16 試作品と試用実験
九月に入った途端に、夏が終わったなとの実感があった。それまでは強い日差しに目を細めていたというのに、わずか一日違うだけで太陽の力は半減し、吹き抜ける風が乾いて心地よい。冒険者たちは長い冬に向けて蓄えるべく、閉門時間ギリギリまで獲物を追い魔獣や魔物を狩りつくしている。
「隠れ羊の買取値が上がってたぜ」
「羊毛需要ね。毛糸の値段も上がってるもの」
久しぶりに雪花亭で皆と夕食をとったその日、ケイトは三人に手編みのベストを手渡した。
「やっと編みあがったの、寒くなる前に渡せてよかったわ」
羊毛職人のところで入手した毛糸は生成色だったが、ケイトが完成させたベストは灰紺色だった。形や編みのデザインは同じだが、襟と裾の部分に色の異なる毛糸でラインが入っている。コウメイは薄青、アキラは薄桃、シュウは黄だ。
「色付きの毛糸って高いんじゃなったか?」
「それ、私が染めたのよ」
「それはずいぶん手間をかけたんだな」
編み代が安すぎたのではないかと心配するアキラに、ケイトは笑顔で首を振った。
「アキラくんが植物のことを色々教えてくれたでしょ。液色の濃い植物とか、実とか花とか。それを色々試してみたの」
狩りの合間に薬草のことを教えてくれと頼まれ、ケイトの質問にいくつか答えていた。薬草に関係のない植物の質問もあったのだが、そういえば染め物に使えそうな植物という観点の質問ばかりだったなと今頃気づいたアキラだ。
「初めて染めたから色ムラがあるし、とてもお金をとれるような出来じゃないわ」
むしろ実験に使ってゴメンねと謝られたが、渡されたベストは色むらなど気にならない自然な風合いだ。
「すげーよ、あったけーし、サイズピッタリだ」
「ありがとう、大切にします」
「革の胸あての下にちょうどいい感じだ。汚さないようにしねぇとな」
おそろいというのもなんだかむず痒いと照れながら喜んでいる三人を、マサユキが羨ましげに見ていた。自分の分はないのかと拗ねてねだる様子は見ていて恥ずかしくなるくらい甘ったるい。
ゴホン、とわざとらしく咳をして注意を引いたコウメイが、マサユキに本題をたずねた。
「それで、派閥の調べはどんな感じだ?」
「今のところは大雑把なところだけど。ウナ・パレムの最大勢力はギルド所長派なんだけど、人数だけ多いって印象が強いかな」
そう言って懐から取り出した紙をアキラに渡した。
「研究は青級魔武具師のローレンさんと弟子たちが中心になってるんだけど、所長はそれが不満みたいだ」
「主導権はギルド所長じゃねぇのか?」
「俺が言うのもおかしいんだけど、所長の弟子とか腰巾着って下位級の魔術師が多いんだよ。でもローレンさんの仲間とか弟子は中位級の魔術師が集まってて」
いくらギルド所長本人が濃紺級であっても、助手が下位の魔術師では研究は遅々として進まない。拮抗する実力の魔術師たちが集まったローレンのグループからはアイデアが次々と出ていて、派生魔道具などもいくつか生まれているらしかった。
「もしかして所長とローレンさんがウナ・パレムのツートップ?」
「濃紺級はフランクさん一人、青級は三人いるけどその中ではローレンさんがトップだね」
青級魔術師のうち一人は所長の派閥だが攻撃魔術師なため開発には向かない。青級トップのローレンが魔武具師で、もう一人は魔道具師。その二人が中心になってマジックバッグ開発がすすめられているらしい。
「そりゃ気に入らねぇだろうなぁ」
「ローレンさんは味方になってくれそうな方ですか?」
「どうだろう……俺、所長派だと思われてるからなぁ」
マジックバッグの情報を譲渡し、契約魔術までかわし、所長派の見張りとしか話していないのだから当然なのだけれど、この状態でローレンに近づこうとしても、どちらにも警戒されて無理ではないだろうか。
短期間で良く調べられたものだと、アキラは感心しながらリストに目を通した。
「研究室にいても俺は暇を持て余してるからね、意識して観察してたら自然にわかるようになったんだ」
彼らは互いの敵対意識を隠そうともしていなかったし、とマサユキは苦笑いだ。
「それと、数日前からギルド所長が試作品を作りはじめたよ」
「そこまで研究が進んだんですか」
「本部から魔力布を取り寄せたらしいよ。それと新しく構築に成功した魔術式を組み合わせれば出来上がるはずだって自慢してた」
「魔力布?」
「スライム布の事だろうな」
頑なに他のギルドで開発された魔道具や素材を忌避していたフランクだが、とうとう背に腹は代えられぬという状況に追い込まれ、色々と飲み込むことにしたのだろう。
「どんなスライム布を使っているか分かりますか?」
「ごめん、実物は見せてもらえなかったから」
元々フランクとローレンの二つのグループに分かれて研究がすすめられていたのだが、数日前から所長のグループが研究を隠すようになった。おそらくその頃に有用な魔術式を完成させたのだろう。ローレンたちに先んじて試作品を作る段階まで一気に研究を進めたようだ。当然試作品はフランク派の魔術師たちだけで製作中だ。
「明後日、それの試用実験をすることになった」
自分の派閥だけでなく、敵対するローレンらも招いて公開実験だそうだ。
「公開、ですか」
アキラの表情が鋭くなった。何とかして潜り込む方法はないかと考えたが、マサユキとのつながりを隠したままでは伝手がない。
「俺が試す役をやることになってるから、魔術式とかできる限り覚えてくるよ」
マジックバッグをよく知る者が試用するべきだというのがフランクの主張だった。
「マサユキさんが試すのか?」
「それは、危険かもしれませんよ」
手柄を独り占めしたいはずの所長なら、試用実験も自分の手で成功させ、敵対派閥に見せつけたいはずだ。そのチャンスを他人に譲る理由は明白だ。
「それ、確実に失敗するってこと?」
「そのつもりでマサユキさんを指名したんじゃねぇかな」
「初期の試作品なんて失敗して当たり前です。危険だからこそマサユキさんにやらせようとしているとしか思えませんね」
「大丈夫なの?」
大ケガしたりしないよね? とケイトが不安そうにマサユキに寄り添った。
「ど、どうしようっ」
「ローブの下に銅鎧とか着てもいいんじゃねーか?」
「頭さえ守ればどうにかなるぜ。錬金薬をたっぷり隠し持って行けよ」
「試作品を使うとき、誰かを手伝わせてください。いざとなればその方を盾にして危険回避するといいですよ」
三人からは物騒なアドバイスしか出てこなかった。
「……もっと穏便な回避方法は考えつかないのかな?」
特にアキラのはリアル過ぎた。
「穏便ですよね?」
「現実的な助言だよなぁ?」
「なー?」
ああ、この人たちの心臓には毛が生えているのだなぁと、マサユキはため息を飲み込んだ。不安できゅうっと締めつけられている胃の辺りをそろりと撫でて、明後日に向けての覚悟を決めるのだった。
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マジックバッグの試用実験が行われた翌日、アキラは朝から無料診療所で患者の選別を手伝っていた。いつまでも骨折が完治しない男や火傷の患者はサイモンへ、腹を下した子供を抱いた母親はクレアへと、聞き取った症状ごとに患者を振り分けていった。
「受付で選別をするようになってから、昼を越すことがなくなって楽になったわ」
「患者も待ち時間が減って機嫌がいいよね。前は薬局の方まで怒鳴り声が聞こえてきたもの」
最後の患者を送り出し診療所の扉を閉めた。お疲れさまと出された薬草茶は疲労回復効果のあるものだそうだ。ほんのりとした甘い香りをゆったりと味わっていると、コウメイとシュウが籠を持ってやってきた。
「昼飯の配達だぜ」
「やったー、コウメイさんのごはんだ」
アキラに昼食を届けるという名目で合流し、サイモンとともにマサユキが報告を持ってくるのを待つのだ。
「いいなぁ、午後の予定を入れるんじゃなかったわ」
夫の店を手伝うために昼で仕事を終えるクレアは、昼食の包みを受け取ったマリィを恨めしそうに見てからギルドを出て行った。本日の昼食はメンチカツと卵のサンドイッチに、豆と木の実のサラダだ。店番のためカウンターでランチを取るマリィを残し、アキラたちはギルド長室へ向かった。
「そんなに心配そうな顔すんなって。マサユキさんは大丈夫だよ」
「そーそー、何かあってたら昨日のうちにケイトさんから連絡きてるはずだし」
「分かっているが、どうしても後ろめたさがな……」
ギルド内部に情報源が欲しかったのは事実だが、予定していた以上にマサユキには危険で難しいことをさせている。もしも何かあればと思うと、気持ちが落ち着かなかった。
コンコン、とノックをすると返事よりも先に内側から扉が開いた。「遅いぞ」とサイモンがコウメイから籠を奪い取る。
「せっかちだなおっさん」
ギルド長室に滑り込んだコウメイは、籠に手を突っ込もうとしているサイモンから昼食を奪い返した。
「飯はマサユキさんが合流してからだ」
「腹が減っているんだが」
「ガキじゃねぇんだから少しくらい待てよ」
朝から休みなしに働きづめで腹が減っているのだとぼやくサイモンだが、それはアキラも同じである。サイモンの腹が三度ほど空腹を訴えて鳴ったところでやっと待ち人がやってきた。
「遅くなってすみません」
治癒力を高めるという薬草茶を買うという名目でやって来たマサユキは、額に前髪で隠しきれない大きな青あざを作っていた。
「どうしたんだ、その額は?」
「こちらに来なさい、頭のケガを軽く見てはいけない」
マサユキを長椅子に座らせ、てきぱきと青あざの状態を診察したサイモンは、ポケットから取り出した指輪をはめて治癒魔術を使った。指輪の辺りから発生した淡い光が青あざに吸い込まれて消える。
「治療魔術って初めて見たぜ」
「杖を使わねーんだな」
「患者は杖を向けられると身構えてしまうからね。治療魔術に無意識に抵抗して効きが悪くなってしまうんだよ」
治療の様子を興味津々に眺めるコウメイとシュウに、サイモンは杖と同じ魔術陣を指輪にも刻み、代用として使っているのだと説明した。前髪で隠れるくらいに薄く小さくなった痣から傷みが消えたのか、マサユキの表情が明るくなった。
話は食事をしてからとサンドイッチをすすめたのだが、時間が無いからと断ってマサユキはメモを取り出してアキラに渡した。
「それ、マジックバッグに使われている魔術式の写しです。俺には難しすぎて、ほんの一部だけなんですけど、手掛かりにはなるかと思って」
「その負傷は、やはり試用実験の失敗によるものですか?」
「結果的には失敗だったんだけど、成功ともいえるかな」
「どっちだよ」
「試作品は布鞄だったんだけど、容量以上の石が収納されたのは間違いないんだ」
マサユキが「これくらい」と言いながら示したのは、昼食を入れてきた籠より一回りほど大きなものだった。
「その袋に用意されてた石を入れるのが俺に振られた仕事だったんだ」
最初は袋を持つのも石を入れるのもすべてマサユキに任せられていたらしいが、アキラの助言を思い出して手伝いを頼んだ。所長が自分の派閥から出した魔術師に試作マジックバッグを持ってもらい、マサユキがそれに石を入れていったのだそうだ。石の大きさは一つが握りこぶしくらいだった。
「そのサイズなら入るのは二十個くらいだよな?」
「ただの布鞄ならね」
「ということは、もっと入ったんですね?」
「五十四個の石が入った」
間違いなく容積以上の物質を収納している。
「重さは?」
「石十個分くらいの重さしか無かったって言ってました」
「成功じゃねーか!!」
「そこまではね」
マサユキは前髪をかきあげてうっすらと残る青あざを示した。
「五十五個目の石を入れようとしたら、鞄の口が歪んで見えたんだ。ヤバイかもって咄嗟に机の下に潜り込んだら、マジックバッグが爆発した」
「爆発?!」
あれはまさに爆発だったとマサユキはため息をついた。布鞄の縫い目が裂け、口や裂け目から石がものすごい勢いで吐き出されたのだ。
「天井や壁にめり込んだり、調合道具を直撃して、凄かったよ」
机の下に逃げ込む時に額を打ったが、回避が早かったことでマサユキは石の直撃を免れた。マジックバッグを持っていた魔術師は飛び出してきた石で顎が砕かれてしまったそうだ。
「他にも何人もが石の直撃を受けてたよ」
負傷した魔術師たちが錬金薬を求めて血で汚れた手を伸ばすさまは、スプラッター映画さながらだった。治療魔術師を呼ぶよりも錬金薬を使った方が早いとギルドに備蓄されている治療薬が使われた。そんな大混乱の隙にマサユキはマジックバッグを拾い、使われた魔術式を急いで書き写したのだ。
「マジックバッグは完全に壊れてたよ」
研究室を片付けて集めた石の数は五十四個。試作品に収納さされていた石がすべて吐き出されていた。一度は異空間に収納できたが、それを保持することはできなかった。
「なるほど、成功でもあり失敗でもあるわけか……」
「研究室はぐちゃぐちゃだし、開発に使ってる魔道具も壊れちゃったし、負傷者も多くて暫くはごたついてるんじゃないかな」
試作品は容積の三倍もの荷を収納できた。数分で崩壊したのは術式のミスか、あるいは魔力不足か、使用した魔力布の力の不備か、原因はこれから検証するらしい。耐久性、容量、劣化防止とまだまだ課題はたくさんあるが、最初の試作品としては大成功ともいえるだろう。この結果によってフランクの作った試作品を軸に開発がすすめられることになり、ローレンたちの派閥の魔術師たちは研究から締め出されることになったそうだ。
「俺は『発案者』だから、まだ雑用にこき使われそうだけどね」
研究階に出入り禁止にはなっていないので情報収集は続けられる。昨日の出来事を全て語り終えたマサユキは、すぐに戻らなければと立ち上がった。
「魔道具や部屋の修復作業を手伝うふりをして魔術契約書の保管場所を探ってみるよ」
「焦る必要はありませんから、危ないことはしないでくださいね」
やる気が空回りしてボロが出ればマサユキが危険だ。慎重に、と念押しするアキラと、サンドイッチの包みを渡して「無理するなよ」と送り出すコウメイ、シュウは自分のダガーナイフを押し付け「イザって時は実力行使だぜ」と渇を入れて見送った。
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マサユキを見送ったギルド長室では、遅くなった昼食を囲みながらマジックバッグ談議に花が咲いていた。
「マジックバッグ、完成しそうだな」
「時間の問題だろう」
「欲しいよなー。ホントに破壊するのかよ、もったいねーぜ」
「判断するのはミシェルさんだ。だが……設計図の写しくらいは、仕事の報酬として貰いたいな」
権力の及ばないところでこっそりとマジックバッグを製作し、自分たちの荷物を便利に持ち運ぶくらいは見逃してほしい。
「アキラ作れるのかよ?」
「無理だ。だが設計図が手に入れば、喜んで作りそうな人なら知っている」
アキラが思い浮かべたのが誰なのか、コウメイとシュウも気づいたようだった。
「ぼったくられそうだな」
「材料持ってこいとか言われそー」
「だが品質は間違いないはずだ」
リンウッドなら未知の魔武具を嬉々として作りそうだし、アレックスも面白がって魔改造しそうだ。ミシェルだって魔術師としての好奇心は殺せないに違いない。
「ミシェル殿はマジックバッグをどのように扱うつもりだろう」
以前アキラが破壊の可能性もありうると言っていたことを覚えていたサイモンが問うた。
「懸念は理解できるし、本部への報告義務を怠ったことについては罰を受けて当然だろう。だがウナ・パレムの魔術師たちの努力は認めて欲しい」
本部ギルド長の権限で、開発に尽力した魔術師たちから成果を取りあげるようなことはしてほしくないとサイモンが顔を曇らせた。
「開発の背景が問題視されているだけだと思うので……理不尽な処罰はないと思いますよ」
リンウッドが勝手に作った魔術玉の時もそうだった。影響力を考えて威力を制限はしたが、冒険者たちの利便性を優先して製法を各国のギルドへ売った。もちろんリンウッドへの罰則はなかった。
「マジックバッグそのものが危険なのではなくて、領主から金銭的政治的な支援を受けていることが問題なんです。ギルドの理念に反していますし、癒着は他のギルドにも影響してくるでしょうからね」
「ここの領主は野心家だ。そしてフランクもギルドの最上位以外は見えておらん。あいつがギルドを私欲に利用しないという確信が持てんのだ……」
あれほど空腹を訴え待ち望んでいたサンドイッチだが、心配事の多すぎるサイモンはまともに味を感じていないようだった。
魔法使いギルドは国家の枠を超えた一つの組織だ。各支部ごとの独立性はある程度保障されているが、だがそれは理念を守った前提での独立性であり保障だ、外部からの介入や、下手をすれば組織の独立性を脅かすような事態を招くフランクの行為は、ギルドに対する裏切りでしかない。
「できれば穏便に、可能な限り影響の残らないように事を終わらせてもらいたいよ」
深々とついたサイモンのため息は、重く深かった。




