12 呼ぶ声 *
腹に飛び込んできたブーツを掴み取り、転がり出た虹魔石の破片を見て振り返ったシュウは、まるで昆虫標本のように大地に刺し止められたアキラの姿に叫んでいた。
「何やってんだよ、バカヤロー!!」
駆け寄り、剛剣で氷を砕く。
見開いたままの瞳に力はない。
「カカシタロウ!!」
シュウが呼ぶよりも先に、鋼の鎧は駆けつけていた。
振る氷槍から守るようにアキラに覆い被さり、しっかりと体を抱えあげる。
「リンウッドさんのところだ、わかってるな?!」
カシャン、と兜が頷く音を聞き、シュウはブーツの残骸を握りしめた。
「ったくよー」
柄とわずかな刀身しか残っていない剛剣と、アキラの残した虹魔石を見比べ、唇を噛む。
「コーメイといい、アキラといい、俺に色々押しつけすぎだってーの」
砕かれた虹魔石の一つを、柄の魔石と入れ替えた。
見る見るうちにひび割れが消え、短くなっていた刀身が一メートルほどに伸びる。
「おー、打ち返しやすくなったなー」
虹魔石はまだたっぷりあるのだ、存分に期待に応えてやろうではないか。
「だからさっさと戻ってこーい!」
シュウは激しくなるエルフ族の戦いを睨み、怒りのすべてをぶつけて飛んでくる岩礫を打ち返した。
+
「どいつもこいつも、少しは後先を考えて動けんのか」
カカシタロウの運んで来たアキラを受け止めたリンウッドが吐き捨てる。
「コウメイはわたくしが診ているわ。アキラを!」
「増血剤の追加を頼む。魔力回復薬もだ」
リンウッドは渡された錬金薬を自分に使った。
アキラの傷はコウメイほど酷くはないが、それでも治療では一瞬の気の緩みも、魔力不足による中断も許されない。
致命傷になった患部周辺の狩猟服を切り破り、傷を露わにして見比べる。
「内臓は……この程度なら軽いな。骨は、骨盤が厄介か」
臓物を手早く直し、血管をつないで傷を塞ぐ。右肩の骨をかき集めて接合し、血管をつないで最低限の癒やしをほどこす。もっとも神経を使う骨盤を修復しながら、アキラの胸を叩いた。
「よし、動いたな」
流れる血脈の弱さに慌てたが、拳で叩けば心臓は再び動き出した。風の力を借りて肺に空気を送り込みつつ、砕けた骨の接合を続ける。
「増血錬金薬、飲ませるわよ」
「口よりも血管からが早い。少し待て」
腰骨の修復を終え近くの太い血管の接合ついでに、そこから増血錬金薬を投与した。
命を脅かす傷はすべて治療した。ミシェルが即席で作った心臓刺激の魔布も張りつけ済み。あとは増血の錬金薬が効き、意識が戻るのを待つだけだ。
「コウメイはどうだ?」
「……駄目かもしれないわ」
目を伏せたミシェルから、小さな吐息がこぼれた。
胸に空いた傷はすでに治療が終わっている。大量に投与した増血錬金薬の効果もあって、コウメイの血色は良い。だが心臓刺激の魔布と肺に空気を送り込む医療魔石の力を借りてずいぶん経つというのに、意識が戻る気配はみられないのだ。
「診察室に運べば、もっと手はあったのだが……」
いまだ続くエルフ族の戦いを、リンウッドは恨めしげに見る。
圧倒的な魔力を持つエルフ族の理不尽は今にはじまったことではないが、それにしても今回はあまりにも唐突で、暴力的すぎた。
「シュウひとりでは荷が重いわね。少し手伝ってくるわ……杖を借りていい?」
「お前の杖ほど仕掛けは豊富ではないが、かまわんかね?」
「大丈夫よ」
リンウッドの無骨な杖を受け取って、彼女はカカシタロウの横に立った。
「補給なしで終わりのない戦いか……魔力、保つかしら」
杖を起点にし、アキラが施していたのと同じ大きさで結界を張る。できるだけ長く維持するのを優先した最低限の守りだ。シュウが砕いた火弾や岩礫の破片を遮る程度にしか役に立たない。
「さっさと終わらせてちょうだいな、レオナード」
結界へ魔力を注ぎながら、ミシェルは戦いの中心部を見据えた。
+
族長側につくエルフの数は少ない。長老二人と数人の若エルフだけだ。対してレオナード側には、魔力が最も充実する年代のエルフが多数いる。熟練の老エルフも多い。それなのに両者の力は拮抗していた。族長側は両手の数に満たない人員で、数倍のレオナード陣営と互角に戦っているのだ、神々の恩恵を持つ者との差はそれほどに大きい。
けれどそれも限界が近づいていた。
フィーリクス側についていた長老の一人、白髪の交じる黒髪の老エルフが力尽きた。レオナード側で戦う金色の短髪エルフの剣に倒れたのだ。神々の恩恵がひとり欠け、戦力が三分の二に落ちた。
「今や、このまま畳みかけるで!」
レオナードの号令で攻撃が一層激化した。
フィーリクスらの後方に立つシュウは、息つく暇もない攻撃で激しく消耗していた。
「きっつー。盾が一枚なくなったザルはキツイってー」
シュウのあたりまで届く火弾や岩礫の数が格段に増えている。しかもこれまでフィーリクスらの守りをかすめることで威力が落とされていた攻撃魔術が、威力減退されることなく襲いかかるのだ。
「虹魔石がなきゃ、一発で終わってたわー」
レオナードの火弾を受け止めた剛剣の刃が燃え崩れた。
それを虹魔石が一瞬で修復する。
シュウは素早くベルトに引っかけたブーツに触れ、虹魔石の残数を確かめる。まだ余裕はあるが十分とは言いがたい。魔石を交換し、次は少し戦い方を変えようと、腰鞄から魔術玉を取りだした。最初に火弾の襲撃を受けたときに大量に作った魔術玉で、少しでも攻撃魔術の威力を弱められれば、剛剣が持ちこたえる時間も長くできるだろう。
「岩と氷の対抗できる魔術玉がねーのが厄介だよなー」
燃える森を守るために作った魔術玉は、水と氷の属性ばかりだ。リンウッドに頼めば即席で何か作ってくれそうだが、二人の治療の邪魔はしたくない。
どんな名医がいても助からないこともある。ましてや戦場では、たとえリンウッドの腕であっても――。
弱気を振り払うように、シュウは頭を大きく振った。
「くそー、どっちでもいーから、はやく復活して手伝えよなー!」
着弾に間に合いそうにない火弾に水の魔術玉を投げ、岩礫を突いて進路を変える。連続の風刃に氷の魔術玉をぶつけて間引き、抜けた一つを切り落した。
柄の魔石が薄くなる。虹魔石のくせに普通の魔石並みに消耗が激しい。それだけ攻撃魔術が強力なのだろう。
「あー、くそっ。手が足りねー」
左に持つ剣と、右手で投げる魔術玉。
魔石交換の度に身が危険にさらされやりにくい。
ガシャン、と隣で重い足音が止まった。
「カカシタロー、どうした?」
構ってる暇はないと押し返そうとしたシュウに、鋼の鎧が促すように手を伸ばした。
「剣をよこせって?」
そうだ、と頷く仕草が、妙にコウメイに似ていてムカついた。
この鎧は普段からコウメイの動きをなぞっている。剣術は自己流のシュウより上だと自慢されているような気がした。
「気に入らねーけど、猫の手よりは使えそーだ」
剛剣と虹魔石の詰まったブーツをカカシタロウに渡す。
「魔石の色が完全になくなる前に交換だぞ。よけーな隙を作るんじゃねーぞ」
カシャン、ガシャンと、大きく二度頷いたカカシタロウが剣を振るい、立て続けに氷槍を打ち砕いた。そして手早く魔石を交換し、力の増した岩礫を刀身で受け止める。
「……器用なとこもそっくりじゃねーか」
カシャン。
相づちついでに小突かれ、火弾の前に突き出された。
サボってないで魔術玉向きの攻撃魔術を引き受けろ、だ。
「くっそー、行動までコーメイそっくりでムカつくー!」
思わず笑いがもれた。
追い詰められた戦いだというのに、楽しい。
けれど、違う。
「ほんとーに、さっさと戻ってこいよなー」
溢れそうな感情を込めて、落ちてくる火弾に氷の魔術玉を投げつけた。
カカシタロウに氷と水の攻撃魔術を任せ、シュウは残る属性魔術を潰してゆく。
石礫を蹴って風刃にぶつけて相殺し、カカシタロウが砕いた氷槍の破片を火弾に投げつける。
限られた魔術玉を温存すべく、シュウは肉体を駆使して戦っていた。獣人族の体は頑強だ。また獣の力を巧く使えば、身体強化のようにも使える。
「素手で攻撃魔術と戦うとか、ありえねーんだけどっ」
強度を高めた拳で石礫を叩き落とす。
そのシュウを、悲鳴のような声が呼んだ。
「退避なさい! シュウ、逃げるのよ!!」
ミシェルの切羽詰まった声で顔を上げ、エルフ族の異変に気づいた。
族長に向かい合うレオナードだけを残して、エルフたちが後退しているのだ。
族長側のエルフは、フィーリクス以外は全員が地に倒れている。
「なんだ?」
また一対一の戦いに戻るのか?
両者の動きを確かめようとして、全身の肌がヒリついた。
頭よりも本能が身の危険を感じ取っていた。
皮膚が粟立ち、体毛が覆う。
『なっ』
逃げねばと気づいた瞬間、フィーリクスが自ら炎を帯びた。
レオナードが何かを叫んでいたが、シュウには聞こえない。
炎はあっという間に膨らんでレオナードを飲み込んだ。
燃料を得た炎はさらに勢いを増し膨張してゆく。
迫る炎に向けミシェルが結界の力を強めた。
彼女を守ろうとカカシタロウが走る。
『だめだ、あれじゃ耐えらんねー』
結界の前に立ち、炎に剣を突きつけるカカシタロウの横で、シュウも拳を構えた。
チリチリと体毛が焦げた。
「シュウ、入りなさい、早く!」
『俺が結界内にいたって、意味ねーだろ』
剛剣が炎を切り分けている。
シュウは腰ポケットの魔術玉を掴み取った。
氷も水もごちゃ混ぜだが、選んでいる暇はない。
残る魔術玉を一掴みにし、両手を炎に突っ込んで渾身の力で握りしめた。
『いー加減に、終わりやがれーっ!!』
連鎖する氷と水の魔術がシュウの両手を裂いた。
骨を砕き、指を引きちぎって広がる氷と水が彼らを包む。
しかし氷の壁は炎に溶け、豪雨のような水が散るも蒸発し、その水蒸気を瞬時に凍らせる冷風が吹いたが、膨れあがる灼熱は防げない。
『――やっべー!!』
死を覚悟した瞬間、腕を掴まれ、結界内へ投げ飛ばされた。
容赦なく地面を転がされ、身を伏せていた誰かにぶつかって止まる。
顔を上げたそこに、鋼の背中が彼らを守るように立っていた。
『カカシタロー?!』
「……氷壁!!」
『へ?』
のしかかるシュウの体を押しのけた細腕が、カカシタロウの前に氷の壁を作った。
『あ――アキラぁー?!』
振り返ったそこに、目覚めたアキラがいた。
横たわったまま右手を伸ばす彼は、杖なしで魔力の制御が難しいのか、苦しそうに顔を歪めている。
「もう少しよ、耐えて!」
ミシェルの声に応えるように、氷の壁が厚みを増す。
膨らみきった炎が弾けた。
倒木の残骸が燃え、小石が溶ける。
ぽたり、ぽたりとシュウの額に滴が落ちてきた。
熱風に覆われた氷壁が溶けだしている。
「あと……どの、くら……だ?」
『もうちょっとだ、もうちょっと!』
「……シュウの、もうちょ……も、あてに……」
『細目と一緒にすんな! ほんとーにもうちょっとだ!』
氷越しに見える炎がだんだんと薄くなっている。
数十秒。いや十数秒耐えればいい。
『俺を信用しろ!』
シュウの声に励まされたのか、氷が再び厚みを増す。
燃やし尽くす燃料が尽きた途端、彼らを覆う熱風と光は、あっけなく消滅した。
炎が消え、煙が風に流され、青い空がよみがえる。
何もかもを破壊し尽くしたそこに生き残っていたのは、虹魔石の長手袋を握るレオナードと、結界と氷の壁に守られた彼らだけだった。
爆発の中心に立つレオナードに向かって、退避していたエルフたちが集まってゆく。
ゆっくりと周囲を見回した彼は、眼を細めて虹魔石の長手袋を掲げた。
「……フィーリクスは、自ら散った。たった今から悠緑の森の長はこのレオナードや、ええな?」
決着に立ち会った一族に宣言するレオナードの言葉を聞いたシュウが、ガチガチに力の入ったアキラの腕に倒れ込んで言った。
『アキラ、終わったぜ。もー大丈夫だ」
途端、氷壁が霧散する。
「コ……ウ、メイは?」
「あー、コーメイ!!」
爆発の衝撃でアキラが目覚めたのなら、コウメイも回復しているはず。
しかし顔を上げたシュウが見たのは、歯を食いしばるリンウッドだった。
魔布の上に寝かされた体は、ビクリとも動かない。
「コーメイ!!」
切羽詰まった叫び声を上げて、シュウはコウメイにすがり寄った。
右腕で必死にはうアキラを、カカシタロウが抱き上げてコウメイのもとに運ぶ。
「コウメイ!」
「嘘だろ、起きろよ! コーメイっ」
「リンウッドさん、コウメイは」
「……まだ、体は死んではいないが、意識が戻らんのだ」
胸に貼りつけた心臓刺激魔布はリズムを刻み、コウメイの鼻と喉に触れたりリンウッドの指からは、呼吸を維持する魔術が注がれ続けている。
「そんな……一緒、に……階段を、おりた、のに」
「虹の、か?」
乾燥薬草を差し出され、詳しく話せ、とリンウッドに求められて、アキラは天に向かう階段でコウメイに会ったこと、帰ろうと二人で階段をおりたことを話した。
「階段をおりきったところで真っ暗になって、殴られたような痛みを感じて目を開けたら、炎に焼かれる寸前で……まさか、俺の階段じゃ、だめだったのか?」
「俺の? どういうことだ?」
「か、階段は、一人に一つらしくて、駆け下りてきたコウメイが、自分のからこっちへ飛び移って――」
アキラの顔を見たコウメイが、もういいや、とのぼって行こうとしたから強引に引っ張って階段をおりた。
なのに自分だけが生還し、コウメイは目覚めない。
階段を移ってはいけなかったのでは――。
くらり、とアキラの体が前に傾いだ。
カカシタロウから降りたアキラは、コウメイのそばににじり寄った。肩を掴んで、体を揺する。
「起きろ、コウメイ……」
揺すられて前髪が流れ落ち、色の失せた義眼が露わになった。
「おい、コーメイ、起きろって!」
もっと力を入れろと、シュウの肘が心臓刺激魔布の上から突いた。
体が跳ねるほどの一撃に、ボキリとした嫌な感触に気づいたリンウッドが、慌てて治療魔術を使う。
「せっかく接合したのに、余計な治療をさせるな!」
「いや、けどよー、コーメイの呼吸、戻ってねーか?」
シュウが折った肋骨治療のために両手を離したのに、コウメイの息は止まっていない。
治療魔術をかけようとしていたリンウッドは、痛みは立派な刺激になると治療を止めた。
「――意識を引っ張り戻すぞ、声をかけろ。呼べ!」
「コウメイ、起きろ!」
「コーメイ、眼を覚ませ、コーメイっ!」
リンウッドは回復魔術に切り替えた。
「もっと刺激を与えろ、怒らせて起こせ」
「コウメイの馬鹿」
「えー、アキラが肉残したぞー?」
「おい、シュウ」
「よし、反応したぞ」
「え……」
なるほど、そういう刺激なら任せておけとシュウが声を張り上げる。
「アキラがまた薬草しか食わねーぞー」
ピクリ。
「……シュウが野菜料理を捨てたぞ」
ピクピク。
半信半疑の声かけに反応が返って、二人は複雑そうに顔を見合わせた。
「止めるな、続けて」
「続けろったってよー」
さてどんな言葉が最も効果的かと逡巡している二人の後ろで、ミシェルが叫んだ。
「キャー、アブナイ、アキラァ――」
「「は?」」
なんだその棒読みの悲鳴は。
「コウメイ、アキラヲタスケテ!」
ビクン、ビクン。
カッ、と目を見開いたコウメイの体が自ら跳ねて、固まっていた瞼が大きく上下する。
しっかりとした視線が、のぞき込む二人をとらえた。
「……コウメイ」
「うわー……コーメイは死んでても安定のコーメイかー」
泣き笑いの二人に、血だらけの顔が情けなさそうに歪む。
「……て、めぇら、もっ、と、感動的な、声……かけ、んねぇの、かよ……っ」
「うるせーよ!」
シュウの腕がコウメイの後ろ首をすくい取って、ぎゅうぎゅうと力いっぱい絞めた。
「起きるならちゃんと呼んだときに起きてこいっつーの!!」
「げほっ、げっ、し、死ぬ」
「リンウッドさんが止めねーんだから、これっくらいじゃ死なねーだろ」
チラリと見た岩顔の口元が愉快そうに歪んでいる。
そのせいで首に回された腕の力は増すばかりだ。
追い打ちのように握り拳がコウメイの頬を打った。
殴りつけた勢いで倒れ込んだアキラを、コウメイが受け止める。
「アキまで、そりゃねぇだろ」
ジンジンと痛む拳を抱いてこらえるアキラの目から、涙が溢れた。
「……遅い」
「悪ぃ」
無事(?)、生還!




