灯りや監視の魔道具の修繕だけじゃなく、大通りに面した家の修繕や清掃までしているんです。ハリーは騎士たちが『偉い客』が来ると話しているのを聞いている。マジックバッグと無関係だとは思えません」
「確かに、タイミングが良すぎるな」
「偉い客ねぇ」
コウメイは首を捻りながら確かめた。
「領主が誰かを連れて戻って来たって話は聞いてねぇよな?」
「昨日戻ってきたのは領主と家令だそうだ」
おそらく客人は遅れて街を訪れるのだろう。領主が街に戻って迎え入れる準備を整えなければならない客とは誰なのか。サイモンには心当たりがあるようだった。
「おおよその想像はつくがな」
カザルタスの領主は伯爵だ。伯爵よりも高位の貴族は公爵と侯爵である。
「領主殿の取引先に上位貴族も何人かいる。その中の誰かだろう」
「その誰なのかが重要なんじゃねぇかよ」
「焦る必要はあるまい。待っていればそのうちやってくるんだ」
「そりゃそうだけどよ」
心構えとか事前の準備とか、情報がなければ対策が立てられない。コウメイは不満そうに唇を尖らせた。
「コウメイ」
考え込んでいたアキラがゆっくりと顔をあげ、親友の目を見て小さく頷いた。
「わかった、狩りの予定は中止だな。俺は買い物がてら塔の偵察をしに行くか」
「監視の魔道具に魔石が補充されている、あまり目立つような動きはするなよ」
「シュウじゃねぇんだ、ヘマはしねぇよ」
「サイモンさん、明日診療所の手伝いに入らせてもらっていいですか?」
「かまわんよ。アキラがいると婆さん連中の機嫌がいいから助かる」
家に戻り夕食を囲みながら、三人は翌日の予定を決めた。アキラはマサユキの連絡待ちで待機、コウメイは魔法使いギルドを観察、シュウはケイトの護衛だ。




