07 傀儡の盾
まだ扱い慣れていないせいか、リンウッドの魔布操作はアキラと比べて少しばかり荒っぽい。
しがみついた魔布が急上昇すると、敷地を囲む結界のすぐ側で木々が勢いよく燃えているのが見えた。
「あっぶねー、もうちょっとズレてたら家に直撃だったぜ」
「結界をかすめて逸れたようだな。強化が間に合ったのは幸いだが、そう何度もは保たんぞ」
リンウッドが燃える区画に向け魔術玉を一つ放り投げた。制限を解除した特製魔術玉から大量の水が溢れ、森林火災を消火してゆく。
「あっちもやべーぜ」
「急ごう」
シュウが指し示す湖のある西端の森で、火弾と氷壁が激しくぶつかり合っている。
リンウッドは魔布の方向を変え、一気に魔力を注ぎ込んだ。
+
結界壁が耐えられなかった。
「昼まで保たなかったか!」
突き破って現われた火弾が頭上を飛び過ぎる。
氷盾も氷壁も間に合わない。
遠く背後で爆音がした。
即座に追跡と消火を諦め、破られた結界に向き直る。
湖上の空が歪み、不穏な気配がひしひしと感じられた。
「氷盾! 氷盾!!」
その歪みを包むように、氷の盾を重ねてゆく。
「アキ! 乗れ」
仮眠から飛び起きたコウメイが、飛行魔布を手に駆け寄った
「練習はした、飛べるぜ」
「できるだけ近くに」
「了解。しっかりつかまっとけよ」
アキラがコウメイの背にしがみつくと、すぐに魔布が急上昇した。
膨大な熱量によって作り出された歪みに近づくと、魔力が引っ張られるような感覚に襲われる。そのまま引き寄せられ、飲み込まれそうだ。
「後退だ」
アキラに肩を叩かれ、コウメイは魔布の端を引いて後退する。
「歪みがえげつねぇぜ」
「無理はするな。引きずり込まれたら、火弾の応酬のまっただ中だぞ」
流れ弾ですら対処しきれないのに、そんなところに放り出されたら終わりである。
「アキ、きたぜ、火弾だ」
「氷盾っ」
ギリギリで氷盾が弾いた火弾が、湖に落ちた。
「水蒸気がやべぇ。山にぶつけらんねぇか?」
「難しい要求を――っ」
火弾は歪みを越えて現れるまで、向かうその方向はわからない。出現と同時に氷の盾を作るのだが、タイミングがシビアすぎた。あらかじめ氷の盾で囲むという手もあるが、それだと魔力の消費が激しすぎてアキラが保たない。補給物資が届くまでは、次々と出現する火弾を追いかけて氷盾をぶつけるくらいが精一杯だ。
湖に二発、北の森に三発、南西の山脈に一発、と。なんとか家やハリハルタの方角から逸らせたが、正直ギリギリだ。
大量の湖水が蒸発し、藻のはりついた湖底が現われた。
火弾の直撃を受けた山の形が変わり、森のあちこちで炎があがる。
とても消火までは手が回らない。
「歪みが広がってるぞ!」
「氷盾よりも大きいじゃないか」
「こっちもやべぇ、離れるぞ!」
コウメイが飛行魔布を急降下させた。
氷盾がまるで噛み砕かれたように散り散りになって消えた。
新たな氷盾で阻もうとしたが、間に合わない。
火弾が二人の頭上を越える。
森の東端に落ちるコースだ。人里が近い。運が悪ければ犠牲者が出る。
二人が覚悟を決めたときだった。
火弾の前に巨大な氷壁が出現した。
「誰だ?!」
ぶつかり、コースを変えられた火弾が、直下の森に落ちた。
魔布を操作し水蒸気を避けたコウメイが、同じように空を飛ぶ布を見つけて指差した。
「飛んでるぜ。あれ、リンウッドさんじゃねぇか?」
「シュウが投げたのは……改造魔術玉か」
ぐんぐんと近づいてくる飛行魔布の上で、シュウが声を張り上げていた。
「後ろだ、後ろー!! 次きてるぞー!」
シュウの声に、二人は歪みに向き直った。
魔力の心配はこれでなくなった。
アキラは何枚もの氷盾を作り、歪みを囲むように配した。
その間にコウメイは駆けつけたリンウッドから魔術玉を受け取る。
「味方のエルフはどうした?」
「まだ戻ってこねぇんだよ。魔術玉に余裕はあるか?」
「これで全部だ」
「二十個もねぇのか。ジリ貧だぞ」
空中戦では魔布操作に手がかかりすぎて戦力不足だ。
「俺とアキラは地上に降りたほうがいいかもしれん。コウメイが飛べるならシュウをのせて遊撃にすべきだな」
「わかった。シュウ、こっちに移れ。アキ」
「もう少し、待ってくれ」
話している間もアキラは氷盾の強化に忙しい。
「シュウ、火弾一つに魔術玉は一つだ。使い切ったら自力でどうにかしろ」
「りょーかい。どーにかすりゃいいんだな」
ひょいっとコウメイの飛行魔布に飛び移ったシュウは、飛行魔布に魔力を流し続けて顔色の良くないコウメイに魔力回復薬を渡した。
「助かる」
アキラと歪みの距離をしっかり測りながら、手探りで蓋を弾き開けて錬金薬を飲む。
「……なんだ、アレは?」
アキラの声で、リンウッドとシュウが顔をあげた。
「コウメイ、もう少し近づいてくれ」
「これ以上は駄目だ、引きずり込まれるだろ」
「だが、あそこに、何か……」
アキラが氷盾の向こう側を指差した。
空間の歪みと、重ねられた氷盾で奇妙に捻れて見える戦いの風景の中に、異質な影が見えるのだ。
まるで扉を叩くような、拳で叩き割ろうとするかのような動きだった。
「まさか、人か?」
「違う、エルフだ!」
誰だ、と声を上げる前に、拳が氷を砕いた。
氷盾が割れ、特大の火弾が彼らに向かってくる。
「いかん、落ちた」
水量の減った湖へと落ちる誰かに向けて、リンウッドが魔布を飛ばす。
「氷盾!」
「シュウ、無駄玉を使うなよ」
「わかってるって。アキラが弱らせた火弾なんか剣で十分だ」
眼前で火弾を受けた氷盾が軋んだ。
シュウは剣を構え、アキラを下がらせる。
「うぉらぁぁぁぁぁ――っ」
振りかぶったシュウの剣が、火弾ごと氷盾を斬り割いた。
剣速に合わせて飛行魔布が降下する。
真っ二つに割れた火弾が、北と南の森の中に落ちた。
「次が来る!」
「氷――」
『裂強結界壁』
アキラの氷盾よりも早く、空間の歪みが魔術陣に遮られた。
「ヘルミーネさん?」
声のした湖面近くをのぞき込んだ。
リンウッドの飛行魔布に、銀紺髪のエルフと、赤金髪の誰かが横たわっていた。
アキラを見あげた銀紺髪が、拳を突き上げて叫ぶ。
「ジブン、ちょっと張り切りすぎやで!! ウチまで巻き添え食うところやったわ! ホンマ、もー、ぎりぎりやねんで」
アキラひとりでは二、三日しか結界は維持できないと計算していたヘルミーネは、結界が破られるのと同時にこちらに戻ってくるつもりだったらしい。ところが三日目になっても結界は健在、こちらに戻るのが自分だけなら歪みを利用する必要はないが、どうしても運ばなければならないものがあった。歪みをくぐり抜けるしかないというのに、一向に結界が壊れないのだからとヤキモキした。仕方ないのであちら側から破らせるため、長老やレオナードの火弾を誘導しぶつけまくって強攻したらしい。
「フィーリクス爺に見つからんよう細工するん、むっちゃ大変やってんで。も二度とやりたないわ」
コウメイもシュウも、そしてアキラも、彼女の畳みかけるような苦情など聞いていない。
彼らが見入っているのは、ヘルミーネの脇で横たわる人物だ。
リンウッドが錬金薬を与えている赤金髪は、まさか。
「――ミシェルさん?!」
「無事だったのかよ!」
「うわー、なんであっちから? 意味分かんねー」
三人を乗せた飛行魔布が落ちるような速度で急降下した。
+
箱馬車の寝台にミシェルを運び、リンウッドに診察と治療を任せた三人は、湖畔でヘルミーネと向かい合っていた。
「そない怖い顔して迫らんといて。ウチ疲れとるんやで、ちょっとくらい休ませてくれてもええやろ?」
「エルフ族のちょっとは、私たちのちょっととずいぶん差がありますからね。先に洗いざらい答えていただけたら、後は邪魔しません。ゆっくり休んでくださっていいんですよ」
アキラは視界の隅に箱馬車を捕らえたまま、刺を隠すことなくヘルミーネに微笑みを向ける。アキラだけではない、湯を沸かすコウメイも、鉢巻きとサークレットを外したシュウも、そろって剣呑な笑顔で彼女を見据えている。
「なんやジブンらごっつ怖いんやねんな。あの人族、知り合いなんやろ? 頑張って連れ戻したウチを、美味しい料理で労ってくれてもええん違う?」
チラチラとコウメイを上目遣いに見て彼女は食事をねだった。
「悪ぃな、あいにく材料が全部吹っ飛んじまってんだ」
暗に流れ火弾のせいだと言い返し、これで我慢しろとクッキーバーを一本投げ渡す。飲み物は白湯だけだが、これは三人も同じだ。
火弾が数発落ちた湖は水位が下がり死んだ魚も転がっているが、あいにく調味料の手持ちはない。周辺の木々も黒焦げ、遠くではまだ森が燃えており、野草の採取も無理。もし何か作れたとしても、煙臭さで味などわからないだろう。この状態で鍋と保存食が残っていただけありがたく思え、そう視線で凄まれてヘルミーネは肩をすくめた。
「しゃあないなぁ。ほんで、何聞きたいん?」
コウメイとシュウは、アキラに一任すると視線で促した。
「ヘルミーネさんは戦況の偵察に行ったはずなのに……どうしてミシェルさんを連れて帰ったのでしょう?」
「連れてこんほうが良かったん?」
「そういう意味ではありません。何故エルフの領域にミシェルさんがいたのか、族長とレオナードさんとの戦いにどうして関わっているのです? アレックスは知っているんですか?」
「なんでとか、ウチが知るわけあれへんやろ」
「……ミシェルさんは、エルフの領域で何をしていたんですか?」
「それも知るわけあれへんがな。まあ、アルは知っとったみたいやな」
苦々しげにヘルミーネの眉が跳ねた。
「一騎打ちなはずやのに、あのアホウがレオの邪魔しくさるんでどついたったら、ミシェルが族長側におるて吐いたんや」
「……アレックスはレオナードさん側で間違いないんですよね?」
「当たり前やろ。フィーリクス爺に恨みあるんや、爺の味方なんかするわけあれへん」
その状況でアレックスがレオナードの足を引っ張ったということは。
「ミシェルさんは、族長側にいたのですね?」
「本人の意思かどうかはわからへんで? ウチが見つけたときは、盾に使われとったし」
「盾……?」
「そ。フィーリクス爺が己の前に立たせて、弾よけにしとったんや」
「な……っ!」
「なんだよ、それ!?」
予想以上にアレックスには効果があった、とヘルミーネは顔を歪めた。
一対一の勝負だ、どちらかを邪魔することも、加勢することも禁止されている。だがそれを守らねばならないのはエルフ族だけで、人族は対象とされていない。フィーリクスはそこを突いて人族のミシェルを盾に使ったのだ。
「えげつねー」
「残酷すぎるだろ!」
「……ミシェルさんの意識がなかったのは、防護魔術による魔力切れですか?」
ヘルミーネが連れ帰ったミシェルに外傷は一つもなかった。あの火弾の応酬の盾にされていたのだとしたら、よほど強力な防護魔術を展開していたとしか考えられない。
「ちゃうで。防御魔法かけとったんはアルや」
「は?」
「ミシェルさんじゃなくて、細目がか?」
「せや。フィーリクス爺がミシェルを自分の前に立たせた瞬間に、アルが防護魔法かけよったらしいわ」
ちょうどその瞬間を見ていた知り合いに聞いたところによると、族長は引っ張りだしたミシェルを自分の前に立たせた。意識のない状態で、身を守るための魔法を一切付与せず、素のまま立たせたのだ。
それを見たアレックスが即座に動き、ミシェルに防護魔法をかけたのだ。そのせいでレオナードの攻撃はすべて跳ね返されてしまった。
「……卑怯な」
「うわー、やり方が汚ねーっ」
「そやねん」
シュウの声に同調するようにヘルミーネは膝を打った。
「エルフ族の長ともあろうモンが、レオに圧されて分が悪いちゅうたかて、人族じみた姑息な手段を選びよってから、気にいらへんわ」
人族への風評被害、とは言い切れないため反論はできない。
「それにレオがぶち切れてなぁ。アルをド突きながら爺を攻撃しとったわ」
邪魔するな、邪魔やない、もっと巧うやれ下手くそ、そっちこそさっさととどめ刺せやぼけなす、と身振り手振りを加えたヘルミーネの説明は、その深刻さとは真逆で笑いをこらえるのが大変だ。
「なぁ、それって一対一の勝負に加勢したことにならねぇのかよ?」
「それがなぁ、ならへんちゅう結論なんや」
嫌悪感でいっぱいの三人に、ヘルミーネも同調するように眉をひそめた。
「ミシェルは人族やし、ただの盾やから問題あれへん。アルも二人の戦いを妨害したんやのうて、人族が壊れんように働いただけで干渉やない、て婆ちゃんとベネディクト爺が問題なして判断してもうたんや」
両陣営から一人ずつ、そして中立のブレイディの三人が立ち会う戦いは、それらが不正や違反にあたると判断されれば決着がついていただろうに、とヘルミーネがため息をついた。
「問題は大ありだろ」
「公平な勝負じゃねーじゃん!」
「ウチもそない思うわ。こういうやり方はガチの勝負やあれへんて、レオ側だけやのうて爺側の一族からも、見苦しいて非難の声が上がったんよ」
誓いに違反してはいないとはいえ、誇り高いエルフ族の長が姑息な手段をもちいるなど許せない、エルフ族に泥を塗る行為だ、と激しく怒る者が意外にも多かった。もし族長が勝利したとしても、勝敗を受け入れる一族は少ない。下手をすれば新しい火種になりかねないと、ブレイディらは頭を抱えたらしい。
「そこにウチが様子見に行ったもんやから、どうにかせぇて婆ちゃんに無茶振りされてもうたんや!」
人族の盾も、アレックスの行動も違反行為ではない。だがそれがあるために戦いの結果が尊重されないのであれば、排除してしかるべきだ。ただし誓いに反しない手段と方法で、と条件をつけられたヘルミーネは、盾がなくなれば良いのだと考え、ミシェルをさらってきたのだ。
「ほんま、大変やったんやで。二人の戦い邪魔せんように、苦労してやっとさらってきたちゅうのに、予定しとった出口は氷漬けやし、ジブンらには責められるし、ホンマかなわんわ」
盾がいなくなればアレックスは引っ込むし、フィーリクスの姑息な有利もなくなる。力と力の純粋な勝負に戻れば一族全員が納得する。あとはどちらかが力尽きるのを待つだけだ。
「……そこでミシェルさんを排除(殺す)とならなかったのは何故です?」
殺されては困るが、エルフ族の性格を考えれば、生かし連れ出す選択になったのは不思議だ。
「そらアルが泣くからに決まっとるやん――えぇ? なんなん、その顔?」
「あいつのマジ泣きとか、想像できねぇよ」
「ねーわ、絶対ねーって」
「そんなに殊勝でしたかね?」
壮絶に顔をしかめる三人を見て、ヘルミーネが眉根を寄せる。
「酷い言われようやなぁ。けどアルが惚れとるんは間違いあれへんのやし、子分にウチと同じ思いはさせたないねん」
身近な者が愛する存在を失い絶望する姿を見てしまえば、己の悲しみもよみがえる。それが嫌なのだと彼女は目を伏せた。
「いつから……ミシェルさんは族長のところにいたのでしょう?」
アキラたちが彼女と最後に会ったのは、もう覚えていないくらい前だ。アレックスづてに存在を掴んだのは十五年前。それ以来、消息は掴めていないのに。
「さあ、知らへんわ。んもぉ……そない睨まんでもええやろ。ウチかて盾になっとるん見てはじめて知ったんやで。まあ、アルは族長が隠しとるて疑うとったみたいやけど?」
珍しく一族の領域に留まってあちこちを嗅ぎ回っていたが、あれはミシェルを探していたのだろう。だから責めるならアレックスにしろ。
「まあ、そないなわけで、やあっとこっちに戻ってこれたんよ」
あとは決着がつくまで墓を守ってここで待機していれば良いのだ。楽な仕事だとヘルミーネは笑って周囲を見渡した。
「しっかし、ちょっと見ぃひんうちに、えろう殺伐としてもうたなぁ」
美しかった湖は魚の死骸が大量に浮かび濁って汚いし、整然と木々が生えそろっていた森は、ミノタウロスに踏み荒らされたかのような惨状だ。澄んだ空気は煙臭く、息をするのが嫌になるほどだ。
「ダーリンが好きな景色も魚も、全部ダメになってもうとるやん。ジブンら、もうちょっとやりようがあったんちゃう?」
「すみませんね、いろいろと力及びませんで」
「エルフの族長と次期族長の全力火弾だぜ、人族にどうしろってんだよ」
「どこ飛んでくかわかんねーし、大変だったんだからな」
文句を言うくらいなら結界を完璧にしておけ、と三人で反論した。
しきりに周囲を見回して何かを探していたヘルミーネが、コウメイの狩猟服を引っ張って問うた。
「なぁ、ウチのテント、どこいったん?」
「さっきの火弾でどっかにふっ飛んでったんじゃねぇか」
「どこに?」
「知らねぇよ」
「どこにあんねん、ダーリンのテントぉぉ!!」
ヘルミーネが探知のために魔力を四方に打ち広げる。不快感に顔を歪めるアキラの横を走り、彼女は森へ駆けていった。
「うるせぇのがやっといなくなった……」
「けどここ留守にして大丈夫なのかよ?」
「結界壁は張り直されているし、魔力の充填だけなら……しばらくは問題ないかな」
アキラの視線は箱馬車と結界壁を何度も往復している。シュウが気を紛らわせようと声をかけた。
「森の消火、どーする? 今からでも消しに行くか?」
「……ミシェルさんの容体がハッキリしてから決めていいか?」
森が全焼する前にヘルミーネが戻ってきてくれて、正直助かった。しかしいまここを離れるのは躊躇われる。そんなアキラの気持ちは理解できた。
「いいんじゃねぇか?」
「じゃーカカシタロウとアマイモ三号が合流したら、奴らに任せよーぜ」
「あいつらもここに来んのか?」
「人手(?)は多いほーがいいだろ」
リンウッドに大雨の魔術玉を作ってもらえば、軍馬と甲冑でも消火はできるだろう。
「けど遅っせーな」
疲れ知らずの軍馬の足なら、もうとっくに合流できているはずなのにと、シュウが森を振り返る。
「ちょーっと荷物が重すぎたかなー」
「何か運ばせてたのか?」
「安全な場所が必要かなーって思ってさ、前にマイルズさんが使ってた盾を補強して運ばせてんだよ」
残念ながら間に合わなかったし、届いていたとしても空中にいたので使わずに終わったが、結界が再び破られる可能性もある。備えておいて損はないはずだ。
「備えか。箱馬車はミシェルさんが使ってるし、俺らの寝所、どうする?」
シュウとリンウッドも来てしまったのだ、家に戻るのではなく、事態が終結するのをここで見守ることになるだろう。そうなると野宿は辛い。
「せめて壁か屋根がほしいが……魔布をテントに使うのは、できれば避けてくれないか?」
傷や汚れが付いてしまえば、飛行時の操作性や速度に影響すると心配するアキラに、コウメイは苦笑いで首を振って返した。
「材料はそこら中にあるのを使うから、アキの魔布を奪ったりしねぇよ」
三人は疲労で重い体を叱咤して動き出した。箱馬車に近く、結界が一望できる場所を選んで、かき集めてきた倒木を使ってL字型に壁を作り、蔓性植物を編んだ網を渡して、その上によく葉の茂った枝をのせて屋根がわりにする。囲まれてはいないが、壁と屋根があるだけで十分に落ち着ける場所になった。
「あいかわらず、器用な男だ」
完成したばかりの簡易小屋の前で湯を沸かしていたコウメイに、リンウッドの呆れた声がかけられた。
「ミシェルさんは看ていなくていいんですか?」
「しばらくは眠らせておく……おそらく、そのほうがいい」
むすっとしたリンウッドの渋面と、消えるような小声で付け加えられた一言は聞き逃せない。アキラは急いで薬草を探し、疲れの見えるリンウッドのために薬草茶を煎れた。
「眠らせておくというのは、どういう意味でしょう?」
「後遺症とかあるのかよ?」
「あのときの怪我、まだ治ってねーのか?」
十五年前にアレックスから逃走したミシェルの状態は、リンウッドにも話してあった。あのときの怪我が治りきっていないのか、それとも盾にされていた後遺症が残っているのか。
「それだがな……アキラはミシェルが四肢を欠損した可能性があると言っておったが、それらしい傷は見あたらなかったぞ」
「え?」
「そんなはずはねーよ」
「ああ、俺らは細目の傷を見てる。アレより酷く腹も割けてて、生きてるのが不思議なくらいの重症だったらしいんだぜ」
「ことミシェルさんの件でアレックスが嘘をつくとは思えないのですが」
アレックスですら体に痕跡を残すほどの大怪我だったのだ。いくら治療魔術や錬金薬で治したとしても、ミシェルにも痕跡くらいはのこっているはずだ、と三人が口を揃えて主張した。
「しかしな、ないものはないんだ。おそらく負傷直後に、相当に腕が良く、人族を越えた魔力量を誇る治療魔術師が治療したのだろうな」
リンウッドが示唆するのは、エルフ族の治療魔法だ。
それでは十五年間ずっと、ミシェルはエルフの領域で匿われていたことになる。
「どうにもな、嫌な予感がするのだ」
「それは、どういう……?」
「傷はないし、魔力も回復している。この状態なら普通に目覚めるはずだが、ミシェルの反応が鈍いんだ」
リンウッドは何度も声をかけた。刺激となるように軽く手を叩いてみたり、少し強めに捻ってみたりもした。ミシェルは働きかけに応えるように目を開けたが、その動きは鈍く、視点も定まらないままだった。こちらの声も、触れた刺激も届いているのは間違いないのに、だ。
「今のミシェルとよく似た状態に覚えがあるのだ……」
重く低い声でそう呻いたリンウッドは、しかと確かめるように彼らを見た。言葉にするのを躊躇うような様子に、アキラは「まさか」と小さく呟く。
アキラの気づきに、リンウッドが頷いた。
「これという痕跡は見つからんが、おそらくミシェルは傀儡魔術に捕らわれている」
「解術できないのですか?」
「できるならとうにやっているとも。針さえ見つかれば、切り離すなり、抜くなり干渉したりでどうにかできる。だがミシェルには針が打たれていないんだ」
これまで傀儡魔術にかかった者は何人も見てきた。針は対象を操るための指示を伝えるのに必要なものであり、髪の毛や衣服で隠れるような目立たない場所に刺し、それを通じて傀儡術を行使する。
なのにどれだけ探しても、ミシェルからはその針が見つけられないのだ。
「あの施術は人族ではない、エルフが施したものだ」
「状況から考えて、長老が傀儡にしてんだろうなぁ」
「解術方法は……」
「俺の知る方法では無理だ」
おそらく、人族の使う傀儡魔術とエルフ族の使う傀儡魔術は根本から違う気がする、とリンウッドは渋い顔だ。ミシェルの解術はエルフに頼むしかない。
「ヘルミーネさんは何処に行った?」
「テント探しに行ったままだぜ」
では戻ってきたときに解術方法を聞くしかない。それまではミシェルを眠らせておくほうが安全なのは間違いなさそうだ。
疲れている様子のリンウッドには、完成したばかりの半小屋で休息を取ってもらった。
「シュウは食える肉を探してきてくれ。アキは薬草と食える植物だな」
テキパキと指示を出すコウメイに、シュウが小声で「アキラを休ませなくていーのか?」と問う。出現する火弾に対処していたアキラが最も疲労と消耗が激しいはずだ。結界壁を張り直したばかりで守りの堅い今のうちに、回復させておくべきではないのか、と。
「今のアキには仕事を与えて考え込まねぇようにしとくほうがいいんだよ」
ミシェルとの再会とその境遇で動揺しているアキラに、考える時間を与えるのは危険だ。考えすぎて逆に安まらない。
「少し乱暴に連れ回してくれ」
「過保護だなー」
「うるせぇ。ちゃんとした飯が食いたかったら、アキに良さげな香草をしっかり採取させろ。味付けなしの焼き肉でいいのか?」
「美味い焼き肉がいいに決まってんだろ。アキラー、張り切っていこーぜ!」
だるそうなアキラの肩をがっちりと掴んだシュウは、引きずるようにして森に駆けていった。




