03 魔紙の知らせ <後>
昼間は通称の速度で、夜間は疾走する勢いでアマイモ三号に走ってもらい、シュウは一ヶ月もかからずコーリクス町に着いた。
コーリクスは小さな田舎町だ。宿の数は二つしかない。町門をくぐったシュウは、ケイトが知らせてきた「ハギ穂亭」に向かった。
ちょうど昼時で、宿の食堂は賑わっていた。宿泊客に取り次いでもらう余裕はなさそうだ。飯を食って時間を潰そうと店内を見回して、毛糸の大きな帽子に気づいた。
「かわんねーなぁ」
店内の喧噪に邪魔され、普通なら聞こえないはずのシュウの呟きに、彼女が弾かれたように振り返った。
あれから十五年、猫獣人の彼女はシュウと同じく若々しいままだ。ただその表情には明るさはない。
「久しぶり。マサユキさんのことは残念だった」
「覚悟はしてたから……ありがとう」
シュウは彼女の正面に座り、店員に今日の昼飯注文した。
「こんなに早く来てくれると思わなかった。無理させたんじゃない?」
「そーでもねーよ」
「けど、なんだかすごく疲れてるよ……何かあった?」
シュウは曖昧に笑ってごまかした。夫を亡くしたばかりのケイトに気を遣わせたくない。
「いつから町に移ったんだ?」
「翌日」
「もしかして、マサユキさんが亡くなった翌日?」
それはあまりにも早すぎないかと、シュウが唖然とする。
「だって、マサユキの死を喜んでる連中の顔なんて、見たくなかったもの」
「……なんだよ、それ!」
怒気の込められた声に驚いて、店員が料理を落としかけた。それを受け止めたシュウは、シチューのすじ肉に八つ当たりしながら何があったのかとたずねる。ケイトは「ご飯が不味くなるから、先に食べちゃってよ」と冷たく笑った。
自分に対する冷笑ではないとわかっていても、ケイトのそんな表情を見せられるのは辛い。すじ肉シチューとパンを流し込んで食事を終わらせたシュウは、続きを促した。
「言葉通りよ。あいつら、マサユキの魔道具にさんざん世話になってたくせに、寝込むようになったらさっさと死ねって」
直接の言葉はさすがになかったが、態度や口ぶりから彼らの考えは伝わっていた。
ケイトのためにマサユキはパラディ村に移住した。対等とは思えない条件をつけられて、けれど妻のためにそれをのんだ彼は、自分の死後ケイトが不自由なく暮らせるようにと、転移獣人らの要求に己の魔術で応えていた。不条理にも思える仕打ちにも耐えて便宜を図ったのに。
だが転移獣人らの持つ人族への敵意と警戒は、その程度の献身では消えなかったのだ。
「人族だけど、同じ転移者なのに。ひでーよ」
「だからこそ、警戒してたみたいよ」
同じ転移者の人族に騙され売られた経験のある彼らは、他人には語れないような苦痛を味わわされている。それらは簡単に忘れられるものではない。その気持ちはわからなくはないが、苦労し傷ついてきたのは彼らだけではないのだ。
「だから亡くなった翌日に、最低限の荷物とマサユキを背負って村を出たの」
貯め込んでいた金を使ってコーリクス近くの村で火葬してもらい、遺骨とともにこの宿に落ち着き、マサユキから預かっていた魔紙に手紙を書いたのだ。
「あの村にいると、爪がね、ずっと出っぱなしなの」
彼女が右手を開き、手の甲を上にして見せた。
思い出したせいだろうか、みるみるうちに爪が鋭く伸び、尖る。
マサユキを傷つけたりしないよう、常に衝動を押さえ込んできた。なのに彼らといるとそれができなくなる。爪を尖らせて、思いきり引き裂いてみたくなるのだ。
「前にシュウが言ってたよね、獣人の本能だっけ? それを意識したらすごい力が出せるって……」
「ケイトさん」
「心配しないで、やんないわよ。身を任せちゃいたくなるけど、マサユキが悲しむでしょ」
今はまだ夫の死を悲しむ気持ちのほうが強く、怒りを抑えていられる。けれどマサユキの死を晴れ晴れと語る彼らが近くにいれば、悲しみの感情が恨みにすり替わるのは間違いない。そうなれば自分は――。
「迷惑かけてごめんね。でも、あの村にいたら、私、どうにかなっちゃいそうだったから」
まだ彼らに対する同情の気持ちが、かすかにだけれど残っている。その間に離れるべきだと思ったのだ。
だから村を飛び出して、シュウに助けを求めた。彼女は期待するように転移狼獣人の同胞を見あげた。
「ここまで来てくれたってことは、期待していいのかな?」
「俺らんとこって、すっげー田舎だぜ。森の奥も奥だけど、大丈夫か?」
「それはパラディ村も同じよ。ちゃんと働くわよ、私。外貨を稼げっていうなら、編み物の露店も続ける。だからシュウたちの村の端っこに住まわせてもらえない?」
シュウの気持ちは固まっていた。コウメイやアキラも反対はしないだろう。だがどうしても確かめなければならないことがある。
「あのさ……ケイトさんって、何が何でも長生きしてータイプ?」
「どういう意味?」
「ファンタジーとかでよくあるじゃん? 不老不死を手に入れるぞーとか」
ケイトは呆れ顔で目を細めシュウを見た。
「いつまで中学二年生のままでいるつもり?」
「ひでーな。けど、まあ患ってんのは認める。で、どーなんだ?」
彼女も転移前にケモ耳を選んだのだ、そういった願望があるのではないか。
「あるわけないでしょ。私は……私はマサユキと同じが良かったわ」
同じ人族だったら、あるいは同じ獣人族だったら、同じ時間を生きられたはずだ。
ケイトの答えを聞いて、シュウは「よかった」と破顔した。
「俺らけっこー波乱万丈ってやつでさ、秘密もいっぱい抱えてんだよ。ケイトさんが呆れるよーなのが、山ほど。だから『永遠の若さと美貌が欲しい』って思ってるなら、同居はお断りしなくちゃなんねーって考えてたからさ」
「同居なの? 私は村の隅っこの空き家がいいんだけど」
「悪いけど、俺らの村って家が一軒しかねーんだよ」
「それ、村じゃないわよ」
「かもなー。で、どーする?」
ケイトは少し考えて、答えた。
「ひとまず遊びに行くのでいいかな?」
何日かお世話になって、一緒に暮らせそうなら同居、駄目そうなら村の端っこに別棟を建てさせてもらうか、近隣の町に移る。そう決めた。
「じゃ、いこーか」
+
鋼の軍馬を見たケイトは、シュウたちの患いっぷりの象徴のようだと呆れ、同時に楽しくなって大笑いした。マサユキが亡くなってはじめて、声を出して笑っていた。
「シュウたちの秘密が楽しみだわ」
鹿毛皮を被った鋼馬以上の秘密を楽しみに、昼夜を走り通して一ヶ月、深魔の森の家にたどり着いた。
「久しぶり」
整えられた果樹園にも、美しいハギ畑や菜園、そこで働く甲冑にも驚いたが、彼女を迎えに出た男の患いっぷりは、さすがに予想できていなかった。
コウメイを見て開いた口が塞がらなくなったケイトは、眼帯の男前と隣のシュウを見比べた。本来ならマサユキのように老人であるはずのコウメイは、三十代の成熟した色気をダダ漏れさせている。
「まさかだけど、コウメイくんもエルフなの?」
「俺は人族だよ」
そう返すコウメイの笑みが剣呑だ。
「いらっしゃいケイトさん」
「あ、アキラくん、しばらくお世話になります」
玄関では杖を突いたアキラが出迎えた。さすがエルフだ、恐ろしいほどに若々しいし、あいかわらず魂を奪われそうな美貌だ。
深魔の森の家はリビング兼食堂を中心にした大きな家だった。わりと最近に事情があって建て直ししたとかで、ふらりと訪れる客が頻繁に泊まってゆくらしく、客間も複数あるららしい。
「すごい、お風呂がある。トイレもキレイ、これT〇T〇?」
「んなわけねーだろ」
「でも、そっくり! 最高だわ」
浴室の横にある階段を上がった二階が客間だ。三室あり一番広い部屋は定期的にやってくるアキラの師匠が使っているらしい。
「ケイトさんはこっちの階段に近い部屋使ってくれ」
「広いわね。それにキレイ」
「夕飯食いながら他の同居人を紹介する。あとここでのルールとかも説明するから」
「わかった。あ、私にも住人として仕事をちょうだいね。掃除当番も台所当番も、ちゃんと割り振って。農作業も手伝うわよ」
「お試し期間じゃねーのかよ」
「試す必要なんてないわ。しばらくじゃなくてずっとお世話になるって、今決めた」
長く暮らしたアレ・テタルの家は便利だったが、それでもこの家ほど理想的な住環境ではなかった。
「ここのトイレとお風呂からは、絶対に離れられるわけないじゃない!」
トイレと風呂への愛を力説するケイトに、コウメイとアキラは思わずといったふうに吹き出した。
「悪ぃが、台所は俺の城なんだ」
「じゃあ家賃を払うわ。私居候じゃなくて同居人のつもりだから、ちゃんと相応のものを払わなきゃ落ち着かないもの」
案内を終えて居間に集合し、もう一人の同居人を紹介された。岩顔の中年男はアキラの師匠の一人で、魔術師であり医者だとか。
「魔術師ならわかるかな。マサユキの……夫の魔術師証なんだけど、色が変わってしまったの。理由、わかりますか?」
ケイトは懐から布で包んだマサユキの魔術師証を取り出してリンウッドに見せた。
「ここの紋章の色が、前は灰色だったのに、消えてしまって……」
彫り刻まれた紋章の中央にある魔石の色が失われていた。夫の形見を元通りにしたいと願うケイトに、リンウッドは静かに目を伏せた。
「紋章は魔術師の魔力とつながっているんだ。色が消えたのは……」
言葉を濁す彼に、そっか、とケイトは小さく頷いた。
+
居候ではなく同居人として、ケイトはコウメイの補佐仕事を引き受けた。台所周りの補助と、野菜畑の手入れ、そしてハリハルタのおにぎり屋の経営だ。月の半分は町に出かけ、主にリサーチと品質管理、経理を担った。
町に出たついでに冒険者ギルドに隠れ羊の毛の依頼を出し、毛糸への加工もはじめた。以前アキラに教わった草木染めで、自然で軽やかな風合いの色糸を作って売る。もちろん自分でも使い、さまざまな製品を編んでいる。彼女の立体的な花や小さなぬいぐるみは、子どもから若い女性に好評だ。
森の奥に引っ込んだ地味な生活だというのに、シュウたちを見ていると退屈しない。
「――なんてことがあったのよ」
チェストの上に置いた骨壺と遺影代わりの魔術師証に、ケイトは毎夜語りかける。
「ずーっと患ったままでいられるなんて、あの三人も幸せよね」
それを見て笑っていられる今の自分も幸せだ。
もう無意識に爪を尖らせてしまうこともないし、誰かを恨んで呪って、悲しみで胸が苦しくなることもない。
これもすべては手を尽くしてくれたマサユキのおかげだ。
「ありがとう、マサユキ」
+++
その日は珍しく五人が朝食の席にそろっていた。
朝どれの新鮮な野菜をたっぷり使ったサラダに、最近飼いはじめた鶏卵のオムレツにはチーズをたっぷり使い、カリカリに焼いた魔猪肉をそえたボリュームのある朝食をそろそろ食べ終えようというころだった。
目の前に突然、紙が降ってきた。
彼らと同居するようになってよく見る光景だ。
テーブル落ちる前にそれを掴み取ったアキラが、文面を読んで顔色を変えた。
「……サツキが」
昨年から体調を崩して寝たきりになっていたサツキが、いよいよだろう、という知らせだった。
「ダッタザートに行ってくる」
朝食を中断して、アキラは取るものも取りあえず旅立った。
「コウメイくんもシュウも、行かなくていいの?」
同居するようになってから、アキラの家族の話もいろいろと聞いている。転移直後に苦楽をともにし、道が分れた後も常に守ろうとしてきた三人の大切な家族。コウメイやシュウだって別れをしたいのではないかと、ケイトは問うた。
「いーんだよ、俺らはさ」
「俺らがいたら、アキはちゃんとお別れ言えねぇだろうからな」
「そっか……」
空の向こうに遠ざかるアキラを見つめる二人は、飛行魔布が雲の向こうに消えて見えなくなっても、頑なに空を仰いだままだった。




