11 医薬師ギルド3 抜け道
三の鐘の鳴る前に医薬師ギルドにやってきたアキラは、その日も朝早くから行列を作る患者を見て顔を曇らせた。時間が経つにつれて患者の列が長くなるのは間違いなく、この様子では休憩なしに診療を続けたとしても六の鐘が鳴っても終わりそうにない。
「おはようございます」
薬局側の扉から中に入ると、すでに出勤していた三人が話し合っている最中だった。
「でも師匠、休みなしだと魔力の回復も追いつかないじゃないですか」
「錬金薬は無料じゃないんですよ」
診療所が無料で患者を治療するのは、その行為が治療魔術師の修行でもあるからだ。自然回復する魔力の範囲で無料診療をするはずが、いつの頃からか街の貧困層が病気やケガで駆けこむ生命線のような役割を果たすようになっていた。なのに領主や行政舎からの支援は全くないのだ。
「ここ半年はずっと赤字続きです、そろそろ破綻しかねません」
「無料診療は五の鐘までっていう決まりを守りましょうよ」
「……しかしな」
患者を追い返したくないサイモンと、師匠が過労で倒れると心配するクレア、そしてギルドの運営資金を嘆くマリィら三人の話し合いは停滞しているようだった。
やり取りを聞いていたアキラは、前々から疑問に思っていたことをたずねてみた。
「クレアさんも治療術師でしょう、二人で分担して治療をすれば患者を多くさばけると思うのですが、どうしてサイモンさん一人で治療にあたっているんです?」
「私は患者の受付と誘導で手いっぱいだもの、治療までは無理よ」
「その受付は治療術師でないとできないのですか?」
診療所を手伝っていて気付いたのだが、受付での症状の聞き取りに時間がかかり過ぎているように思ったのだ。緊急性のある患者は少ないのだから大雑把に選別して、サイモンでなければ治療できない患者とクレアでも大丈夫な患者に分けて、二人で診療に当たれば時間内に診療が終えられるのではないだろうか。
「クレアさんの治療経験も積めますし、診療室は広いので二人が席を構えても大丈夫だと思うのですが」
「それだと受付のために人を雇わなくちゃならなくなるわ」
「今の経済状態じゃちょっと無理っぽいかなぁ」
「ふむ、選別か……」
クレアとマリィは難色を示したが、サイモンは何か閃いたのか顎に手をあてて考えに沈んでいる。
ドンドンドン。
診療はまだか、と扉が叩かれた。
論議に夢中になっている間に三の鐘が鳴っていたらしい。この話は後でと切り上げて、無料診療所の扉が開かれた。
+++
「このお茶、変わった色してるな」
「ユーク草の花を使ったお茶よ、どう?」
「薬草にしちゃ香りはいいな、スッキリする感じだ」
苦い薬草茶でなくて助かったと笑うコウメイに、マリィは別の茶を注いで差し出す。
「こっちのはラエルのお茶よ、腹痛とかに効くわ」
「結構キツイ香りだけど、まあ悪くはねぇかな」
懐かしいトイレの芳香剤っぽい香りだと感じたが、味はまろやかで悪くはない。
「ハイネルのお茶は慢性的な疲れにいいのよ」
赤い花びらの浮いた茶は、ほんのりと酸味を感じた。
「でも売れないのよね」
「そりゃなぁ」
マリィのため息は深い。赤字続きの診療所をカバーすべく薬局の売り上げを伸ばそうと頑張っているのだが、なかなか客が来ないのだ。そう愚痴られたコウメイは、もっともだろうなと診療所の方に視線を向けた。薬局は患者が薬を求めてやってくる場所だが、ここにくるのは貧困層の患者ばかりだ。薬を買う金がないからこそ無料診療に列を作る。そんな患者が帰りに薬局に寄るわけがない。
「品は悪くねぇと思うぜ。売り場を変えればいいんじゃねぇか?」
「何処で売るのよ。広場に店を出す余裕はないわよ」
「じゃあ集客を工夫して、購入層を絞ってみるとか、試飲用に少し配ってみたらどうだ?」
儲けようと思ったら先行投資は必要だぜ。コウメイがそう言うとマリィは「お金が……」と呟いて考え込んでしまった。そんなにこのギルドは危ないのかと、無関係なコウメイですら心配になってきた。マリィのいれた薬草茶の中からユーク草の茶を選んで飲み干した。アキラの作る薬湯もこれくらい飲みやすければ楽なのにと考えていたからだろうか。
「コウメイ」
「おう」
「ここで何をしている」
「薬草の納品。冒険者ギルドで配達仕事を頼まれたんだよ」
診療所がひと段落ついたらしい。アキラは何枚かの板紙を手に、薬局の待合席に腰を下ろした。
「疲れてんならこのハイネルって薬草茶が効くらしいぜ」
淹れ直すと慌てるマリィに「もったいないから」と断って、コウメイが差し出した飲みかけを受け取ったアキラは、くいっと一気に飲み干した。錬金薬や薬草には及ばないが、確かに身体の重みが軽くなるようで悪くはない。
「この薬草茶をサイモンさんとクレアさんに淹れてあげてください。休みなしで疲れているようですから」
「え、もう診療終わったの?」
まだ五の鐘が鳴ったばかりだ、いつもより鐘一つ分も速いとマリィが慌てた。
「昼食をとりながら朝の続きを話し合いたいそうですよ」
「薬局、閉めるしかないわね」
「私が店番していますよ」
店で売っている薬は完成品だ。その場で処方の必要がないのなら店番くらいはできると言ったアキラは、肩を揉みながら入ってきたクレアに軽く睨まれた。
「なに言ってるの、アキラも話し合いに参加しなきゃダメでしょ」
「部外者ですよ?」
「言い出したのはアキラでしょ、責任もって妙案を出しなさい」
クレアは少しばかり腹を立てているようだ。「お前何やったんだよ?」というコウメイの視線からそっと顔を背けたアキラはハイネル茶をお代わりした。
昼休憩のために薬局の扉を閉めようとしたところに、一人の魔術師が駆け込んできた。
「サイモンさん、いる!?」
「ロッティさん、どうしたんですか?」
大通りを走ってきたのだろう、乱れた息を整えるのに少し時間を要した。大きな声を聞きつけひょっこりと顔を出したサイモンは、彼女を見た途端に、薬草を口に詰め込まれた時のシュウのような嫌そうな顔をした。
「サイモンさん、先月分の魔力の納品がまだですよ! 召喚状が出されちゃったじゃないですか」
彼女が取り出したのはサイモンへの命令書だった。明日の三の鐘に魔法使いギルドに出頭し、未納の魔力を納めること、とあった。所属組織が違うとはいえ、魔術師であるサイモンはこれを拒否できない。
「師匠、また忘れてたんですね?」
「……すまん」
「明日の診療所は閉めるしかないわね」
さすがにクレアひとりでは診療所は回せない。張り紙を出しても読めない人たちは遠慮なく扉を叩く、その対応に明日も忙しくなりそうだと彼女は大きなため息を吐いた。
「ロッティさん、顔色が良くありませんよ」
待合の椅子に崩れ落ちるようにして身体を預けた彼女の顔には、濃い疲労の隈がくっきりと現れている。
「……魔力が足りないのよ、ホント、サイモンさん、頼むからちゃんと毎月納めてよ」
どうやら足りなかった魔力をギルド職員でカバーしたらしい。
「フェイタ草の花茶ですけど、飲みますか?」
「効くの?」
「流石に錬金薬ほどじゃないですけど」
試してくださいと差し出された空色の液体に眉をしかめながらも、甘い香りに誘われてゆっくりと飲み干したロッティは、カップを返しながら首を傾げた。
「……身体が楽だわ。魔力が少しだけ膨らんでるみたい」
「約十回分の茶葉が三百ダルとお安くなってますよ」
「三袋ちょうだい」
「試飲用の小袋をオマケしときますね。良かったら同僚の方にも勧めてください」
すかさず売り込んだマリィの勝利である。ロッティはフェイタ花茶の包みを抱え、サイモンに「明日ですからね、忘れないでくださいよ」と何度も念を押してしっかりとした足取りで帰っていった。
「ところで、君は誰だね」
アキラの隣にいたコウメイを見たサイモンは目を細めた。
「私の冒険者仲間のコウメイです」
「いつもアキがお世話になってます」
「……仲間というのならアキラを見張っておけ、危なっかしくてならん」
「分かってますって、だから俺ここにいるんだし」
なるほど手を焼いているのかとため息をついたサイモンは、激励するかのようにコウメイの肩を叩いた。クレアたちの手前、二人に抗議することもできず、アキラは不貞腐れてそっぽを向いたのだった。
+++
サイモン不在の医薬師ギルドは朝から忙しかった。
「今日と明日の診療はありません」
「ギルド長が魔法使いギルドに魔力を納めに行ったので、診察できないんですよ」
朝から不調を訴える人々にクレアとアキラが説明を繰り返す。説明を受けた患者たちは慣れているのか、仕方なさそうに帰っていった。監視の魔道具を気にしてか、魔法使いギルドへの不満を口にする者はいなかったが、誰もが忌々し気に塔の方角に視線を向けていたのが印象的だった。
「サイモンさん、いる?!」
昼食後のゆったりとした時間、窓際の席でマリィの淹れたハイネルの花茶を飲んでいたアキラは、勢い良く飛び込んできたロッティのおかげでカップを取り落としそうになった。
「どうしたんですか、サイモンさんは魔法使いギルドでしょう?」
「出かけるのを見送りましたよ?」
ぜぇぜぇと肩で息をする彼女に少し冷めてしまったハイネル花茶を差し出すと、ロッティは一気に飲みほした。
「いなくなっちゃったのよ! 魔力を納め終わって仮眠室で休んでいるはずなのに、何処にもいないの」
「隠すとためにならんぞ」
ロッティを押しのけるようにして五人の魔術師が薬局に踏み込んできた。灰色のローブが四人に、白ローブが一人だ。全員が杖を構えすぐにでも魔術を放てる状態でだ。
「本当に戻っていないのか、調べさせてもらうぞ」
サイモンと同世代と思われる白ローブ男が、クレアを乱暴に押しのけた。壁にぶつかりかけた彼女を受け止めたアキラは、反射的に男を睨んでいた。
「なんだ、その眼は」
「ダメよ、家探しさせておきなさい」
「しかし」
「魔法使いギルドと揉めるのは避けたいのよ」
男は医薬師ギルドの内部を熟知しているらしく、灰色ローブらに指示を出していた。自身は診療室の奥にあるギルド長室の扉を乱暴に開ける。壁の二面を占める書棚に、書類の散らばる執務机。男は机の陰をのぞき込み、引き出しを開け、戸棚の扉を開けて中身を引っ張り出した。
「そんな狭いところに隠れる事なんてできませんよ」
様子をうかがいにやってきたアキラの声に、男はチッと吐き捨てて部屋を出た。二階の調合室に倉庫と書庫、会議室にトイレの中まで家探しをしたが、当然サイモンは見つからない。
「魔力を納めた後はとても起き上がれる状態ではないと聞いています。まだ魔法使いギルドにいるのではないですか?」
トイレにでも行く途中にどこかで倒れているのではないかとアキラが言うと、白ローブは顔を歪めると無言で薬局を出て行った。「お騒がせしました」とロッティが頭を下げ、灰色ローブらとともに去っていく。その後姿をマリィもクレアもうんざりしたように見ていた。
「ったく、相変わらず感じ悪いったら」
「師匠の方が階級上だからって嫉妬してるんですよ、あれ」
「彼はお知り合いですか?」
「師匠と同期なんですって。けどハーマンさんは白級で、師匠は黄級」
ハーマンという名には覚えがあった。紹介状を出したにもかかわらず面会を断られた魔術師の名だ。
「魔法使いギルドで役に就いてるって鼻にかけていつもあんな感じよ」
「嫌がらせとかするんですよ、いい齢したおっさんのくせに」
魔術師としての階級はサイモンが上、だが所属するギルドの権威はハーマンが上。それを自尊心にしているらしい。
「でもサイモンさんはギルド長ですよね。組織のトップであるサイモンさんの方が広く信頼されているのでは?」
アキラが問うとクレアもマリィも「当然です」という面持ちでニヤニヤと笑っている。
「師匠が相手にしないから躍起になってるんですよね」
「薄っぺらいプライドにすがってこっちを攻撃するんじゃなくて、もっと研鑽して昇級すればいいのよ。それができないんだから性根の腐ったちっさい男だわ」
魔術師の集団が乗り込んできたことで薬局は閑古鳥が鳴いていた。今日は店じまいして、魔術師たちに荒らされた部屋を手分けして点検しましょうとクレアが指示を出した。
「アキラは調合室とギルド長室をお願い」
ギルド長室は酷いありさまだった。鬱憤をぶつけるように荒らされた部屋を、アキラは丁寧に片付けてゆく。戸棚から引っ張り出された資料を納め直し、出されたままの引き出しを閉める。床に落とされた本を拾って元に戻していると、コトン、と小さな物音が聞こえた。
「……?」
ハードカバーの本が本棚に当たった音ではない。本棚の奥からの音だ。
アキラは本棚の奥の板に触れた。しっかりとした厚みのある板で、何かの仕掛けがあるようには思えない。収納されている本もすべて本物でフェイクではない。アキラは棚板に耳を寄せた。
カツン、カツン、カツン。
かすかにだが、硬い石を踏む踵の音のようなものが聞こえる。
アキラは数歩下がると、気配を殺して静かに待った。
カツン、カツン。
音が浮上し止まると、音もなくゆっくりと本棚が横滑りに移動する。
本棚があったはずの床に穴が現れ、狭い石階段から深い緑の髪が上がってきた。
「……いたのかね」
アキラがそこにいると気付いたサイモンは、少しばかり目を見張った。周囲への警戒が散漫になっているようだが、彼の顔色からそれも仕方がないだろうと思われた。血の気が失せ、わずかな階段を登るだけでも息切れをし脂汗をかくほど弱っている。アキラは慌ててギルド長室の扉に鍵をかけると、隠し階段に駆け戻ってサイモンに手を貸した。
「ハーマンさんたちが乗りこんできまして、ギルドを荒らしていったので片づけをしていました。魔力切れですか?」
常備している魔力回復薬を差し出すと、サイモンは震える手で受け取りグイっと一気に飲み干した。魔力が回復してくると彼の表情が緩んだ、身体が楽になったのだろう。
「この隠し階段は、魔法使いギルドにつながっているのですか?」
「代々のギルド長から引き継いでいる秘密だ。使えるかどうか確かめようと思ってな」
もちろん魔法使いギルドは知らない秘密だと声を潜めたサイモンは、椅子に身体を預けてほうっと安堵の息をついた。
「いったい何のためにこんなことを」
「何を言っている、いずれアキラに必要になるだろうと思ってな、その下調べをしてきただけだよ」
確信をもって断言され、アキラは返す言葉がなかった。
「ミシェル殿の命令如何では魔法使いギルドに潜入することになるのだろう? 忍び込むためか、逃走のためか、どちらの用途になるかは分からんが」
使わずに済めばこしたことはないが、万が一のために準備だけでもしておくかと思い、こっそりと調査をしていたのだとサイモンはこぼした。アキラに隠れて準備をするつもりが、まさか発見されてしまうとは。
「ミシェル殿からの命令がなければ使わせんよ」
医薬師ギルドから秘密の地下道で潜入できるのならその難易度は格段に下がるだろう、便利に利用できると期待したアキラにコンコンと釘が刺された。
「わかりました、指示があるまでは地下道には頼りません……ですが、よろしいのですか?」
ギルド本部長の命令で侵入に使えば、フランクらにバレてしまう。そうなった時に医薬師ギルドに迷惑がかかるのではないかと案じたアキラに、サイモンは緩く頭を振った。
「問題ないよ、私は何も知らなかったのだからね。もし地下道を咎められても、これは私が作ったものではないし、使ったのは私ではなく部外者のアキラだ」
医薬師ギルドは利用されただけだという主張を貫き通す、この地下道の存在は口伝であり、魔法使いギルドもサイモンが知っていたという物的証拠は見つけられない、多少の苦情や圧力はかかっても公式に何かしらの罰則が下ることはないとサイモンは自信ありげだ。
「そもそもこの街の設計は魔法使いギルドが主導して作られているんだ、あちらが知らないものは我々が知るはずがないだろう?」
地下道の存在が魔法使いギルドから失われた原因は分からないが、利用できるものは利用すべきだとサイモンは腹をくくっているようだった。
「かなり古いが作りはしっかりしていた。わき道などもあるが基本は一本道だ、抜け道として使う分には問題なかったよ」
「無茶をしましたね」
魔力を限界まで奪われ、回復薬も与えられない、そんな身体で良くもまあ地下道の探索などできたものだと呆れる。
「隠し持っていた魔石分だけは魔力を残しておいたからね、なんとか昏倒せずに済んだ」
だが研究階を探るほどの余力はなかったとサイモンは悔しそうに頭を振った。彼は魔法使いギルドに従順でないとして、魔力吸引に訪れた際には常に監視がついているのだそうだ。今回はたまたま人員が不足していたらしく、休憩室に放り込まれた後に監視の目がなくなった隙をついて、隠し通路からここへ戻ってくることができた。
「さて、ずいぶんと魔力も体力も回復したことだし、戻ることにするか」
血行が良く顔色も戻ったサイモンは、執務机の引き出しから小魔石と錬金薬を取り出して懐に隠し、ゆっくりと隠し階段を降りていった。
「部屋の片づけを頼むよ。私の戻りは明日の朝だ」
魔力不足で帰れない状態を装い、可能であれば魔道具についても探ってくると言い残したサイモンを、アキラは「楽しんでますね」と苦笑いで見送った。
+++
早朝、二の鐘の鳴る前のまだ空が暗く街灯が照らす大通りを、コウメイは蓋つきの手籠を手に歩いていた。人通りのまばらな中を足早に進み、たどりついた医薬師ギルドの扉を叩く。
「朝飯届けに来たぜ」
返事はない。診療所も薬局の扉も鍵がかかっており、中から開けてもらうしかないのに。
「寝てやがるな」
粘り強く扉を叩き続けるしかないかとコウメイは拳で再び扉を叩く。できるだけ大きな音が鳴るようにと、拳頭で乱暴に扉を連打していた時だった。
「朝っぱらから何の用だね」
背後からの声に振り返ると、目の下に隈を作ったサイモンが立っていた。コウメイのことを覚えていたのだろう、何故医薬師ギルドにいるのかと不思議そうだ。
「ギルド長が不在で宿直しなきゃならないとかでアキが泊まり込んでるんだよ。俺は朝飯持ってきたんだ」
持っていた手籠をかざして見せ、あんたの分もあるぜと言うと、サイモンは相好を崩しすぐに鍵を取り出して扉を開けた。まっすぐにギルド長室へと向かうサイモンの後を追い、続いて部屋に入ると、ちょうどアキラが部屋の隅にある長椅子からのっそりと身を起こしたところだった。
「おはよう、アキ」
「……早すぎる」
「マリィちゃんたちが出勤してくる前に話を終わらせたいつって言ったのはアキだろ」
サイモンがいるせいか多少は取り繕っているようだが、前日の伝言内容がとっさに出てこないあたり、アキラの寝汚さはいつもと変わりないようだ。顔洗ってスッキリしてこいとアキラを追い出し、サイモンに許可をもらって執務机に朝食を広げた。
「サイモンさんってここに住んでんのか?」
「二階に宿直室がある」
宿直といってもマリィは未婚の女性だし、クレアは配偶者がいるため宿直はさせられない。他に所属する者がいないため、何年も前からサイモンが宿直室に住み込んでいるらしかった。
「街にこれだけ魔術師がいるんだ、治療術師があんただけってことはねぇだろうに」
「魔法使いギルドに睨まれたくないのだろう、三年前に灰級の薬魔術師が抜けてからは人員の補充はないな」
サイモンは目の前に用意された朝食に釘付けだった。ローストビーフとピリ菜を挟んだサンドイッチに、白芋と緑瓜の酢漬け、赤芋のスープは蓋つきの小鍋で保温されており、まだ温かい。
アキラたちは朝食をとりながら、サイモンの報告を聞いた。
「研究階の警備は厳重だった。魔術師でなく領主の私兵が厳しく出入りを監視していて、許可の無い者はフロアへの立ち入りを禁止されていた」
侵入者を防ごうとするだけでなく、逃亡者も許さないという警備で、研究階にいる魔術師たちはほぼ監禁状態であることをサイモンは語った。
「錬金術師に魔道具師、魔武具師が集められているようだ」
新たな魔道具の開発には大量の魔力が必要になるため、上級位の魔術師が中心になっていたはずなのだが、サイモンがトイレに行く隙を見計らって観察したところによれば、現在では色級に関係なく集められているらしかった。
「兵士が見張っているとなると、領主がかなりの圧力をかけてるんだろうぜ。相当追いつめられてるなぁ」
「魔武具が何なのか、わかりましたか?」
「さすがに無理だった。開発が芳しくないというのはひしひしと伝わってきたがね」
開発をはじめて六、七年、大金を投入したというのに何の成果もあげられていない。投資額と時間を考えれば、今更中断などさせてなるものかと領主は突き上げるだろうし、フランクのプライドの高さもあって失敗を認めることはないだろうとサイモンは評価していた。
「このままほっといたら自滅するんじゃねぇか?」
そうなれば自分たちが盗みに入ったり破壊のために動き出さなくても済む。コウメイは放置をアキラにすすめた。サイモンも同じ考えのようで、危険に身を投じる必要はないと同意した。
「私はそんなに喧嘩好きだと思われているんですか?」
「売られた喧嘩を十倍にして返したのは何度も見てるからな」
「ほう、涼しげな顔をしていてなかなか物騒なのだな」
「売られた喧嘩は買いますが、今回は私の喧嘩ではありませんよ」
アキラは魔紙を取り出してサイモンにペンと魔インクを借りた。
「ミシェルさんの喧嘩ですから、彼女にすべて報告して判断を仰ぎます」
さらさらと一連の報告を書きとめたアキラは、二人に内容を確かめてもらい、サイモンにはサインを入れてもらって封をした。杖で軽く叩いて手紙を送り出せば報告は終わりだ。
「返事を待ちましょう」
サイモンの手前そう言ったが、今まで一度として報告書に対する返信はない。ミシェルから連絡があるのは、調査打ち切りか魔道具の破壊命令かのどちらかだろうとアキラは思っていた。
「どうしました?」
強張ったサイモンが冷や汗をかきながら、目を見開いてアキラの杖を凝視している。
「これが何か?」
「それは……アキラの杖なのか?」
「ええ、悪趣味でしょう?」
アキラは苦笑いで見やすいようにと杖を差し出した。ミノタウロスの角を芯軸に、満月の光を練りこんだ銀の細工で紫色の大きな魔石を固定した杖だ。素材はどれも希少なもので使い勝手は良いのだが、如何せんそのデザインが頭痛の種だ。魔石を固定する銀の爪は人の手を模しており、がっちりと魔石を掴んで離さないデザインなのだ。
「製作者の性格が出てるよな」
「本当に、何を考えているのか……」
二人の会話を聞いているのかいないのか、サイモンはグッと固く目を閉じると、深々とした息とともに「規格外すぎる」と声にならない声を吐き出したのだった。




