04 やたら長い人生のすごし方
エルフの災禍によって焼失した森は、十年ほどかかってそれらしく整ってきた。完全に元通りではないが、焼け朽ちた木々よりも緑のほうが多く見られるようになり、魔物や魔獣もよみがえった森に戻り、町に向かうことは少なくなった。
干上がっていた湖も、水源となるギルジェスタ山脈から流れ込む水が溜まり、数年をかけて元の澄んだ姿に戻った。
ただ、一度枯れてしまった湖の生態系は元には戻らない。
「戻らねぇのは仕方ねぇが、まさかこうなるとはね」
「……全部細目のせいだ」
アキラは湖に向かって、鷲掴みにした魔石を投げ入れた。
ポチャンポチャンと魔石が落ちた途端、何匹もの魚人が湖上に現われる。
「ひいっ」
あまりの絵面の酷さと勢いに、ケイトは反射的に飛び退いていた。
「飢えてんなぁ」
「ねぇ、何でこれを平然と見てられるのよ?」
彼女が指さした湖面では、上半身が人、下半身が青鱗の魚の生命体が、魔石を奪い合い、足りないもっと寄こせと跳ねている。
「鯉の餌やりだと思えばかわいいですよ?」
「隠居生活つったら、やっぱニシキゴイに餌やりだよなぁ」
「あれは錦鯉じゃなくて人魚でしょ! なんでこうなったのよ?!」
半眼のアキラが鬱憤をぶつけるように魔石を投げた。
「諸悪は腹黒陰険細目です」
干からびた湖底がぬかるみ、水で満たされても、すぐに魚は戻ってこない。支流から遡上してくるまでどのくらいかかるだろうかと様子を見ていたとき、アレックスがやってきて「ワシにまかせとき」と頼みもしないのに外来種を放流した結果がコレだ。
「あっちの湖で種族抗争起きてしもたんや。三つの魚種が争うとったんけど、この青鱗の一族が負けてもうてなぁ」
元は海を追われた同一魚族だが、湖で生きる間に少しずつ変異し種が分岐したらしい。そうしてかつて海で起きたのと同じ縄張り争いが起こり、青鱗と呼ばれる魚族が湖を追い出された。しかし淡水で生まれ育った彼らは、海に戻っても生きていけない。
「ここ空っぽやからちょうどええ思て引っ越し手伝うたったんや。あ、ワシが青鱗らとかわした契約は引っ越しだけやから、あとは頼んだで?」
まったくもってちょうど良くなどない。後始末を押しつけていくなと苦情を言ったところで馬の耳に念仏だ。引っ越してきてしまった彼らを追い出す先はなく、せっかくよみがえった湖を、飢え死にした人魚の死体を浮かべて再び死の湖にしてしまうのは避けたいと、こうやって定期的に餌やりするようになったのだ。
「なんかショックだわ。人魚のイメージが」
「そうか?」
「人魚だと思わなければ良いんですよ。あれは突然変異の鯉です」
「あなたたちの感性もたいがいよね……」
同居人になってずいぶん経つが、いまだ新鮮な驚きがあって退屈はしないと、ケイトは楽しそうに笑う。
三ヶ月ぶりの鯉(人魚)の餌(魔石)やりを終え、マイルズの墓参りをして森の家に戻った。
「そろそろシュウが戻ってくるんじゃない?」
「寄り道してなけりゃな」
「虹狩りっての、もう終わってるんじゃなかったっけ?」
「あいつの島通いは、それ自体が目的であり、ただの娯楽だ」
深魔の森の狩りでは満足できないシュウは、暴れたりなくなると島でエルズワースらと討伐を楽しんでいる。
「私は明日から町だし、また入れ違いかなぁ」
「どんぶり飯屋、どんな感じだ?」
「順調よ」
コウメイの握り飯屋を手伝っていたケイトは、握り飯だけでは物足りないという客の声を聞いて、どんぶり飯屋をはじめた。牛丼に玉子丼に親子丼、これらの丼を日替わりで提供する飯屋だ。提供する料理が一品しかないため、料理の廃棄率は低いし、回転が速いので利益も高い。
握り飯屋を監督しつつ、どんぶり飯屋を経営し、編み物の流行も作り出し、と今のケイトはいっぱしの女実業家だ。
「大変だーっ!!」
夕食を終え、食後のカスタードパイを楽しんでいたところに、シュウの大声が響いた。
だーん、と蹴破るような勢いで入ってきたシュウは、全身が汗と折れ枝や落ち葉や泥にまみれていた。ぬかるみも樹木も避けず、最短距離を突っ走ってきたようだ。
「ストップ、そこから動くな、まずは服を脱げ」
「コーメイのエッチ」
「床を泥まみれにするなつってんだよ」
「おかえり。それで何が大変なんだ?」
「ダンジョンだよ、ダンジョン!」
何言ってんだコイツ、とケイトが眉根を寄せた。
「迷宮都市はもうねぇぞ」
「そっちじゃねーよ、本物のダンジョンがあるんだよ!」
説明しようとするシュウを遮ったアキラが、まずは落ち着けと風呂場に押し込んだ。床を掃除し、コレ豆茶を入れ直したころに、汚れと興奮を落としたシュウが現われて夕食を要求する。漁村エタルから飲まず食わずでずっと走り通しだったらしい。
丸芋とベーコンの重ねチーズ焼きに、ピリ菜と白芋のシャキシャキサラダ。これだけでは物足りないというので、暴れ牛肉を解凍してステーキを二枚焼いた。
それらをぺろりと平らげ、デザートのカスタードパイもしっかり要求してから、シュウは熱く語った。
「ネイトさんのとこに、漂流してきたって男が居候しててさ、そいつの話を聞いたらダンジョンがあるって言うじゃねーか」
数ヶ月前に起きた海のスタンピードが、漁村エタルにも影響を及ぼしたらしい。大陸から遠い海で発生したスタンピードは、他大陸船を巻き込んでいた。エタル村はなんとか海のスタンピードをやり過ごしたが、そのときに遭難者が流れ着いたのだ。
「そいつに色々話聞いたらさー、あっちにはダンジョンがあるって言うんだよ!」
「迷宮都市みてぇな?」
「あんなニセモノじゃなくて、マジモンのダンジョンなんだって!」
+++
シュウがナナクシャール島に通うのは、半分はストレス解消と、もう半分はネイトに会うためだ。
不安定な恩人を心配して様子を見に通っているのだが、ミシェルが居座るようになってからのネイトは、口ではアレコレ言ってはいても調子が良さそうだ。
ナナクシャール島からの土産を渡したシュウは、いつものように手伝う事はないかとたずねた。
「魚釣ってくるか? 肉がねーなら狩ってくるぜ?」
「それなら裏の畑でレト菜と赤芋をとってきてくれ。それとピナを一つもいでこい」
「野菜かよー」
「安心しろ、肉がメインだ」
何でもない軽口が当たり前のように交わせる気楽な空気が嬉しい。
シュウは籠を持って裏口から外に出た。
どういう仕組みなのかわからないが、ミシェルが作った温室では季節に関係なく様々な野菜や果物が収穫できる。自分の食事のためだけにこれを設置したらしい。贅沢なわがままだ。
「……ん?」
半透明な水晶板で作られた温室の中に、影が見えた。
「ミシェルさんじゃねーな。誰だ?」
エタル村の住人はネイトとミシェルの二人だ。たまに泊める冒険者や獣人族で一時的に人口が増えたとしても、彼らは馬小屋と主屋、船庫に囲まれた裏庭には入らない。
温室内にいる人物から嫌な雰囲気は感じられない。それでもシュウは警戒しつつ入り口に向かう。
温室の扉をあえて音を立てて開閉すると、その人物が飛び跳ねるように振り返った。
「……っ」
少し痩せぎみの中年男だった。白髪の交じる黒髪はボサボサで、顔はシワが多い。シュウを見て怯えたように後じさるが、畝に躓いて転びそうになった。思うように足を動かせないようだ。
「おい、大丈夫かよ?」
「あ、ああ。……!!」
何に驚いたのか、男は目を見開いてシュウを凝視する。
今日はケモ耳をちゃんと隠していたはずだがと、シュウは鉢巻きをなでてサークレットの存在を確認する。
「それで、あんた誰だ?」
「……だ」
「ここで何してる? あ、俺はネイトさんに頼まれてレト菜と赤芋とピナの収穫だけど?」
「さ……」
「で、あんたは?」
「さ、サルティモース語!」
「は?」
「あああ、あんた! サルティモース語をしゃべれるのか?!」
溝をはってシュウに迫った男は、目に涙を浮べて足にすがりついた。
「やっと俺の言葉をわかってくれる人がいた……!!」
「いやおっさん、しがみつくなって。鼻水ふくんじゃねーよ!」
ズボンの膝に涙と鼻水を押しつけられそうになり、慌てて男を引き剥がす。
畑を荒らしたらミシェルの雷が落ちかねない。足の不自由そうな男を扉のそばに移動させて動くなと言い含めてから、レト菜と赤芋を収穫し、ピナを一個、木からもぎ取った。
「で、言葉って、サルティモース語? それ、どこの言葉だよ」
「俺の故郷の言葉だ」
男は途切れない雨のように流れる涙で顔を汚している。
グズグズ泣くおっさんにすがられて鳥肌が立ちそうだった。自主的に放してもらえそうにないし、突き放すのもまずそうだ。仕方なく男を連れて台所に戻った。
「おっさん、このおっさんは何なんだよ?」
「ああ、そっちにいたのか。先日の海のスタンピードに巻き込まれて流れ着いた男でな、行き場がないようだから置いているんだが。どうかしたのか?」
まるで幼子のようにシュウの上着を掴んで放さない男の様子に、ネイトが首を傾げた。
「おっさん、サルティモース語ってわかるか?」
「ほう、そいつの言葉がそれなのか。シュウはわかるんだな?」
「……みてーだなー」
ニヤリとするネイトから視線を逸らせて、シュウは頭を掻く。久々に自動翻訳の存在を思い出した。
「俺じゃどうにもならなかった。代わりに話を聞いてやってくれ」
茶のカップとミシェルのために作り置いていたらしい焼き菓子とともに遭難者を押しつけられた。「仕方ねーなー」とぼやいて男を連れ桟橋に向かう。
「俺はシュウってんだ。さっきのがネイトさん。あんたの名前は?」
「ウェルトだ。俺を食わせてくれたのはネイトというのか。やっと礼が言える」
桟橋に並んで座り、菓子と茶で気持ちが落ち着つくと、男の表情から悲愴さや絶望が消えた。強張っていた顔にぎこちない笑みが浮かぶと、少しばかり若々しく見える。思っていたより若いのかと年齢をたずねれば、まだ二十九歳だという。言葉の通じない見知らぬ場所にたった独り、そのストレスと漂流時に負ったケガの後遺症もあって一気に老け込んだようだ。
サルティモース語はどこの言葉なのか、ウェルトの事情を聞かせてくれとシュウが問いかけると、男は噛みしめるように言葉を紡いだ。
「ハルミット帝国に属する、南東辺境のサルティモース領の言葉だ。元は小さな諸島国で、俺が生まれる前に帝国の領土となっている」
「帝国とか、はじめて聞いた」
「そうか? 俺は帝国での出稼ぎを終えて、国に戻る船に乗っていたんだ」
ウェルトの故郷はサルティモース領土内にある小さな島だ。本島の学校に子供を進学させたいが、その費用は漁業だけでは貯められない。そのため僻地の島から帝国に出稼ぎに出た。目標額を稼ぎ終え故郷に戻る船に乗ったのだが、運悪く海のスタンピードに巻き込まれ船が転覆した。
「海に投げ出された俺は、浮かんでいた誰かの鞄にしがみついて……気がついたらここに流れ着いていたんだ」
老人に拾われ、金髪の婦人に治療された。寝所と食事を与えられたが、言葉が通じないためお互いに途方に暮れていたそうだ。
「帝国ってのは、海の向こうだよな? どれくらい離れてるんだ?」
「わからん。帝国本土と島は船で十日ほどかかるが……ネイトさんが話す言葉は帝国語ではないし、サルティモース語でもないし。この島は何という名なんだ?」
「名前かー」
シュウは視線を逸らし空を見上げた。そういえば誰からもこの地の名を聞いた覚えはない。はたして名前はあるのだろうか。
「ま、海でつながってるんだから、同じ世界なのは間違いねーか」
「この桟橋から出る船は小さい。もっと大きな港はあるだろうか? 帝国に向かう船はどこから出ているか知らないか?」
ウェルトは深々と頭を下げて、教えてくれと懇願した。
「頼む、俺は妻と子供のいる家に帰りたいんだ。サルティモースに帰る方法を教えてくれ」
出稼ぎで貯めた金は肌身離さずにいたおかげで今も手元にある。これを使いたくはないが、故郷に帰れるのならばすべてをはたいて船に乗りたい、と。
「気持ちはわかるぜ。けど俺はその辺り詳しくねーんだよなー。ミシェルさんなら知ってるかもしれねーけど」
「あのご婦人か。そういえば数日前に、黒髪の得体の知れぬ若い男にどこかに連れて行かれたが……」
「あの人、まだ細目の野郎につきまとわれてんのかー」
ネイトとの隠居生活には妨害が多いようだと、シュウは苦笑いだ。
「頼む、俺の言葉をネイトさんやミシェルさんに伝えて、助力をもらえるよう協力してもらえんだろうか」
事情の説明はウェルトの言葉を理解するシュウにしかできないのだ。再び床に額をこすりつけるように頭を下げられたシュウは、彼の肩を叩いて顔を上げさせた。
「そんなに頭下げるなって。説明くらい簡単だから引き受けるぜ」
「ありがとう!」
「けどあんたを故郷に帰せるって約束はできねーぞ?」
「……手を尽くして駄目なら、諦めもつきます」
そう言いはしても、やはり諦めきれないのだろう。彼は服の上から、腹に巻き付けてある我が子の進学費用を撫でた。せっかく若々しさを取り戻しかけていたのに、妻と子を思ってうつむく彼がまた老けて見えはじめた。
「あんたの住んでた所のこととか、帝国って国のこととか、色々教えてくれよ」
シュウは彼の気を紛らわせるためと、自分の好奇心を満足させるべく、ウェルトに話を促した。
+++
「そのウェルトさんの出稼ぎってのが、ダンジョン探索者だっていうじゃねーか!」
バンバン、と。興奮のあまりシュウがテーブルを叩いた。茶器が跳ねてカチャカチャと割れそうな音を立てる。
「行こうぜ、ダンジョン!!」
シュウは他大陸に渡る気満々だった。
「そんなに簡単に行けるわけないでしょ」
「痛っ」
シュウの後ろ頭に手刀を打ち込んだケイトが、呆れ顔でコウメイとアキラを振り返った。
「そっちの二人も、もう少し冷静になりなさいって」
「冷静だよなぁ?」
「いたって冷静だが」
「どこがよ! そわそわと銀板で位置確認してるくせに」
シュウが説明する間、コウメイはいそいそと銀板を操作し、アキラも横からのぞき込んでいた。思い切り行く気満々ではないかとケイトが突っ込むのも当然だ。
「そりゃダンジョンって聞けばな、どうしても気になるんだから仕方ねぇよ」
「だろだろ? ケイトさんは気にならねーのかよ?」
「それは、気にはなるけど……」
「な? 行こうぜ、ダンジョン」
「落ち着けシュウ。その前にサルティモースって国だか島だかが、どこにあるかだ」
「ダンジョンは帝国にあるんだってさー」
「その帝国ってのはどこにあるんだよ?」
ケイトが銀板の地図を広域表示に切り替えた。三人にのぞき込まれながら、範囲をどんどん広げてゆくが、この大陸の周辺にそれらしい島や大陸は表示されない。
「リンウッドさん、ご存じですか?」
「俺の知っている他大陸の国名とは違うな」
酒をちびりちびり味わいながら、シュウの話を聞いていたリンウッドは、最後の一口を飲み干すと席を立った。他大陸にもダンジョンにも興味はないようだ。
どうやら他大陸が存在するのは間違いなさそうだが。
「帝国なんて本当にあるのか?」
顔を上げたアキラの目は疑いの色が濃かった。
「あるって! ウェルトさんの持ってた硬貨には見たことねー文字が書いてあったし、話もすっげーリアルで、嘘ついてるカンジじゃねーし」
シュウはウェルトの身の上から、帝国での出稼ぎダンジョン生活や、故郷での暮らしを聞き出していた。それらすべて嘘ならたいした詐欺師である。
「あ、これこれ、一個借りてきたんだ。これなら証明になるだろー」
ポケットから一枚の硬貨を取り出してテーブルに置いた。
この大陸で流通する小銀貨より一回り大きく、わずかに薄いそれを、アキラが手に取った。浮き彫りにされた王冠と数字、その裏には帝国銀貨と刻印がされている。その文字は大陸共通文字でも、魔術文字でもない。
「……他大陸語だ」
「だろ!」
シュウは得意げに胸を張る。他大陸語が読めるアキラなら、本物だとわかるはずだと思っていたのだ。
「見せてみろ。なるほどね、確かに、昔読んだ航海記と同じ文字だ」
横からのぞき込んだコウメイも、他大陸と帝国の存在を認めた。
「読み書きはともかく、聞くのと喋るのはすべての言語が翻訳されるようだな」
「今さらながらの大発見だ」
「そっちの発見はどーでもいいんだよ。帝国が存在するんだからさ、行けると思わねーか?」
流れ着いた他大陸人が過去にも、そして現在も存在するのだ、海の向こうにあるのだから辿り着く方法はあるはずだとシュウが熱弁をふるう。
「ミシェルさんに聞いたらさー、ナナクシャール島とを往復してる船は鉱族が作ったっていうんだよ。あの船って操縦しなくても勝手に動いてたし、あーいうの作ってもらったら行けそーだと思わねーか?」
「船旅かよ」
「目的地の場所もわからないのに、無謀すぎる」
船酔いの苦しさを思い出したコウメイはうんざりだと顔をしかめ、アキラもコロンブスの真似事は嫌だと眉間にシワを寄せている。
「……あ、見つけたかも?」
騒ぎを横目に銀板を操作し続けていたケイトが、ぽろりとこぼした。
その一言に、三人が一斉に振り返る。
「え、マジ?」
「よっしゃー!!」
「……なんてことしてくれたんですか」
コウメイは驚きに目を見開き、シュウは歓喜で小躍りし、アキラはこめかみを押さえてため息を吐いている。
「ごめん。でもどこまで広域にできるか気になって、つい」
誤魔化すように笑った彼女は、銀板の地図を三人に向けた。
この大陸が、自分の位置を示す青い印で隠れるほど小さく表示されている。そして銀板の左端に陸地らしい海岸線が映っていた。
「ほら、行けそーだろ、行けるよな?!」
「こりゃ遠いぜ。えぇと、縮尺率と、大陸の距離が――」
「辿り着くまで何ヶ月もかかるのは間違いない。補給できる寄港地もなしに、そんな長旅は不可能だぞ」
水はコウメイとアキラがどうにかできるとしても、食料はどうするのだ。
「魚釣って食えばいーじゃん」
「なるほど、シュウは壊血病を患いたいんだな」
「かいけつびょう?」
「異世界転生ラノベお約束の航海病よ。知らないの?」
みずから経験したいのかとケイトに指摘されたシュウは、大慌てで首を横に振る。
「薬草とか、錬金薬でどーにかなんねーのかよ?」
「どれだけの量が必要になるのか、計算できないんだぞ」
コウメイもアキラも渋い顔である。
長期間の船旅に耐えうる船を入手できたとして、補給なしの数ヶ月間、健康を維持したまま航海するために、一体どれくらいの食糧と錬金薬や薬草を積み込まねばならないだろうか。もしそれを用意できたとしても、辿り着けなかった場合にどうするかだ。
「なんだよー、コーメイもアキラも、ダンジョン探索したくねーのかよ?」
「興味はなくはねぇが、海の真ん中で病死はなぁ」
「遭難からの病死も溺れ死も嫌だぞ」
他大陸にもダンジョンにも興味はあるが、それはこちらに戻ってくる確実な手段も保証もないまま、大博打にでようと思うほどではない。
シュウは何とかして乗り気でない二人を焚きつけようと、ウェルトから聞き出した情報から興味を引けそうなネタを引っ張りだした。
「なー、コーメイ、ダンジョンドロップ品に、すっげー珍しい調味料とかあるらしいぜ」
シュウの猫なで声に、コウメイの視線が揺らいだ。
「調味料が、ドロップ品なのか?」
「すっげーグレードの高い塩とか、砂糖とか。あとはバフのつく果物とかもあるってよ」
ダンジョンで得られる調味料は、王侯貴族の料理に使われるものよりも高品質で純度が高い。ドロップした調味料で作った料理は、それまでの料理の数倍美味しくなるのだそうだ。
「へぇ、数倍か」
よし、引っかかったぞ。シュウは内心のニヤニヤを顔に出さないように堪えてささやく。
「ドロップ品が無理でも、他大陸の食材とか、果物とか、料理してみてーだろ?」
「いいねぇ、面白そうだ」
よし、コウメイgetだぜ! とシュウは握った拳を突き上げた。
次はアキラだ。
「アキラもさー、ダンジョン産の薬草とか、あっちでしか生えてねー植物とか香草とか、気にならねー?」
ピクリ、と涼しげな眉が跳ねた。
「ダンジョンって特殊らしくてさー、ダンジョン内でしか使えねー薬草とかあるんだってさ」
「……特定環境限定薬草」
「ダンジョン産の錬金薬って普通のより効きがいいらしーんだけど、作り方は判明してねーんだって。アキラ、研究してーだろ?」
アキラは悔しそうに唇を噛み、震える声で返した。
「…………したい」
「よっしゃぁ!」
久しぶりの大冒険だとシュウは大張り切りだ。
弱みを的確に突いた巧みなプレゼンに負けたコウメイは苦笑い、アキラは自己嫌悪で頭を抱えている。
別大陸への船旅の交渉を見物していたケイトは、呆れ顔で三人に問うた。
「ねぇ、あなたたち、自分の実年齢覚えてる?」
「最近は数えてねぇなぁ」
「百は超えていたと思うが、いくつだったかな……」
「ケイトさんと一コしか違わねーよな?」
それは余計な一言だ。シュウの後頭部にケイトの手刀が再び落ちた。
実年齢は百を超えたというのに、彼らの姿はまだ二十代後半から三十代と若々しいだけでなく、その言動から何歳も幼く見える。
「さすが中二病八周目なだけあるわ。根絶はもう無理ね」
ひらひらと手を振って、彼女は席を立った。
もう深夜だ。ケイトは明日の朝早くからハリハルタに向かう予定だ。そろそろ寝なければ朝がキツイ。
「ケイトさんはさ」
「なに?」
「ダンジョンとか興味ねーの?」
部屋に戻ろうとする彼女を呼び止めたシュウは、一緒に別大陸に行かないかと誘う。
まさか誘われると思っていなかったのだろう、彼女は目を丸くしてシュウを見返した。
深魔の森に暮らすようになってもう十年以上も経つが、同じ転移獣人でありながらシュウは老ける様子がない。いつまでも子供のように世界を楽しむ三人が、ときどき羨ましくなる。けれどケイトは、彼らと同じ時間を生きる気にはなれなかった。
返事を待つシュウの後ろで、コウメイとアキラも静かに彼女を見つめている。
ケイトはゆったりと微笑みを返した。
「あなたたちの人生って、やたら長すぎるのよ。私は付き合えないわ」
一瞬だけ悲しそうに目を伏せたシュウだが、すぐにいつもの満面の笑みになって、「そっかー。しゃーねーな」と頷いた。
コウメイが真顔でケイトに問う。
「俺たちがいねぇ間、どうする?」
この家に住み続けてもらっても構わない。だがそうなると畑と菜園の管理に、握り飯屋にどんぶり飯屋の経営、この家のメンテナンス、そしてリンウッドの食事の世話。三人が不在になれば、維持管理のすべてがケイトにのしかかるのだ。
押しつけられたと感じるのなら、この家を出てゆくのも自由だが、どうするか。そうコウメイが問うと、ケイトは彼の笑みを真似てニヤリとした。
「私はここのトイレとお風呂から離れられないの。カカシくんとアマイモくんを置いてってくれるなら何とかなるから大丈夫よ」
体が動く限りは維持すると宣言する彼女に、さすがに仕事量が多すぎて申し訳ないと、アキラは頭を下げた。
「できるだけ定期的に連絡は入れますので、戻るまで留守番をお願いします」
「帰ってくるつもり、あったの?」
びっくりした彼女の声が裏返る。その反応こそ、三人には驚きだった。
「あたりめーだろ。ここ自分家だぜ」
この大陸には家族と友人の墓がある。
何年もかかって森を開拓し、壊されては修復し、長く暮らした我が家。
他大陸でダンジョンを満喫し終えた後に戻るのは、この大陸であり、この家だ。
「そっか……わかった、しっかり留守番しておくわ」
他大陸もダンジョンも、思う存分に楽しんで、できれば自分が生きている間に長い遠足を終えて戻ってほしい。その言葉を彼女は飲み込んで微笑んだ。
+++
コウメイが別大陸までの正確な距離を算出し、航海の日数を予測した。そこから必要な物資量を見積り、快適な長期船旅を過ごせる設備を考え、鉱族に船を発注する。
船の完成まで一年、その間に彼らは建造資金を調達し、旅支度を調えた。
コウメイは保存食を作り、アキラは薬草を保存処理して備える。シュウも食料調達に勤しんだが、狩りすぎだと早々に禁止令が出され、彼の意欲は資金調達に全振りさせられた。
定期連絡はリンウッドとの魔紙で、二週に一度のやり取りと決め、予定枚数の倍量の魔紙を用意する。
燃料となる魔石を集めたが、船の積載量は限られている。足りなければ海の魔物から調達し、いざとなればアキラの魔力に頼ると決めた。
旅立つ彼らを、ケイトとリンウッドは森の家で見送る。
物資はすでに寒村エタルに送り終えている。彼らの荷は数日分の身の回り品だけだ。
カチューシャを外したケイトは、三毛柄の耳をぴんと立てて、三人を笑顔で送り出す。
「こっちの心配はいらないから、思う存分楽しんできてね」
「おう!」
「留守番、頼むぜ」
「面倒をおかけします」
留守の間に押しかけてくるかもしれないエルフ族ついては、すべてリンウッドに押しつけてかまわない。あの連中には関わらないようにと念を押した。
「リンウッドさん、エルフたちからケイトさんを守ってくださいね」
「……無茶を言うな」
うんざりしたように首を振った彼は、いっそのこと大々的に不在だと知らしめておこうと考えた。いないと通達しておけば押しかけてくることもあるまい、と。
「おっさん、芋ばっか食ってんじゃねぇぞ」
それと留守の間に芋畑を増やすな、とコウメイが釘を刺す。
「お土産、楽しみにしてろよー」
「土産か……それなら他大陸の独自素材がほしい。魔石も、薬草も、金属もだ」
「リクエスト、細かすぎ!」
「期待しているぞ」
この大陸には存在しない、ありとあらゆる物質を採取して持ち帰れとねだられて、シュウは隣に立つ銀髪に丸投げした。
「アキラー、任せたー!」
「……善処します」
のんびりしているとリストを渡されかねない。
コウメイがアキラの肩を叩いて急かし、頷いた彼はシュウの腕を引く。
三人は玄関先から踏み出した。
「「「行ってきます」」」
<<完>>




