11 階段の上で *
二人は再び戦場の片隅に踏み込んだ。
アキラは軍馬とコウメイたちの周囲に風膜を張り、攻撃魔術の余波や雷撃を散らす。阻みきれなかった岩礫や氷弾や氷の矢は、シュウが叩き落とした。剣が短くなって守備範囲は狭くなったが、その分を足で稼いだ。剣捌きの速度が増したため、打ち漏らしも減った。しかし完璧とはゆかない。
「風刃、そっち行ったぞ!」
「く、カカシタロウっ」
アキラの声を聞き、風膜の際でカカシタロウが踏ん張った。
風膜で弱められた風刃を盾で受け、そのまま地面へと流し落とす。
舞い上がった土埃の向こうに、必死の治療を続けるリンウッドの姿が見える。治療魔術と外科技術、そしてミシェルが渡すさまざまな錬金薬を駆使しているが、コウメイが起きあがる気配はない。
「くっそ、まだ終わんねーのかよっ」
悪態を吐き出して気持ちを奮い立たせ氷槍を砕く。
コウメイの治療は長引いている。
そしてエルフの戦いも。
「クソ爺めー、往生際がわりーんだよ!」
フィーリクス側は追い込まれつつあった。いくら虹鉱石で魔力切れ知らずであっても、味方の数は少ない。レオナードの率いる一団は、確実に囲みを狭めている。このまま一気に終わらせてくれと思うが、狡猾で経験豊富なフィーリクスらは存外にしぶとい。
「どっちが先に終わるんだろーな」
「コウメイが目覚めるなら、どっちでもいい」
「そりゃそーだな! っと」
風刃を絡め取った剛剣の刃が、衝撃で欠けた。
柄に埋め込んだ魔石が光る。
修復が終わるのを待つ間はない。
次の火弾を打ち払うと、新たなひび割れが走った。
「魔石、足んねーなー」
色のなくなった魔石を付け替えた。これが最後の一個だ。だからといってケチケチしていてはコウメイたちを守れない。シュウは剣へ負担をかけないよう、精度を高めるべく集中する。
アキラはシャラン、シャランと杖を鳴らして雷撃を放ち、降り注ぐ氷弾を破壊する。同時にフィーリクスの動きを警戒していた。追い詰められた族長が、死なば諸共な最悪の選択をするのではないか、と。
「もう負けを認められる段階じゃないのだろうな」
石礫を風膜で払いのけるアキラの視界の隅に、見知らぬエルフに引きずられて行くアレックスの姿がかすめた。
「最悪だっ。なんで細目は抵抗しないんだ?」
「細目のやろーが何かしたのか!?」
「……レオナード側に引っ張って行かれた」
アレックスの加勢に期待はしていないが、ミシェルを見捨てはしないだろうという安心感だけはあったのだ。彼女のそばにいるコウメイもリンウッドも、細目の守りの内側に入ると計算していたのに、当てが外れた。
「ほんっと、役に立たねーなー!」
「まったくだ」
アキラはリンウッドの周囲に張り巡らせた風膜へ注ぐ魔力量を増やした。
大量の魔力が急激に消費され、視界にもやがかかる。
魔力回復薬を求め、胸にある蓋の形を指先で探ろうとして、慣れた感触が伝わってこないのに気づいた。
「ああ……そうだった」
左腕を失った今は、魔術を維持しながらの補給は難しい。
杖を手放せば可能だが、今のアキラは、杖がなければ防護に張った風膜と流れ攻撃(弾)に対処する魔術を維持できない。
誰かに頼みたくても、シュウは砕ける寸前の剣で奮闘している。アキラに錬金薬を飲ませる余裕などない。
「自然回復は……」
魔力の源を探っても、湧きあがってくる量はほんのわずかだ。とても追いつかない。
他に、と思いついて己の右脚を見下ろした。義足の虹魔石なら、自分の魔力をフル回復させてもまだ余るはず。アキラは義足からの魔力の流用を試みた。
だが、どうやっても魔力は義足から流れてこない。
「何がいけない? 何が……っ」
フィーリクスにできているのだ、自分にできないはずがない。
魔術は技術、魔法は意思の力だ。
「……思い込みが邪魔をしているのか」
膨大な魔力を内包する虹魔石の義足は、何十年ものあいだアキラの体の一部であった。そして彼の心と体は、魔力枯渇寸前だと認識している――義足も含めて。
それならば。
「一か八か、だ」
ついでにシュウの魔石不足も解消してやろうじゃないか。
アキラは魔力の色と気配を頼りに狙いを定め、襲いかかる大岩礫へ右脚を突き出した。
「ぐっ――っ」
ブーツの中で膝の骨ともども義足が砕けた。
激痛によって、足に接合されているのが義足ではなく、魔石であると切り替わった。吸い上げるように意識すると、自然回復よりも早く魔力が流れ込んでくる。
「……いける!」
リンウッドたちの守りを強化し、火弾や氷槍を弾き返しながら、風を切る音を待つ。
ちょうど良い角度から風刃の気配がした。
だらりとした右脚で狙いをつける。
風刃を蹴り、叫ぶ。
「シュウ、魔石だ、使え!!」
少しでも近くに、できるならシュウの体に当たってくれと、勢いよく右足を振った。
膝下でスパッと斬れたブーツが、砕けた義足ごとシュウに向かって飛んでゆく。
勢いがつきすぎたアキラの体が大きく反り返った。
左足一本では踏ん張りきれない。
杖を抱えたが遅かった。
背中から地に落ちて、強打した痛みで息が詰まる。
そこに、無数の氷槍が降ってきた。
「ごほっ、ふ、風、膜っ」
咄嗟に自分の周りを囲んだが、激しく咳き込んだせいで集中が途切れ、数本目の氷槍が風膜を破った。
「――ぁ」
腹に、腰に、肩に。
激痛が刺さる。
「何やってんだよ、バカヤロ――!!」
シュウの絶叫が遠くで響いて聞こえた。
+
気づくとアキラは暗闇に立っていた。
「……足が、ある」
左腕もだ。
握って、開いて。
両手の存在を確かめたアキラは、ふと光を感じて顔を上げた。
暗闇の奥に、小さな灯りが見える。
それは誘うようにゆっくりと上下していた。
なんとも抗いがたい懐かしい灯りだ。
誘蛾灯に導かれる蝶のようにふらふらと近寄ると、灯火はふいっと逃げてはまた誘うように踊る。
追いかけて、逃げられて、つかまえて、するりとかわされて。
やっと捕まえたときに彼がいたのは、階段の前だった。
虹魔石のような色をした石が積み重ねられた階段だ。
掴んだはずの灯火が手から消え、代わりに虹色の階段があたたかな光を放つ。
のぼれ、と。
今度は階段が彼に誘いかけていた。
アキラはそれらを疑問に思うことなく、階段をのぼった。
一段、二段と、段をあがってゆくごとに思考が鮮明になってゆく。
「そうか……俺は、死んだのか」
これは以前リンウッドが語っていた死の世界への階段そのものだ。
アキラの周囲はまだ暗く、階段の先も曇っていてよく見えない。先を照らそうと魔術の灯りをつけた。
「……階段は一つじゃないのか」
遠くに、自分がのぼっているのとは別の、同じように天を向いた階段がいくつか見えた。 段をあがるにしたがって周囲も明るくなってゆき、階段を昇る人影も見えてくる。
そろそろいらないだろうと魔術の灯りを消したとき、頭上から大声で呼ばれた。
「アキ!!」
声のほうを振り仰ぐと、並ぶように階段が天からおりてきた。
「コウメイ……?」
駆け下りてくる人物を見て、彼は懐かしさと嬉しさに破顔する。
滑るような勢いで駆け下りてくる彼は、迷わず自分の階段を蹴った。
「危ないっ」
跳んだ彼はアキラの数段上に着地したものの、勢いを殺しきれずそのまま落ちてしまいそうだ。
急いで駆け上がり、手を差し伸べた。
アキラの手を掴んだコウメイは、端に引っかけた爪先で踏ん張り、腹筋に力を込めて階段に戻ってきた。そして反動のままアキラを引き寄せる。
「……アキもコッチ来ちまったのかよ」
ぎゅうぎゅうと、後悔やら歓喜やらのまじった複雑なため息とともに締めつけられた。その力の強さが、コウメイは死んでも変わらないのだなと嬉しくなって、アキラから小さく笑みが漏れる。
「来てしまったんだ……」
コウメイの背中に手を回し、なだめるように何度か叩いた。
「やっぱりここは、リンウッドさんのいっていた階段なのか?」
「ああ、そうみてぇだ」
ついさっき、ずっと上のほうでコズエに会ったと、アキラの肩に顔を埋めたコウメイが語った。五年も前に亡くなった彼女は、まだ階段の途中で足を止め、仲間を待っているらしい。
「コウメイは……おりてきたんだな」
よかった、と素直に嬉しくなる。
「ああ、当たり前だろ。リンウッドさんにも聞いてたから、急げば戻れる、絶対に戻るって決めてたからな」
覚えている最後が、悲痛に歪むアキラの表情では、死んでも死にきれなかった。
そう呟いたコウメイはゆっくりと顔をあげ、穏やかに微笑むアキラを見て満足げに頷いた。
「けど、アキもこっち来たんなら、もういいか」
「え……?」
アキラの手を取ったコウメイが、上への階段に足を置く。
「行こうぜ」
コウメイの言葉に耳を疑った。
向けられる笑みは穏やかで憂いのない、幸せな表情だ。
それがぞくりとするほど怖かった。
思わず手を振り払っていた。
「アキ?」
「違うだろう。行くのは、こっちだ」
アキラの手が、階段の下を指し示す。
ここまで何も考えずにのぼってきてしまったが、死んでも死にきれないとおりてきたのはコウメイだ。死を実感したアキラも、今はまだ死ねないと思っている。
アキラは振り払った手を掴み直し、こちらだと下の段に足を置いてコウメイを引っ張った。
「俺たちが帰るのは、こっちだ」
「なんでだよ」
「なんでって、当たり前じゃないか」
心底から不思議そうなコウメイに、アキラは絶対に離すまいと握る手に力を込める。
「シュウはまだひとりで戦っているんだぞ」
「……まだ終わってねぇのか?」
「ああ、ずっと守ってくれている」
先に倒れたコウメイを治療する環境を、失敗してしまった自分の代わりにシュウはひとりで戦っている。
それに。
「関西弁の馬鹿エルフ族に釘を刺したいだろう?」
「まあ、そうだなぁ」
「それにだ、サツキが安心して老後を過ごせるよう決着つけておかないと、死んでも死にきれないじゃないか」
妹より先に死ぬ気はない。
アキラの宣言に、コウメイが破顔した。
「……ホント、アキはサツキちゃん至上主義なんだから」
「悪いか」
「悪かねぇよ……最高だ」
破顔した彼の目尻に、うっすらと涙がにじんで、すぐに消えた。
コウメイの足が上段からおろされた。
彼は捨ててきた己の階段を振り返った。そちらはもう先が消えかかっている。
まだハッキリと見えるアキラの下り階段を眺めて問うた。
「アキは何段くらいのぼってきたんだ?」
「……感覚的には、二階にあがるくらいだったと思うが」
「じゃぁすぐに帰れそうだな」
彼らの足元から、ちょうどそのくらいの階段が下へ伸びている。
コウメイは再びアキラの手を取り、強く握りしめた。
「行くぜ」
「っ!!」
力強い一歩で、二人は階段をおりはじめた。




